俺に7人の伴侶が出来るまで

太郎月

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魔王編

歯車の軋み20 ノア

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ノアとローザは、リィンの『凶暴化』に自我を飲み込まれていた。
それぞれが魔力暴走状態へと陥る。それを止めてくれる仲間は、いない。

思惑通りだった。リィンにとっては。しかし、その顔には不満がほんのりと滲んでいる。

暴走して周囲を凍らせるローザ、ローザより少し入口側に近い位置でしゃがみ込むノアの後ろ姿を見る。
ノアの従魔を操れるのはノアだけだ。元々戦闘に不慣れなノアは、従魔に的確な指令を与える事が苦手だった。『凶暴化』により、今は指令らしい指令など出来ない。

それでも問題はなかった。
『凶暴化』により呼び起こされる感情自体は、ノアから従魔へと伝わるから。



────戦え



シンプルな命令。
従魔達は怒り、殺気立ち、最も近場にいる敵を狙う────筈だった。

既に残っているノアの従魔は、2頭のみ。

空を飛び交う少し大きめのコウモリと、姿の見えないイヌガミだけ。

「………魔物寄せを使うなんて」

リィンの目が、砂地へと変わった床に立つイルラを見据える。手斧からジンを守った後、イルラはすぐにローザの氷の蔓に襲われたので、もうジンを見ていない。氷の蔓がぶつかり、砂煙が上がる。

この砂煙が上がる砂地のどこかに、イルラが使った魔物寄せの魔具が埋まっていた。

従魔達がノアの『凶暴化』により殺気立つと、ほぼ同時にイルラは魔物寄せを『空間収納』から取り出した。魔物との対戦に慣れていない他の仲間の為に、自らに引き寄せたのだ。

ローザが自分さえ凍る程の冷気を放った時には、カカココが足元に砂を広げた。急激に広がる砂は風の力を借りて摩擦され、陽の光も届かないと言うのに熱砂と化した。カカココが潜り込んでも十分な高さと、ローザを包囲する程の量。ツインヘッドスネークの潤沢な魔力を見せ付けた。

そして次々と襲い来る氷の蔓を避けながら、イルラは次々とノアの従魔達を罠に掛けていった。

放電しながらその身軽な身体で砂の上を駆けてくるリスは、砂の壁で覆い、今は砂山のひとつになっている。小柄なサイズで元より物理的な力が強くはないリスは、雷を通さないと言うのに何度も放電を繰り返すだけだ。

イタチは風魔術で竜巻を起こしたが、砂の動きで察知したイルラが合わせるように砂嵐を起こし、竜巻を乗っ取ることで閉じ込めた。中央は真空に近く、いくらイタチが風魔術を起こそうとしても砂嵐に巻き取られてしまう。

アルマジロは地震を起こした為、アルマジロ中心に砂粒を細かくし、アリジゴクのような逆三角錐の形の落とし穴に嵌めた。地震を起こせば砂に埋まり、掘ろうとしてもさらさらとした砂で進めないし登れない。後は硬化したり、丸まってみたりしている。

火と土が扱えるらしいサラマンダーは砂に紛れて攻撃してきた。だがカカココに砂の中で追い詰められ、咄嗟に火を放った。
その火で位置を把握したイルラにより、火ごと包むように周辺の砂ごと風で巻き上げた。連発される火を利用し、砂を高速回転させガラスへと変化させる。
ぼとっと、砂に落ちたガラス玉の中で、サラマンダーはペタペタと移動するが、砂の上ではまともに転がる事も出来ず、中で土を出してみたり、火を吐いてみたりしているが、その内、困ったように首を振るだけになった。


「……『体積変化』を解く命令さえ出来ないなんて」


呆れた口調で呟くリィンの目線がノアを見た。一番大きな白熊でさえ、本来のサイズよりかは小さいままだ。おまけにバイコーンにやられて気絶し、捕縛されている。
唯一、元のサイズと同じなのは蝶だけだったが肉体的な強さがある訳ではないし、天井高く上がった後、キュウビの炎幕により毒燐は降り注ぐ事もなく、いつの間にか消えてしまった。今はどこにいるのかすらリィンは分からない。

「魔王とやる時に、無理にでも解除させるべきだった?ううん、ノアは『体積変化』を指示してない。それぞれ勝手にあのサイズを選んでる。言っても無駄」

ぶつぶつと呟くリィンの足元で、フローラは無表情で盾の防御を維持している。光を放てばシャドウスパイに捕らえられている白熊くらいは解放出来るだろうが、その為には盾の防御を解くしかない。


────ギィンッ!!!


