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白い湯気に包まれた空間を、淡いオレンジ色の光が下からゆらいでいた。
西側の壁がすべてガラス張りなため、中庭が一望できる。庭から照らす、竹筒で出来た灯篭の明かりが、白い湯気を立てた浴室を幻想的に見せていた。
「すごーい!掘り込み式の総檜造りじゃない~!」
羅遠家の浴室に入るなり、瀬菜は感嘆の声をもらした。
「わっ、わっ!窓から見える中庭の風情も素敵~!これじゃあ、その辺の温泉行くよりいいじゃない~♪個人の家にこんな風呂があるなんて~、最高ね~!」
実家の風呂を見て上機嫌の瀬菜に、鼻が高いのか、こちらもつられて上機嫌な四鵬が浴槽を指差した。
「まあな。お湯もよく見てみろよ」
言われたとおりに瀬菜が浴槽を覗いてみると、お湯は赤茶けた色をしていた。
「これ?温泉?」
瀬菜が訊いた。
「そう、この島独自の温泉。鉄分が多く含まれているせいで、こんな色をしている。」
「で、効果は何?」
「知らね」
一瞬、コケかかり瀬菜は、
「あんたねー。自分の家に引いてるんだからそれくらい知ってなさいよ~」
と呆れた。
「別に興味ねぇし」
「あ、そう、まあ、いいわ」
と、言い今度は揉み手しながら四鵬に近づき、にこにこ顔で、
「じゃあ、一緒に入ろうか♪」
と、言って瀬菜は一気にTシャツを脱いだ。
その姿を見て、四鵬のほうが慌てた。
「お前、マジで一緒に入るつもりか?大体、恥ずかしくないのか!」
「全然」
あっさりと答えて、さらにブラジャーに手をかける。
流石に四鵬のほうが目のやり場に困り、そっぽを向く。
「私はさ~、美術モデルとかで人前で脱ぐことも多いから、芸術的な美への追求なら、恥ずかしくもなんともないの」
「そっちはそうでも、こっちはそういう訳にはいかねぇーんだよ!バカ!そもそも、そんなことなら何も風呂に入らなくてもいいじゃないか、別の日にしろ!別の日に!」
「ものはついでってものがあるでしょう~」
「どこが、ついでだよ!」
「往生際の悪い男ね~、そんなに嫌なら、6年前の母親が失踪したときの事を話してよ」
そう言って、後ろを向いてしまった四鵬の肩越しから覗き込むように訊く。
四鵬はそんな瀬菜の視線から逃げるように俯き加減で、
「誰だって、思い出したくねぇー事ってあるだろ……」
と、唇を尖がらせて呟いた。
瀬菜も、「まあね~、確かにあるわね~」と、同意した。
彼の様子を見る限り、ここは母親の失踪について、無理強いしないほうが良さそうだ。しかし、だからと言って、全てを許す気にはなれない。何故なら、四鵬は瀬菜に対し、羅遠流が禁じている危険な技を仕掛け、船から海に突き落としたのだ。その謝罪もなしに、のうのうとでかい顔されたくない。せめて、やりすぎてごめんなさい、の一言があってもいいようなものなのに、四鵬はそんな一言どころか悪びれた様子もない。そっちがその気なら、こっちだって考えがある。これをネタにとことん嫌がらせをしてやる。だから、母親の失踪について、触れまい聞くまい、と心で誓っても、瀬菜は、つい、四鵬の耳元で、こんな事を言ってしまう。
「それでも私はねぇ~、隠しておきたい他人の秘密を暴くのが仕事なの」
四鵬がギロリと瀬菜を睨む。
「ふん!ただ単に嫌がらせを楽しんでるように俺には見えるがな」
瀬菜はそれを訊いて、ニヤリと笑い、
「少なくともあなたに対しては、そのとおりね~、さっ、あなたも脱いで~」
と、言って、後ろから四鵬の服を脱がそうとする。
四鵬は慌てて、「触るんじゃねぇ、俺は出て行く!」と言って、上着だけ瀬菜の両手に残したまま消えた。あっ!と思ったら、すでに脱衣所の扉の前に立っていた。
扉を開けて、「じゃあな」と外に出て行く。瀬菜は、「こら、待て!卑怯者!」と罵った。――瞬間、ドカン!と、大きな音と共に四鵬が吹っ飛んで、彼は風呂の中に落ちていった。
「……?」
ザバァァ!という水の音と共に四鵬が浮かび上がる。怒りの形相で、
「くそ、蘭武の野郎ゥ~!」
と、言いつつ、濡れた髪を左手で一気にかき上げた。
(あ!その濡れ髪オールバックもいい!!)
