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第三章
ずっと一緒にいたい
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ベニタの前から逃げ出したエステルは、無意識のうちにクレトの邸へ向かって走っていた。
が、すぐに方向を転換し、真逆の道を選んだ。
もしクレトの邸へ逃げ込んだところで騎士に追いつかれ捕まれば、クレトにも迷惑がかかる。お咎めも受けるかもしれない。それだけは絶対に嫌だった。
助けてくれたクレトに恩を仇で返すような真似はできない。
エステルは途中でヒールを脱ぎ捨て、ドレスの裾を掴むと裏路地へと飛び込んだ。
裸足のドレス姿で走っている自分は目立つ。
騎士に居場所を知らせているようなものだ。なるべくひと目につかぬよう、裏路地の雑多に物が積まれたような場所を選び進んだ。
クレトの邸からなるべく離れた遠くへ。
けれど怪我をした膝と裸足の足裏の痛みが限界だった。もっと遠くへ逃げたいと思うけれど足が動かない。
ちょうど行く手に高く積まれた木箱とダンボール箱の壁があり、エステルはその隙間に体を押し込んだ。
これで表通りからは自分の姿は見えないはずだ。
しばらく休んでまた走ろう。
どこに行く宛もない。急場しのぎでもいい。
とにかく逃げるのだ。
表通りからは騒がしいお祭りの気配が聞こえてくる。エステルは息を潜め、膝を抱えていたのだが………。
がたっとすぐ間近の木箱が動き、びくりと顔を上げた。
店の者が出てきて木箱を動かしただけならばいい。もしエステルを探しに来た騎士ならば…。
突き飛ばして一気に逃げるしかない。
緊張で震える手を握りしめ、木箱の音のした方を注視していると、箱の間から思わぬ顔がひょこりと出てきた。
「見つけた」
「……クレト…? どうして…?」
「コンテスト会場でエステルが困ったことになったと聞いてね。追いかけてきたんだ。さぁ、おいで。邸へ戻ろう」
「―――だめ」
クレトが手を差し出したがエステルは即座に否定した。
クレトが助けに来てくれたことは本当に嬉しい。クレトの顔を見られただけでも涙が出てくるほどほっとする。
でもクレトの邸へ戻ったのでは、何のために邸とは真逆の方向へ逃げてきたのかわからない。
「わたし、騎士に追われているの。王太子妃選で選ばれたベニタに侍女になれって言われて、どうしても嫌で逃げ出したの。将来の王妃に逆らったんですもの。わたしと一緒にいればクレトまで巻き込んでしまうわ」
「ああ、足を怪我しているじゃないか! 私としたことが、これではおいでと言っても君は立ってこちらには来れないはずだ」
クレトはエステルの言を全く無視し、エステルの前にしゃがみ込むと背と両膝の下に手を入れエステルを抱き上げた。
「クレト……。だめ、おろしてちょうだい。わたしクレトを巻き込みたくないの」
おろしてと腕を突っぱねてもクレトはびくともしない。軽々とエステルを両腕に抱き上げたまま歩き出した。
「早く邸へ戻ろう。あちこち傷だらけじゃないか。かわいそうに。怖かったろう?」
「だからクレト、わたしは―――」
「―――大丈夫。エステルの危惧しているようなことは起こらない。第一私が君をこの場に見捨てて戻れるような男だと思っているのかい?」
「それは……」
クレトならそんなことは絶対にしない。
窮地に陥っているエステルを見捨てるクレトではない。
でもだからこそ、巻き込みたくないのだ。
「分かってクレト。お願い…」
「分かっているよ。分かった上で今こうしているんだ。君を連れ帰る以外の選択肢は私にはないよ。だからもう自分を見捨てていけなどと言ってはいけない。極力騎士には見つからないよう邸へ戻るとしよう」
「……ごめんなさい」
謝るくらいしかできなかった。結局こうやってクレトの優しさに甘えてしまう。
自分の浅はかな行動で彼を窮地に追いやるかもしれないのに、この優しさに縋りたくなる。
歩き出したクレトに、エステルはぽつりと零した。
「わたし、」
「なんだい?」
「わたし、ベニタの侍女になれば二度とクレトに会えないと思って、それで逃げ出したの…」
「嬉しいことを言ってくれるね。こんな状況でなければ、ゆっくりと喜びをかみしめているところだよ」
「……わたしクレトとずっと一緒にいたい。離れるのはいや」
素直な感情が口から飛び出した。
クレトに恋人がいると思い込み、ざわざわとしたあの時の胸の痛みと、クレトと離れたくないと切実に願う今の感情とは似ている。
クレトといるだけで毎日が楽しくてどきどきして、もっとずっと一緒にいたいと願う。クレトが他の女性の手を取るのは見たくないし、親しげに笑いかける姿も見たくない。できることならクレトを独占して、クレトの一番は自分だと、そう思いたい。ずっと側にいたい。
「なぁエステル。それってどういう感情か知ってるかい?」
「……知ってるかもしれない」
王太子妃になる自分には必要のないものだと思って考えもしなかった気持ち。
誰かを心から求めるこの気持ちの正体は……。
「……わたし、あなたのことが好き」
「私もだよ、エステル。私も君のことが好きだ」
すぐさま返ってきたクレトの言葉にエステルははにかみ、けれど自分の姿を見下ろしてくすっと笑った。
「どうせならこんな姿ではない時に言うべきだったわ」
「元気が出てきたみたいだね。それでいい。エステルは何も心配する必要はないからね」
