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番外編1

まずはここから

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 帝都に滞在している間も、南の島に滞在している間も、エステルとクレトは別の部屋を取った。
 今までもそうしていたし、別々の部屋の方が気兼ねなくゆっくり体を休められるのだろうし、別におかしなことではない。ないのだけれど―――。

―――恋人同士って普通同じ部屋に泊まるものなのではないのかしら。

 今までもホテルに滞在しているとき、男女のカップル、あるいは夫婦だったのかもしれない、が同じ部屋に入っていくのを何度も目にしている。

 できればエステルも、恋人同士となったクレトと一緒の夜を過ごしたかった。
 夜遅くまで今日あったことを話して、いつの間にか眠りにつく。そんな素敵な夜を経験してみたかった。

 けれどクレトは当然のように部屋を二つとり、エステルとは違う部屋で眠った。
 
 同じ部屋で眠ってもいい?

 そう聞こうかと何度思ったことか。夕食の後、部屋に戻っていくクレトの後姿を見ながら、何度口を開きかけたことか。でも結局旅の間一度も言い出せなかった。

 エステルだって同じ部屋に泊まって、その先にあることもわかっているつもりで、その覚悟だってある。
 覚悟というとすこし大げさだけれど、クレトとだったらむしろ経験してみたいとさえ思っている。
 クレトはそんなエステルの心情は知らないから、もしかしたらエステルに気を遣い、あえて別々の部屋にしているのだろうか。
 それとも恋人同士でも、エステル相手だと全くそんな気は起こらないということなのだろうか。

「はぁ……」

 おさえようとしても気が付けば自然とため息が漏れる。
 エステルはいま、ワインの仕分けが終わり、ダナの事務所のソファでお茶を飲みながら、ダナが戻ってくるのを待っていた。
 仕分けが終われば今日の仕事は終わりだとダナは言っていたのだけれど、ちょっと用があって事務所に戻りたいから相談は事務所で聞くよと言われ、ここまで戻ってきた。
 けれど戻ったら当初の用とは違う仕事が新たに発生していたようで、「ちょっと待ってて」と事務所の奥へ行ったっきりダナは戻ってこない。一人になるとどうしても思考は巡り、最後にはため息が漏れる。

 奥からはダナの声と、ダナの部下たちの声が聞こえてきている。
 複雑な話なのか、それぞれの意見が飛び交っている。

 やっぱり出直すべきかしら……。

 エステルはお茶のなくなったカップをソーサーに戻し、立ち上がった。
 何もこの相談事は今日今でなければならない話ではない。また後日出直そう。

 エステルは奥の部屋の扉をノックし、ダナに「すみません」と声をかけた。ダナはすぐに扉を開け顔を出した。

「どうかした?」

「あの、お取込みのようなのでわたし帰りますね。相談はまた後日、日をとっていただいてもいいでしょうか」

「ああ、うん。ごめんね、エステル。急ぎじゃなかったの?」

「はい、大丈夫です。―――では」

 エステルが扉を閉めると、再び中からはダナたちの声が響いてきた。









 お天気もいいことだし、辻馬車は拾わず歩いて帰ろうと邸へ向かっていると、大通りにさしかかったところで右手に見えたショーウインドウに目が留まり、エステルは立ち止まった。
 ショーウインドウには真っ白なウエディングドレスが飾られていた。
 帝都で流行のデコルテが大きくあいたドレスだ。スカートはシフォン生地でふんわり広がり、長い裾にはバラのモチーフが飾られている。

「……素敵ね…」

 うっとり見惚れていると肩を叩かれた。

「エステルに似合うだろうね」

「クレト!」

 振り返るとクレトが立っていた。

「クレト、仕事は終わったの?」

 今日は別件で隣町まで行っていたはずだ。

「終わったよ。さっき大通りで馬車を降りたんだ。天気がいいから歩いて帰ろうかと思ってね」

「同じこと考えていたわ」

 行動パターンが似ているなんて、なんだか嬉しい。クレトが自然な動作で差し出す手に手を重ねた。見上げれば優しいクレトの眼差しがすぐそこで、エステルは嬉しくなってふふっと笑った。

「なんだい? 何かおかしいかい?」

「いいえ、ただ嬉しくて……」

「それなら私もだよ。偶然街中で出会うのも悪くないね。なんとなく得をした気分だ。せっかくだからどこか寄ってくかい? 今日はワインが着いたんだろう? 卸した店に早速試飲にいくのもいいかもしれないね」

 自分の手掛けたワインがお店で供される場面は興味がある。あるけれど、今のエステルの頭の中は別のことでいっぱいだった。ダナに相談しようと思っていたけれどお預けとなり、またしばらく悩みは続くのかと思うと悩ましい。ここは思い切って本人に聞いてみるのが一番なのかもしれない。以前もクレトとのことで悩んでいた時、マリナは本人に聞くのが一番良い解決法だと教えてくれた。実際そうだったのだから、今回もクレトに聞いてしまうのがいいのかもしれない。

「あの……」

 切り出したものの、内容が内容だけに自分からは言い出しにくい。

「なんだい?」

 首を傾げてエステルの言葉の続きを待っているクレトの手を、エステルはぎゅっと握った。
 こんなことを考えているなんてはしたないことなのかもしれない。

「あの、軽蔑しないで聞いてほしいの……」

「軽蔑? 私が君をかい? そんなこと天と地が入れ替わるくらいありえないことだよ」

「ほんとにほんと?」

「ああ、もちろん」

「わたしね、あの、わたし……。旅の間、本当はクレトと一緒の部屋に泊まりたかったの…」

 崖から飛び降りるつもりで言葉を吐き出し、クレトの返事が返ってくるまでぎゅっと目を瞑った。どんな言葉が返ってくるのか怖い。やっぱり言わずにおけばよかったと後悔が頭をもたげ、恐る恐る目を開けてクレトを見上げた。

 クレトは驚いた顔をして固まっていた。
 エステルがとんでもないことを言い出したから、引いているのかもしれない。慌てて言い訳した。

「あの、ごめんなさい。そういう意味じゃなくて、その……。あの、でもそうなんだけれど……」

 自分でも何を言っているのかわからない。
 恥ずかしくなって耳にまでかぁっと朱がのぼる。湯気が出そうなほど頭の中も沸騰している。
 手扇でぱたぱたと顔を仰ぐと、その手をクレトに掴まれた。

「旅の間、なんとなく物言いたげだなとは思っていたんだ。でも君は何も言わないから、無理に聞くのも悪いと思っていたんだよ。……ごめん、エステル。君にそんなことを言わせるなんて私の落ち度だ」

「そ、そんな……。わたしそんなつもりで言ったのではなくて、その……」

「わかっている。だからごめん。君のことだから、きっと私にその気が起きないのは自分のせいなのかもしれないと思ったんだろう? そんなことは全くない。エステルはその、経験はないだろう? おそらくお妃教育で知識としては知っているだろうけれど、聞いているだけと体験することとは違うからね。まだ早いかと思ったんだ。でも私が間違っていた。君を不安にさせてしまった。悪かった」

「―――そんな、謝らないで。わたしが勝手に期待しただけだったから……その…」

 クレトはいきなりエステルの腰に腕を回すと引き寄せた。ショーウインドウの前、大通りの人通りの多い場所だ。クレトは衆目を気にすることなくエステルを抱き寄せると、その顎をとり、甘く笑った。

「まずはここから始めようか。エステル」

 クレトのきれいなまつげが触れそうなくらい近くに落ちてきた。

 








  
 
 
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