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第一章「若き龍の目覚め」
第四話「説教」
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龍助が家に戻されてから一晩経った。
時間が経過して多少頭は冷えてはいるが、それでも怒りは収まっていない。自分が間違っているとは毛ほども思っていない。
昼に差し掛かろうという頃、龍助は客間に来るように呼び出された。そこには、小姓としての当番を終えて帰宅した父意行の姿がある。更に、その横には先輩小姓である忠光と、もう一人中年の男が座っていた。服装から察するに旗本であり、田沼家と家格は大して変わらない様に見えた。
「そこに座れ」
「はい」
城内で暴れるという暴挙をしでかしたばかりの龍助であるが、小さい頃から父には頭が上がらない。意行に促されて大人しく席に着いた。落ち着いた声色で表情は何時もの通りだが、その中にただならぬ気配が押し殺されているのを龍助は感じ取った。
「昨日は大奥で随分と暴れたそうだな。上様の御耳にも入り、お前の事を聞かれたぞ。儂がその時にどんな気持ちだったか、お前に分かるか?」
「しかし父上、上様は質素倹約や武道を奨励し、清廉潔白で万民のための政を行っています。それに仕える我々家臣の中で、賄賂などが横行していては問題ではありませんか。それをあの女は」
「黙れ! その様な浅い考えで、よくもそんな事を言えたものだな! しかも伊丹殿の前であの女などと」
「まあまあ田沼殿。これが若さというものでしょう。それくらいにしてあげてください」
意行の言葉からすると、どうやら龍助と初対面の中年男性は、伊丹というらしい。柔和な表情で憤激する意行を宥めた。
「「龍助殿。私は伊丹直賢という者だ。意行殿と同じく紀州時代から上様に仕えていて、今は小納戸役を勤めている」
小納戸役は将軍の近辺に侍る役目だ。という事は、同じく将軍の側に控える意行とは付き合いが長いのだろう。
「そして、花緒の父である」
「は?」
思いもよらぬ直賢の言葉に、つい龍助は間抜けで礼を失した言を吐いてしまった。
確か花緒とは、昨日大奥で龍助と争った相手の名前だ。今目の前にいる男はその父なのだという。しかも、龍助の父とは古くからの付き合いの様である。
父親の前でその娘をあの女呼ばわりしてしまったのは、明らかな失態である。
「いや、これはですね」
流石の龍助も、直賢に向かって自分悪くなく花緒に問題があると強弁する程の度胸は無い。先程までの威勢は何処へやら、口ごもるばかりだ。
「伊丹殿は昨日の事は不問にして下さるとおっしゃっている。今度、大奥に行って花緒殿に謝りに行くが良い。その時には、何か謝罪として贈り物を持っていくのだぞ」
「し、しかしそれは……」
「なんだ、何か不満でもあるのか」
不満があるのかも何も、龍助は元より自分が悪いなどと思っていない。何故謝罪などしに行かねばならないのか。
「龍助君、君は花緒さんにいただいた菓子を賄賂だと思っているようですが、それは心得違いですよ」
「大岡様、何をおっしゃいます。正当な商取引でもなく金品の授受をするなど、賄賂以外のなんだというのですか」
忠光が口を挟むが、龍助は不満そうだ。当然である。幼い頃から不正を憎む様に父から厳しく育てられて来たのだ。今更その価値観を変えるのは難しい。
「まあ聞きなさい。賄賂が良くないのは確かにその通りだ。いわれの無い多額な金品の授受は、不正の温床になるからだ。賄賂を貰う事により相応しい者より相応しくない者が高い地位や役職を得る事があるからね」
当代の将軍である吉宗は、実力主義により人材を登用している。これまでは家格が低く高い地位に就く事が出来なかった様な者も、今では高い地位に就く可能性がある。
しかしこれは諸刃の剣でもある。実力があれば高い地位に就けるとは言うが、実力が伴わずとも推薦を受け、それが罷り通る事例は後を絶たない。全ての人事を吉宗が直接判断するのは無理があるのだ。
