俺に7人の伴侶が出来るまで

太郎月

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魔王編

歯車の軋み22

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突然の横槍。

まさに槍の一突きに似た衝撃。
腰に突っ込んで来たルパにジンは吹っ飛ばされた。声を上げる暇もない。
空中で回転し、床を滑り着地する。その着地点が分かっていたかのように、ルパは更に正面から突っ込んで来た。

大きく開かれた牙。的確に首を狙う軌道。

ジンは短剣を噛ませた。凄まじい顎だ。押す力も凄い。踏ん張っているジンの足が下がる。

「くッ……!」

刃を通してルパの唸りの振動が伝わって来る。
隻眼の目はギラギラと光っていた。瞳孔はぎりぎりまで大きく広がっており、縁の金色が色濃く燃えている。

不気味な光だ。
正気ではない。

凄まじい力で、短剣を引く事も押し返す事も出来ない。
ジンの額に汗が滲んだ。真っ向からの力勝負。思わず口端が緩み、「やるな」と声が漏れた。

それもそうだ。
フェンリルはドラゴンと名を連ねる陸の最強種。

剣気術による硬化も、魔物素材による硬度も、ものともせず刀身にヒビが入った。短剣の刃に傷が入ったのは、ドラゴの雷撃をまともに喰らった時以来だ。

更にこの隙を見逃す訳もなく、ヤマトが詰めて来た。ルパと並ぶ。振り抜かれた手斧が光る。

(そりゃチャンスだもんな。殺すつもりなら、俺でもそうする)

従魔が敵の動きを止め、従属主がトドメを刺す。逆も然り。
短剣を手離して手斧を避けるか、一か八かルパに攻撃を仕掛けてみるか。
だが、こちらは殺さない。どちらも次の瞬間立て直すだろう。

(さてどうするか──って)

一瞬の思考は、見事に無駄になった。

ルパに押された事でジンが下がり、立ち位置がズレたにも関わらずヤマトの手斧の軌道が変わらない事に気付いた。

「……待、!」

驚くジンの目の前で、斧はルパの後頭部に命中した。

鈍い音。目の前で噴き出した血。

衝撃でルパは口を開けた。ヤマトは構わずにもう片方の手斧を振って来た。短剣を押さえていた両手が自由になったので、ヤマトの腕に絡めるように手を差し込む。手斧は耳の真横で止まった。
すぐさま斜め下から斬り上げる。

「少し深いが我慢しろ、すぐ治る」

ジンの呟きと共に、ヤマトの胸当てがバックリと割れ、赤い血が噴き出す。
衝撃によろけたヤマトから距離を取る為に後方へと飛んだ。

シヴァと聖女の『治癒ヒール』の声が響き、目の前でヤマトが眩く発光した。

目の端でルパも光に包まれていた。こちらはヤマトより光が弱い。恐らく、シヴァの力だけだ。
軽く回して短剣を構え直しつつ、魔力を短剣に流し込む。付与されている『自動修復』を早め、ヒビを直す為に。

すぐにヤマトの傷は治った。
しかしルパは苦しんだ。傷は治ったように見えるのに、喉奥から濁った低い唸りを繰り返し、痛みを耐えるかに身を低めている。
その様子にジンは顔を歪めて笑う。

「………息も合ってねぇ、血は黒い、回復魔術で苦しむって、お前の従魔どうなってんだよ」

問い掛けた所でどちらも答えてはくれない。

光が収まるより早く、ヤマトは手に持っていた手斧を落とし、正面の何もない空間を手で撫で上げた。
何かを叩くような指の動き。
そしてパッと現れたロングソードのグリップを素早く握り締めた。

珍しい青い刃は通常のロングソードより長めだ。

構えも気配も変わった。ジンでも馴染み深く感じてしまう、ヤマト本人の空気。しかし涙も怒りも引っ込んではいない。
奥歯を噛み締めた唸るような声が雄叫びに変わる。ヤマトが踏み込んできた。同時にルパを包んでいた光が消え、ルパも飛びかかって来た。

