48 / 53
番外編2
必ず見つけ出す
しおりを挟む
「まだ戻っていない?」
日が完全に西の地平に沈み、夜も深まった頃クレトは帰宅した。帰宅してすぐに玄関で出迎えたブラスから、エステルがまだ外出先から戻っていないことを聞き、外套を脱ごうとした手を止めた。
あと数時間もすれば日付の変わる時間だ。こんな遅くまで、なんの連絡もなく帰宅していないというのは明らかにおかしい。
「今日はセブリアンとの商船の打ち合わせに行ったはずだ。セブリアンには確かめたのか?」
「はい。クレト様。もちろんでございます。エステル様とは大通りのカフェで別れたそうで、邸に向かって歩いていかれるのを見ていたとおっしゃっていました。まだ戻っていないと言うと、とても驚かれて、セブリアン様にも探してもらっております」
他にも邸の者を使い、セブリアンと打ち合わせをしたカフェから邸までの道筋を中心に探させているという。マリナもじっとしていられず、外に探しに出たそうだ。
「私も探しに出る」
邸でのんびりと構えている場合ではない。エステルの身に何かあったのかもしれない。不安が押し寄せ、それに覆われる前にクレトはたった今入ってきた玄関扉を開いた。
するとどこから走ってきたのか、いつの間にかロレッタの息子のイアンが足元にいて、クレトの開いた扉を押し戻した。
「あのさ、クレト。エステルならたぶんそのうち戻ってくるよ。それよりさ、今日はお母様の誕生日なんだ。一緒にお祝いしてくれないかな」
「ロレッタの?」
それは知らなかった。けれど今はお祝いなどできる気分ではなかった。
「悪いがイアン。それはまた後日改めて。エステルが心配だ」
「エステルなら大丈夫だって。明日の朝になったら帰ってくるよ。だからお願い、今日はお母様のお祝いをしてあげて」
イアンはクレトの外套の袖を引っ張ってねだる。母親の誕生日を祝ってほしいという気持ちはわかるが、それでもクレトは首を振った。
「悪いがお祝いはまた後日だ。私はエステルを探しに行く」
事故にあったか、人さらいにあったか、または思いもよらないトラブルに巻き込まれたのか。考えれば考えるほど不安が押し寄せる。様々な想像が頭に飛来した。
あるいは自ら姿を消した可能性はないだろうか。エステルは昨夜テラスで会ったとき元気がなかった。何か思い悩んでいるようだった。
けれどクレトはその可能性を真っ先に消去した。クレトの知るエステルは、たとえどんなことがあろうと黙って姿を消すようなことはしない。クレトに心配をかけまいといつも気丈にしているエステルが、そんなことをするはずがない。
だとしたら―――。
やはりエステルの身に何かあったのだろう。この港町は治安のよい地域だが、人さらいや強盗が全くないわけではない。こんなことになるのなら、いつもエステルを側において、何をするにも一緒に行動していればよかった。片時も側を離れず、エステルが嫌になるくらい一緒にいればよかった……。
エステルが今どんな気持ちでいるのかを想像し、己の至らなさにクレトは握りしめたこぶしを震わせた。
「……クレト様…」
ブラスの気遣うような呼びかけに、クレトはふぅっと息を吐きだした。
とにかく一刻も早くエステルを見つけ出さなければならない。
「他の者から何か動きがあれば知らせてくれ。私も街に探しに出る。それからブラス、街の自警団を叩き起こして街中を捜索するよう頼んでくれ。更に商売で伝手のあるこの街全ての者に協力を要請するように。アリの子一匹見逃さぬくらい街中すべてに目を作ってやる。そして必ずエステルを見つけ出す」
「かしこまりました」
クレトは夜闇のなかへと飛び出した。
***
クレトの飛び出していった玄関扉の前でイアンは呆然と立ち尽くした。
お母様の誕生日だとうそまでついたのに、クレトはエステルを探しに出てしまった。誕生日だと言えば一緒にお祝いしてくれると思ったのに。お母様とクレトが二人で過ごせば、絶対結婚すると思ったのに。
