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第4章 プラスアルファ(+アルファ)
卒業式の告白
しおりを挟む皆が呆気に取られている表情に、イナギはしてやったりという気持ちで一杯だった。
ずっと不当な評価をされ続けてきたレカのことを、本人よりも悔しく思っていたのはイナギだったからだ。
(僕の好きな人は、とても素晴らしい人なんだぞ!)
イナギは心の中でそう自慢した。
…ここで『僕の彼女』とか『僕の恋人』とか言い切れない歯痒さも感じながら…。
レカは、そんな周りの視線や思惑などはお構いなしに、皆が作ってくれた1本道を一歩一歩ゆっくりと歩いていく。
そうしてたどり着いた、王の御前で、それはそれは美しい礼の姿勢をとると、王達に向かって微笑んだ。
その堂々とした姿勢に、卒業生達はますます驚いた顔をした。
しかし、レカにとっては、学友よりもずっと親しくしている人達の前だ。緊張どころか平常心でいられる。
というのも、レカは、あの3年前の水害以来、政府関係者や王家の人間と、語学や医療に関する事柄について、共に語らう機会が多くあったのだ。
『学校以外のとある場所』でよく喋ることが多い、というのはそのことで、レカはエイギ王国の中枢で、コミュニケーション能力を磨いていた。
最初は王や重鎮相手に恐れ慄いていたレカも、回数を重ねるごとに慣れ、3年経った今は、良き上司と良き部下といったような、心地良い関係を築けている。
そんなよく会う人々の前での挨拶である。王や重鎮達からのレカを見守る目も優しい。
温かな視線の中、レカはよく透る声で王や学校への感謝の言葉を述べ始める。
その姿に、驚愕を通り過ぎて、恐怖さえ感じているのが、同級生達だ。
『クチナシちゃんは、喋れない』
と言い出したのは一体誰だったのか。
喋れない相手に、どうせ聞かれても構わない、とばかりに、愚痴や悪口、恋愛話に始まる内緒話、果ては嫁入り前にも関わらず、関係した男性の話など…レカをことごとく無視してきた者たちは、自分が彼女の前で何を喋ってしまったのかを必死に思い出そうと焦りだす。
見下していた相手が卒業生代表で挨拶できるほどに、スラスラと言葉を紡ぐことができるとは…
幾人もの女性たちが青褪めた。
そんなことはお構いなしに、レカは自分たちの未来への期待を述べて、代表挨拶をまとめ、また深々と礼をとる。
まずはその素晴らしい言葉に、そして堂々とかつ美しい姿勢に、王や王妃、イナギの父親の宰相なども、目に涙を浮かべて感動していた。
心からの感謝を、その言葉に載せて伝えることができたレカは、とても嬉しそうに微笑むと、王やその他の上司達と視線を合わせてから、ゆっくりと踵を返す。
その視線の先に、今度は、満足そうな顔をして頷くイナギが目に入ると、少しだけ肩の力を抜くことができた。
レカはまた、先ほどできたばかりの一本道をイナギの元へと歩いて行く。
イナギは両手を広げて抱きしめたいくらいの気持ちで待っていたが、さすがにここで抱きしめるわけにはいかないと、ただ立ち尽くすにとどめる。
口元に笑みを浮かべたまま、イナギの元へ帰ってきたレカは、今までの凛とした姿からは想像できないくらいのふにゃっとした顔でイナギに笑いかける。
「ただいま。」
その力の抜けた顔が嬉しくて、イナギも途端に破顔する。
「おかえり。」
イナギがそう言いながら、右腕をレカの前に突き出すと、レカは嬉しそうにその腕に飛びついて、その反動で王たちのほうへ身体をくるりと返した。
レカが定位置に着いたことを確認した王が、宰相に目で合図を送ると、宰相から給仕長へと合図が送られ、一斉にシャンパンの入ったグラスが配布される。
皆の手にグラスがいき渡った頃、王がよく通る声で乾杯の一声を告げると、会場中に大きな乾杯の声が響き渡った。
皆がグラスに口をつけたところで、どこからともなく拍手の音が湧き上がり、楽団も陽気な曲を流し始めた。
レカとイナギは2人のグラスをちょこんと合わせて、お互いに『乾杯』と唱えると、グラスを傾けて一口シャンパンを飲んだ。
爽やかに弾けるお酒が、喉元を過ぎると、2人はどちらからともなく目を合わせて、ふふっと笑った。
※※※
「あれは放っておいていいわけ?」
イナギに負けず劣らず長い足を交差させて、クロハはイナギの肩に左肘を乗せた。
クロハは、長めの髪を今日は1つに縛り、タキシードは濃紺という、大人しめの色を着ている。しかし、身体にしっかりフィットしているそれは、とても品が良く、モデルのような体型も相まって、見る者の目を惹く。
白と濃紺のタキシード姿の2人が共に並び立つと、一枚の絵画のような迫力があった。
クロハのいう『あれ』を、もちろん快く思っていないイナギは、顔に笑顔を貼り付けながら、噛み締めた歯の隙間から声を出す。
