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第4章 プラスアルファ(+アルファ)

卒業式のエスコート

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 その日は、この学校が1年のうちで、1番華やかな雰囲気に包まれる日だ。

 卒業生の女の子達は、随分前から準備していた、それぞれに似合いの煌びやかなドレスを、そして男の子達は、この日のためにあつらえた、美しいタキシードを身につける。
 貴族の子弟が多い学校のため、ただの卒業式というよりは、社交界へのデビューという意味合いの方が大きいのだ。

 そうして、あの水害事件のあった日から3年。
 レカとイナギは無事に卒業の日を迎えていた。


 ※※※

 イナギは、輝かんばかりの純白のタキシードを、さらりと着こなし、すれ違った人々の視線を痛いほどに集めて歩いてきた。
 金髪碧眼の白タキシードは、かなりとうとい。身体つきもだいぶ大人に近付いたイナギは、内側から輝いて見えるほどに眩しかった。
 しかし、本人にその自覚は薄く、それよりも他のことに気を取られてソワソワしている。
 そう、レカと待ち合わせをしているのだ。

 待ち合わせ場所として決めた女子の宿舎前には、ドレスアップした女の子を迎えに、幾人かの男性がいる。
 卒業生の男の子が1人で入場しても良いのに対して、女の子は、誰でも1人、エスコートを連れて会場入りすることが決められている。

 貴族社会であるエイギ王国にとって、実質的な社交界へのデビューには、エスコートが欠かせないのだ。

 エスコートをするのは、同級生の卒業生はもちろん、他学年でも兄弟でも、親や親戚、男性でさえあれば、誰が相手でも構わない。

 通常、女の子の方からエスコートをお願いすることが多いが、もちろん男子から名乗りを上げる強者もいる。
 イナギは言わずもがな、その筆頭に名を連ねる。

 3年前のあの日、帰りの馬車の中で、レカに今日の日のエスコート役をしたいと立候補した。
 戸惑うレカに、ずっと立候補し続けたのだが、なかなか了承を得ることができず…。それが、やっと、やっとこの1ヶ月前に許可が降りた。
 許可が降りた日、イナギは嬉し過ぎて泣くかと思ったものだ。

 というのも、眼鏡が壊れて以来、裸眼で過ごすようになったレカは、本人の知らないところで、ものすごく注目を浴びるようになっていた。
 もともと素材は悪くなかったうえ、本人のやる気により、めきめきと美しくなっていったのだ。
 髪の毛も、ただのお団子だったものを、いろいろなアレンジをためすようになり、薄く化粧もし始めた。(ユウサからやり方を教わったのだと、嬉しそうに教えてくれたのだが、よけいなことを!と、イナギは舌打ちしたい気持ちでいっぱいだった…ことは内緒だ。)

 意外にも、学年変わりのタイミングでも、レカは学校の誰とも話さないことは変えなかった。

『喋れないと思われていた方が、いろんな情報が手に入ることが多いのよね。』

 と、ちょっと悪そうな笑顔で言っていたのだが、レカは学校の外のある場所でだけは、よく喋るようになっていた。

 その場所についてはまだ置いておくとして、そんな風に、学校では無言なままのレカなのに、外見がどんどん変わると、男どもの見る目も変わってきた。
 
 それまでは蔑みの意味を込めて『口無しちゃん』と呼んでいたはずが、いつの頃からか『クチナシの花のように美しい』という意味の『クチナシちゃん』に変化していた。
 クチナシの花は、元来『天使が地上に降ってきた花』と言われており、その白くて洗練されたイメージは、まさに最近のレカにピッタリで、イナギですら『うまいこと言うな』と感心してしまった。

 もともと、周りに何て呼ばれようと気にしていなかったレカは、その変化に、『調子のいいこと言ってるのね。』と笑っていた。



(それにしても遅いな…)

 もう、だいたいの卒業生の女の子が寄宿舎から出て行ってしまった。
 貴族か、もしくは優秀な人間しか通わないこの学園で、寄宿舎に住んでいる女の子は、とても少ない。
 そのうえ、今年卒業となると、10人にも満たない。

(もしかして、待ち合わせ場所を間違えたかな…)