かつては家格だけで身分が決まってしまうのでいくら賄賂を贈ろうと無駄であったのが、立身出世が可能になったからこそ不正が過熱しつつあるのは実に残念なことである。無論、吉宗はその様な不正を許すつもりはなく、事実が発覚したならば厳しく処罰している。そのため、吉宗の側に古くから仕え、その心の内を知っている意行は厳しく息子に教育してきたのであった。
「しかしだね。賄賂を許さない事と、人として普通の贈答品のやり取りは、全く別の事だと思うよ。特に武士として生きていくなら当然の事だ」
賄賂が悪であるという認識は、何時の時代にも共通してある。だからこそ皆ばれないように賄賂を授受しており、露見したならば処罰されるのである。
それに対し、付き合いのある者同士の金品の授受も欠かせないものなのだ。上司に対する時期折々の贈り物であったり、その返礼品だったりを贈るのは円滑な人間関係の維持に欠かせないのだ。常日頃の関係だけでなく、何かを頼む場合にもその礼品が欠かせない。
例えば、かつて殿中で赤穂藩主の浅野内匠頭が高家吉良上野介に切りつける事件があった。この原因ははっきりとしないのだが、勅使饗応役を仰せつかった浅野が指導役である吉良に対してのお礼を渋った事により嫌がらせをされ、それに対する遺恨であるという噂がある。
噂の真相は兎も角、この様な説が流布するからには、何か他者にして貰ったのなら、それに対して何らかの礼品を贈るのは普通であると皆が認識しているからこそだ。
吉良が勅使への対応要領を指南するのは高家としての役割であり、浅野が勅使饗応役をするのは幕府の命であり、浅野が私的に吉良にお願いをしているのではない。全ては公的な事だ。ならば吉良は見返りも無く教えてやるべきという説も、一応理屈は立つ。だが、吉良が大名達に何らかの指南をしてやる度に礼として金品を貰うのは幕閣も大名も皆知っていた事であるし、その事が問題視されたりはしない。
つまり、武家同士の付き合いとして常識の範囲なら何の問題も無いのである。
まあ、常識の範囲で無かったから浅野が逆上し、最終的に吉良が赤穂浪士に討ち取られる事態に発展してしまった可能性もあるのだが、真実は闇の中である。しかも、この説が正しかったとしたら、問題なのは常識の範囲を超える場合であり、そうでない場合は何の問題も無いという事を示しているとも言えるのだ。
この様な事を例として示しながら、忠光は龍助を懇々と諭した。
「それにだ、例えば君が圓明流の目録を貰った時、師に礼品を贈っただろう? それは賄賂と言えるのだろうか」
「まさか、免状を頂く際に、師匠に礼品を贈るのは武術の世界では当たり前のことです。賄賂などではありません」
「しかし、師匠には入門時の束脩や、定期的な金品を納めているだろう。ならば実力を認定した切紙を出すだけなら、紙代だけでも良いではないか。それともなにかね。武術の師範は、免状を出す時の礼品を期待して弟子の実力に関わらず免許を認定するのかね?」
「むう」
これには龍助も反論しづらかった。自分が当然だと思っていた事を、自分が忌み嫌う賄賂だなどと認めるわけにはいかない。だが、これを認めない以上他の事例も賄賂とは限らないと認めざるを得なくなってしまう。
もっとも、龍助が師事した流派は兎も角、金目当てで免状を乱発する不届き者は後を絶たないのであるが。
「ですが最初は大した事のない贈答品のやり取りから入ったのに、いつの間にか高価な金品のやり取りに発展する事もあるでしょう。警戒心を薄れさせて受け入れさせた後、過大な品を贈り、それに付け込んで要求を呑ませる事もあるのでは無いですか?」
言われっぱなしの龍助ではない。何とか反論を試みた。この反論に対し、忠光だけでなく意行も伊丹も「ほうっ」という反応をした。
てっきり世間を何も知らない若僧が、青臭い正義感だけで物事を考えていると思っていたのだ。龍助の反論はもっともであり、実際この様なやり口で賄賂を贈る者もいるのだ。意行はこの様なやり口を知っているのだが、龍助への教育で教えた事はない。龍助は自らこの様な危険性について案出したのである。