「……良いわけ…ないよね。」
レカと2人だけで乾杯したのも束の間、一躍『時の人』となったレカは、あれよあれよという間に、多くの学友たちに囲まれてしまった。
それは、今まで受けるべき賞賛を浴びてこなかったレカの、正統なる評価だと、最初のうちはイナギも喜んでいた。
が、しかし、そのうちにレカの周りには女性よりも男性が多いことに気付き、中には学術的なことよりも、ただレカに近寄りたい、触りたい、とばかりにどうでも良いことを話しながら舐め回すような視線を向ける者もいた。
しかし、レカはそんな相手に対してさえも、しっかりとした受け答えをしており、笑顔まで付け足す余裕まであった。
自分の出る幕は無いのだなぁ、とイナギは寂しさとやるせ無さを感じている。
「…でもさ、僕には口を出す権利なんてないからさ…。」
はぁ。と弱音を吐くイナギに、クロハは乗せていた肘を下ろしてから目を見開く。
「いやいやいや!毎日放課後一緒にいるくせに…もしかして、何の約束もしてないわけ?」
クロハの質問に、イナギは堂々と答える。
「まさか!一緒に良い国を作っていこうって約束は3年前から…。」
「そういうアレじゃなくって、2人の関係性を示す約束だよ。」
クロハが食い気味に問う。
「…そういう約束は…」
途端に歯切れの悪くなるイナギ。
クロハからの視線を避けようと、顔をそっと背けた。
「…ウソだろ…」
クロハは右手で顔を覆った。
「ずっと一緒に居て、なんでそういう話になってないんだよ。」
クロハの言葉にカチンときたイナギは、言い返す。
「そんなの、何回も『ずっと一緒にいたい』とか『レカがいれば頑張れる』とか、言い続けてきてるよ!でも、なかなか真意に気付いてもらえなくて!」
「…………。」
クロハは右手の隙間から、イナギを見ると、はぁ、とイナギより深いため息をついた。
「…なんだよ。何か言いたいなら言ってよ。」
イナギが拗ねたような言い方をする。
その様子を見たクロハは、仕方がないな、という目をしながら、渋々といった感じで話し出した。
「じゃあ、言わせてもらうけど、なんでそんな遠回りなんだよ。真意に気付いてもらえないって、そんなの直接『真意』ってやつを言えばいいんじゃない?
『言わないこと』に『気付いてほしい』なんて、相手に求め過ぎだろう。」
「…あ…。」
イナギはハッとした。
今まで、自分の気持ちに気づいてほしいと思ってレカのそばにいたのに、肝心な『言葉』を一度も伝えてはいなかったことを思い出す。
「…そうか…。」
レカに一生懸命に気持ちを伝えているつもりだったけれど、それは本当につもりであって、直接的な言葉は一言も言っていない。
『伝えてもいない気持ちに気付いてもらい、あわよくば気持ちを返してもらいたい』
とは、なんて身勝手で、なんて間抜けなことだろう。
自分の幼さに恥ずかしくなる。
だがしかし、気付けたのが『今』であることは、幸運なことではないだろうか。
なぜなら、気持ちを伝えて、応えてもらうのに、この場以上に相応しい場所があるだろうか。
…答えは『否』である。
(よしっっ!!)
イナギは心を決める。
そして、くるっとクロハを振り返り、右手の親指を立てた。
突然の『OK』マークを出すイナギに対して、怪訝な顔をするクロハをその場に置いて、イナギはスタスタとレカを囲む人垣の中へと進んでいった。
イナギが進むところ、人は自然と避けていく。そうして、イナギはレカの1番近くへ行くと、声をかける。
「レカ。」
レカはある女の子と話していたのだが、イナギのその声を聞いて、レカに話しかけていた女の子の方が恐縮した。
『先にどうぞ』といったジェスチャーで、イナギに発言権を譲ると、その女の子はレカから少し離れた。
そうして、少しの隙間を作り出すと、イナギはそこに突然に跪く。
「っっ!?」
驚いたのは、レカを囲んでいた人々だけではない。
レカ本人が1番驚いている。
「ちょ…ちょうなん!?」
慌てて自分もしゃがんで、イナギを立ち上がらせようかと考えていたレカは、イナギの射抜くような強い瞳に息を呑む。
イナギは、その瞳でレカの動きを封じると、そっとレカの右手を掬い上げ、指先にキスを落とす。
身動き一つとれないくらいに固まったレカに対して、イナギは強い気持ちを込めて告げた。
「レカ…。あなたが好きです。」
レカが息をヒュッと吸う。
イナギは真剣な瞳のまま続ける。
「あなたの聡明なところ、優しいところ、可愛いところ、どんなところも大好きです。」
イナギは一度言葉を切って、イナギの言っていることをレカが理解したと感じたところで、肝心なことを申し込む。
「僕と付き合っていただけないでしょうか。」
いつの間にか、周りは誰一人音を立てず、イナギとレカのやりとりを固唾を飲んで見守っていた。
楽団でさえも、音量を落として演奏している。
