死に際まで話していたい

相鵜 絵緒

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 気付いたら、あれから5年の月日が経っていた。

 娘の次に、最近は息子も生まれて、俺はまた、とても幸せな毎日を過ごせている。

 ただ、は、ハンナの故国を俺たち家族で大事にするよう、家族全体の舵を切ることにした。

 ハンナは、すでに両親は無く、育った家なども処分してしまっていた。そんな事情もあり、ハンナは、、里帰りなどを一切望まなかった。

 実家が無い分も、ハンナは、ことに、意欲を燃やしていたようだ。

 それは、もう帰るところがない彼女の、覚悟のようなものだったのではないだろうか。

 だが、ハンナの最期さいごに、彼女に残ったのは、母国のドイツ語だった。

 彼女がどんなに日本人のようになろうとしても、彼女を最初に形作ったのはドイツであり、それは一生変わらない。

 それならば、今度は俺がそのことを受け入れるべきではないだろうか。

 俺は一度で良いから、ハンナの育った国を訪れたいと彼女に頼んだ。

 また、子ども達へと話しかける言葉に、ドイツ語も使って欲しい。とお願いした。

 大事なことは生きることじゃない。

 生きることだ。

 前回の俺は、そのことをわかっていなかったのだ。

 俺も、もちろん、ドイツ語を学ぶことにした。
 だって、死に際に、翻訳機の声ばかり聞いているのは、癪に障るだろう?

 若い時から学べば、きっと身につく。そう信じて、ドイツ語のテキストでの学習はもちろん、俺はドイツ語の映画を見たり、ドイツ語講座のラジオを聴いたり、ありとあらゆるドイツ語の勉強をした。

 ハンナも、日常的にドイツ語を使うようにしてくれたので、俺はどんどんドイツ語ができるようになっていった。

 その甲斐あってか、息子が2歳になる前(飛行機代が掛からないギリギリの年齢の時)に、家族4人でドイツへと旅行した際には、ちゃんとドイツ語が通じて、嬉しかった。
 もちろん、今までもハンナとのやり取りで、ドイツ語はそれなりにりできるとは思っていたが、現地で、たくさんのドイツ人と話せたことに、感激した。

 俺の世界が広がった気がした。

 ハンナも、やはり懐かしい気持ちがあるようで、

『この国を捨てたと思っていたし、寂しくないと思っていたけど、やっぱりここに来てみたら、嬉しい気持ちでいっぱいになった。』

 と言ってくれた。

 ハンナが喜んでくれると、俺は嬉しい。彼女を喜ばせることができたということに、誇らしい気持ちにもなる。

「ハンナ、日本に来て、俺と会って、結婚してくれてありがとう。おかげで、俺は今、とても幸せだ。」

 俺は旅行中に、改めて伝えた。

 すると、ハンナも、ものすごく嬉しそうな顔をして、

「私こそ、結婚してくれてありがとう。タカと過ごせて、私もすごく幸せだよ。」

 と言ってくれた。

 俺も幸せで、ハンナも幸せ。

 とても素敵なことじゃないか。

 あぁ…

 気持ちは、お互いを行き来することができるんだな、と思った。

 そう思ったら、俺は自然に次の言葉が湧き出てきた。

「ハンナ、愛しているよ。」

 俺の言葉に、ハンナは一瞬驚いた顔をしたが、くしゃりとするいつもの笑顔になると、

「私も。私もタカを愛しています。」

 と、言ってくれた。

 そうして俺たち2人は、優しい気持ちでお互いをゆっくりとハグし合ったんだ。

 でも、意外にも、俺は、その時に『言葉じゃ足りないな』と思った。

 は、ちゃんと『愛してる』って伝えられたら、満足感でいっぱいになるんじゃないかと思っていた。

 でも、実際に言ってみると、満足感なんてものは感じるどころか、もっともっと伝えたいなぁ、と思うのだ。

 なんで今まで、言わずにいたのだろう、と後悔すら感じるくらいだ。

 これからは、何でもない日にも、毎日のように伝えよう。そう思った。

 きっと毎日言い続けたって、足りないって思うに違いない。

 ただ、俺の気持ちをちゃんとハンナに言えたことには、大きな満足感を覚えた。
 自己満足といわれればそれまでだが、俺の心の中の、1番大事な想いを、聴いてもらえるだけで満足なんだな、と思った。

 そのうえ、『愛してる』と言って、『愛してる』と返してもらえることは、本当に、今まで感じたことがないくらい、あったかいものに包まれたような、柔らかい気持ちを味わえた。

