夜明けの月★

天仕事屋(てしごとや)

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v 09 越流

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 カタン、、、
 薄暗いロッカールームで着ていた白衣を脱いでハンガーにしまう。
 
 携帯の画面を確認するが、着信履歴は無い。
 ロッカーの扉を閉めると、女は鞄を持って部屋を後にした。

 「お疲れ様でした。お先に、、」
 挨拶をすると、
 「、、ちょっと待って!」と同僚の男が引き止めた。
 
 「、、、この間の、埋め合わせをしたい」
 「、、すぐ終わるから、ご飯一緒にどうかな?」

 女は握った携帯を少し見る。

 「、、、うん 、、いいよ。」

 そう言うと、彼女はフッと笑った。


 
 『餌を待っている飼い犬は
  食べちゃダメだよと言われると
  我慢をして待っている
  そのうちに飼い主は
  待てをしたままだということも忘れて
  勝手に好きな物を食べて
  好きな事をする

  その間もずっと犬は
  待ってしまう
  どこにも不満を言うことなく
  ただ 待っている

  結局 彼にとって
  私は 所有物に
  過ぎないのかもしれない』





1999年6月20日  18:23

 剣士が彼女の家に戻って来たのは、空が暮れかけて景色が薄紅色に染まる時刻だった。

 家に着くと、彼女が玄関を開けて出迎えてくれた。
 「何度も、、ほんとに、すみません、」
 申し訳無さそうに目を伏せる彼女の肌は夕焼けで、ピンク色と淡い紅色に染まってなんとも言えない甘美な雰囲気を醸していた。

 剣士はその色に見とれながらも目を逸らすように、「すぐに終わらせてしまいますね。」と言い淀んで眉の端を指でかいた。

 それからは黙々と一人、絵画を荷台へと積み込んでいき、全部積み終わると全体にシートを掛けていつでも出発出来る所まで澄ませると、
 「今日はこれで、、。」と彼女に切り出した。
 
 「ありがとうございます。」と彼女が深々とお辞儀をする。

 「ここに、お名前を。」剣士はボードにとまった紙を差し出した。 
 ほっそりと白い指で彼女がサインをする。
 (羽紫藍衣、、、あいって読むのかな?)


 「急がれますか?」とサインを書き終えた彼女が剣士の顔を伺う。
 「いえ、今日のところは事務所に持ち帰るだけなんで、、、」というと、

 「良かったら、、、お茶でもいかがですか?」
 「え?あ、はい、では。」
 不意の彼女の誘いに、剣士は思いの外、気が緩んでしまっていて咄嗟に返事をしてしまった。
 なんだか、とても丁寧にナンパをされてしまった気分だ。

 本能の隙間に入り込んだ欲望を、払い除けることが出来なかった自分に不甲斐なさを感じつつ、アンティークなリビングのソファに剣士は小さくなって座った。


 外はいつの間にか日が暮れていて、室内は温かな白熱灯中心の灯りで満たされていた。
 運ばれてきたアイスティーを少し飲み込むと、冷えた汗が頬を伝う。
 
 気が付くと彼女が横に座っている。
 少しだけ空いた彼女と空間の感覚に、剣士は胸が急激に高鳴るのを感じていた。




 「汗が、、、。」
 彼女が不意に剣士の首に掛かったタオルの端を取る。

 その瞬間、剣士は反射的にその手首を握った。
 緊張感から来る防御反応なのか、、思わず、握ってしまったのだ。

 彼女は驚いた顔をして、そのままじっと剣士の目を見つめた。
 そして手を握られたまま、その手で彼女は剣士の眉からもみあげ辺りをゆっくりと撫でた。


 剣士の頭の中で、何かが途切れる感覚がした。

 その後はせき止めていた理性が流れ出る様に、その手を握って右手の親指で彼女の唇をなぞると頬を手で包んで、そのまま口吻をした。

 唇を剣士が離すと、白い頬が薄紅く染まって少しだけ潤んだ瞳を細めた彼女が切なげに見つめてくる。

 剣士はもう一度、彼女の柔らかな唇に自分の唇を被せた。
 一度目よりも柔らかくゆっくりと優しく噛むように包んだ。

 長めの口吻の合間に彼女の唇から熱の籠もった吐息が漏れた。それを聴くとまた剣士は彼女の唇が欲しくなり、何度も何度も口吻をした。






 

 

 







 
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