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第三章
こんなところで
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ドレス審査、笑顔審査となんとかこなし、あとはアピールタイムを残すだけとなった。
エステルは舞台袖で出番を待ちながらドキドキしていた。
参加者は二十人もいて、エステルの順番は最後だったので出番はまだまだなのだが、緊張で足が震える。
ダンスの相手をしてくれるクレトは、残っている仕事を片付けたら間に合うように駆け付けると言っていたけれどまだ来ない。
せめてクレトが隣にいてくれればこの緊張も少しは和らぐかもしれないのに……。
それにしてもクレトは遅い。
クレトのことだからきっと間に合うようにきてくれると信じているけれど……。
「あいつ、遅いわね。あたしちょっと迎えに行ってくるよ」
付き添いで来てくれていたダナが舌打ちし、邸の方角へ向かって走り出した。
エステルは爪先立って群衆の中にクレトの姿を探した。きっともう近くまで来てくれているに違いない。
「あっ……」
その時だ。爪先立った足元に何かがぶつかり、エステルは体勢を崩してその場に座り込んだ。
下は固いレンガ敷きだ。膝を打ち付けた。
一体何があたったのだろうと足元を確認するより先に、思いがけない声が降ってきた。
「あら、ごめんあそばせ」
「……ベニタ、……?」
そこにいたのはエステルの代わりに王太子妃選で選ばれたベニタだった。
「どうしてこんなところに……?」
選ばれたベニタはそのまま王宮でお妃教育を受けているはずだ。王都から離れた港町にいるなんてどうしてなのだろう。疑問が沸き起こるとともに、エステルの足にぶつかったものが、ベニタのハイヒールであったことがわかった。座り込んだエステルに、ベニタはほほほと笑いを漏らした。
「あなたってばほんと座り込むのがお好きね。王宮の大広間でも座り込んでいたし、こんな外ででも同じことをなさるのね」
お付きを連れ明らかに身分の高いことがわかるベニタに難癖をつけられているエステルを、他の出場者たちは遠巻きに見ている。心配そうにエステルを見ているものの、関わり合いになりたくないというのが本音だろう。
エステルは手をついて立ち上がると膝を払った。両膝とも擦りむいて血がにじんでいる。淡い色のダンス用のドレスも土埃で汚れてしまっていた。
今すぐに着替えればまだ出番には間に合う。クレトのタキシードと合う色合いのドレスを選んでいたのだけれど、この際仕方がない。コンテストでは出場者にドレスの貸し出しもしてくれているので、今から頼めば大丈夫だろう。
「では、わたしはこれで」
ベニタと話すことは何もない。これ以上ここにいてもまた嫌な思いをするだけだ。
エステルは出場者用の着替え室に戻ろうとしたが、後ろから厳しい声を浴びせられた。
「待ちなさいよ! わたしに向かってその態度は何? わたしはゆくゆくは王妃という身分なのよ。もっと礼を尽くして接するのが当然ではなくて?」
「……失礼いたしました。ベニタ様」
確かにベニタはいずれ王妃。王族だ。一方エステルはアルモンテ公爵家を出た身だ。今は無位の平民。王族に向かっては礼を尽くさねばならない。公爵令嬢時代に植え付けられた観念だ。
痛む膝を我慢し、片膝をおって頭を下げるとベニタは満足したようにふんと鼻を鳴らした。
「わかればいいのよ。わかれば。あなた行方不明と聞いていたわよ? こんなところにいたのね。大方出来レースに落ちたのが恥ずかしくて、王都から逃げてこそこそと隠れていたのでしょう?」
「……いえ、あの…」
逃げたつもりはなかった。でもそう思われても仕方のない状況だった。
確かに結果としてはエステルは逃げたのだろう。落選の恥ずかしさから、父の重圧から、亡くなった母のためにという重みから。ベニタの言葉は間違っていないのだ。
そして今も逃げ続けている。家へ帰れないのは父の顔を見るのが怖いからだ。
いくらクレトのおかげで真っ当に暮らしているとはいえ、一番の重みをエステルは引きずっている。足についた重石のようにそれをいつも引きずっているのだ。
「……その通りです。そのためにわたしは家を出たのです」
「あら素直に認めるのね。いい心がけだわ。そうだ。いいことを思いついたわ。エステル、あなた家を出たと言ったわね? それって公爵家を出て平民になったということよね」
「はい……」
「それならあなた、わたしのお付き侍女になりなさい。これは命令よ。王宮でわたしのために働きなさい。光栄なことでしょう? 平民のあなたが王宮で働けるなんて」
エステルは真っ青になって後ずさった。
「……それは、できません。わたし今は仕事をしていて」
王宮にいけばクレトに会えなくなる。クレトと離れるなんて考えられない。それだけは嫌だ。こうやって他の大勢の目がある中で貶められても、土埃だらけのドレス姿で這いつくばっても構わない。でもクレトのそばにいられないのだけは絶対に嫌だ。
「それだけはできません。お許しください」
「わたしの命令に逆らうっていうの? いい覚悟じゃないの。王族に逆らえばどうなるか、わかっているのでしょうね。近くにはわたしの護衛に王宮の兵士も控えているのよ。もっとよく考えて返事をなさい」
「……嫌です…。……できません」
はい、とは死んでも言えない……。
エステルはくるりと踵を返すと逃げ出した。
「あっ! 待ちなさい! エステル! 止まりなさい!」
後ろからベニタの制止の声が飛んでくる。
けれどエステルは後ろを見ずに走った。ここで捕まれば本当にもうクレトに会えなくなるかもしれない。