瀬菜は思った瞬間、猫が獲物に飛びつくような条件反射で、四鵬に飛びついていた。ザパーン、と一気にお湯が溢れ出し、ベタベタといたるところを触りだす。
「お前は、またか~!やめろ、変態女!」
瀬菜と四鵬が風呂の中で、バシャバシャやっているのを見届け、蘭武は扉を閉めようとした。蘭武に気づいた瀬菜が、「蘭ちゃん、有難うね~」と、礼を言う。
四鵬は瀬菜を押さえつつも、
「蘭武!お前、後で覚えてろよー!」
と言った。蘭武は、「望むところだ」と答え、中指を立てて去っていった。
風呂の中で、四鵬と瀬菜は二人っきりになった。
四鵬の上に瀬菜が乗っかり、四鵬の黒髪を瀬菜がそっと触れながら、
「この黒髪いいな~」
「お前の髪も黒じゃねえか」
「私は黒に染めてるの」
「わざわざ黒に?あ、分かった!お前、実は結構なババアなんだろ?白髪染めか~」
ぐいっと、頭を押さえつけられ、四鵬はお湯の中に沈められた。
「誰がババア~だって~?ああ~ん?」
そう言って、何度もお湯の中に沈めようとする瀬菜の手を押さえながら四鵬は、
「その羞恥心のなさと、ババアという言葉の反応からして、ババアだ!乙女はそんな真似しねぇ~、もっと恥じらいってのがあら~な!」
「私だって、まだ乙女だー!」
「じゃあ、いくつだ?」
「20歳!」
今度は瀬菜が頭からお湯をかぶる。
「見え透いた嘘をつくんじゃねぇ。年齢誤魔化すところからしてババア決定!」
「やかましい!ババアって言うな!」
と、瀬菜は怒ったが、四鵬には暖簾に腕押し、憎たらしく、ババア、ババアを連呼している。浴室内のせいで『ババア』が、反響して余計に腹立たしい。瀬菜はその言葉を無視する事にした。
「あんた、いつまで服着たまま入ってるの、脱ぎなさいよ!」
「やだね、おばちゃんに何されるか分からない」
(この野郎ゥ~)
「あんたみたいなお子ちゃまに、私が何するってのよー!」
「やってるだろ!痴漢行為を!ベタベタ触りまくってよー」
「それは、芸術的な美への追求です」
けっ!と四鵬は吐き捨て、どこがどう違うんだ、と問いかけた。
瀬菜は、それを聞いて、むくれっ面で答えた。
「違うよゥ~。私には性の交わりってのが出来ないんだもん……」
妙に静かで、今までの瀬菜とは違う、少し寂しげな様子に四鵬も押し黙った。
二人の動きが止まり、お湯の波紋だけが広がりを見せていた。
「……何だよ、それ?」
と、四鵬が訊いた。瀬菜は、訊きたい?と上目遣いで答え、四鵬の手を両手で握った。
「教えてあげようか?」
俯き加減で、四鵬の手を胸元まで引き寄せていく。
四鵬は背筋が凍った。
瀬菜のその仕草に、思い出したくない記憶の扉が開かれる――。
※
あの日も、四鵬はずぶ濡れだった――。
朝から降り出した雨は、夜半過ぎに、さらに勢いを増し、すべてが歪んで見えていた。
四鵬は家の裏手にある森の中に居た。裸の女が四鵬の上に乗り、手を引き寄せていった。女は面を被っていたが、四鵬には、それが誰なのかはっきりと分かった。
どしゃぶりの雨の中、黒々と辺りを覆う木々の葉っぱが余計に雨音を大きくさせ、女の声は聞き取りにくかった。
誰かの名前を言ったようだったが、四鵬には分からなかった。自分ではない事だけは分かっていた。
四鵬の手を握った女の手は、徐々に下方に向かい、女の秘所へと導いていく。
四鵬は拒んだ。女の事は好きだったが、女との行為は、何が何でも厭だった。
拒めば拒むほど、女は発狂していく。それが、何より哀しかった。女の望みを、叶えてやりたかったが、自分には否が応にも無理だった。
自分には、できない!できない!できない!