なのにクレトはお母様のことなんて全然気にかけないで飛び出していった。イアンだって止めたのに。朝になったらエステルは帰ってくるって言ったのに。
イアンの言葉なんて全然聞かずに行ってしまった。
クレトがいなくては、何のためにエステルを物置小屋に閉じ込めたのかわからない。それだったら、いつもみたいにエステルを呼び出して、クレトから離したほうがよかった。そうしたら、今頃お母様はクレトと一緒にいられたのに。
失敗だ。大失敗だ。
こんなんだったら、今すぐエステルを連れてきて、クレトが帰ってくるようにした方がまだましだ。
イアンはそう思い、そろりと玄関を抜け出した。
夜の庭は真っ暗だった。月明かりを頼りに物置小屋へと進む。かさかさとどこからともなく音がし、芝生を踏む自分の足音にさえイアンはびくびくした。
こんな暗くて怖い場所にエステルを閉じ込めたことを、イアンは初めて後悔した。イアンはお母様とクレトがくっついてほしいだけで、別にエステルのことは嫌いではない。それなのにこんな夜の庭に一人ぼっちにして、かわいそうなことをした。
なんとか物置小屋まで辿り着き、扉の掛け金を外そうと手を伸ばしたイアンだが、あれ?と思ってその手を止めた。
掛け金が外れている。確かにかけたはずなのに……。
どうして、と思いながら扉を開き、中へ声をかけた。
「エステル、エステル」
何度か呼びかけても返事がない。ショールの上のお菓子がなぜか踏み荒らされたように粉々になっていた。
イアンは勇気を振り絞って小屋の中へ入り、見て回った。が、―――。
エステルはどこにもいなかった。忽然と姿を消していた。
日が完全に西の地平に沈み、夜も深まった頃クレトは帰宅した。帰宅してすぐに玄関で出迎えたブラスから、エステルがまだ外出先から戻っていないことを聞き、外套を脱ごうとした手を止めた。
あと数時間もすれば日付の変わる時間だ。こんな遅くまで、なんの連絡もなく帰宅していないというのは明らかにおかしい。
「今日はセブリアンとの商船の打ち合わせに行ったはずだ。セブリアンには確かめたのか?」
「はい。クレト様。もちろんでございます。エステル様とは大通りのカフェで別れたそうで、邸に向かって歩いていかれるのを見ていたとおっしゃっていました。まだ戻っていないと言うと、とても驚かれて、セブリアン様にも探してもらっております」
他にも邸の者を使い、セブリアンと打ち合わせをしたカフェから邸までの道筋を中心に探させているという。マリナもじっとしていられず、外に探しに出たそうだ。
「私も探しに出る」
邸でのんびりと構えている場合ではない。エステルの身に何かあったのかもしれない。不安が押し寄せ、それに覆われる前にクレトはたった今入ってきた玄関扉を開いた。
するとどこから走ってきたのか、いつの間にかロレッタの息子のイアンが足元にいて、クレトの開いた扉を押し戻した。
「あのさ、クレト。エステルならたぶんそのうち戻ってくるよ。それよりさ、今日はお母様の誕生日なんだ。一緒にお祝いしてくれないかな」
「ロレッタの?」
それは知らなかった。けれど今はお祝いなどできる気分ではなかった。
「悪いがイアン。それはまた後日改めて。エステルが心配だ」
「エステルなら大丈夫だって。明日の朝になったら帰ってくるよ。だからお願い、今日はお母様のお祝いをしてあげて」
イアンはクレトの外套の袖を引っ張ってねだる。母親の誕生日を祝ってほしいという気持ちはわかるが、それでもクレトは首を振った。
「悪いがお祝いはまた後日だ。私はエステルを探しに行く」
事故にあったか、人さらいにあったか、または思いもよらないトラブルに巻き込まれたのか。考えれば考えるほど不安が押し寄せる。様々な想像が頭に飛来した。
あるいは自ら姿を消した可能性はないだろうか。エステルは昨夜テラスで会ったとき元気がなかった。何か思い悩んでいるようだった。