 イナギがそう不安になってきた時だった。

 寄宿舎の玄関から、シャナリと、1人の美しい女の子がドアを押して出てきたのである。

 彼女の着ているドレスは、よくあるプリンセスラインで、上半身は白いレースが主体で、下半身は白いレースと光沢のある青い生地で覆われている。

「……レカ…。」

 思わず名前を呟いてしまう。
 その音が聞こえたのか、レカはイナギを見つけて、ホッとしたような顔をする。
 イナギを見つけた時の、その嬉しそうな笑顔に、イナギはまず心臓を撃ち抜かれた。

 そして、近付いてみると、なんとも艶かしく、レカに良く似合っているそのドレス姿に、言葉を紡ぐことができなくなってしまった。

 レカのドレスは、白い上品なレースが主体で、青い糸で刺繍されている。生地は、首周りから始まって、そのまま手首までを覆っているため、露出度は低い。
 また、ハートカットのように、胸元からお腹までは、濃いめのレースと青い刺繍で、隠されてはいるが、デコルテから腕にかけては薄い生地のため、肌が透けて見えている。
 つまり、全体の露出度は低いのだが、近付いてよくよく見ると、レカの肌がよく見える。
 この見せ方は、おおっぴらに肌を晒すよりも、ずっと男心をくすぐる。
 ちなみに、レカは細身にもかかわらず、胸がしっかりある方で、透けた生地の間から、胸の谷間までよく見える。イナギは言うまでもなく、バッチリそこまで確認した。

 それから、背中側は上半身全てが薄手のレース生地だった。
 レカの滑らかで美しい肌が、レースの隙間からちらちらと見えるその様は、妙に艶かしい。

「きっ…きっ…きれいだ…。」

 やっとのことで押し出した賛辞は、内心の興奮が抑え切れなかったせいなのか、かなりどもってしまった。
 大事なところで、噛まずに褒め言葉を言えないところが、イナギの3年前から成長していないところである。

 それでも、レカはイナギの言葉が嬉しかったようで、ポッと頬を赤く染めた。

「…ありがとう。長男も、素敵だよ。タキシードがよく似合っている。」

 イナギの正装は、とても美しい。
 イナギを頭のてっぺんから足先まで見つめたレカは、ほうっと息を吐いた。
 もともと、この美しい青年の隣に立っても見劣りしないように、この3年間、できる限りの方法で自分を磨きに磨いてきたのだ。
 まだまだイナギの美しさには到底敵わないとわかってはいるけれど、ドレスと化粧の力も借りて、なんとか隣に立っても良いかな、と思えたのが、ギリギリ1ヶ月前だ。

 そこで、やっとイナギのエスコートを受け入れのである。


「…この青い色は…。」

 イナギは、自分のことよりも、レカのドレスに興味津々だ。
 レカの青い糸の刺繍や、下半身を覆う青いドレス生地に目をやると、そう呟いた。

「うん。この青は…長男の眼の色に合わせたの。」

 恥ずかしそうに、レカは続ける。

「長男が、白いタキシードだって言ってたから…。白と青を合わせたこのドレスを選んでみました。」

 そう言って、ドレスの両側を摘んで、ちょこんとお辞儀をしたレカを、イナギは感動で打ち震えながら、見つめていた。

(僕の…僕の眼の色…)

 自分の眼の色をレカが纏ってくれるなんて…。とても…とてもとても嬉しい。

「…ありがとう。」

 やっと口から出たのは、そんな感謝の言葉で…。
 その言葉にレカはクスッと笑う。

「何に対してのお礼?眼の色に合わせたこと?それともエスコート役に選んだこと?」

 レカが茶化して問うと、

「…うん。…その両方と、それ以外も…。」

 イナギはまとの得ない返事をする。

「え~~?」

 レカが、返すと、

「レカがエスコート役に僕を選んでくれて、僕の眼の色にドレスを合わせてくれて、こんなに綺麗になってくれて、今僕と一緒に居てくれて…。そういう全部に対するお礼。」

 と、イナギは真面目腐った顔で答える。その熱の篭った視線に、レカはますます赤くなる。

 途端に、イナギの目を真っ直ぐ見ることができなくなったレカは、慌てて下を向いた。

「…そっか。」

「うん。」

 今度はイナギが笑顔になって言う。

「さぁ!じゃあ行こうか!綺麗になってるレカを、僕が見せびらかすんだ!」

 イナギはわざとらしく、自分の右腕をレカの前に突き出す。
 エスコート開始の合図だ。

 レカも、顔を上げてからニッコリ笑うと、何も言わずにイナギの腕にそっと左腕を絡める。

「レカが隣に居てくれたら、僕はどんなことでも頑張れちゃうな。」

 イナギのその言葉に、レカは笑顔で答える。

「私も、イナギと共に居れば、どんなことでも楽しめちゃうわ。」

 今のは、イナギの渾身の愛の告白だったのに、レカには全く響いていないようだ。
 いつものことだが、やっぱり悲しい。

(なんだろう。言い方かなぁ。)