苦し紛れの思い付きかもしれないが、それでも中々の頭の働きと言えよう。
「そもそも、適正な範囲とそうでない範囲の明確な違いなどあるのでしょうか」
「おおよその目安はあるのだがね。武士同士の付き合いによる贈答品のやり取りは、長年続いているものだから、前例に則れば基本的には問題はない。それも絶対ではないけどね」
「ならば」
「しかしだ」
反論を続けようとした龍助の言葉を忠光は鋭い言葉で断ち切った。
「明確な基準が無いからといって全ての贈り物を賄賂と断じて否定するのは、同じく明確な基準が無いからといって非常識に高価な贈り物を賄賂ではないと嘯いてその実賄賂を贈るのと変わらず愚かな事だ。君はもっと視野を広く持つべきだ」
忠光にぴしゃりと言われ、これには龍助も反論する事はかなわなかった。
「言うべき事は言ったので、私はこれでお暇させてもらいますよ。家重様とあまり長く離れるつもりは無いのでね」
そう言った忠光は、意行と伊丹に会釈すると立ち去ろうとした。そして、部屋を出る寸前立ち止まる。
「そうそう、この事件を聞いた家重様は、大層笑いなさった。頼もしく、面白い若者だとね。あんなに家重様が笑ったのは久しぶりの事だ。君には是非戻ってきて欲しい」
忠光はそう言い残し、部屋を後にした。
「私もお暇させてもらおう。実は、上様も龍助君の事を聞いて中々気骨のある奴だとおっしゃっていた。上様がそう評価されたのだ、娘と喧嘩したからといって私ごときが君をどうこうしようなどと言いはしない。御広敷の伊賀者達は口が固く、上様などの一部の者しかこの件は知らないので、処罰される事はないだろう。だが、君のこれからの事も有る。花緒と会って和解しておくべきだ。花緒には私から言っておこう」
伊丹もそう言って立ち去った。
意行は「よく考えろ」とだけ言って龍助を自室に戻るよう促した。先程は激しいやり取りをしたのだが、今は意外な事にそれ程怒りは感じられなかった。
部屋に戻った龍助の頭には忠光達の言葉が渦を巻き、この日は眠れない夜を過ごしたのだった。
時間が経過して多少頭は冷えてはいるが、それでも怒りは収まっていない。自分が間違っているとは毛ほども思っていない。
昼に差し掛かろうという頃、龍助は客間に来るように呼び出された。そこには、小姓としての当番を終えて帰宅した父意行の姿がある。更に、その横には先輩小姓である忠光と、もう一人中年の男が座っていた。服装から察するに旗本であり、田沼家と家格は大して変わらない様に見えた。
「そこに座れ」
「はい」
城内で暴れるという暴挙をしでかしたばかりの龍助であるが、小さい頃から父には頭が上がらない。意行に促されて大人しく席に着いた。落ち着いた声色で表情は何時もの通りだが、その中にただならぬ気配が押し殺されているのを龍助は感じ取った。
「昨日は大奥で随分と暴れたそうだな。上様の御耳にも入り、お前の事を聞かれたぞ。儂がその時にどんな気持ちだったか、お前に分かるか?」
「しかし父上、上様は質素倹約や武道を奨励し、清廉潔白で万民のための政を行っています。それに仕える我々家臣の中で、賄賂などが横行していては問題ではありませんか。それをあの女は」
「黙れ! その様な浅い考えで、よくもそんな事を言えたものだな! しかも伊丹殿の前であの女などと」
「まあまあ田沼殿。これが若さというものでしょう。それくらいにしてあげてください」
意行の言葉からすると、どうやら龍助と初対面の中年男性は、伊丹というらしい。柔和な表情で憤激する意行を宥めた。
「「龍助殿。私は伊丹直賢という者だ。意行殿と同じく紀州時代から上様に仕えていて、今は小納戸役を勤めている」
小納戸役は将軍の近辺に侍る役目だ。という事は、同じく将軍の側に控える意行とは付き合いが長いのだろう。
「そして、花緒の父である」
「は?」
思いもよらぬ直賢の言葉に、つい龍助は間抜けで礼を失した言を吐いてしまった。