「あーくそ…!」

四つ足と二足からの、上下段で攻めたてられる猛攻。
どちらも刃物如きに怯みはしないし、多少の怪我では脅しにもならない。立ち位置がぐるぐると入れ替わり、ぶつかり合う魔力光が迸る。


(フィル、どこだ)


その最中、ジンはフィルの気配を探った。
繋がった魔力から生きているのは分かっている。居場所もすぐに見つけた。入口側、リィン達を挟んだユリウス達とは逆側の部屋の隅。フィルが追い込んでくれていたのだろう。他の者の邪魔にならないように。
壁や床に夥しい爪痕が残っており、柱の数本は崩れ落ちていた。赤と黒の血痕らしき飛沫もいくつも見えている。
しかしフィル本人の姿は確認出来ない。

(瓦礫の下か?ひっくり返ってんな、これ。はは、お前も殺さず止めるのは苦労するか)

「俺も先生止めるの苦労したもんな」

狩猟ギルドではよく、従魔と従属主は似ると言われることを思い出す。

本来なら傷付けたくない相手だ。
それでも止めなければならない。向かい合わなければならない。

放っておいたら、いなくなってしまうから。
手離したくないなら、同じ覚悟で向き合わなければ。

フィルはずっとルパを気にしていた。
初めて会ったフェンリルのメスにテンションが上がっただけじゃない。

自分よりも気高く、獰猛な勇ましさに憧れていたように感じた。
それはまだ、ささやかな初恋だったのだろうが。

「……大丈夫、お前なら止められるさ。俺の兄弟だからな。まあ、だから───」

ヤマトとルパの攻撃をひたすら弾き返し、避けまくる。短剣の修復が間に合わず、ヒビが広がり細かな破片が落ち始めた。




「早く起きて助けてくれ!1人でこの2頭の相手はなかなかしんどい!」




リィンを狙う所の話ではない。思わぬピンチにジンは笑う。
悪気なくヤマトを魔物側で換算してしまった。
ジンの声が届いたかどうかは分からないが、瓦礫の隙間でフィルの手がピクと跳ねた。
誰の目にも見えない動きだったが、偶々ハンスが声を上げた。

「フィルはあっちにいるっす!先輩、回復してあげられないっすか!?」

ルパがジンに飛び掛かった時から、ハンスは『感知』を広げて位置を探していたのだ。
方角を読み取り、隣に立つシヴァを見ながらフィルの方を指を差す。しかしシヴァは首を横に振った。その顔は青ざめている。

「……治癒魔術は視覚に捉えていないと、発揮出来ないのです」

治癒を終えたシヴァは念の為に光の壁を再び展開した。その指先が震えていて、ハンスは怪訝にシヴァを見た。フィルを治せない事で青ざめている訳ではなさそうだと気付いて。
シヴァの目は、ジンに猛攻しているルパを見詰めていた。

「……先輩、あの黒いフェンリルがどうかしたんすか?」

ハンスの問い掛けにシヴァは眉根を更にぎゅっと寄せた。

「……先程、私の治癒で苦しんだように見えたので…ちょっと動揺しております。攻撃する意図は、なかったのですが…」

「んな事、気にしてる場合じゃ………」

言い掛けて、ハンスは口を閉じた。シヴァはずっと全員の治癒を続けている。敵味方関係なく。フローラを魔力の逆流で吹っ飛ばしたのも、あくまでも盾の結界
と言う鉄壁を崩す為の副作用だった。

誰一人として傷付けるつもりが一切ない。
そう覚悟して、この場に来たのだろう。

その覚悟を咎める事など出来ない。

「まあ……確かにちょっと苦しそうだったすね。アンデット系なら光属性効く奴いそうっすけど、フェンリルが『治癒』で苦しむってのは変すよね……敵に塩送られたのが嫌だった、とか…?」

自分自身『んな訳ないか』と思いつつ、ハンスが言う。何がどうしてなんて、正解は考えてもルパ以外は分からないのだから、何を言っても気休め以上にならない。
しかし、思わぬ助け舟の声が後ろからした。


『そんなコト考える魔物がいるものか。今のヤツにとったら治癒魔術は攻撃と同じだと言うダケの話だ』


少しキーが高くなった聞き慣れない声。ハンスとシヴァが振り向くと、ロキの右手に強めに握り締められている魔王(玉)が、呆れ果てた目をしていた。まあ、目しかないのだが。しかもひとつ。