 イナギが反省する日々は続く…。


 ※※※

 イナギとレカの2人が王宮内の1番大きなホールに連れ立って入ると、やはり周りがざわついた。
 イナギは学園で知らぬ者はいない、というくらいの有名人だったから、人目を集めるのは当たり前だ。
 いつものことなので、イナギはそのような視線に全く動じないし、気にもしない。

 それに対して、そのイナギにエスコートされているレカは、普段あまり注目されている自覚がないため、視線を痛く感じてしまうし、何より緊張してしまう。

 学校では、相変わらず喋らないレカは、極力イナギとも交流しないようにしていた。
 学年が上がり、2人のクラスが同じになった時には、居ようと思えば2人でいることもできたのだが、それをレカは許さなかった。

 『イナギと一緒にいると決めた限り、いつかは目立たないといけない日は来るんだから、学生時代くらいはイナギの側ではなく、普通に生活したい』

 というのが理由のようで、その信念は徹底的に貫かれた。
 そのため、イナギは学校でほとんどレカと接触することができなかったのだ。

 しかし、イナギは、レカから語学を学びたかったので、ヴィンス先生に頼み込み、ヴィンス先生の家でレカからレッスンを受ける許可を出してもらった。
 ヴィンス先生は、イナギが水害事件の時に馬車を出してくれたことや、レカの良い友人になってくれたことを喜んで、その申し出を快く受け入れてくれた。
 もちろん、急いでリビングにもう一脚椅子を買ったのは言うまでもない。
 (さすがに、学生2人を寝室で勉強させるわけにはいかないから…。)

 イナギはとても優秀な生徒で、レカが驚くほど、短い期間で言葉を習得していった。
 それは、もちろんイナギが優秀な人物であったことも一因だが、結果が出せないと、いつこのレッスンが終了してしまうのかわからなかったから必死だった、というのが正しい。
 なにしろ、この語学レッスンは、純粋に語学を学びたい気持ち半分、レカと一緒に居たい気持ちが半分といったところで、打ち切りになってしまったら、レカと過ごす時間がほとんど無くなってしまうのだ。
 また、レカに『長男は飲み込みが早いねぇ!』と褒められることが嬉しすぎたり、『できる男』と思われたいがためのプライドも左右してたとかしないとか…。


 そんな風に、平日の放課後に2人はヴィンス先生の家で交流を続けていた。

 そのため、2人の間では、一緒にいることは慣れており、日常の一部ですらあったのだが、周りにいる学友たちはそんなことは全く知らない。
 イナギと、全く仲良くしている様子が無かったレカが共に居て、しかもイナギがレカをエスコートしているとなれば、学友たちが驚くのが当たり前といえば当たり前なのである。

 いろいろな憶測が飛び交い、ホール全体が一層ザワザワし始める中、突然楽隊によるファンファーレが鳴り響いた。

 その音を合図に、皆が一斉に口を閉じてから、1段高い場所に設えられた玉座の間を降り仰ぐ。

 その後ろに引かれた大きな赤いカーテンの後ろから、王様とお妃様、そして皇太子と皇太子妃がにこやかに登場してきた。
 また、イナギの父親の宰相をはじめとするエイギ王国の重鎮が、脇を固める。
 王以外の王族3人が腰掛けると、王が朗々とした声で、卒業生への祝辞が述べられ始めた。

 この祝辞に対して、その年の最も成績が優秀だった卒業生が応えるかたちをとるのが、『生徒代表あいさつ』である。

 王の短くも心温まる、激励の言葉が贈られた後、卒業生達は全員イナギを見やる。
 皆、イナギが王の近くへ歩きやすいよう、イナギから玉座の近くへ続くその道を空ける。それはさしづめ、モーセの十戒のようで、人の波が別れ、一本の道が出来上がった。

 イナギは卒業生たちの協力に感謝して、ニッコリ微笑むと、隣にいたレカをエスコートしていた腕を抜く。
 そしてパッと前を向くと、歩き出す…と皆が思っていたのに、予想に反して、一歩も動かなかった。

 代わりに歩き出したのは、その隣にいたレカであった。

 







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