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プロローグ
始まりの始まり
しおりを挟むイナギには、忘れられない体験がある。
6歳のころ、街で迷子になってしまった時のことだ。
その時に出会ったのは、口をきくことができない、自分と同じ歳くらいの小さな女の子だった。服装は地味だが、清潔で、ほつれもない。黒い髪を三つ編みにして両肩に垂らしている。
そして、ニコニコと笑いかけてくれるが、一言も喋らず、イナギの話しかける言葉にも反応してくれない。
「…喋れないのか?」
イナギの質問に、やっぱり何も答えずにただニコニコとしているだけだ。
これは可哀想な人間だ。と、幼いながらに心配になる。耳も聞こえず、話すこともできないとは。
続けて何か問うてみようと思った矢先、バタバタと足音が後ろから聞こえて来る。
「……っ!坊ちゃん!こちらにいらっしゃったのですねっ!」
いつもイナギの面倒をみてくれる、お付きの者が、息を切らせてイナギの肩を掴んで言った。
いつもなら、そんな簡単に身体に触ったりしないのに、また逃げられては困るというように、しっかり肩を掴まれてしまった。
イナギは、お付きの者を一瞥すると、また少女に目を戻す。
女の子は、まだニコニコしている。
「さぁ、一刻も早く、旦那様のところに帰りましょう。」
お付きの者は、イナギ以外のものには目もくれず、すぐに父親のところへ連れて行こうとする。
それに反抗するつもりもなく、イナギはされるがままに、女の子に背を向けた。
そのまま少し歩いてから、ふと振り返って少女を見てみた。
少女もまだこちらを見ていたようだ。
「またな。」
なんとなしに言ってみた。
言った後に、耳が聞こえないことを思い出した。
聞こえない者にとっては、声とはなんと無意味なものだろう。
もともと、また会えるわけでもない。
そう思い、前を向いて歩き出した。
その時
「…またね…。」
風に乗って、小さな可愛らしい声がイナギの耳に届いた。
ビックリして振り返ると、そこにはもう誰もいなかった。
その後、いくらお付きの者に、女の子がいたことを確認してみても、お付きの者もイナギ意外に興味がなかったため、全く覚えていなかった。
以上が、エイギ国宰相家の長男、イナギ・サイファルの、人生初めての『恐怖体験』である。
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