「先生!もう大丈夫なんすか?」

ハンスは魔王(玉)より、立ち上がったロキに意識が向いた。無視された魔王(玉)が衝撃を受けている。

「ああ、取り敢えず島が落ちる事はないだろう。だが念の為に魔力は温存しておく。あのハイエルフが何を企んでいるのか分からん以上、戦力は残しておいた方が良いだろ」

思った以上に魔力を消費した。ざっとフロアを見渡し、ジンを除いて今自由に動いている戦闘要員はロキとユリウスのみ。しかしユリウスはヴァレリオを引き付けると言う役割に徹しているし、万が一リィンが出張った時、対応出来るだけの力もない。

(何かあれば、俺が守らねば)

ここまで迎えに来てくれた彼らを失う訳にはいかない。覚悟が、魔王(玉)を握る力を無意識に強めた。

『イタイイタイイタイ!!手!!』

魔王(玉)の声にロキとハンス、シヴァの意識も再び魔王(玉)に向いた。力を緩め、手の中を見下ろす。

「そう言えばさっき、治癒が攻撃と同じって言ってたっすね」

「どういう意味でしょうか?」

ハンスとシヴァが尋ねる。ロキは目線をルパへと向けた。黒くごわついた毛は総毛立ち、開いた口から覗く舌も色が悪い。黒い血が滲む涎が滴り落ちる。走るだけで爪の跡が床に残り、激しい殺気が立ち昇るようだった。

只管に獰猛で、只管に悍ましい。

神の牙とも呼ばれ、神獣の二つ名まであるフェンリルの姿とは到底思えない。

『フン、ニンゲン如きでは見抜けんのはシカタない。せいぜいカンガえろ』

先程口(物理的にはないが)を開いた時に無視されたのが悔しく、魔王(玉)は嘲笑するだけで答えようとはしなかった。ハンスとシヴァが「むう…」と小さく唸る中、ルパを見ていたロキの目が鋭く狭まった。

「あれは、『呪い』か」

「呪い?」

ロキの声にハンスが返す。魔王(玉)がギクッとロキを見上げた。

透明度の高い紫の目が光る。
『鑑定眼』を展開しながら、ロキはルパを凝視していた。

「ああ、恐らく『洗脳』ではフェンリルの精神を支配する事が出来なかったのだろう。だから代わりに『呪術』を使った。元々掛けられていたであろう『隷属契約』と二重でな。………術式が複雑過ぎて、細かな内容までは読めん」

「問題ありません!呪いであれば『浄化』で解けます!!」

天啓を得たとばかりにシヴァが叫び、光の壁を解除し、両手を広げた。
『治癒』よりも明るい光の玉がいくつもルパの周りを取り囲む。ルパの体内へと吸収されるように消えていき、そして


────弾かれた。


光の影響か、ルパの身体の至る所から黒い煙が立ち上る。まるで焼かれたような痕をつけて。

「え……ど、どうして」

青ざめ混乱するシヴァの横で、魔王(玉)がキッキッと笑った。

『ニンゲン如きの魔術でハイエルフのノロイを解けるワケがなかろうが。痕跡を残せるだけキサマの力はマシのようだが、半端な光は余計な傷を増やすだけだ。バッぐえ!!!』

罵倒の言葉と察し、最後まで言わせぬようにロキが魔王(玉)を強く握り締めた。キーキー喚く魔王(玉)を無視してロキが続ける。

「この状況を見れば、大方ハイエルフの仕業と予想はつく。だが、……エルフやハイエルフは闇属性は扱えないんじゃないのか。『呪術』は闇属性だろ」

『ハア?ノロイは無属性だ。ケイヤク魔術と同じで、ノロイもニンゲンが編みダした。自然の摂理からハズれた異質なものだから、ハイエルフたちにとって禁忌になった』

「……精神魔法は摂理と?」

ハイエルフとエルフならば当たり前に使える魔法だ。他者の精神に干渉する事が自然の摂理に当て嵌まるとは思えなかったロキは、皮肉るように聞いた。
魔王は、ない鼻を鳴らす。