跪くイナギと、手を取られて固まったままのレカを、皆は目だけ動かして見つめていた。
しかし、肝心のレカは、まだ動かない。
動かないまま…頬の辺りからカァーっと赤みが刺していく。
その赤みが、頬だけでなく、おでこや耳、首や鎖骨周りなどまで広がっていくのを、イナギは心臓をドキドキさせながら見つめ続ける。
その時に思い出す。
ここは、『気持ちを伝えて、応えてもらうのに相応しい場』ではあるものの、『断られた時には、居た堪れなさすぎて、退場せずにはいられない場』でもあることを。
(レカに断られる可能性を忘れてた…)
レカの顔色とは反対に、少しずつイナギの顔が青褪めていく。
待てば待つほどに、心臓の動悸が激しくなり、指先が冷たくなっていくのを感じる。
そうして待つこと十数秒。
イナギは一瞬も逃さずにレカを見つめ続ける。
すると、真っ赤になったレカの顎が、ゆっっっくりと下に傾いた。
あまりにゆっくり過ぎて、わかりづらかったが、それは明らかに『肯定』を表している。
「レカッッッ!!」
イナギは目を大きく見開くと、ガバッと立ち上がり、その勢いのままレカを思いっきりぎゅううううっと抱きしめた。
途端に周りがざわっとする。
『えっ、今どうなったの?』『返事したの?』『どっち?』『えっ?どっち?』
そんな声が囁かれる。
実際、周りの人達だって真剣に目を凝らして見ていたはずなのに、レカの頷きがわかりづらくて、どうなったのかわからなかった。
ただ、イナギが抱きつくってことは、肯定の意味だったんじゃないか、と推測はされる。
そんな中で、やっと、
「レカ、ありがとう!!」
というイナギの声が聞こえ、また、レカがイナギを突き飛ばさないところを見たことにより、『あぁ、これはお付き合いが始まったのだな』とみんなが一斉に認識する。
すると、このイナギとレカのカップル成立を喜んでも良いと感じ取った周りの人々が、わああっっ!!と歓声を上げた。
楽団も心得たように、陽気な曲を大きな音量で流し始める。
『おめでとう!』『ビックカップル成立だ!』『おめでとう!』『もう一度乾杯だ』『いや、俺はイナギに完敗だ…』
イナギの突然の抱擁に戸惑い、先程から固まり続けていたレカは、周りが突然に沸き立ったことにビクッとする。
しかし、見回すみんなの顔が笑顔なことに、なんだかフッと肩の力が抜けた。
そして、どうして良いかわからなかった腕をそっと上げると、イナギの腕の辺りをトントンと叩く。
「長男、長男、は…離してください。」
「ええっ!?」
イナギはレカの言葉に、若干ショックを受けながら、二人の顔が見えるくらいには距離をあける。
「は…恥ずかしいんで…。」
そう呟くレカは、よく見ると髪の生え際どころではなく、ツムジまで赤い。
「………。」
渋々、もう少し距離を空けるが、全て離れることはせず、両手を繋ぐ形に変える。
そうして、またレカの視線を捕まえる。
「レカ。僕の恋人ってことで良いんだよね?」
自信のないイナギは、すかさずレカに確認をとる。
「…………。」
その質問に、レカはまた顔の温度が上がりそうになった。
しかし、泣きそうなくらいに真剣な顔で問いかけてくるイナギを見ると、なんだか可哀想な気がしてきてしまう。
早くイナギを安心させてあげたくなり、レカは優しく微笑むと、
「うん。よろしくお願いします。」
そう言ってちょこんと頭を下げた。
レカの口から、ちゃんと肯定の言葉を聞けたイナギは、パァァッと顔を輝かせる。
その代わりように、レカはふふっと声に出して笑ってしまった。
そして、楽団がお約束のワルツに曲を変えた。
流れ始めたその曲を耳にしたイナギが、握っていたレカの両手を離してから、片手でレカの指先を捉え直す。
そして、残りの腕を自分の背中に回してから、腰をかがめ、恭しい仕草で言った。
「では、さっそくですが、私と一曲踊っていただけますでしょうか?」
白タキシードのイナギに、そんな素敵なお伺いを立てられて、断れる女の子がいるのだろうか。
レカは繋いでいない方の手で、ドレスの先を少しだけ摘むと、膝を軽く折り曲げる。
「喜んで!」
2人は顔を合わせてニッコリ笑うと、会場の真ん中に向かって歩いていく。もうすでに踊り出しているカップルもいる中、2人も体を近付けて、ホールドの姿勢を取る。
共に踏み出した足が、曲にのって正確なリズムを刻む。
終始笑顔の2人が、とても楽しそうにダンスを踊る。
この時間だけは、恋人同士だけの至福の時間。
宰相家の父親が見ていることも、ヴィーが鬼のような形相で2人を(特にイナギを)見ていることも、今は後回しにしておこう。
これからの明るい未来だけを夢見て、2人はとても幸せな気持ちで、ステップを踏み続けた。
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