膝がじくじくと痛み、ヒールの高い靴で何度も足首をひねり、ドレスの裾が足に絡まってもエステルは必死に群衆をかき分け走った。
エステルは舞台袖で出番を待ちながらドキドキしていた。
参加者は二十人もいて、エステルの順番は最後だったので出番はまだまだなのだが、緊張で足が震える。
ダンスの相手をしてくれるクレトは、残っている仕事を片付けたら間に合うように駆け付けると言っていたけれどまだ来ない。
せめてクレトが隣にいてくれればこの緊張も少しは和らぐかもしれないのに……。
それにしてもクレトは遅い。
クレトのことだからきっと間に合うようにきてくれると信じているけれど……。
「あいつ、遅いわね。あたしちょっと迎えに行ってくるよ」
付き添いで来てくれていたダナが舌打ちし、邸の方角へ向かって走り出した。
エステルは爪先立って群衆の中にクレトの姿を探した。きっともう近くまで来てくれているに違いない。
「あっ……」
その時だ。爪先立った足元に何かがぶつかり、エステルは体勢を崩してその場に座り込んだ。
下は固いレンガ敷きだ。膝を打ち付けた。
一体何があたったのだろうと足元を確認するより先に、思いがけない声が降ってきた。
「あら、ごめんあそばせ」
「……ベニタ、……?」
そこにいたのはエステルの代わりに王太子妃選で選ばれたベニタだった。
「どうしてこんなところに……?」
選ばれたベニタはそのまま王宮でお妃教育を受けているはずだ。王都から離れた港町にいるなんてどうしてなのだろう。疑問が沸き起こるとともに、エステルの足にぶつかったものが、ベニタのハイヒールであったことがわかった。座り込んだエステルに、ベニタはほほほと笑いを漏らした。
「あなたってばほんと座り込むのがお好きね。王宮の大広間でも座り込んでいたし、こんな外ででも同じことをなさるのね」
お付きを連れ明らかに身分の高いことがわかるベニタに難癖をつけられているエステルを、他の出場者たちは遠巻きに見ている。心配そうにエステルを見ているものの、関わり合いになりたくないというのが本音だろう。
エステルは手をついて立ち上がると膝を払った。両膝とも擦りむいて血がにじんでいる。淡い色のダンス用のドレスも土埃で汚れてしまっていた。
今すぐに着替えればまだ出番には間に合う。クレトのタキシードと合う色合いのドレスを選んでいたのだけれど、この際仕方がない。コンテストでは出場者にドレスの貸し出しもしてくれているので、今から頼めば大丈夫だろう。
「では、わたしはこれで」
ベニタと話すことは何もない。これ以上ここにいてもまた嫌な思いをするだけだ。
エステルは出場者用の着替え室に戻ろうとしたが、後ろから厳しい声を浴びせられた。
「待ちなさいよ! わたしに向かってその態度は何? わたしはゆくゆくは王妃という身分なのよ。もっと礼を尽くして接するのが当然ではなくて?」
「……失礼いたしました。ベニタ様」
確かにベニタはいずれ王妃。王族だ。一方エステルはアルモンテ公爵家を出た身だ。今は無位の平民。王族に向かっては礼を尽くさねばならない。公爵令嬢時代に植え付けられた観念だ。
痛む膝を我慢し、片膝をおって頭を下げるとベニタは満足したようにふんと鼻を鳴らした。
「わかればいいのよ。わかれば。あなた行方不明と聞いていたわよ? こんなところにいたのね。大方出来レースに落ちたのが恥ずかしくて、王都から逃げてこそこそと隠れていたのでしょう?」
「……いえ、あの…」
逃げたつもりはなかった。でもそう思われても仕方のない状況だった。
確かに結果としてはエステルは逃げたのだろう。落選の恥ずかしさから、父の重圧から、亡くなった母のためにという重みから。ベニタの言葉は間違っていないのだ。
そして今も逃げ続けている。家へ帰れないのは父の顔を見るのが怖いからだ。
いくらクレトのおかげで真っ当に暮らしているとはいえ、一番の重みをエステルは引きずっている。足についた重石のようにそれをいつも引きずっているのだ。
「……その通りです。そのためにわたしは家を出たのです」
「あら素直に認めるのね。いい心がけだわ。そうだ。いいことを思いついたわ。エステル、あなた家を出たと言ったわね? それって公爵家を出て平民になったということよね」
「はい……」
「それならあなた、わたしのお付き侍女になりなさい。これは命令よ。王宮でわたしのために働きなさい。光栄なことでしょう? 平民のあなたが王宮で働けるなんて」
エステルは真っ青になって後ずさった。
「……それは、できません。わたし今は仕事をしていて」
王宮にいけばクレトに会えなくなる。クレトと離れるなんて考えられない。それだけは嫌だ。こうやって他の大勢の目がある中で貶められても、土埃だらけのドレス姿で這いつくばっても構わない。でもクレトのそばにいられないのだけは絶対に嫌だ。
「それだけはできません。お許しください」
「わたしの命令に逆らうっていうの? いい覚悟じゃないの。王族に逆らえばどうなるか、わかっているのでしょうね。近くにはわたしの護衛に王宮の兵士も控えているのよ。もっとよく考えて返事をなさい」
「……嫌です…。……できません」
はい、とは死んでも言えない……。
エステルはくるりと踵を返すと逃げ出した。
「あっ! 待ちなさい! エステル! 止まりなさい!」
後ろからベニタの制止の声が飛んでくる。
けれどエステルは後ろを見ずに走った。ここで捕まれば本当にもうクレトに会えなくなるかもしれない。
膝がじくじくと痛み、ヒールの高い靴で何度も足首をひねり、ドレスの裾が足に絡まってもエステルは必死に群衆をかき分け走った。
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