その盾の防御が、飛んできた手斧を弾いた。
リィンの視線が落ちていく手斧ではなく、飛んできた先を見据え、ヤマトの持つ手斧を弾き飛ばしたジンを捉える。
距離が近くなった事で、攻撃を仕掛けるつもりなのだろう。

しかしフローラの盾は最強だ。ジンは弾かれた事を悔しがる様子もなく、「やっぱりか」とでも言いたげに小さく笑った。その瞬間、リィンは言いようのない胸のざわめきを覚えた。それはすぐに不快感と認識し、目を逸らす。

「………サイズはいい。好きにすれば。問題ない」

リィンの目の端で、少し大きめのコウモリが舞っている。

キュウビの炎に巻き込まれないように、天井の隅に身を隠していたコウモリは、イルラを頭上から狙っていた。気付いてないイルラに向かって口を開く。人間の耳には聞こえない、音波による攻撃を放った。



「ッ!!?」



頭痛を引き起こす程の耳鳴りにイルラは思わず耳を押さえ、その場で立ち止まってしまう。ローザの氷の蔓が容赦なくイルラへと迫った。尖る先端が胴目掛けて突っ込んでくる。

しかし届く前に先端が飛び散った。

イルラの目は黒い短剣が過る影を捉えていた。
短剣はどこかに辿り着く前に消えた。持ち主であるジンが回収したのだ。イルラは振り返りはしないし、ジンも何も言いはしなかった。だがイルラはほんのりと目を細めた。

すぐにイルラは思考を切り替え、頭上を見上げた。コウモリ(と気付いてはいないが)を探る為に。
天井の影に紛れ、コウモリは一度大きく旋回し、イルラの視線から回避する。
死角に入り込んだ時、大きく息を吸い、更に強い音波攻撃を放った。


だが、音波はイルラに届く前に掻き消えた。


コウモリは見えない衝撃に身体を吹っ飛ばされ、後ろから投げられでもしたようにイルラの視界に入り込んだ。そのまま柱にぶつかり落下する。
咄嗟にイルラは手を伸ばした。植物の蔓がコウモリの周りを絡み合ってぐるぐると囲み、球体の檻を形成すると鳥籠のように柱にぶら下がった。
コウモリは動かない。中で失神している。

反射で動いたが、何事か理解していないイルラが周囲を見回そうとする。しかし、ローザの氷が連続で飛んできた。イルラはすぐさまその場を離れた。だから結局何事だったのか分からない。




その時、イルラ以外にコウモリが閉じ込められた球体の檻を見ている視線があった。

カエルムだ。

シヴァ達から少し離れた位置で、上尾筒を広げて「ふん」と澄まし顔でコウモリを見ていた。
シヴァの少し後ろにいたカエルムだったが、魔物寄せをイルラが使用した時、ノアの従魔達と一緒になって引き寄せられていたのだ。シヴァとの従属がまだ浅いから共有が弱かった。

しかし歩みが緩慢なので、辿り着く前に魔物寄せが砂に埋まり、中途半端な位置で立ち止まっていた。

それでも味方を守りたいと願うシヴァの強い意思だけは流れ込んでいるので、イルラに向かって放たれたコウモリの音波攻撃をより強い音波で打ち負かしたのだ。

ゆらゆらと揺れる球体の檻を見て、何やら満足気に踵を返し、カエルムはしゃなりしゃなりとシヴァの足元へと戻っていった。




分からない事にいつまでも意識は向けられない。イルラはローザに向かって走り出す。従魔の捕縛は完了間近だ。残るは姿が見えないイヌガミのみ。しかしイルラはイヌガミは気にしていない。

イヌガミは足先に迫る砂地を警戒し、更にノアを守る為に中間地点で静かに警戒していた。

ローザに向かって走るイルラを目だけで追う。自分以外の全員がやられた事を理解出来る知能もある。頭の中に流れ込んでくるノアの怒り。ついに駆け出した。砂が飛沫のように散る。イルラには見えていない。

だが何の問題もない。
カカココがイヌガミの位置を正確に把握してるからだ。

イヌガミの真正面、砂からカカココが飛び出した。
驚いたイヌガミが前脚を跳ね上げる。カカココは慣れた様子でイヌガミの身体に巻き付いた。


────ギャウン!!ギャン!!!


あっという間に胴体から首へ全身を巻き付け、一気に締め上げるカカココにイヌガミが鳴いた。砂煙を上げながら抵抗するが、咬みも出来なければ、爪も届かない。

「カカココはフィルによく巻き付いていたからか、四足歩行の形に巻き付くのは得意なんだ」

イヌガミはカカココを剥がそうと激しく身震いした。意味はなく、勢い余って倒れてしまった。それでもカカココは離れない。


───次々と従魔達の動きを封じられたと言うのに、ノアは動じるどころか彫刻のように動かない。
見開かれた焦点のあっていない目。一点を見詰めているが、何かを見ているとは思えない。



戦え



従魔達は藻がいた。誰もがまだ諦めなかった。ノアから流れ込んでくる感情に応えようと必死だった。
ノアの命令通りに。ノアの為に。ノアが怒っている限り、応えようとする。



戦え戦え戦え戦え戦え



そこにノアの意思がないことに、従魔達は気付けない。
ノアの足元に赤い液体がポツポツと落ちた。



戦え戦え戦え戦え戦えたたか─────



一斉に従魔達の動きが止まった。





ノアが倒れたのだ。





薄く開いた目は胡乱で、止まらない鼻血が床に広がる。ピクリとも動かない姿に、イルラに最悪な想定が過り、ローザに向かっていたが足を止めた。

キャパオーバーだ。魔力は多くとも、その精神も肉体も未熟だったノアに『凶暴化』は負荷が大き過ぎた。



────ぼくは、



朦朧とする意識の中、まだ鳴り響く『戦え』と言う意思。衝動。その奥深くに、ぽっかりと浮かぶ窓枠が見えるような気がして、ノアは窓枠に意識を集中した。



────窓の中に、誰かいる



窓の奥の景色は室内だ。薄暗い部屋の中、ベッドに寝たまま窓を見ている人がいる。



────あ、そうか。この窓は、ぼくの部屋の…













ノアは、爵位を金で買った商家の子として誕生した。



帝国ではそれなりに大きな商家で、子爵とは言え、経済力だけで言えば伯爵家を凌ぐと言われていた。
魔力が年々減少気味である帝国で、祖先がいち早く魔道具の流通経路を築き上げたからだ。



つまり、先祖代々それほど魔力は強くない一族だった。



そんな中、莫大な魔力と共に産まれ落ちたノアは、多くの祝福と期待を一身に受けて育った。

だが5歳になる頃に指先が痺れ始め、10歳を超える前に手足を動かす事が困難になった。眩暈や咳も多く、常にぐったりとしていて、まともに歩く事も難しかった。

それまで医者や神官に見て貰っていたが、原因は分からなかった。莫大にある筈の魔力を上手く扱えない事もあり、魔塔に魔術師を派遣して貰った事で、ようやくノアの病名が判明した。


多過ぎる魔力が、自らを壊していく病気。
『魔力過剰性解離疾患』


帝国ではもう何十年と発見されていなかった病気だった。

病気が分かった時、ノア自身より大人達の方が落胆していた。幼心に申し訳なく感じた事を、ノアは今でも覚えている。


何とかならないかと、両親と共にノア自ら調べてみたり、色々と試してみたりしたが、結局13の誕生日を迎える時には立っている事さえ出来なくなった。



最後に外に出た日はいつだっただろうか。



靴下や靴の感触も忘れ、草花の匂いも分からない。窓から見える切り取られた空の変化と、開け放した時だけ入り込んでくる風だけが、外との接触だった。



両親は甲斐甲斐しくもなかったが、特別ひどい親でもなかった。ただ期待していないだけ。
弟が産まれてから顔を見にくる回数が減っても、そう思っていた。
弟の顔を見せて貰えなくても、そう思うしかなかった。



期待されてないだけ。

嫌われてはいない。

何の役にも立てないから、仕方ないんだ。



静まり返る夜、このまま死ぬんだと思って、無性に寂しくて、怖くて、泣いた日もあった。涙を流す事さえ身体が悲鳴をあげて痛くて痛くて、拭おうにも指のいくつかは動きもしなくて、悲しくてまた泣いた。



窓の外から、歳の離れた弟が笑う声と両親の優しい声が聞こえてきた時は、悲しさより、やっぱり申し訳なくて泣いた。



世話役のメイドは優しくしてくれたけど、ノアの心が晴れる日は来なかった。



ヤマトとリィンが来てくれる日まで。



ノアは帝国一の魔力量の持ち主だ。実を言うとヴァレリオさえ超える。病気さえなければ高等魔術師を目指せるだけの量だと、リィンが言った。

世界滅亡を企む魔王が復活するから、その力を貸して欲しい、仲間になって欲しいと、ノアをスカウトに来たんだと言った。



ノアは困った。



『ぼくは、この通り自分で起きることも出来ない。自分すら救えないのに、どうやって世界を救えって言うんだ。それとも、君たちはこの病気を治せるの?』



リィンは首を横に振った。この病気は治せない。だけど魔力の流れを変えれば、普通の人間と同じように動けるようになると説明した。

ノアは小さく笑った。上手く笑えた気はしなかった。もう何年と鏡を見ていないし、顔の筋肉も引き攣るからだ。



『そうなんだ。でもぼくは、もうずっとこの部屋から出たことがないんだ。もうろくに本も読めないし、勉強もまともにした事がない。今更動けるようになっても、ぼくは何にも出来ないよ。なんの役にも、立たないよ』



それまで黙っていたヤマトが、突然手を握ってきた。

冷たくて石膏のように色が悪くなった手を。



両親もメイドも、もう何年も握ってくれなかった手を。



『役に立てるかどうかなんて今は考えなくていいよ!元気になれるんだ!まずは元気になろう!』



ヤマトはあったかくてキラキラしていた。



なんだかとても救われた気がしてノアは泣いた。

1人で泣いていた時とは違い、頬を伝うのは温かい涙だった。



涙が落ち着いた頃、ヤマトは手に小さなリスを乗せてくれた。感触はあんまり分からなかったが、リスの体温は不思議と感じられた。



『普通のリスみたいだろ?実は魔物なんだ。ノアさんの為に連れて来たんだ。魔物がノアさんの代わりに魔力を発散してくれるんだって。……初めて会う魔物は可愛い方が良いかなと思って、俺が選んだんだ』



それが最初の従魔だった。



ノアはリスにナッツと名付けた。リスは木の実が好きだと本に書いてあったから。毛の色も木の実みたいだと思ったから。
ナッツはすぐに懐いた。身体の上をちょろちょろする小さな足がくすぐったく感じた頃、本当に身体が楽になった。



呼吸や瞬きまでも、全然違った。



楽になってから、ヤマトに背負って貰い外に出た。
1匹では足りないから、他の魔物を探しに。



その時に浴びた心地の良い風を、ぼくは生涯忘れないだろう。



自由に動けない状態で狩場を回るのは怖かった。

でも、不思議と魔物は怖くなかった。どれだけ暴れ回る魔物も、ノアには攻撃的ではなかったから。



それは『魔物使いテイマー』と呼ばれる能力によるものだった。実は『浄化カタルシス』や『 誘惑エロス 』と同じく、特殊な魔力粒子によるものだが、あまりに希少な能力の為解明されておらず、勇者伝説以外では知られていない。



ノアも深くを知ろうとはしなかった。

知識よりも、何もなかった手でも何かを掴めると言う実感の方が大事だったから。


常に青く光る青い蝶にはブルーランプと名付けた。

丸くなって転がり落ちてきた白熊にはスノーボールと名付けた。

丸まる姿がじゃがいもに似ていたアルマジロにはポテトと名付けた。

閉じた姿が傘のようなコウモリにはアンブレラと名付けた。

頭に火を灯す姿からサラマンダーにはマッチと名付けた。

透明で見えないイヌガミにはミラージと名付けた。



従魔が増える度に、身体が楽になる度に、18年間募っていた寂しさや悲しさが薄れるようだった。

両親は魔物が増える事には渋い顔をしていたが、動けるようになった事は戸惑いつつも喜んでくれたし、初めて弟の顔も見れた。

だけど、あまり心に響かなかった。



それよりも大事な存在や目的が出来たから。



ヤマトのそばにいたい。

仲間達と旅がしたい。





役に立ちたい。





こんなぼくでも、産まれた意味はあるんだと、こんな運命を背負わせた神々に思い知らせてやりたい。





────だから、ぼくは、ここに




目まぐるしく変わる窓の景色を眺めていた。突然、その窓に罅が入り、景色が変わる。









倒れたノアの指先が、微かにピクリと動いたが、すぐにまた動かなくなった。


一瞬止まっていた従魔達が再び動き出す。


ナッツは鳴き声を上げながらガリガリと砂を必死に掻きむしり、アルマジロは砂に埋もれても激しくもがき、サラマンダーはガラスを何度も引っ掻いた。
意識を取り戻したコウモリもキイキイと高い声をあげながら、球体の檻に何度も体当たりをしては激しく檻を揺らした。締め上げられ、気を失う直前だったミラージは、キューンキューンと悲しげな声を出しながら砂を足で掻いた。

イタチに至っては、身を裂くような竜巻の中に自ら飛び込んでしまった。



「……カカココ!」



ローザからの攻撃をよけつつ、イルラが叫ぶ。同時に従魔達を捕縛していた魔術を全て解除した。
カカココもしゅるりとミラージを解放し、イルラに合わせて魔術を解いた。

ノアの従魔達は一斉に駆け出した。怪我した身など気にもせず。

倒れ込んだノアの元へ。

不安そうに、心配そうに、従魔達はノアの身体に纏わり付いた。彼らの動きがノアを守る為の動きに変わった。身体の一部をノアにくっつけ、周囲を警戒し、威嚇する。



もう離れないぞ───そんな意思を感じる。



「スキカゲ!!」



ハンスの声が響いた。

影に潜んで機会を窺っていた蜘蛛達が、声に合わせてノアとノアを取り囲む従魔達へ集まる。



「もうあんま数がいねぇっすから、従魔用に取っておいたっす。まとまってくれて助かった!」



スキカゲ達は集まりながらひとつになり、大きな蜘蛛の巣をノア達の下に描く。従魔達は唸ったり吠えたりしたが逃げもしない。

それぞれの身体の表面にも蜘蛛が這い、蜘蛛の巣が描かれていく。



「先輩、頼むっす!」



「ええ、お任せ下さい。────『治癒ヒール』!」



ノア達の身体が光に包まれ、傷が消え、床に広がっていた鼻血まで消えた。倒れ込んでいたノアの薄く開いた瞼から覗く目に、一瞬だけ意識という光が差したが、すっと閉ざされた。





手離そうとする意識の底で、ノアは窓にすがりついて泣いていた。
窓には従魔達が血だらけになっていく姿が映っていた。だから必死で止めようとしていた。



『戦わなくて良い!怪我しないで良い!
違うんだ!役に立ちたいと思ってはいるけど、君たちを犠牲にしてまで成し遂げたい事ではないんだ!
負けで良い!もうぼくは戦わないから!
もう戦わないで!!』



それは夢のようなものだった。だが確かに流れ出した感情は、従魔達へと共有される。



従魔達は威嚇する事をやめた。



ノアの閉ざされた瞼から零れた一筋の涙。誰の目にも見えなかったが、戦闘不能状態になったのは明らかだった。

遠目から眺めていたイルラが、静かになったノア達に向け手を翳した。カカココが身震いし、砂の壁が彼らを囲う。

フローラが光属性魔術を使っても遮れるように。
そして、他の攻撃が間違っても彼らに当たらないように。

彼らの姿が見えなくなって、イルラはぐっと拳を握った。


「……カカココを、他人の意思で動かされるなんてオレなら絶対に許せない。それも、無理矢理戦わせる為に」


魔物なのだから戦闘意欲はもちろんある。自分だってカカココと共闘している。だがカカココが望まないのであれば、戦闘しなくても良い。家族なんだ。弱くても強くても関係ない。

きっと彼らもそうなのだ。
従属主が倒れてすぐ、従魔達は従属主を守りに行った。あれは指令や共感などではない。自分の意思だ。

従魔達にとって、あの従属主が何よりも大切だったんだ。

その信頼関係を逆手にとって、意識を奪った従属主を介して従魔を操る。
卑怯だ。そして何て屈辱的な事だ。

唇を噛んだイルラの横顔を見上げていたカカココは、双頭を傾げるように見詰め合った。そして、ごつっとイルラの腰に頭突きをした。

「……?」

イルラが目線を向けると、カカココは砂に線を描きながらノア達の元へと向かい、くりっと双頭を向けた。ちろちろと青い舌を出し入れする。

「……わかった、彼らのコトは任せる」

言葉がなくとも伝わるものだ。イルラの言葉にカカココは瞳をきらりと煌めかせ、しゅるしゅると砂の壁へと向かって行った。
もしノアが再び目を覚ましても、彼らが戦わずにすむように妨害してくれるだろう。恐らく砂に埋めたりして。
安易に想像出来てしまい、イルラは少しばかり不安になった。

「……魔物は賢いが限度を測るコトが苦手だ。カカココが無茶せずにすむよう、オレもオレの仕事を終わらせよう」

イルラの視線が射抜く先、目元まで氷に覆われてしまったローザがいる。
こういう魔物がいると言われても信じてしまいそうな姿だが、口から漏れる息は白く、唇は微かに震えている。

駆け出したイルラに反応し、ローザの氷の蔓が一斉に飛び出してきた。


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