けれどクレトはその可能性を真っ先に消去した。クレトの知るエステルは、たとえどんなことがあろうと黙って姿を消すようなことはしない。クレトに心配をかけまいといつも気丈にしているエステルが、そんなことをするはずがない。
だとしたら―――。
やはりエステルの身に何かあったのだろう。この港町は治安のよい地域だが、人さらいや強盗が全くないわけではない。こんなことになるのなら、いつもエステルを側において、何をするにも一緒に行動していればよかった。片時も側を離れず、エステルが嫌になるくらい一緒にいればよかった……。
エステルが今どんな気持ちでいるのかを想像し、己の至らなさにクレトは握りしめたこぶしを震わせた。
「……クレト様…」
ブラスの気遣うような呼びかけに、クレトはふぅっと息を吐きだした。
とにかく一刻も早くエステルを見つけ出さなければならない。
「他の者から何か動きがあれば知らせてくれ。私も街に探しに出る。それからブラス、街の自警団を叩き起こして街中を捜索するよう頼んでくれ。更に商売で伝手のあるこの街全ての者に協力を要請するように。アリの子一匹見逃さぬくらい街中すべてに目を作ってやる。そして必ずエステルを見つけ出す」
「かしこまりました」
クレトは夜闇のなかへと飛び出した。
***
クレトの飛び出していった玄関扉の前でイアンは呆然と立ち尽くした。
お母様の誕生日だとうそまでついたのに、クレトはエステルを探しに出てしまった。誕生日だと言えば一緒にお祝いしてくれると思ったのに。お母様とクレトが二人で過ごせば、絶対結婚すると思ったのに。
なのにクレトはお母様のことなんて全然気にかけないで飛び出していった。イアンだって止めたのに。朝になったらエステルは帰ってくるって言ったのに。
イアンの言葉なんて全然聞かずに行ってしまった。
クレトがいなくては、何のためにエステルを物置小屋に閉じ込めたのかわからない。それだったら、いつもみたいにエステルを呼び出して、クレトから離したほうがよかった。そうしたら、今頃お母様はクレトと一緒にいられたのに。
失敗だ。大失敗だ。
こんなんだったら、今すぐエステルを連れてきて、クレトが帰ってくるようにした方がまだましだ。
イアンはそう思い、そろりと玄関を抜け出した。
夜の庭は真っ暗だった。月明かりを頼りに物置小屋へと進む。かさかさとどこからともなく音がし、芝生を踏む自分の足音にさえイアンはびくびくした。
こんな暗くて怖い場所にエステルを閉じ込めたことを、イアンは初めて後悔した。イアンはお母様とクレトがくっついてほしいだけで、別にエステルのことは嫌いではない。それなのにこんな夜の庭に一人ぼっちにして、かわいそうなことをした。
なんとか物置小屋まで辿り着き、扉の掛け金を外そうと手を伸ばしたイアンだが、あれ?と思ってその手を止めた。
掛け金が外れている。確かにかけたはずなのに……。
どうして、と思いながら扉を開き、中へ声をかけた。
「エステル、エステル」
何度か呼びかけても返事がない。ショールの上のお菓子がなぜか踏み荒らされたように粉々になっていた。
イアンは勇気を振り絞って小屋の中へ入り、見て回った。が、―――。
エステルはどこにもいなかった。忽然と姿を消していた。
50
あなたにおすすめの小説
【完結】初恋相手に失恋したので社交から距離を置いて、慎ましく観察眼を磨いていたのですが
藍生蕗
恋愛
子供の頃、一目惚れした相手から素気無い態度で振られてしまったリエラは、異性に好意を寄せる自信を無くしてしまっていた。
しかし貴族令嬢として十八歳は適齢期。
いつまでも家でくすぶっている妹へと、兄が持ち込んだお見合いに応じる事にした。しかしその相手には既に非公式ながらも恋人がいたようで、リエラは衆目の場で醜聞に巻き込まれてしまう。
※ 本編は4万字くらいのお話です
※ 他のサイトでも公開してます
※ 女性の立場が弱い世界観です。苦手な方はご注意下さい。
※ ご都合主義
※ 性格の悪い腹黒王子が出ます(不快注意!)