何度、訴えただろう。
しかし、その声は女には届かなかった。
降り続ける雨の中、望まぬ快楽に身を預けるしかなかったあの日――。
※
あの時と同じように、瀬菜が手を徐々に下げ、手が彼女の秘部に触れようとした瞬間――、止めろ!と言って、彼は慌てて風呂から飛び出した。
荒い息を立てながら、青ざめた四鵬を見て、瀬菜は不思議そうに見つめていた。
四鵬は、悲痛な顔で
「頼むから、もう止めてくれ……」
と、訴えるように去っていった。その、余りにも悲痛で哀しげな後姿に、瀬菜はさっきと同じように呼び止めることが出来なかった。
一人、風呂に取り残された瀬菜は、腕を組んでしばし沈黙していた。
「……女のあそこに触れられないほど初心?……そんな玉じゃないわよね。だったら、何が原因?」
四鵬は、濡れた服のまま脱衣所を抜け、扉の前に立つと、そっと1センチばかり戸を開き、蘭武がいないか確認した。
いつまでも扉の前に立たれたら、たまったもんではない。流石にもう姿を消したらしい。
四鵬はほっとして廊下に出た。
びしゃびしゃと廊下を水浸しにしながら、自分の部屋へと向かう。
「四鵬!」
後ろからそう呼び止められ、振り向いた。
そこには、四鵬の記憶に残る6年前よりさらに、小鹿を想わせる美しさと可愛らしさを兼ね備えた卯月がトランクを引きずり立っていた。
「もう~!なんでそんな水浸しで歩いてるの~!廊下がびしょびしょじゃない」
「ごめん……、後で拭くよ」
ぼそり、と答えてから6年前、自分が使っていた部屋へと向かおうとした。
「あ、ちょっと待って、四鵬!何処行くの?」
「自分の部屋だけど」
卯月は困った顔をしながら、
「あ~、部屋のことだけど~、今はちょっと……」
「?」
「ところで、四鵬、あなた荷物は?着替えとかないの?」
「無いよ、……あっ」
ここにきて、やっと四鵬は困った事に気づいた。あの実体の無い女が島に戻るというので、自分も慌てて島に向かったせいか、手荷物というものは何一つ持ってこなかった。あるのは、ポケットに入った携帯電話と財布だけ。しかも、携帯は――、どこかに落としたらしく無くなっていた。だが、向かう先は、実家のある島なのだから、とりあえずこれで十分だと思ったのだ。思えば、自身の実家とはいえ、6年間、音信普通で通した家だ。6年前と言えば四鵬はまだ14歳。その頃の服は、どうしたって着れないだろう。
「もう~、着替えも無いのにそんなに濡れてどうするのよ~。ちょっと待ってて、紅砂さんの服を借りてくるから」
「いいよ卯月、そんな事しなくて、乾くまで裸で部屋にいるから」
それを聞いて卯月は困ったように、
「いや、だから部屋がちょっと今は使えないの」
「あん?」
四鵬は、分からない……、といった感じで眉根を寄せた。
「紅砂さんが、森から採集したものを置いてしまってて、部屋は……あの状態で暮らすのは無理じゃないかと……」
「は?それじゃあ、俺の寝る場所は?」
「あ、だからさっき、紅砂さんと話をしたんだけど、四鵬は紅砂さんと同じ部屋を使ってくれる?」
「はぁ~~?!嫌だよ!そんなの!龍一の部屋とか、親父の部屋とかあるだろ~、俺はそっちを使うよ」
すると卯月は、片手を横に振って、困った顔で、
「他の部屋もだめなの、同じなの。平気なのは、瀬菜さんが泊まる客間だけ、あとの使ってない部屋は全滅」
四鵬はあんぐりと口を開けたまま呆れた。
「今は使ってないからといって、3部屋も一体何に使うんだ?人の部屋を物置代わりにしやがって!あいつは一体なんなんだ?!」
「ん~……、私もよく分からないけど、羅遠流の古い秘術の一つを実行中らしいよ」
四鵬は、羅遠の秘術に思いを張り巡らせた。
秘術と言われているものは、隠し武器か、薬術。
「それは、ひょっとして薬術か?」
「多分」
四鵬は腕を組んで考え込んだ。羅遠ではこの秘術を一子相伝で伝えていく。しかし、薬術はすでに200年前から実行された記録がない。
しかも、残っているのは実行されたという記録だけで、何が原因でどのような事を行ったのかは、まったく分からない。
以来、薬術は後世に伝えられていない。少なくとも、四鵬はそう幼い頃に父から聞いた。だから、父も薬術に関しては何も知らないし、祖父もそのことは口にしなかった。
あいつは知ってるというのか――?知ってるとしたら、一体何処で知った――?
「卯月……、紅砂が何か作ったのを見たか?」
四鵬は卯月に訊いてみた。
「いいえ、私は紅砂さんがしていることには関与しないから何も……」
「そうか…」
「そんなことより、四鵬、ちょっとそこで待っててよ!着替え借りてくるから!いつまでも濡れたままでは風邪を引くし、何より廊下が傷む!」
そう言って、卯月は持っていたトランクを浴室へと持っていき、刈谷さ~ん、先に送ってきた荷物、脱衣所に置いておきますね~、と言って、四鵬を振り返り、
「そこで、ちゃんと待ってるんだよ」
と、念を押して去っていった。四鵬はしばらく卯月の後ろ姿を記憶に留めながら、
「何よりも廊下って……、俺の体の心配より廊下の比重が高い……」
と、がっかりして呟いた。
西側の壁がすべてガラス張りなため、中庭が一望できる。庭から照らす、竹筒で出来た灯篭の明かりが、白い湯気を立てた浴室を幻想的に見せていた。
「すごーい!掘り込み式の総檜造りじゃない~!」
羅遠家の浴室に入るなり、瀬菜は感嘆の声をもらした。
「わっ、わっ!窓から見える中庭の風情も素敵~!これじゃあ、その辺の温泉行くよりいいじゃない~♪個人の家にこんな風呂があるなんて~、最高ね~!」
実家の風呂を見て上機嫌の瀬菜に、鼻が高いのか、こちらもつられて上機嫌な四鵬が浴槽を指差した。
「まあな。お湯もよく見てみろよ」
言われたとおりに瀬菜が浴槽を覗いてみると、お湯は赤茶けた色をしていた。
「これ?温泉?」
瀬菜が訊いた。
「そう、この島独自の温泉。鉄分が多く含まれているせいで、こんな色をしている。」
「で、効果は何?」
「知らね」
一瞬、コケかかり瀬菜は、
「あんたねー。自分の家に引いてるんだからそれくらい知ってなさいよ~」
と呆れた。
「別に興味ねぇし」
「あ、そう、まあ、いいわ」
と、言い今度は揉み手しながら四鵬に近づき、にこにこ顔で、
「じゃあ、一緒に入ろうか♪」
と、言って瀬菜は一気にTシャツを脱いだ。
その姿を見て、四鵬のほうが慌てた。
「お前、マジで一緒に入るつもりか?大体、恥ずかしくないのか!」
「全然」
あっさりと答えて、さらにブラジャーに手をかける。
流石に四鵬のほうが目のやり場に困り、そっぽを向く。
「私はさ~、美術モデルとかで人前で脱ぐことも多いから、芸術的な美への追求なら、恥ずかしくもなんともないの」
「そっちはそうでも、こっちはそういう訳にはいかねぇーんだよ!バカ!そもそも、そんなことなら何も風呂に入らなくてもいいじゃないか、別の日にしろ!別の日に!」
「ものはついでってものがあるでしょう~」
「どこが、ついでだよ!」
「往生際の悪い男ね~、そんなに嫌なら、6年前の母親が失踪したときの事を話してよ」
そう言って、後ろを向いてしまった四鵬の肩越しから覗き込むように訊く。
四鵬はそんな瀬菜の視線から逃げるように俯き加減で、
「誰だって、思い出したくねぇー事ってあるだろ……」
と、唇を尖がらせて呟いた。
瀬菜も、「まあね~、確かにあるわね~」と、同意した。
彼の様子を見る限り、ここは母親の失踪について、無理強いしないほうが良さそうだ。しかし、だからと言って、全てを許す気にはなれない。何故なら、四鵬は瀬菜に対し、羅遠流が禁じている危険な技を仕掛け、船から海に突き落としたのだ。その謝罪もなしに、のうのうとでかい顔されたくない。せめて、やりすぎてごめんなさい、の一言があってもいいようなものなのに、四鵬はそんな一言どころか悪びれた様子もない。そっちがその気なら、こっちだって考えがある。これをネタにとことん嫌がらせをしてやる。だから、母親の失踪について、触れまい聞くまい、と心で誓っても、瀬菜は、つい、四鵬の耳元で、こんな事を言ってしまう。
「それでも私はねぇ~、隠しておきたい他人の秘密を暴くのが仕事なの」
四鵬がギロリと瀬菜を睨む。
「ふん!ただ単に嫌がらせを楽しんでるように俺には見えるがな」
瀬菜はそれを訊いて、ニヤリと笑い、
「少なくともあなたに対しては、そのとおりね~、さっ、あなたも脱いで~」
と、言って、後ろから四鵬の服を脱がそうとする。
四鵬は慌てて、「触るんじゃねぇ、俺は出て行く!」と言って、上着だけ瀬菜の両手に残したまま消えた。あっ!と思ったら、すでに脱衣所の扉の前に立っていた。
扉を開けて、「じゃあな」と外に出て行く。瀬菜は、「こら、待て!卑怯者!」と罵った。――瞬間、ドカン!と、大きな音と共に四鵬が吹っ飛んで、彼は風呂の中に落ちていった。
「……?」
ザバァァ!という水の音と共に四鵬が浮かび上がる。怒りの形相で、
「くそ、蘭武の野郎ゥ~!」
と、言いつつ、濡れた髪を左手で一気にかき上げた。
(あ!その濡れ髪オールバックもいい!!)
瀬菜は思った瞬間、猫が獲物に飛びつくような条件反射で、四鵬に飛びついていた。ザパーン、と一気にお湯が溢れ出し、ベタベタといたるところを触りだす。
「お前は、またか~!やめろ、変態女!」
瀬菜と四鵬が風呂の中で、バシャバシャやっているのを見届け、蘭武は扉を閉めようとした。蘭武に気づいた瀬菜が、「蘭ちゃん、有難うね~」と、礼を言う。
四鵬は瀬菜を押さえつつも、
「蘭武!お前、後で覚えてろよー!」
と言った。蘭武は、「望むところだ」と答え、中指を立てて去っていった。
風呂の中で、四鵬と瀬菜は二人っきりになった。
四鵬の上に瀬菜が乗っかり、四鵬の黒髪を瀬菜がそっと触れながら、
「この黒髪いいな~」
「お前の髪も黒じゃねえか」
「私は黒に染めてるの」
「わざわざ黒に?あ、分かった!お前、実は結構なババアなんだろ?白髪染めか~」
ぐいっと、頭を押さえつけられ、四鵬はお湯の中に沈められた。
「誰がババア~だって~?ああ~ん?」
そう言って、何度もお湯の中に沈めようとする瀬菜の手を押さえながら四鵬は、
「その羞恥心のなさと、ババアという言葉の反応からして、ババアだ!乙女はそんな真似しねぇ~、もっと恥じらいってのがあら~な!」
「私だって、まだ乙女だー!」
「じゃあ、いくつだ?」
「20歳!」
今度は瀬菜が頭からお湯をかぶる。
「見え透いた嘘をつくんじゃねぇ。年齢誤魔化すところからしてババア決定!」
「やかましい!ババアって言うな!」
と、瀬菜は怒ったが、四鵬には暖簾に腕押し、憎たらしく、ババア、ババアを連呼している。浴室内のせいで『ババア』が、反響して余計に腹立たしい。瀬菜はその言葉を無視する事にした。
「あんた、いつまで服着たまま入ってるの、脱ぎなさいよ!」
「やだね、おばちゃんに何されるか分からない」
(この野郎ゥ~)
「あんたみたいなお子ちゃまに、私が何するってのよー!」
「やってるだろ!痴漢行為を!ベタベタ触りまくってよー」
「それは、芸術的な美への追求です」
けっ!と四鵬は吐き捨て、どこがどう違うんだ、と問いかけた。
瀬菜は、それを聞いて、むくれっ面で答えた。
「違うよゥ~。私には性の交わりってのが出来ないんだもん……」
妙に静かで、今までの瀬菜とは違う、少し寂しげな様子に四鵬も押し黙った。
二人の動きが止まり、お湯の波紋だけが広がりを見せていた。
「……何だよ、それ?」
と、四鵬が訊いた。瀬菜は、訊きたい?と上目遣いで答え、四鵬の手を両手で握った。
「教えてあげようか?」
俯き加減で、四鵬の手を胸元まで引き寄せていく。
四鵬は背筋が凍った。
瀬菜のその仕草に、思い出したくない記憶の扉が開かれる――。
※
あの日も、四鵬はずぶ濡れだった――。
朝から降り出した雨は、夜半過ぎに、さらに勢いを増し、すべてが歪んで見えていた。
四鵬は家の裏手にある森の中に居た。裸の女が四鵬の上に乗り、手を引き寄せていった。女は面を被っていたが、四鵬には、それが誰なのかはっきりと分かった。
どしゃぶりの雨の中、黒々と辺りを覆う木々の葉っぱが余計に雨音を大きくさせ、女の声は聞き取りにくかった。
誰かの名前を言ったようだったが、四鵬には分からなかった。自分ではない事だけは分かっていた。
四鵬の手を握った女の手は、徐々に下方に向かい、女の秘所へと導いていく。
四鵬は拒んだ。女の事は好きだったが、女との行為は、何が何でも厭だった。
拒めば拒むほど、女は発狂していく。それが、何より哀しかった。女の望みを、叶えてやりたかったが、自分には否が応にも無理だった。
自分には、できない!できない!できない!
