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番外編2

扉を開いて(終)

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 街中で捜索をしてくれた人々にエステルが無事見つかったことをクレトが知らせると、皆一様に「それはよかった」と心からの安堵を漏らしてくれた。

「クレトさんにはいつもお世話になってるからね」
「そうだよ。この街の人間は何かしらクレトさんと関わりのある人ばっかりだ」
「この街がこんなにきれいなのもクレトさんのおかげだしな」
「ほんとだよ。道の整備やら並木の植樹やら全部クレトさんがお金を出してくれてるんだからな」
「自警団だってそうだ。あれはクレトさんが支えてくれているようなもんだ」
「そうそう。さびれた港町がここまで大きくなったのは、全部クレトさんのおかげだよ。クレトさんがこの街を作ってくれたようなもんだよ」

 本当なら感謝するのは見つけてもらったエステルの方なのに、皆口々にクレトへの感謝の念を伝えてくる。
 この港町の整備に、クレトが多額の寄付をしていることは全く知らなかった。「そうだったの?」とエステルがクレトを振り仰ぐと、クレトは「まぁ儲けさせてもらっている恩返しだよ」と照れたように笑う。

「わたしが無事に見つかったのはクレトの日頃の行いの賜物なのね……」

 街総出で探してくれたからこそ見つけてもらえたのだ。それだけの人が動いてくれるほど、クレトは街の人達から信頼を寄せられているということだ。

「やっぱりクレトってすごいのね……」

「そうだよエステルさん。そんなクレトさんをものにしたんだ。あんた見る目あるよ」

 船員の格好をした一人がそう言うと、周りからも一斉にはやし立てられ、エステルの顔は真っ赤になった。
 なんとなく気がついてはいたけれど、エステルがクレトの恋人であることは街の人みんなが知っているみたいだ。それはこの町一番の邸宅に住むクレトと一緒に暮らしていれば目立つことこの上ないし、自ずと二人の関係も広がっていくというものだ。

 改めて街の人達にお礼を告げ、クレトとエステルは邸に戻った。邸は深夜にかかわらず煌々と明かりが照らされ、玄関ホールにはマリナが待っていて、エステルの姿を認めると走り寄って抱きしめた。

「お嬢様!」

「……うぐっ…」

 あまりの勢いで突進され喉が鳴った。

「お嬢様……お嬢様……。マリナは、心配で心配でどうにかなりそうでございました…」

「く、苦しいわ、マリナ。腕を緩めてちょうだい」

「こ、これは失礼いたしました」

 マリナはぱっとエステルから離れるとエステルの乱れた髪を整えだした。

「まぁまぁこんなになって。おかわいそうに。すぐに着替えましょう。それとも先に汚れを落としたほうがよろしいでしょうか」

 さっそく世話を焼き始める。が、エステルは恐る恐る周囲を見渡した。邸にいるロレッタのことが気になった。

「あの、ロレッタさんは……?」

 その問いには同じく傍らにいたブラスが答えた。

「エステル様がお戻りになる少し前に、自警団によって捕らえられました」

 人さらいは重罪だ。エステルとて売り払われそうになったのだ。もちろん許せない気持ちはある。けれど―――。

「イアンは? このことは……」

 目の前で母親が連れていかれるのを見たのだろうか。

「……仕方ありませんでした。犯した罪が重すぎました。イアンは、その、すぐ側にいてロレッタにしがみついて泣いておりましたが、どうしようもありませんでした」と痛ましそうにブラスは答える。今はショックで部屋に籠っているという。

「……そう」

 母親思いのイアンが、どんな思いで連れていかれるロレッタを見送ったのかと思うと胸を裂かれるようだ。慰める言葉も見つからない。

「イアンはでは、どうなるの?」

 唯一の頼みである母親はおそらく当分の間外へは出てこられないだろう。その間、イアンの生活はどうなるのだろうか。

「それにつきましてはイアンの希望なども聞いて、落ち着き先を探してやりたいと思っております。ですからご安心を」

 ブラスは「とにかくエステル様はご心配なさらずゆっくりとお休みください。あとで怪我の手当てに医師を呼びますので」と言うと、クレトにも一礼して奥へと入っていった。

「さぁ、お嬢様。参りましょう」

 エステルはマリナに促されるままに歩き出した。











 お風呂で体を清め、怪我の治療を終えた頃、部屋の扉がノックされた。

「エステル、いいかい?」

 クレトだった。クレトは昨日と同じように片手にグラスと瓶を器用に持ってエステルを呼びに来た。

「疲れているならやめておくけれど……」

「大丈夫。あまり一人でいたくない気分だったから」

 エステルは立ち上がるといつものテラス席に落ち着いた。
 宿屋でクレトに見つけてもらってから軽い興奮状態だったエステルだが、落ち着いてクレトと向き合うと、会話が弾まず、気詰まりな状態だった昨日のことを思い出した。にわかに日常を取り戻すと、昨日と地続きである今日という日を感じずにはいられなかった。エステルは会話の口火をなかなか切れず、無闇にグラスの果実水を何度も口に運んだ。