『ソレは光属性だろう。ハイエルフたちは生まれ持ってツカえる。ツクりだしたモノではない』

「…『洗脳』『凶暴化』は禁忌ではなく、『隷属』『呪術』は禁忌と言う事か。何とも都合の良い武器だな」

『ハイエルフにとったらゼンブ禁忌だ。ニンゲンは愚かだから、ハイエルフたちは導くためにセイシン魔法を使う。それイガイに使ったら、腐る』

「…成程、制約か。腐る?何がだ?」

『あのハイエルフの肌を見ろ。青黒い。あれは『枯れ腐れ』というジョウタイだ。禁忌を犯し、精霊界に帰れなくなったヤツがなる。そのうちヒビが入って、割れて死ぬ』

自然とロキ、ハンス、シヴァの目がリィンに向けられた。確かにリィンの肌は奇妙な色だ。だが今欲しいのは打開策。彼の事情などに気を使う余裕はない。
リィンへ向けていた視線を、魔王(玉)へと戻し、ロキは会話を続けた。

「…………それで、ハイエルフが掛けた禁忌の『呪い』はどうやったら解ける?」

『ハイエルフが解ける』

「そんな事は分かっている。だが実現不可能だから他の方法がないかと聞いているんだ。真面目に答えろ」

ぶっきらぼうな物言いから魔王(玉)が真剣に答えていない事がロキには伝わった。ギチギチと握り締められ、手の中で細長くなる魔王(玉)が『ギィエーーー』と苦しげな叫び声を上げる。
ハンスとシヴァが焦り、「まあまあ!」と宥めるとロキは力を抜いた。魔王(玉)は楕円に戻りつつ、ぐねぐねと身を震わせる。

『ハイエルフなみの魔力の濃さをもってる光属性者なら解ける!!答えたぞ!ドウダ!?ジツゲン可能か!?』

キェーキッキッ!と笑う魔王(玉)

