ハナコ・プランバーゴ

ノコギリマン

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34:しつこい奴ら

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 舫柱もやいばしらから縄をほどき、「乗れ」とサンチャゴが顎で船を指した。

 船は、改めて近くで見ると、四人も乗れば沈んでしまうのではないかと思えてくるほどに頼りないオンボロ船だった。

 躊躇していると、アリスが臆することもなく飛び移り、トキオとマクブライトがそれに続いた。

「本当に大丈夫なの? 信じられないくらいオンボロだけど」
「失礼な奴だな、年季が入っていると言えんのか?」

 言って、エンジンをかけるサンチャゴ。

 慌てて飛び乗り、ハナコはため息を吐いた。

「どれくらいで着くの?」
「四時間といったところだな」

 意外とかかるものだな、と思いながら舳先へさきに目をやると、そこには何かをかくすようにして、ブルーシートが山なりに被せられていた。

「出すぞ」

 言葉とともに揺れ、船が動き出す。


◆◆◆


 十分ほど経って川の中央あたりまで来ると、漁り火のライトを灯した数隻の船がイカ漁をしているのが見えてきた。

「あの人たちに通報されることはないんだろうね?」
「奴らも同じ穴のムジナだからな。むしろ厄介なのは、ほかの区域の奴らだ。まあ、目指す《リーバーサイドQ》の奴らは、金さえ払えばなんでもやるタイプの奴らだから、口封じも楽だ。だからまあ、そこまでなにごとも無ければ御の字ってやつよ」

 言って、景気づけなのか、酒をあおるサンチャゴ。

 オンボロ船に酔いどれ船長という事実に、いやでも不安が募る。

「これから上流に向かう。長距離だが、まあ、すぐに着くさ」
「本当に、何ごともなければいいんだけどね」

 船縁ふなべりに腰をおろし、胸に湧き上がる不安をかき消すように川面を眺めると、満天の星空が揺れて見えた。文字どおり幻想的とも言える光景だったが、哀しいかな、乗っている船の心もとなさが、それに浸るのを許してくれない。

 それから三十分が経つと、漁をしている船すら見当たらなくなり、今にも止まってしまいそうなモーター音と、単調な航路と、間断なくつづく揺れとに、すこし船酔いを感じながら操舵室に目をやると、蛇輪だりんを握るサンチャゴは、呑気に口笛を吹いて眼前の闇夜を見据えていた。

「なんか、静かね」
「草木も眠る丑三つ時だからな」

 マクブライトが応える。

「それより、少し顔色が悪いぞ。初めてだから船酔いか?」
「……ひとつ分かったよ。あたしは船が嫌いだ」

 憮然としながら吐き気を我慢していると、太鼓を叩くような、大きな音が鳴った。

 そして空を裂く甲高い音が聞こえ、つぎの瞬間、後方に水柱が上がり、けたたましい爆発音とともに船尾が浮き上がった。

 すぐさまアリスを庇いながら甲板に身を伏せたハナコは、揺れが落ちつくのを見計らって船尾に向かい、後方に小さく見える船影に目を凝らした。

「誰だ?」
「ここからじゃ暗すぎて分かりませんね」

 双眼鏡を覗き込んだままトキオが言う。

「まさか、《446部隊》が追ってきてるんじゃ?」
「だとしたら最悪ね」
「少し速度を上げるぞ」

 サンチャゴが船の速度を上げ、モーターが、さらに悲鳴にも似た音を上げはじめた。

「爺さん、大丈夫なの?」
「なあに、ダメなら魚の餌になるだけだ」

 愉快そうに言い、酒をあおったサンチャゴは、空になった酒瓶を甲板に投げ捨てた。

 追走する船影からふたたび音が聞こえ、後方に水柱が上がる。

「最悪、これの出番かもな」

 マクブライトがバックパックからスナイパーライフルを取り出し、不安定な船尾で狙撃体勢に入る。

「……なるほどな、そういうことか」

 言って、スコープから目を離したマクブライトが、ハナコに目顔で「覗け」と促してきた。

 覗き込むと、そこには頑丈そうな大きな船があり、その操舵室の屋根にはが見えた。

「くそ、あのバンダナ野郎か」

 舌打ちをすると、

「小娘、どうやらお前は、人からよっぽど恨みを買うタイプらしいな」

 サンチャゴが笑い、さらに船の速度を上げた。

「撃つか?」

 マクブライトが言う。

「いや、無駄な殺しはしたくない。逃げられるなら逃げよう」

 言っている間にもバンダナの船が距離を詰めていて、その舳先に立つふたつの黒い人影が見えるほどになっていた。

「仲間までいやがるのか? いや、あいつら――」

 マクブライトの言葉を遮るように、黒い人影の一方がその右手につかんだ大きなモノをこともなげに放り投げ、それがハナコたちの頭上をかすめて、操舵室の後方の扉へ、轟音とともにぶち当たった。

 見るとそれは、白目をむき、顎が外れるほど無様に口を開いて失神するバンダナだった。

 ――大の大人をここまで放り投げるほどの怪力の持ち主?
 ――まさか、《ピクシー》か?

