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番外編2

検問

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 がちゃがちゃっと掛け金の外される音にエステルは顔をあげた。
 まだ辺りは真っ暗だ。板の隙間からは月光がさしこんでいる。
 イアンは今日の夜はここにいてと言っていたので、明日の朝に鍵を開けに来るのかと思っていた。予想より早くイアンが来てくれてよかった。クレトはきっと心配しているだろう。一刻も早く帰りたい。

 掛け金が外れる音に続き扉が開かれ、エステルは「イアン?」と呼び掛けた。が、月光を背にして現れた大きな影に思わず後ずさる。知らない男だった。一見商人風のその男は、エステルを一目見るなり振り返って言った。

「いいだろう。おまえの借金はこの女で帳消しだ」

 何のことか全くわからなかった。男の背後にもう一人誰かいるようだがここからは見えない。驚くエステルをよそに、男は太い腕を伸ばしてくるとエステルの腕をいきなり掴んできた。

「放して……」

 わけがわからないながらも、自分が危機的な状況に陥っているようだということはわかる。男の手を放そうと後ずさると、ショールの上に並べられていた焼き菓子を踏み砕いていた。

「じゃ、じゃあ私はこれで―――」

 小屋の外から女性の声がした。ロレッタの声だった。どうやらロレッタが外にいるようだとわかり、安心したのも束の間、

「おう。いい女をくれて感謝するぜ。こいつならおまえの借金全部よりも高値で売れるだろうよ」

「―――あの、それってどういう……」

 男は戸惑うエステルを掴んだまま小屋から引きずり出す。小屋の外に立っていたのはやはりロレッタで、エステルは「あの、ロレッタさん?」と呼びかけた。

 ロレッタは顔を蒼白にしながらもエステルに言い放った。

「あなたが悪いのよ。私の邪魔ばかりするから。私、帝都で借金があって、その男は金貸しなの。でも私に返せるお金なんてない。代わりにあなたを差し出せば、私の借金はなかったことにしてくれるっていうから、だから……」

 ロレッタの口から信じられない言葉が飛び出す。
 では自身の借金のかたに、エステルを代わりに売り払おうというのか。

「そんな……」

 そんな勝手な話があるだろうか。信じられない。
 しかもその理由がロレッタの邪魔ばかりしたから、なんて。エステルはロレッタの邪魔をしたつもりはない。むしろ邪魔されていたのはエステルの方だ。それにロレッタの境遇を考え、これからの生活がうまく行くよう、カフェの開店へ向けて尽力もしていた。

 それが邪魔ばかりと言われてはどうしようもない。

「……こんなことして、イアンはどうするんですか? 母親がこんなことをしていると知ったら、イアンがかわいそうです」

 エステルを物置小屋へ閉じ込めたり付きまとったりしたがそれも全て母親のためだ。その母親が犯罪に手を染めたと知ったらどう思うのだろうか。

「あの子の心配なんてしてもらわなくて結構よ。あなたさえいなければ私はクレトに面倒をみてもらえる。面倒なカフェの経営なんてしなくても、家にいてクレトの身の回りのお世話さえしていればそれでいいのよ。イアンだってそのほうがいいに決まっているわ」

「―――おい、もういいか。早くずらかりてぇ」

 ロレッタの言葉を男が遮った。ロレッタははっとしたように男を見、「え、ええ」と頷いた。

「じゃ、じゃあ私はこれで。今後一切私のところには来ないでちょうだい」

「ああ、もちろんだ」

 男が了承したのを確認し、ロレッタは踵を返して立ち去りかけ、一度振り返った。

「クレトのことならちゃんと私があなたの代わりを務めてあげるから心配しなくていいわよ。じゃあね、エステル」

 ふふっと笑ってロレッタは走り去った。

「―――さて、」

 ロレッタの姿が遠ざかると男はエステルを見た。エステルは自然と体が強張り、逃げようと体を捩ったが男の力は強く腕が放れない。

「……放して…」

 このままどこかはわからないがこの男に連れていかれるわけにはいかない。エステルは精一杯暴れたが、男はそんなものはものともせずエステルを引きずりながら一旦小屋の中へと戻った。何をするのかと思っていると、男は小屋の中を物色し、大きな麻袋を見つけてくると頭からその麻袋をエステルにかぶせた。

「さすがにあんたを担いで歩いていたら目立つからな。それと―――」

 ドガっという衝撃が鳩尾に打ち込まれた。エステルは痛みに体をくの字に曲げうずくまり……。
 そのまま意識を失った。


 








***










 手に入れた麻袋の中の女が気を失うと、男は麻袋を担いで庭を出た。庭を出るとき邸内から慌ただしく数人の人間が飛び出していき、男は素早く物陰に隠れた。

「ちっ」

 せっかくいい商品が手に入ったと思ったが、早くも気づかれたようだ。この女の素性は知らないが、身なりも悪くない。ロレッタの話からもこの邸に住む女のようだった。

 それなら一刻も早くこの街から立ち去るのがいい。この街を出てしまえば後を追うのは難しくなる。

 男は麻袋の中の’商品’を傷つけないよう気を付けながら邸を離れ、辻馬車の走る通りへと出た。運よくちょうど空いた辻馬車がとまっており、男は麻袋を担いだまま乗り込んだ。

「お客さん、どこまで行きましょう」

 御者の問いに、とりあえずこの港町の隣町の名を告げようとしたが、御者は「そうそう」と振り返った。

「ついさっきなんですけどね、仲間から連絡があったんですが、今夜はこれから街の出入り口に検問が敷かれるみたいで、もしこの港町を出るつもりなら今夜はやめといたほうがいいですよ」

「そうなのか? それはまたどうして」

「さぁ。急ぎの連絡で回って来ただけで理由までは聞いてないんですけど。お客さん、もしかして街を出られるつもりでしたか?」

「……ああ、まぁな」

「悪いことは言わない。今日は街を出るのをやめといたほうがいい。出るまでにどれだけ時間がかかるかわかったものじゃありませんよ。もう遅いし、どこか安い宿にでもご案内しましょう」

「……そうしてくれ」

「かしこまりました」

 御者は馬を走らせ始めた。何のための検問かは知らないが運の悪いことだ。そんなものに引っかかってはこの麻袋の中身を問いただされないとも限らない。今夜は港町を出るのは難しいだろう。

 馬車は数十分ほど走り、一軒の宿屋の前で止まった。大通りからは外れた小さな宿屋だ。一階が食堂兼飲み屋になっており、上階に部屋のついている一般的な宿屋だった。

「ここなら大抵部屋は空いてますし、一階のめしがなかなかうまいと評判なんですよ」

「……ありがとう。いくらだ?」

 御者の言い値を男は払った。距離にしては少し高いようにも感じたが、下手にトラブルを起こしては元も子もない。馬車が走り去ると、男は麻袋を慎重に担いだまま、御者の案内した宿屋を背に歩き出した。

 このままここに泊まっても問題はないだろうが、念のためだ。後を追わせないためには自分の行く先を知る者を減らしていくしかない。

 男は御者の案内した宿屋の通りから数本離れた通りにあった一軒の宿屋に落ち着いた。この港町は広い。加えて頻繁に船が停泊するので種々多様な人が集まっている。よそ者にとっては紛れ込みやすい街だ。

 このまま朝までやり過ごし、朝一番の馬車でこの街を出よう。そのまま女を買ってくれる裏業者のところまで行って大金を手に入れるのだ。人さらい、人買いは帝国の法では禁止されている。だから見つからないよう、うまいことやって、さっさとずらかるのだ。


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