クレトにそう言われれば本当にそんな気がしてくる。
エステルは体の力を抜いた。
クレトの歩に合わせて体が揺れるのが心地よかった。
が、すぐに方向を転換し、真逆の道を選んだ。
もしクレトの邸へ逃げ込んだところで騎士に追いつかれ捕まれば、クレトにも迷惑がかかる。お咎めも受けるかもしれない。それだけは絶対に嫌だった。
助けてくれたクレトに恩を仇で返すような真似はできない。
エステルは途中でヒールを脱ぎ捨て、ドレスの裾を掴むと裏路地へと飛び込んだ。
裸足のドレス姿で走っている自分は目立つ。
騎士に居場所を知らせているようなものだ。なるべくひと目につかぬよう、裏路地の雑多に物が積まれたような場所を選び進んだ。
クレトの邸からなるべく離れた遠くへ。
けれど怪我をした膝と裸足の足裏の痛みが限界だった。もっと遠くへ逃げたいと思うけれど足が動かない。
ちょうど行く手に高く積まれた木箱とダンボール箱の壁があり、エステルはその隙間に体を押し込んだ。
これで表通りからは自分の姿は見えないはずだ。
しばらく休んでまた走ろう。
どこに行く宛もない。急場しのぎでもいい。
とにかく逃げるのだ。
表通りからは騒がしいお祭りの気配が聞こえてくる。エステルは息を潜め、膝を抱えていたのだが………。
がたっとすぐ間近の木箱が動き、びくりと顔を上げた。
店の者が出てきて木箱を動かしただけならばいい。もしエステルを探しに来た騎士ならば…。
突き飛ばして一気に逃げるしかない。
緊張で震える手を握りしめ、木箱の音のした方を注視していると、箱の間から思わぬ顔がひょこりと出てきた。
「見つけた」
「……クレト…? どうして…?」
「コンテスト会場でエステルが困ったことになったと聞いてね。追いかけてきたんだ。さぁ、おいで。邸へ戻ろう」
「―――だめ」
クレトが手を差し出したがエステルは即座に否定した。
クレトが助けに来てくれたことは本当に嬉しい。クレトの顔を見られただけでも涙が出てくるほどほっとする。
でもクレトの邸へ戻ったのでは、何のために邸とは真逆の方向へ逃げてきたのかわからない。
「わたし、騎士に追われているの。王太子妃選で選ばれたベニタに侍女になれって言われて、どうしても嫌で逃げ出したの。将来の王妃に逆らったんですもの。わたしと一緒にいればクレトまで巻き込んでしまうわ」
「ああ、足を怪我しているじゃないか! 私としたことが、これではおいでと言っても君は立ってこちらには来れないはずだ」
クレトはエステルの言を全く無視し、エステルの前にしゃがみ込むと背と両膝の下に手を入れエステルを抱き上げた。
「クレト……。だめ、おろしてちょうだい。わたしクレトを巻き込みたくないの」
おろしてと腕を突っぱねてもクレトはびくともしない。軽々とエステルを両腕に抱き上げたまま歩き出した。
「早く邸へ戻ろう。あちこち傷だらけじゃないか。かわいそうに。怖かったろう?」
「だからクレト、わたしは―――」
「―――大丈夫。エステルの危惧しているようなことは起こらない。第一私が君をこの場に見捨てて戻れるような男だと思っているのかい?」
「それは……」
クレトならそんなことは絶対にしない。
窮地に陥っているエステルを見捨てるクレトではない。
でもだからこそ、巻き込みたくないのだ。
「分かってクレト。お願い…」
「分かっているよ。分かった上で今こうしているんだ。君を連れ帰る以外の選択肢は私にはないよ。だからもう自分を見捨てていけなどと言ってはいけない。極力騎士には見つからないよう邸へ戻るとしよう」
「……ごめんなさい」
謝るくらいしかできなかった。結局こうやってクレトの優しさに甘えてしまう。
自分の浅はかな行動で彼を窮地に追いやるかもしれないのに、この優しさに縋りたくなる。
歩き出したクレトに、エステルはぽつりと零した。
「わたし、」
「なんだい?」
「わたし、ベニタの侍女になれば二度とクレトに会えないと思って、それで逃げ出したの…」
「嬉しいことを言ってくれるね。こんな状況でなければ、ゆっくりと喜びをかみしめているところだよ」
「……わたしクレトとずっと一緒にいたい。離れるのはいや」
素直な感情が口から飛び出した。
クレトに恋人がいると思い込み、ざわざわとしたあの時の胸の痛みと、クレトと離れたくないと切実に願う今の感情とは似ている。
クレトといるだけで毎日が楽しくてどきどきして、もっとずっと一緒にいたいと願う。クレトが他の女性の手を取るのは見たくないし、親しげに笑いかける姿も見たくない。できることならクレトを独占して、クレトの一番は自分だと、そう思いたい。ずっと側にいたい。
「なぁエステル。それってどういう感情か知ってるかい?」
「……知ってるかもしれない」
王太子妃になる自分には必要のないものだと思って考えもしなかった気持ち。
誰かを心から求めるこの気持ちの正体は……。
「……わたし、あなたのことが好き」
「私もだよ、エステル。私も君のことが好きだ」
すぐさま返ってきたクレトの言葉にエステルははにかみ、けれど自分の姿を見下ろしてくすっと笑った。
「どうせならこんな姿ではない時に言うべきだったわ」
「元気が出てきたみたいだね。それでいい。エステルは何も心配する必要はないからね」
クレトにそう言われれば本当にそんな気がしてくる。
エステルは体の力を抜いた。
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