 ワケも分からないままホルダーから警棒を抜き取ると、船の速度が落ちはじめ、後方の船がどんどんと近づいてきた。

「おれたちに黙って九番を出るなんて、ツレねえじゃねえか、ハナコ」

 一際おおきな影が言う。

「……名前で呼ばないでって、なんど言えば分かるわけ?」

 ため息を吐き、振り下ろして警棒を伸ばすハナコ。

「言っておくけど、あんたらみたいなザコを相手にしてる暇はないんだよ」
「ザコ呼ばわりとは、ご挨拶じゃねえか」

 ほくそ笑む人影はコブシ一家の家長、トラマツ・コブシだった。

「まさか、こんなところまで追ってくるなんてね」
「お前の匂いは忘れたくても忘れられねえんだ」

 トラマツの横に立つゴエモンが言って、ボウガンをかまえた。

「つまりおれの愛からは逃れられないってことよ、マイハニー」
「寝言は寝て言えよ、バカ息子」

 罵倒されすぐ涙目になるバカ息子をどかして、リンがその肩にかついだロケットランチャーをかまえた。

「へえ、いい武器を手に入れたね」
「至近距離でも、わたしはかまわず撃つよ」
「アンタだけは楽だ、殺す気で来てくれるから」
「ふん。とりあえず、その憎たらしい棒を下げな」

 ハナコは笑みながら首を振り、警棒の先端をリンへと向けた。

「調子にのるなよ、クソガキが!」

 リンが怒りを露わにして言う。

「あー、待て待て」

 凶暴な長女を止め、トラマツはハナコの背に隠れるようにして立つアリスに視線を向けた。

「見たところ、が今回のブツらしいな」
「だとしたら、どうする気?」
「奪うだけよ。もちろんお前も一緒にな」
「アブサロムは、お前らがやったのか?」

 操舵室から出てきたサンチャゴが言う。

「可哀想に、顎がはずれてるじゃねえか」

 マクブライトに目配せをして操縦をかわり、コブシ一家と向かい合ったサンチャゴは、船尾の箱から新たな酒瓶を取りだしてそれに口をつけ、トラマツに放り投げた。

「おうよ、大人しく運んでくれりゃ、のルールに従って料金をはずんでやったところだが、何をトチ狂ったか、よりにもよって、おれたちの身ぐるみをはがそうとしやがったからな。悪いが、なら叩き潰すだけよ」

 言って、受け取った酒をあおるトラマツ。

「すまねえな、爺さんの友だちだったか?」

 笑い、トラマツはサンチャゴに酒瓶を放って返した。

「いや、だ」

 言って、酒をあおるサンチャゴ。

「まあ、泣く子も黙るコブシ一家に、手を出したのが運の尽きよ」

 両手を広げるトラマツ。

「まあ、見てのとおり、ボウガンとロケットランチャーに狙われちゃ、手も足も出せないわな。大人しくこっちがわへ来い」
「ちょっと待て」

 サンチャゴがやれやれと首を振る。

「おれの仕事は、コイツらを無事に対岸へ送り届けることだ。悪いが、そっちへ乗り移らせるわけにはいかねえ」
「おいおい、耄碌もうろくしてこの状況が分からないのか、爺さん?」

 トラマツが呆れながら言う。

「分かっていないのは、お前らのほうだよ」
「あ?」
「水の上は、だ」

 ほくそ笑んで、ふたたびトラマツに酒瓶を放り渡したサンチャゴが、とつぜん指笛を吹く。

 それを合図にしてマクブライトが船を急発進させ、大きな揺れに耐えるため船板に手を突いたハナコは、不可解にも船がトラマツたちの乗った船の後方に回り込もうとしているのに気がついた。

「どうする気?」

 訊くと、

「止める」

 と、みじかく応え、サンチャゴはまるで揺れなど無いかのように船首へ向かい、そこに掛けられていたブルーシートを引き剥がした。

 そこには、古めかしいガトリングガン。

 サンチャゴは上方の装着部に弾倉を差し込むと、クランクを回して撃ちはじめ、一分も経たずうちに後方を蜂の巣にされた頑丈な船が傾きだした。

 回り込まれた際に、横っ腹へ波濤はとうをうけて大きく揺れる船にへばりついていたコブシ一家の、怒気をはらんだ悲鳴が上がる。

「クソジジイ、沈める気か!」
「沈めやしねえ、ただの足止めだ」

 サンチャゴが応えながら片手を上げ、それを前方に振り下ろした。それを合図に船がトラマツたちを尻目に川を遡りはじめた。

 後方に流れてゆく船を見ると、フラフラと立ち上がったリンがイタチの最後っ屁とばかりに砲撃をしてきた。

 だが、砲弾はオンボロ船とはほど遠い水面に着弾し、虚しく水柱を上げただけだった。

「おれたちから逃げられると思うなよ、ハナコ!」

 ゴエモンの悲痛な捨て台詞が闇夜に響く。

 ハナコはもう見えなくなりかけた船に向かって中指を立て、

で留守番してな!」

 と、吐き捨てた。

「帰りにまだいたら、安くで拾ってやるよ」

 サンチャゴが笑い、マクブライトと操縦をかわる。

 ハナコは警棒を収めて甲板に腰を下ろし、夜空を見上げた。

 気のせいかもしれないが、コブシ一家を相手にしたおかげで、いつのまにか船酔いも軽くなったような気がする。

 やはり、適度な運動は体にいいのだ。
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