※ 6/19 HOTランキング7位! 10位以内初めてなので嬉しいです、ありがとうございます。゚(゚´ω`゚)゚。
→同日2位! 書いてて良かった! ありがとうございます(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)
【完結】聖女を害した公爵令嬢の私は国外追放をされ宿屋で住み込み女中をしております。え、偽聖女だった? ごめんなさい知りません。
藍生蕗
恋愛
かれこれ五年ほど前、公爵令嬢だった私───オリランダは、王太子の婚約者と実家の娘の立場の両方を聖女であるメイルティン様に奪われた事を許せずに、彼女を害してしまいました。しかしそれが王太子と実家から不興を買い、私は国外追放をされてしまいます。
そうして私は自らの罪と向き合い、平民となり宿屋で住み込み女中として過ごしていたのですが……
偽聖女だった? 更にどうして偽聖女の償いを今更私がしなければならないのでしょうか? とりあえず今幸せなので帰って下さい。
※ 設定は甘めです
※ 他のサイトにも投稿しています
氷の王弟殿下から婚約破棄を突き付けられました。理由は聖女と結婚するからだそうです。
吉川一巳
恋愛
ビビは婚約者である氷の王弟イライアスが大嫌いだった。なぜなら彼は会う度にビビの化粧や服装にケチをつけてくるからだ。しかし、こんな婚約耐えられないと思っていたところ、国を揺るがす大事件が起こり、イライアスから神の国から召喚される聖女と結婚しなくてはいけなくなったから破談にしたいという申し出を受ける。内心大喜びでその話を受け入れ、そのままの勢いでビビは神官となるのだが、招かれた聖女には問題があって……。小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。
愛してくれない人たちを愛するのはやめました これからは自由に生きますのでもう私に構わないでください!
花々
恋愛
ベルニ公爵家の令嬢として生まれたエルシーリア。
エルシーリアには病弱な双子の妹がおり、家族はいつも妹ばかり優先していた。エルシーリアは八歳のとき、妹の代わりのように聖女として神殿に送られる。
それでも頑張っていればいつか愛してもらえると、聖女の仕事を頑張っていたエルシーリア。
十二歳になると、エルシーリアと第一王子ジルベルトの婚約が決まる。ジルベルトは家族から蔑ろにされていたエルシーリアにも優しく、エルシーリアはすっかり彼に依存するように。
しかし、それから五年が経ち、エルシーリアが十七歳になったある日、エルシーリアは王子と双子の妹が密会しているのを見てしまう。さらに、王家はエルシーリアを利用するために王子の婚約者にしたということまで知ってしまう。
何もかもがどうでもよくなったエルシーリアは、家も神殿も王子も捨てて家出することを決意。しかし、エルシーリアより妹の方がいいと言っていたはずの王子がなぜか追ってきて……。
〇カクヨムにも掲載しています
真実の愛のお相手様と仲睦まじくお過ごしください
LIN
恋愛
「私には真実に愛する人がいる。私から愛されるなんて事は期待しないでほしい」冷たい声で男は言った。
伯爵家の嫡男ジェラルドと同格の伯爵家の長女マーガレットが、互いの家の共同事業のために結ばれた婚約期間を経て、晴れて行われた結婚式の夜の出来事だった。
真実の愛が尊ばれる国で、マーガレットが周囲の人を巻き込んで起こす色んな出来事。
(他サイトで載せていたものです。今はここでしか載せていません。今まで読んでくれた方で、見つけてくれた方がいましたら…ありがとうございます…)
(1月14日完結です。設定変えてなかったらすみません…)
虐げられた令嬢は、耐える必要がなくなりました
天宮有
恋愛
伯爵令嬢の私アニカは、妹と違い婚約者がいなかった。
妹レモノは侯爵令息との婚約が決まり、私を見下すようになる。
その後……私はレモノの嘘によって、家族から虐げられていた。
家族の命令で外に出ることとなり、私は公爵令息のジェイドと偶然出会う。
ジェイドは私を心配して、守るから耐える必要はないと言ってくれる。
耐える必要がなくなった私は、家族に反撃します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる