俺に7人の伴侶が出来るまで

太郎月

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学園編 2年目

男爵家男孫の学園生活18

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始業式から数日が経ち、嘘と本当が入り混じる噂話は殆ど一人歩きして学園内を駆け回っていた。

貴族で冒険者と言う状況がどれほど異常なのかを思い知る。

ゴシップ好きの偏見者達はこぞってジン・ウォーリアを見に来た。学科、学年関係なく。
相変わらずフェロモンも魔力も極限まで抑えているから、影が薄く印象には残っていかないようだが、始業式の日のパフォーマンス(他に何と言えば良いのか分からない)と課外授業の話は影響が強いらしく、印象操作も上手くいっていないように感じる。

(まあ、まだ1週間も経ってない。その内収まるだろ)

しかし人の好奇の視線が愉快なものな訳がなく、テオドールやイルラが先立って断りに行ったり、ハンスが壁になろうとしてくれたりするのを見ると心が痛んだ。

.
.
.


「あれ、ハンス。ウォーリアは?」

「授業後は見てないっす」

「また?最近ずっと居なくねぇ?」

「そうっすねぇ…」

クラスメイトと少し会話を続け、ハンスは定位置である奥の席に戻った。窓側の椅子は既に引かれていて、後ろにフィルが床に顎をつけて寝ている。
ハンスも椅子をガタリと鳴らして座る。誰もいない隣へと身を寄せた。

「ジン、居るっすか?」

「俺はこっち」

「あれ!?」

ジンは逆側の通路から声を掛けた。ハンスは振り返る。

「椅子引いてるから座ってるかと思ったっす」

「椅子は引いてないと好きな時に座れなくなるから、常に引いてんの」

「そうだったんすね。…やっぱどこに居るか分かんねぇし、ちょっとつまんねぇっす」

ハンスは突っ伏しながら口を少し尖らせた。
物凄く可愛くて机の高さにしゃがみ込む。
しかしハンスには見えていない。と言うか、誰の目にもジンの姿は見えていない。

苦肉の策として、ドラゴの隠密で授業中以外は姿を隠している。結局、去年のドラゴン騒動の時と似たような手段を使っていた。

(やっぱ『目につかない』が1番楽な解決方法だからな)

何かと声を掛けられている友人達も、堂々と知らないと言える方が波風が立たないだろうと。

けれどハンスは気配だけでは少し寂しそうだった。
それが可愛くて嬉しい。

頬杖をついて何か考え込むハンスを、しゃがんだまま机に両腕を置いて眺めた。頬肉が手に押されてぶにっとなってる所が可愛い。触りたい。

欲望のままに手を伸ばしたが、先にハンスが「あっ」と顔をした。

同時にドスッと脇腹に衝動を感じた。

「うわ、ごめん!」

テオドールだ。別の選択授業から帰って来た所だったのだろう。完全に気が抜けていたので気配を察せなかった。ハンスの頬に夢中になってたせいが9割理由だろうが。

テオドールはハンスとジンの隣席を定位置にしていた。単に自分の席に戻ろうとして、見えないジンに膝を打ち込んだのだろう。全然痛くもなく、問題はない。ジンは誰の目にも入らぬまま立ち上がる。

「大丈夫。通路塞いでごめん」

「いや、もう少し端を歩けば良かったな。ほんとごめん。痛くなかったか?大丈夫?」

虚空からする声に振り向くクラスメイトが見えた。
ジンはテオドールの手を徐に掴む。ビクッと身体を跳ねさせるテオドールの手を、そのまま自分の頬へと触れさせ「大丈夫だ」と意味を込めて頷いた。

テオドールはジッとそこにあるだろうジンの顔を見詰めていた。側から見たら宙に手を添えている謎の姿勢なのだけど。

「……これ、顔?」

「え?うん、顔」

ジンが手を離してもテオドールは頬から手を離さない。寧ろ、ぺたり、と触り直す。

「見えないのに触れるって変な感じ…」

そのままペタペタと手が下へと降りて行く。その様子を見ていたハンスがうずうずして、椅子から跳ねるように立ち上がった。

「俺も俺も」

「良いけど……」

返事の前に既に触っている。好き勝手に触る2人は大胆かつ無遠慮だ。

「腕すごーかてぇー」
「ここ柔らか……かったい!え!?」
「力入れたっすか?腹どこ」
「この辺?うわ、かた…」
「筋肉が分かるっすね!あはは!」

望み通りに力を込めたり、抜いたりしてやると、2人は楽しげに虚空を撫で回す。

「…何やってるんだ」

教室の後ろのドアから入って来たイルラが、何もない空間と戯れている2人に声を掛けた。

「あ、イルラ。ここ、ここ触ってみ」

テオドールが手招くとイルラは寄って来て、言われるまま、指し示された場所へ手を伸ばす。

「ジンだろ……ん?ここはなんだ?」

抵抗なくペタペタと触り出すイルラ。

「イルラさん、そこはちょっと」

ジンの声にイルラはバッと手を離した。魔力感知能力が高く、ジンの存在自体は認識出来ても身体の細かい場所までは分からないらしい。

「え、なん…オレはどこを触ったんだ…」

「えっ!?普通に腹だと思ってたんだけど…」

誘導したテオドールが焦り始める。

「普通に腹だったよ」

ジンの声にイルラとテオドールが同時に軽く叩いて来た。ハンスは隣で笑っている。

「あんま触られると反応しちゃうからさ。お前らだってそうだろ」

「反応って…ちょっと触ってるだけじゃねぇっすか」
悪びれないハンス。

「反応?なんの……あ」
初心を覗かせた後に顔を赤らめたテオドール。

「……」
無言でやり過ごそうとするイルラ。

それぞれ何も言わない虚無の時間が過ぎる。

「えいっ」

ハンスがまたペタペタと触り出した。内心「ええ…」と思っていたが、悪戯っ子のような顔が可愛いので許してしまう。それを見ていた2人もペタペタと触り出してきた。

「……」

ジンが困り果てているのに気付いているのか、3人は嬉々として容赦なく(でも場所は選んで)触りまくる。

側から見たら輪になって虚空に何かあるようにパントマイムする3人なのだが、今は周りが見えてないようだ。イルラまでそうなってるのは珍しい。

因みにドラゴは後頭部に張り付いたまま器用に寝ている。ジンの動きが鈍いのもドラゴの為だ。

ぼんやりとしていたが、ふと正面のテオドールを見た。いつもなら絶対にこんなに触ってこないのに、見えない事で羞恥がないのだろう。筋肉が触りやすい胸筋をかなり強めに鷲掴んで来た。

「…」

ジンは顔をテオドールの方へと寄せると、手を通じて動きは分かるらしく全員手を浮かした。
更に近付いてふっとテオドールの片耳へ息を吹き掛ける。

「ぅわッッッ!!!」

テオドールが大声を上げて後ろに飛び退き、頬を赤くして片耳を押さえた。散っていたクラスメイト達の視線をモロに浴びて、更に首まで真っ赤になる。

ハンスとイルラがそこに居るであろうジンを見上げた。

「え?何したんすか?」

「……っ!!」

問いかけるハンスの横でイルラもビクッと身体を跳ねさせた。頬にちゅうしてやった。
唇が触れた頬を押さえて、虚空を睨みつけると踵を返して自分の席であるジン達の前の席へと戻ってしまう。テオドールも後を追うように自分の席へと戻る。
置いていかれる形になったハンスがきょろきょろと見渡す。もうジンの位置も分からない。

「え?…え??ジ…ん??!!」

ふにっと唇に何かが当たった。音も何もない、ただ当たっただけだったが、ハンスはその柔らかい弾力に覚えがある。
ボッと顔を真っ赤にした。

まだ数人のクラスメイト達が見ている前で、触れ合ったのは唇だ。

「…ひっ……」

まるでしゃっくりでも出そうな声を出して、ハンスはそろそろと席に戻っていった。

「ほら、お前らも反応するだろ」

背中に向かって言うが、言い返して来るどころか振り返りもしない。3人とも赤い顔をなんとか隠そうとしている。

(可愛い…)

しみじみと照れた後ろ姿を楽しんでいたら、唐突に、そして乱暴に、教室のドアが開けられた。
音に一斉に視線がドアへと向く。

軽くはない両開きのドアを開けて入って来たのは、剣術教師のゼルだ。その後ろにはロキが額を押さえて立っていた。

「ジン・ウォーリア!私と勝負しろ!」

嫌な予感がずっしりと背中に圧し掛かる。

.
.
.

「ゼルが勝ったら、暫く時間を奴にやる事になる」

場所は実習塔の第二修練場。1学年の時の剣術授業以来に訪れたので、懐かしさでも感じるかと思ったが何も感じなかった。
それよりも意外とギャラリーがいる事に目が向く。修練場はそこそこ広いのだが、壁に沿って人の波が続いている。

準備と称してゼルとジンは離れた場所で待機している。
隣に居たロキが溜息まじりに事の顛末を話してくれた。

要はゼルがロキへジンの事でイチャモンを付け、売り言葉に買い言葉で先の約束が成されてしまったようだ。

『時間』と伏せているが、性行為を求められているのだろう。

ジンは近くに立てられた巻藁に制服の上着を引っ掛ける。着替えるのも面倒なので、制服のままやるつもりだ。

「時間をやるの、嫌なんだ?」

顔を向けずに問い掛けるジンへ、ロキが目だけを向けた。お互い交差するように横顔を向けている。

「……答えねばならん質問か」

「答え次第で俺のやる気が変わるからね」

「……どう言う」

ジンはシャツの袖を捲り上げる。左手首には、約束だからと改めて学園長の魔力を込めて貰った白い組紐の腕輪がある。

「もうあいつじゃ満足出来ない?あいつとヤるくらいなら、俺と時間を使いたい?」

「………それは伝わる冗談として言ってるのか?」

「どっちでも良いよ。結果は変わらないから、先生がそう思いたい方で」

「…………」

ネクタイも外し上着へと掛けた。
ロキは黙り込み、虚空を睨み付けている。

「ジン・ウォーリア!武器の短剣は持って来たか!!」

対角線上からゼルが叫んだ。
ジンは足元に置いていた腰鞄マジックバッグを引っ張り上げ、中からスルリと黒い短剣を引き抜いた。
鞘は着けていないが、第二王子に貰った短剣だ。

それを見たゼルはよしよしと言いたげに頷いた。その目には嘲笑が混じっている。

「本当に短剣を持って来るとは。冒険者とは思えんな」

その嘲笑のまま、近くの生徒へ話し掛ける声が聞こえて来る。生徒はチラリとジンを見るが、ジンの目は別の場所を見ていた。通常、聞こえるはずのない距離だから、生徒も口を歪めて言葉を返した。

「第二王子殿下に貰ったから使いたくて仕方ないんでしょう。短剣なんて、実戦ではあまり役に立たないのに」

「短剣は女子供でも扱える初心者向けだからな。冒険者なんて登録さえしておけば名乗れる。名乗るメリットなどないから名乗らないだけだ」

「ですが、課外授業では相当強かったと…参加者は言ってますよ」

違う生徒が声を掛ける。

「よく聞けば、魔術でギリギリ勝ったと言う事が分かるだろ。おまけにロキ先生の助力もあっての事とか。生徒に花を持たせてやるなんて、ロキ先生も何を考えているんだか。調子に乗るだけだろう」

「…本当にそうなんですか?」

「そうだろう。参加していたシュバリエはこの事に対して何も言わんそうじゃないか。呆れて物も言えないのだろう」

「ギルバートは嘘を言えませんし、元々ジン・ウォーリアの事を敵視していたのは騎士科では有名です。それでも情けとして、強いと信じたい彼の為に噂の訂正をせずにいるのでしょう」

「清い男だな、シュバリエは」

ゼルの近場の生徒達もそれぞれ意見が違うようだ。
フンと鼻を鳴らすゼルは腰のベルトへ長剣ロングソードを差し込み、中央へと歩き出した。合わせてジンも右手に短剣をぶら下げて足を踏み出した。

「…時間は有意義に使いたい。ジン」

小声で囁くような声。
肩越しに振り返ると、ロキの紫の瞳が強い眼光と信頼を乗せてジンを見詰めていた。



「勝ってこい」



無意識に口角が上がり目を細めた。その笑顔を返事とし、ロキも薄く微笑む。

前を向き直し、ゼルと視線を交差させた。
中央には騎士科の別教員が立っており、どうやら審判のような役目を担っているらしい。

こんな試合形式は剣術授業以来だ。

ゼルは騎士らしく姿勢の良い一礼を見せる。ジンも合わせて頭を下げた。それは貴族らしい品のある礼で、滲み出る身分の差。意識した事ではなかったが、ゼルにはそれが少し鼻についたようだ。

審判役が一歩後ろに下がる。ゼルは腰の剣に手を掛ける。

「どれ、お手並み拝見といこう。遠慮せずに来てくれ、冒険者とやらの力を見せて欲しいからな」

「俺からは動きませんので貴方からどうぞ」

まるで譲り合うような言葉の応酬だが、互いの間にそんな優しさは微塵もない。
バチバチと敵意を投げて来るゼルに、まるで影のように静かに佇むジンは、誰の目から見ても対照的だった。

スルリとゼルの剣が抜かれ、窓から入る夕日を弾く。

「……始めッ!」

審判の声が掛かるが、2人は一歩も動かない。
そこには激しい心理戦が……などと言う事もなく、ジンはただぶらりと短剣をぶら下げたまま、待っていた。
ゼルは構えもしないジンにどんどん苛立って来るが、そこは騎士道を通ってきた男だ。呼吸に合わせて集中し冷静さを失わない。

見学者達の方が、この奇妙な状況に戸惑い、息を呑む。

「ーーーハアッッ!!!」

掛け声と共に踏み出したゼルの剣先が横殴りに走る。

ーーーギインッ‼︎

白い火花と共に金属音が鳴り響く。ゼルの素早い切っ先をジンは予備動作もなく払った。グリップを強く握り直し、今度は斜め上空から袈裟切りを狙う。同じ音を立て、再び払われた剣身。

涼やかでどこか上の空にすら見えるジンの赤褐色の瞳が、弾かれた白刃から覗き、ゼルは腹底から湧き上がる怒りに全身を震わせた。

(ナメやがって!!)

軸足を入れ替え、握りを変え、ゼルの猛攻が始まった。
風を斬る音が変わり、観衆の目には白い残光だけしか見えなくなった。

キィン!ギンッ!キィン!!

そんな猛攻を一歩も動く事もなく、体勢を変えることもなく、片手だけで打ち返すジンの手は、不思議と観衆の目にはよく見えた。
黒い刃が描く緩やかな動きは、まるで短剣が躍るようですらある。それがとんでもない緩急の差によるものと気付ける者は少ない。

素早く返す瞬間は誰の目にもとまらない。

「シッ!!」

ゼルは決して弱くない。猛攻もただ乱暴に振り回しているわけでもない。だが当たらない。

これではまるで打ち込み稽古だ!

全身が熱くなり、ゼルはぶわっと汗が噴き出した。足を引き、一旦体制を整える事も過るが、過る度に、一歩でも引いた瞬間にジンの短剣が己を刺す映像が浮かんだ。引いたら負ける。それは確信に近い想像だった。

ジンは汗ひとつかかず、まるで誘うような剣捌きを見せていた。

(ちくしょう!ちくしょう!!こんなガキに!!ふざけるな!!何が冒険者だ!たかだか数年、剣を握っただけのガキのくせに!!この私が、こんな大勢の前で、負けるわけには…!!)

性格に難ありと騎士団で散々揉め事を起こして解雇されたが、ゼルの実力は本物だった。見た目も悪くはなく、男女共にモテるし、慕う生徒もいる。本命の美人で頭の良いタイプには中々ウケが悪いのだが、それでもいつだって絶対的な自信を持っていた。

その自信が根底から揺らぎ掛けている。

「カアッ!!!」

強く打ち込み、同等の力で弾き返された。グリップから片手が離れ、背後まで跳ねた剣先は、ジンの目から見たら死角。ゼルは歯を食いしばった。

「ふんッッ!!」

戻って来た剣先には魔力が籠められている。風属性魔術の剣気術。渦を巻くような風は目には見えないが、ロキを始め魔力感知能力が高い者には伝わった。
速度増加に範囲拡大、そしてインパクトの瞬間に何らかの風魔術が展開するのだろう。

「死ねッッ!!!」

白い刀身が光の速さで真上からジンへと振り下ろされた。ゼルの恫喝が響く。

ーーーカキンッ‼︎

今までで一番軽い音がした。振り切る前に、ゼルの握る長剣はグリップの根本近くからスッパリと無くなっていた。ジンは顔色を変えず、先程と同じように短剣を振るっただけのように見えた。剣の先は風属性魔術の影響でくるくると天高く舞い上がり、高い天井を掠めたが誰も気付かない。
ゼルは思いっきり振り下ろした行き場のない力の慣性で前のめりになった、まるでジンへ自ら首を捧げるような体勢に。

(殺される)

息を呑むほどの絶望を感じたゼルだが、殺されることはなく、ただそのまま体勢を崩して前方へと転んだ。ジンが横へと避けたからだ。ゼルは地面にうつ伏せになり、状況が呑み込めずにただ唖然とした。

静寂が辺りを包み込んだその時、ゼルの顔の真横にザンッ‼︎と長剣の先が突き刺さった。

「ヒッ!!!」

驚いて飛びのいたゼルが、それが自分の長剣の成れの果てだと気付くのに時間は掛からなかった。断面がまるで鏡のように平らな刀身。衝撃で折れたでも、折られたのでもない。

その断面が、斬られたのだと物語る。

見上げるとジンは短剣を持ち上げ、ブレイドへ光をなぞらせて眺めていた。その目が切っ先から審判へと流れる。目が合った瞬間、審判は反射で左手を上げた。

「勝者、ジン・ウォーリア卿!」

思わず敬称までつけてしまった審判。
ジンは勝利を噛み締めるでも、酔いしれるでもなく、ただ小さく頷いた。

「ま、待て!!」

ゼルが縋るように立ち上がった。

「待つのは良いですが…剣を変えますか?それとも、殴り合いでもします?」

短剣をぶらりとぶら下げ首を傾いだ。「何でも良いですよ」と言いたげなジンにゼルは言葉を失う。引き留める声を上げたものの、勝敗はすでに決している。審判が「ゼル先生」と名を呼び、首を左右へと緩やかに振った。
これ以上は騎士道に反しているのだろう。

ゼルは手に握ったままの長剣だったものを見下ろした。ずっと愛用していた剣だった。当たり前に『強化系』の剣気術は展開していた。なのに、こんなにもスッパリと斬られるものなのか。あの短剣が上級品だとしても、強化されている剣を斬るなど容易くない。
ジンへと視線を戻すと、平然としたいつものやる気のない顔がある。だが無感情にも見える顔に、ゼルは薄ら寒いものさえ感じて、目を逸らした。戦意は完全に失せた。

向かい合うように並び直し、再び礼をし合う。踵を返して離れようとした時、ジンは振り返った。

「あ、先生、流石に『死ね』はひどいと思うんで生徒には言わない方が良いと思いますよ」

それは全員が思っていた。

ゼルは一気に10歳は老けた顔をして「ああ…うん、すまん…」と抜け殻のように答えただけだ。
なんだろうか、剣と共にプライドまで折ってしまったか。ジンはとぼとぼと帰っていく背中を見送る。

「ジン」

呼ばれて顔を戻すと、ロキと、見学に来ていたハンスにイルラ、テオドールのいつもの面子がそこに居た。テオドールはやや興奮気味で誰よりも早く駆け寄ってきた。

「すげぇ!やっぱ強いんだな!剣気術されてる剣を折るってどうやったんだ」

赤らんだ頬にきらきらした黒目が可愛い。テオドールを伴い、3人の元へと戻る。チラリとロキを見ると鼻を鳴らして目を細めてくれた。どうやら満足いく結果を見せられたらしい。

「さっきのはそんな難しい事してねぇよ。俺も剣気術使っただけだから」

足元の腰鞄マジックバッグを取ろうと手を伸ばすと、スッと先にイルラが取ってくれた。「ありがと」と礼を言って受け取り、短剣を仕舞い込む。

「え?使ってた?俺、分かんなかったんだけど」

「……当たる瞬間だけだろ」

テオドールの問いかけにイルラが答えた。

「最後、剣を当てる瞬間にだけ剣気術を展開したんじゃないか…あの一瞬だけ、強い魔力を感じたから」

「そう、正解」

「……何が『難しい事してねぇ』っすか。それって普通にするより難しいんじゃ…」

巻藁に掛けていたネクタイと上着を渡してくれながら、ハンスの目は懐疑的だった。

「…いや、まあ、ほら。俺は普段相手するのが人間じゃねぇからさ、不測の事態に合わせてんだよ。魔力は温存しておきたいし、剣気術の魔力を感知する魔物もいるから、展開する魔術はなるべく少なくしてて。慣れると、簡単……って言うと語弊がある?」

「…『空間収納』を使わないのも同じ理由か?まさか知らないって訳じゃないよな?」

ロキが話に加わって来た。観衆達も緊張が解けたのか、各々で話し出して騒めきが修練場に溢れていく。

「マジックバッグの空間版だろ。知ってるし、使ってるよ」

「……でも、武器はそのバッグに入れてるだろ」

顎で示されたのは手にぶら下がる腰鞄マジックバッグ。軽く持ち上げて、「ああ」と呟いた。

「すぐ出し入れする物はこっちに入れてる。『空間収納』は魔力経路に異常が出ると展開出来なくなる可能性があるから。ほら、『威嚇』とかで」

「…成程、有り得るな」

「出し入れの度に魔力消費するから節約してるのはさっきと同じだな。中の状態をより良くすると便利になる分、一回量が増えていくし。今はあんまり使わない大型の武器とかを収納してる。だからあんまり出番ないんだ」

「……オマエって、ホントに冒険者なんだな」

イルラが感心したように呟いた。

「そうだよ。参考にしてくれ、未来の南部ハンター様。でも1番良いのは、自分にとっての最適解を見つける事だから。俺が言ってる事が絶対じゃないって事も忘れないで」

「分かっている。でも、村の男達よりもオマエの方が強い気がする。…いろいろと、オマエに教わりたい」

小柄なイルラへ目を合わせるように顔を覗き込むと、しっかりと頷く首に合わせて夕日の色の瞳も伏せられた。深い頷きの後、真摯な眼光で見詰め返される。こんな風に頼りにされたら断れる訳がない。

「良いよ」

答えた瞬間、ガンッ!ともゴンッ!とも形容しがたい音がした。ジンの頭から。
近付いて来る人影には全員が気付いていたが、言っていいものか分からず黙っていた。そもそもジン自体が気付いていないとは思えなかったからだ。

「今のはちょっと痛かったな」

音の割に平然とジンは頭の上にある木刀を触った。木刀はすぐに手から離れ、振り下ろした人物の腰へと戻る。振り返ったジンの目に飛び込むのは、いつも以上に怒りを露わにしたギルバートだ。

「なぜ避けない!!」

怒鳴りつける声にある筈のない風圧さえ感じる。驚いた4人は目を丸くし、ジンへと視線を向けた。

「なぜって、……習慣?」

ギルバートからの攻撃は受けると決めてしまったからか、身体が無意識に避けると言う選択を無視していた。
ジンのふざけたような(そんなつもりはない)返答に、ギルバートは更に眉を寄せ、顔を紅潮させて怒りを募らせた。ギルバートの様子に気付いた騎士科の生徒たちが、数人駆け寄ってくる。課外授業で見た顔ばかりだ。

「ギル!どうしたんだ!」
「やめろギル」
「なんで喧嘩売るんだよ!」

腕や肩を掴み、騎士科の生徒はギルバートを後ろに下げようとする。しかし踏ん張るように動かないギルバートにジンは向かい合った。

「本気じゃなかったのがムカついてるんだろ。でも分かってくれよ、俺は…… 「今年の剣術大会に出ろ」

木刀の切っ先を突き付けられ、更に言葉を遮られる。怒りっぽくはあったが、それでも礼儀や騎士らしい振舞いを色濃く残していたギルバートの態度とは思えない。騎士科の生徒も、テオドールも、顔を青くしている。

「…出ても 「出て俺と戦え」

「予選で負け 「負けるな、必ず戦え」

「…あのな、 「良いな」

何も聞いてくれない。ジンは心なしかしょんぼりした気持ちになりながら、口を閉ざした。何が彼の逆鱗に触れたのか分からないが、何を言っても無駄なのは分かる。ここまで話が通じない奴ではなかったのに。

ジンが黙るとギルバートは少しだけ肩を下したように見えた。

「…忘れるなよ、絶対に出ろ。そして俺と戦え」

木刀を納め、騎士科の生徒達の手を振り払うように踵を返したギルバート。その背中へ

「いやです」

と答えたものだから、ギルバートが激昂して勢いよく振り返った。

「じゃあ、俺も先に戻るわ。クラブとか勉強とか仕事とかあるだろ。頑張って」

4人へと笑顔で声を掛けてから、ジンはさっさと走り出した。その後ろをギルバートが追いかけ、生徒達の間を縫って修練場から2人して出て行った。
残された全員が茫然としている。

「なんでジン、嫌とか言っちゃうんすかね…」

「…黙っておけば良かったものを」

「…もしかして、揶揄ってんのかな。ギルのこと…」

3人がそれぞれ独り言にように呟いた。

「好きにさせておけ。それよりお前達もやる事があるなら早く戻りなさい。ここは騎士科の自主練に使われるから」

ロキの言葉に3人だけでなく、騎士科の生徒達も我に返って散り散りに去っていく。
生徒を先に見送り、ロキも修練場を後にしようとした時、視線に気付いて振り向いた。ゼルが何か言いたげに見詰めてきている。ロキは口角を吊り上げ、微笑み片手を上げた。

「では、ごきげんよう」

機嫌よく去っていく後ろ姿を見て、ゼルは今生の別れのように泣き崩れた。
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「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

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