 もうどんなことがあろうと離れたくないと言ったエステルに、ちゃんと頷いてくれたクレトだけれど、また身近にロレッタのような女性が現れたらと思うと不安は消えない。

「ロレッタのことだけれど……」

 先に口を開いたのはクレトだった。クレトは夜の海を見つめながら、クレトにしては珍しく訥々と話し出した。

「君が着替えている間に、セブリアンが来てね。あいつも君を探してくれていたんだ。見つかったことを聞いて君に会いに来たんだが、着替えや怪我の治療中だというとまた今度にすると言って。そうしたら帰りがけに、あいつが私に話してくれた。ロレッタが私の気を引こうとしていたことをね。エステルがそれを見て心配していることも教えてもらった。情けない話、私は全くロレッタの意図には気が付かなかった。ロレッタが何かと身の回りの世話をしていたと言われても、あまりピンとこない。彼女のことは、私にとっては友の妻であり、そういう対象ではなかったからね。そういう意味では彼女の行動を全く気にも留めていなかったんだ」

「……クレトは、その、ロレッタさんと恋人同士ではなかったの?」

 エステルが聞くと、クレトは驚いたようにこちらを見た。

「まさか。なぜそんな誤解を? エステルには帝都時代の知り合いだと紹介しただろう」

 確かに、クレトはロレッタのことを帝都時代の知り合いだと言った。それ以上の意味などなかったのだ。なんだ、と思った。ちゃんとクレトの言葉だけを信じていればよかったのだ。

「わたしって愚かよね……」

 一番信頼している人の言葉よりも、イアンの言うことに惑わされ、一人でやきもきしていた。クレトはゆるぎなくエステルだけを見てくれていたというのに。

「わたしってほら、なんにもできないから。ロレッタさんみたいにお菓子作りがうまいわけでも、クレトの身の回りどころか自分のことさえマリナに手伝ってもらって、何一つクレトのためにできることがないと思ったの。わたし、こんなままで本当にずっとクレトといられるのかしらって不安で不安で仕方なかったの」

「それで、最近ずっと様子がおかしかったんだね」

 クレトはおもむろに手を伸ばすとそっとエステルの髪に触れた。

「私が一度だってそんなことをエステルに望んだことがあるかい?」

「いいえ」

 思い出せる限り、一度もそんなことを求められたことはない。

「私は別に身の回りの世話をしてくれる人が欲しいわけではない。それよりもいつも側にいて一緒に笑ってくれる人が欲しいんだ。私はエステルといると毎日が楽しい。君がそこにいると思うだけで心も軽くなる。こう言うと君はまた自分にはそれ以外に価値はないと誤解するかもしれないけれど、私は君がここにいてくれるだけでいいんだ。他には何も望まない。ただ側にいたいんだ」

 これ以上自分のことを肯定してくれる言葉があるのだろうか。
 エステルはじんわりと胸が温かくなり、髪を梳いていたクレトの手をとると自分の頬に押し当てた。クレトの手は海風を受けてひんやりと冷たく、エステルの火照った頬に心地いい。

「これからは何か不安なことがあるなら、私に話してほしい。エステルはなんとか自分で解決しようと一人で抱え込むだろう? それも必要なことかもしれないけれど、今は私がいるんだ。大いに頼って、甘えてくれればいいんだ。……そのほうが私は嬉しい…」

 最後は照れたようにそっぽを向き、杯を傾けたクレトの横顔が少し赤い。
 クレトも照れることがあるのかとなんだか嬉しくなり、頬に押し当てていたクレトの手をふふっと笑って両手で包み込むと意趣返しとばかりにクレトの顔を近づき、そっと頬に口づけられた。

「エステル、よかったら今夜は私の部屋に来ないか? 君は大変な目に遭ったばかりで何を言っているのかと自分でも思うが、どうしても今夜は一緒にいたい。エステルがここにいることをちゃんと感じていたいんだ」

 思ってもみなかった突然の誘いに、エステルはぎゅっとクレトの手を握りしめ、緊張でコクコクと機械仕掛けのように頷いた。

「……はい」

 消え入りそうに小さな声で答えると、クレトは杯を置き立ち上がり、エステルを抱き上げた。

「えっと、あの……」

 急に視界が高くなり、戸惑ってクレトの顔を見れば、クレトはエステルを抱いたまま歩き出した。
 夜の邸内はしんと静まり返っていた。ついさっきまで明かりが煌々と照らされ慌ただしく人の出入りがあった邸とは全く違っていた。波音が聞こえてきそうなほど静かな廊下に、クレトの足音だけが響く。いつもなら夜中でもそこかしこですれ違う使用人と、不思議と一人も行き会わない。

 クレトは自室の部屋の前で立ち止まると「愛しているよ、エステル」とおでこに軽くキスを落とし、ノブに手をかけた。

「……わたしも…」

 エステルが応えると、クレトは本当に嬉しそうに笑って扉を開いた―――。






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