確か花緒とは、昨日大奥で龍助と争った相手の名前だ。今目の前にいる男はその父なのだという。しかも、龍助の父とは古くからの付き合いの様である。
父親の前でその娘をあの女呼ばわりしてしまったのは、明らかな失態である。
「いや、これはですね」
流石の龍助も、直賢に向かって自分悪くなく花緒に問題があると強弁する程の度胸は無い。先程までの威勢は何処へやら、口ごもるばかりだ。
「伊丹殿は昨日の事は不問にして下さるとおっしゃっている。今度、大奥に行って花緒殿に謝りに行くが良い。その時には、何か謝罪として贈り物を持っていくのだぞ」
「し、しかしそれは……」
「なんだ、何か不満でもあるのか」
不満があるのかも何も、龍助は元より自分が悪いなどと思っていない。何故謝罪などしに行かねばならないのか。
「龍助君、君は花緒さんにいただいた菓子を賄賂だと思っているようですが、それは心得違いですよ」
「大岡様、何をおっしゃいます。正当な商取引でもなく金品の授受をするなど、賄賂以外のなんだというのですか」
忠光が口を挟むが、龍助は不満そうだ。当然である。幼い頃から不正を憎む様に父から厳しく育てられて来たのだ。今更その価値観を変えるのは難しい。
「まあ聞きなさい。賄賂が良くないのは確かにその通りだ。いわれの無い多額な金品の授受は、不正の温床になるからだ。賄賂を貰う事により相応しい者より相応しくない者が高い地位や役職を得る事があるからね」
当代の将軍である吉宗は、実力主義により人材を登用している。これまでは家格が低く高い地位に就く事が出来なかった様な者も、今では高い地位に就く可能性がある。
しかしこれは諸刃の剣でもある。実力があれば高い地位に就けるとは言うが、実力が伴わずとも推薦を受け、それが罷り通る事例は後を絶たない。全ての人事を吉宗が直接判断するのは無理があるのだ。
かつては家格だけで身分が決まってしまうのでいくら賄賂を贈ろうと無駄であったのが、立身出世が可能になったからこそ不正が過熱しつつあるのは実に残念なことである。無論、吉宗はその様な不正を許すつもりはなく、事実が発覚したならば厳しく処罰している。そのため、吉宗の側に古くから仕え、その心の内を知っている意行は厳しく息子に教育してきたのであった。
「しかしだね。賄賂を許さない事と、人として普通の贈答品のやり取りは、全く別の事だと思うよ。特に武士として生きていくなら当然の事だ」
賄賂が悪であるという認識は、何時の時代にも共通してある。だからこそ皆ばれないように賄賂を授受しており、露見したならば処罰されるのである。
それに対し、付き合いのある者同士の金品の授受も欠かせないものなのだ。上司に対する時期折々の贈り物であったり、その返礼品だったりを贈るのは円滑な人間関係の維持に欠かせないのだ。常日頃の関係だけでなく、何かを頼む場合にもその礼品が欠かせない。
例えば、かつて殿中で赤穂藩主の浅野内匠頭が高家吉良上野介に切りつける事件があった。この原因ははっきりとしないのだが、勅使饗応役を仰せつかった浅野が指導役である吉良に対してのお礼を渋った事により嫌がらせをされ、それに対する遺恨であるという噂がある。
噂の真相は兎も角、この様な説が流布するからには、何か他者にして貰ったのなら、それに対して何らかの礼品を贈るのは普通であると皆が認識しているからこそだ。
吉良が勅使への対応要領を指南するのは高家としての役割であり、浅野が勅使饗応役をするのは幕府の命であり、浅野が私的に吉良にお願いをしているのではない。全ては公的な事だ。ならば吉良は見返りも無く教えてやるべきという説も、一応理屈は立つ。だが、吉良が大名達に何らかの指南をしてやる度に礼として金品を貰うのは幕閣も大名も皆知っていた事であるし、その事が問題視されたりはしない。
つまり、武家同士の付き合いとして常識の範囲なら何の問題も無いのである。