ロキが眉を深く寄せると、再び強く握り込まれると思ったのか一つ目をギュッと閉ざした。しかし、ロキは何もしない。

魔王(玉)が真面目に答えたからだ。内容も事実だろう。
であれば、シヴァの『浄化』が効かなかった今、この場で解呪出来る者は居ない。

ロキの目がルパ、リィンへと移る。

「………ハイエルフは割れて死ぬんだな?残り時間は読めるか?」

『チカラを使えば使うだけみじかくなる。ヤツはそう長くない。何をしてキタかはわからんが、禁忌に禁忌を重ねてきたコトだけはたしかだ』

「せ、先生、タイムオーバー狙う感じっすか?でもそれ……」

ロキの意図を察したハンスが困惑する。
長くないとは言え、いつまで掛かるか分からない。あまりにも運任せな狙いだ。

キッキッと魔王(玉)が笑う。

『マア、ソレも悪くない。だが術者がシんでもノコる場合もある。せいぜいオイノリするんだな、ハイエルフのイノチとノロイが共に消えるコトを』

「………そ、そんな…!」

シヴァが悲愴な声を出す。ルパは涎を止めどなく垂れ流しながら、執拗にジンに食ってかかっている。

何にしてもルパは止めなければ、ジンの手が空くことはない。ヤマトもルパも、ジン以外では瞬殺される恐れがある。

「……なんか、変じゃないっすか?呪われた本人が苦しむのは分かるんすけど、それで他の人を襲うって、どういう呪いなんすか?」

突破口を探ろうと思考を巡らせていたハンスの言葉に、ロキはルパを見詰めたまま答えた。



「空腹だ。あの呪いは、『無限の飢え』をフェンリルに与えている」



ジンを噛み殺そうとするだけで、魔力による攻撃が殆どないのも、飢餓感により魔力が著しく低下しているからだろう。知能も下がっている筈だ。

『魔物はキョクドの空腹にオチイると狂暴化する。『隷属契約』でターゲットだけ指示すれば、後はカッテに獲物を喰い殺す。そうやってアヤツっているな』

魔王(玉)の補足に3人の胸が重くなる。リィンの行いの非道さにムカムカする。

ロキが舌打ちをした。宙に浮いたリィンの真下の床に、黒い円形の影が広がる。間髪入れずに影から無数の黒い槍が飛び出す。

槍は盾の結界に阻まれ、ひとつも届く事はなかった。

リィンは見もしない。ずっと正面を見据え、見えない何かを見詰めているだけだ。

「………矢張り、あの結界をどうにかしない限り、奴には触れも出来ないか」

再びロキは舌打ちした。

「……先生殺す気満々っすね」とハンスが引いている。誰も死なずに───が目標であるが、ロキの気持ちも分かるので、ハンスもそれ以上は何も言わなかった。
黙ったハンスと変わるようにシヴァが口を開く。

「ですが、もし術者が亡くなっても呪いが解けなかったら、状況は変わりませんよ…」

「分かっている。それでも我慢ならなかっただけだ」

ロキの冷淡でありながら、怒りの潜む声にシヴァも押し黙る。



その時、バキンッ!!と金属が割れる音が響いた。離していた目線をジンへと戻す。

ヤマトの剣が、ジンの胸を貫く瞬間だった。

衝撃でジンは後ろに吹っ飛び、柱に激突する。床を滑る砕けた短剣の上に、赤い血が散った。
胸を押さえ、ジンは柱を背に立っている。呼吸の度に、指の隙間から血が噴きだす。

「天使ッ!」
「はい!すぐ…」

ロキの掛け声にすぐさま反応し、光の壁を解除するシヴァ。治癒の態勢を取った目の前に、バネのように飛び出してきたルパが現れた。

悲鳴など上げる暇もなかった。涎が滴る太い牙の煌めき。誰もが息を飲んだ。



────ドッ!!!!



ぶつかるような音。しかし牙も爪も、誰にも届かなかった。反射で目を瞑っていたシヴァとハンスが瞼を開くと、ジンがルパを背後から抱くように羽交い締めにしていた。力んだ瞬間、ジンは咳き込む。血を吐いた。

「ヴ―――!!ガルルルルル!!」

「ハ、ハア゛…ッ!俺の事は良いから!自分達の身を守る事だけ考え…ッ!!」

ルパは乱暴に全身を振り、ジンを叩きつけるかに床に激しく転がった。それでも離さないジンに暴れ回る。立とうとする度、今度はジンがルパを引っ張り転がした。

赤い血が至る所に散った。
「ぐうっ!!!」とジンの苦しそうな声が上がる。
ルパも荒い呼吸で唸り続けた。

突き飛ばされていたヤマトが立ち上がり、もつれ合うジンとルパ目掛けて駆け出す。

今のヤマトであれば、ルパごとジンを斬り殺してもおかしくはない。

飛び出そうとするハンスとシヴァをロキが掴んで止めた。手から離れた魔王(玉)が地面をバウンドして転がる。
魔王(玉)の低い目線からヤマトの足が見えた。斜め下に下ろされた切っ先、刃の青が冷たく光る。

間合いに踏み込む直前、ヤマトの足元の床が破裂した。小さな破裂だ。しかし重なるように何度も起こり、砂煙を巻き上げた。

その風圧に巻き込まれて、魔王(玉)は再びロキ達の足元に転がり戻る。止まらない回転に目を回していたが、唐突にガッと止められた。
シヴァの後ろに控えていたカエルムだ。再び脚で掴まれたが、魔王(玉)は文句ではなく、安堵の溜息が出た。

再び破裂音がヤマトの足元で鳴る。

ヤマトは止まり、下がる。目線だけが横へと滑る。

破裂音の前に風を切る音。その音を無意識に追いかけ、出所を見抜く。

ヤマトの視線が捉えたのは、片膝を床について弓を構えたイルラだ。
口に一本、通常の矢を咥え、手元では見えない風の矢を練り上げ、弓で射る。
矢は着弾と共に風属性魔術が展開し、小さな風圧を巻き起こす。

青い剣を振り上げ、数本の風の矢が空中で散った。スッと腰を落としたヤマト。イルラは口に咥えていた矢をつがえた。

ジンとの戦いをずっと見ていた。ヤマトはスピードもある。更に近付かれたら力でも押し負ける。

(───踏み出される前に、射つ)