 あぁ…本当に、幸せだなぁ。


※  ※  ※

 ドイツ語を家の中で使うようになったからと言って、子ども達が外でイジメを受けるようなことはなかったと思う。

 その点には、とても安心したのだが、不思議なことに、よりも、子ども達のことが気掛かりで仕方がなくなっている。

 その原因について考えてみたのだが、きっと『よりも子どもと関わっている』時間が長いせいではないかと思い至った。

 は、家のことは全てハンナにまかせていたが、老後に困りたくはないために、は俺も家のことを少しずつやるように変えた。

 仕事はもちろん頑張ってはいたが、できる限り早く帰れるように、遅くとも8時には家に居られるように、調整することにしてみた。

 もちろん、仕事量は変わらないから、夜中に皆が寝静まった後に、仕事をすることもある。

 それでも、少しでも家のことをやろうと、俺は時間をやりくりするようになった。

 そうして、家にいる時間を増やしたところ、娘は小児喘息を患っていること、息子は37度を越すと熱性痙攣を起こす可能性があることに気がついたのだ。

 がどうだったのかは、よく思い出せない。

 だが、確かに娘が小さい頃、何回か入院したことがあったし、息子を救急病院に連れて行った話もいた。

 つまり…俺自身は何もせず、ハンナに…本当に全てを任せっきりだったのだ。

 子どもが体調を崩すと、途端に心配で心細くなる。

 ある時、夜中に娘が苦しそうにしていることに気がついた俺は、このまま息ができずに死んでしまうのではないかと、恐怖した。

 ハンナは、すぐに救急車を手配して、娘と共に病院へと向かった。

 救急車に乗り込む際、ハンナは

「タカが居てくれて良かった。タケルをお願いね。」

 と言って出て行った。

 そういえば、の娘の入院時には息子はどうしたんだろう。

 当たり前だが、ハンナは日本に頼れるような両親はいない。

 俺の両親は健在だが、実家は飛行機が必要な距離で、もともと仲が良くなかったため、今ではほとんど疎遠になってしまっている。

 頼れる親戚が皆無な上、場合、ハンナはどうやって乗り越えたのだろう。

 今のハンナに聞いたところで、答えが聞けるわけではないから、もうこれは永遠の謎となってしまった。

 だがしかし、想像すればすぐにわかることだろう。

 どれだけ大変で、どれだけ不安だったことか…。

 俺は、両の手を握りしめた。

 は、絶対にそんな思いはさせない!!

 俺は出来る限りのやりくりをして、仕事と息子の面倒をみることを両立させた。

 さすがに家事をするまでは、手が回らなかったのだが、娘と共に退院してきたハンナが、とても嬉しそうな顔をして、俺に御礼を言ってくれた。

「タカがタケルを見ててくれたから、私は花の心配だけをしていることができたよ。本当にありがとう。」

 それを聴いて、俺は言った。

「ハンナこそ、花と一緒に病院に寝泊まりしてくれて、ありがとう。無事に退院できたのは、ハンナのおかげだよ。いつも本当にありがとう。」

 言葉と共に、ぎゅっと抱きしめた。

 本当は『前回はそんなことにも気づかずにごめん。』と伝えたかった。

 俺は、本当にダメな父であり、ダメな夫だった。

 だからこそ、今回は間違えない!!

 俺はそんな決意を胸に、その後も生きていくことになった。


※  ※  ※

 60歳で定年になった後は、出来る限り、健康に気をつけた。

 脳梗塞は、簡単に防げる病気ではないかもしれないが、食事も気をつけたし、運動も定期的にするようにしていた。

 健康診断にも、2人とも怠らずに毎年通った。

 そのおかげか、ハンナは無事に70代も半ばに到達した。
 は、70にはなれなかったので、俺は、60代後半にはビクビクしていたのだが、どうやらそこは乗り越えたようだ。

 の俺は、料理はイマイチとはいえ、即席ラーメンなら作れるし、卵焼きもなんとかできる。
 掃除や洗濯は、若い頃からやるようにしていたため、ハンナに何かあったとしても、ちゃんと1人でやれるだけの技能が身についていた。

 だから、もし、ハンナに何かがあったとしても、出来る限り2人だけで、この家で過ごせるように、なっていた。

 とはいえ、体力は衰えてきているし、判断能力も落ちてくる。施設に入るのは、時間の問題かもしれない。

 でも、まだまだそんな日は来ないと思ってもいた。

 そんなある日のことだった。

 

 
 





 

 
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