まあ、常識の範囲で無かったから浅野が逆上し、最終的に吉良が赤穂浪士に討ち取られる事態に発展してしまった可能性もあるのだが、真実は闇の中である。しかも、この説が正しかったとしたら、問題なのは常識の範囲を超える場合であり、そうでない場合は何の問題も無いという事を示しているとも言えるのだ。
この様な事を例として示しながら、忠光は龍助を懇々と諭した。
「それにだ、例えば君が圓明流の目録を貰った時、師に礼品を贈っただろう? それは賄賂と言えるのだろうか」
「まさか、免状を頂く際に、師匠に礼品を贈るのは武術の世界では当たり前のことです。賄賂などではありません」
「しかし、師匠には入門時の束脩や、定期的な金品を納めているだろう。ならば実力を認定した切紙を出すだけなら、紙代だけでも良いではないか。それともなにかね。武術の師範は、免状を出す時の礼品を期待して弟子の実力に関わらず免許を認定するのかね?」
「むう」
これには龍助も反論しづらかった。自分が当然だと思っていた事を、自分が忌み嫌う賄賂だなどと認めるわけにはいかない。だが、これを認めない以上他の事例も賄賂とは限らないと認めざるを得なくなってしまう。
もっとも、龍助が師事した流派は兎も角、金目当てで免状を乱発する不届き者は後を絶たないのであるが。
「ですが最初は大した事のない贈答品のやり取りから入ったのに、いつの間にか高価な金品のやり取りに発展する事もあるでしょう。警戒心を薄れさせて受け入れさせた後、過大な品を贈り、それに付け込んで要求を呑ませる事もあるのでは無いですか?」
言われっぱなしの龍助ではない。何とか反論を試みた。この反論に対し、忠光だけでなく意行も伊丹も「ほうっ」という反応をした。
てっきり世間を何も知らない若僧が、青臭い正義感だけで物事を考えていると思っていたのだ。龍助の反論はもっともであり、実際この様なやり口で賄賂を贈る者もいるのだ。意行はこの様なやり口を知っているのだが、龍助への教育で教えた事はない。龍助は自らこの様な危険性について案出したのである。
苦し紛れの思い付きかもしれないが、それでも中々の頭の働きと言えよう。
「そもそも、適正な範囲とそうでない範囲の明確な違いなどあるのでしょうか」
「おおよその目安はあるのだがね。武士同士の付き合いによる贈答品のやり取りは、長年続いているものだから、前例に則れば基本的には問題はない。それも絶対ではないけどね」
「ならば」
「しかしだ」
反論を続けようとした龍助の言葉を忠光は鋭い言葉で断ち切った。
「明確な基準が無いからといって全ての贈り物を賄賂と断じて否定するのは、同じく明確な基準が無いからといって非常識に高価な贈り物を賄賂ではないと嘯いてその実賄賂を贈るのと変わらず愚かな事だ。君はもっと視野を広く持つべきだ」
忠光にぴしゃりと言われ、これには龍助も反論する事はかなわなかった。
「言うべき事は言ったので、私はこれでお暇させてもらいますよ。家重様とあまり長く離れるつもりは無いのでね」
そう言った忠光は、意行と伊丹に会釈すると立ち去ろうとした。そして、部屋を出る寸前立ち止まる。
「そうそう、この事件を聞いた家重様は、大層笑いなさった。頼もしく、面白い若者だとね。あんなに家重様が笑ったのは久しぶりの事だ。君には是非戻ってきて欲しい」
忠光はそう言い残し、部屋を後にした。
「私もお暇させてもらおう。実は、上様も龍助君の事を聞いて中々気骨のある奴だとおっしゃっていた。上様がそう評価されたのだ、娘と喧嘩したからといって私ごときが君をどうこうしようなどと言いはしない。御広敷の伊賀者達は口が固く、上様などの一部の者しかこの件は知らないので、処罰される事はないだろう。だが、君のこれからの事も有る。花緒と会って和解しておくべきだ。花緒には私から言っておこう」
伊丹もそう言って立ち去った。
意行は「よく考えろ」とだけ言って龍助を自室に戻るよう促した。先程は激しいやり取りをしたのだが、今は意外な事にそれ程怒りは感じられなかった。
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