鋭く飛んだ矢。斬り落とそうとするヤマトの剣。矢は切っ先の手前で緩やかな弧を描き落ちた。

床にやじりがカチリと当たった瞬間、緑の紋章が広がった。紋章より芽吹いた何本もの蔓が、ヤマトの四肢を絡め取る。
その動きはまるで蛇。細くも強固な若々しい緑の蔓で、ヤマトはあっという間に拘束された。

「ぎゃー!ナイスイルラッ!!」

ハンスの歓喜の声が響く。しかしイルラの顔には依然として緊張感が漂っている。
木属性の魔術を封じた魔力結晶を鏃にした、虎の子の一本。だが、

「長くは持たない!早くフェンリルをどうにか…」

イルラの声はジンに向けられていた。ブツンッと嫌な音が響く。ヤマトが力だけで無理やり蔓を千切った音だ。ブツン、ブツンと音は続く。

小柄な身には不似合いな程の筋力。イルラの頬に汗が伝う。いざとなれば応戦するつもりだが、勝てる気はしていない。いくら殺さないと言う誓約の上とは言え、ジンが苦戦している相手だ。

いっそルパと対峙した方が良いだろうか。人間よりは魔物との戦いの方が向いている。イルラの頭にそんな考えが過る。しかしフェンリルはSSランクの魔物。もし暴れれば天災扱いになる。
こちらも、勝算がある訳ではない。

その事を、力の差を、まるで見せつけるように、ついにルパがジンを振り解いた。

「……ゔッ!!」

床に落とされ、胸元の血が噴き出し、ジンが呻く。一瞬の悶え。すぐに息を飲み込み、起き上がろうとするジンの腹に、ドッとルパの足が乗る。

「ハア……腹減ってんだもんな。そりゃ手負いの獲物は格好のご馳走だ」

血が流れ落ちる口端を吊り上げた。心臓は避けたが、確実に肺には穴が開いている。
だが死にさえしなければ問題ない。

ジンは腹を押さえ込むルパの前肢を掴む。

「でも気を付けろよ、手負いの獣は手強いぞ」

睨み合うルパとジン。

その光景を見守っていたシヴァが、ジンに向けて手を向けたが、ロキが遮った。

「今刺激すると、一気に襲い掛かるぞ」

「で、ですが……!」

「………あのフェンリル、何か考えているようだ」

ロキの言葉にシヴァもルパを見た。
あれほど攻撃的だったルパは、ジンを睨み付けたまま、鼻先を寄せて匂いを嗅ぐだけだ。
涎だけは先程よりも量が多く、ボタボタと滂沱の如く落ちる。

「ジン、そのまま聞いてくれ」

囁くようにロキが呟く。
ルパから目を離さず、何のアクションも起こさないが、ジンの耳はロキの声を拾っている。

ロキはジンが聞いていると信じて続けた。




「フェンリルを止めたいなら、もう、殺すしかない」




頭に薄らと過っていた現実を、ついにロキが言語化した。
全員生存の目標には、当たり前に従魔達の命も含まれていた。
魂だけのエゴイラは解放してやる事が救いになるだろうが、ルパはまだ生きている。明確な殺傷になる。

「黒いフェンリルは……」

先程よりも力なくロキが呟く。

「珍しいのにな」

その一声に、殺したくないのだと言う気持ちが溢れ出ていた。




「大丈夫だって」




重い沈黙を軽やかに攫っていく声。

「言ってるだろ、手負いの獣は手強いんだよ。そうだよな────」

ジンだ。
赤い目には諦めも達観もない。

軽やかな足音が近付いてくる。
風のように、一筋の光が駆け抜けた。
ルパが気付いて顔を上げた時には、真横に光は届いた。

陽を照り返す雪のように輝く白い毛。夜を照らす明るい月光を思わせる瞳。




「フィル」



ルパは光から逃げるようにジンの上から飛び退いた。
守るように跨ぐフィルを見上げ、ジンは笑う。

「なんか、眩しくね?」

と。

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