何度、訴えただろう。
しかし、その声は女には届かなかった。
降り続ける雨の中、望まぬ快楽に身を預けるしかなかったあの日――。
※
あの時と同じように、瀬菜が手を徐々に下げ、手が彼女の秘部に触れようとした瞬間――、止めろ!と言って、彼は慌てて風呂から飛び出した。
荒い息を立てながら、青ざめた四鵬を見て、瀬菜は不思議そうに見つめていた。
四鵬は、悲痛な顔で
「頼むから、もう止めてくれ……」
と、訴えるように去っていった。その、余りにも悲痛で哀しげな後姿に、瀬菜はさっきと同じように呼び止めることが出来なかった。
一人、風呂に取り残された瀬菜は、腕を組んでしばし沈黙していた。
「……女のあそこに触れられないほど初心?……そんな玉じゃないわよね。だったら、何が原因?」
四鵬は、濡れた服のまま脱衣所を抜け、扉の前に立つと、そっと1センチばかり戸を開き、蘭武がいないか確認した。
いつまでも扉の前に立たれたら、たまったもんではない。流石にもう姿を消したらしい。
四鵬はほっとして廊下に出た。
びしゃびしゃと廊下を水浸しにしながら、自分の部屋へと向かう。
「四鵬!」
後ろからそう呼び止められ、振り向いた。
そこには、四鵬の記憶に残る6年前よりさらに、小鹿を想わせる美しさと可愛らしさを兼ね備えた卯月がトランクを引きずり立っていた。
「もう~!なんでそんな水浸しで歩いてるの~!廊下がびしょびしょじゃない」
「ごめん……、後で拭くよ」
ぼそり、と答えてから6年前、自分が使っていた部屋へと向かおうとした。
「あ、ちょっと待って、四鵬!何処行くの?」
「自分の部屋だけど」
卯月は困った顔をしながら、
「あ~、部屋のことだけど~、今はちょっと……」
「?」
「ところで、四鵬、あなた荷物は?着替えとかないの?」
「無いよ、……あっ」
ここにきて、やっと四鵬は困った事に気づいた。あの実体の無い女が島に戻るというので、自分も慌てて島に向かったせいか、手荷物というものは何一つ持ってこなかった。あるのは、ポケットに入った携帯電話と財布だけ。しかも、携帯は――、どこかに落としたらしく無くなっていた。だが、向かう先は、実家のある島なのだから、とりあえずこれで十分だと思ったのだ。思えば、自身の実家とはいえ、6年間、音信普通で通した家だ。6年前と言えば四鵬はまだ14歳。その頃の服は、どうしたって着れないだろう。
「もう~、着替えも無いのにそんなに濡れてどうするのよ~。ちょっと待ってて、紅砂さんの服を借りてくるから」
「いいよ卯月、そんな事しなくて、乾くまで裸で部屋にいるから」
それを聞いて卯月は困ったように、
「いや、だから部屋がちょっと今は使えないの」
「あん?」
四鵬は、分からない……、といった感じで眉根を寄せた。
「紅砂さんが、森から採集したものを置いてしまってて、部屋は……あの状態で暮らすのは無理じゃないかと……」
「は?それじゃあ、俺の寝る場所は?」
「あ、だからさっき、紅砂さんと話をしたんだけど、四鵬は紅砂さんと同じ部屋を使ってくれる?」
「はぁ~~?!嫌だよ!そんなの!龍一の部屋とか、親父の部屋とかあるだろ~、俺はそっちを使うよ」
すると卯月は、片手を横に振って、困った顔で、
「他の部屋もだめなの、同じなの。平気なのは、瀬菜さんが泊まる客間だけ、あとの使ってない部屋は全滅」
四鵬はあんぐりと口を開けたまま呆れた。
「今は使ってないからといって、3部屋も一体何に使うんだ?人の部屋を物置代わりにしやがって!あいつは一体なんなんだ?!」
「ん~……、私もよく分からないけど、羅遠流の古い秘術の一つを実行中らしいよ」
四鵬は、羅遠の秘術に思いを張り巡らせた。
秘術と言われているものは、隠し武器か、薬術。
「それは、ひょっとして薬術か?」
「多分」
四鵬は腕を組んで考え込んだ。羅遠ではこの秘術を一子相伝で伝えていく。しかし、薬術はすでに200年前から実行された記録がない。
しかも、残っているのは実行されたという記録だけで、何が原因でどのような事を行ったのかは、まったく分からない。
以来、薬術は後世に伝えられていない。少なくとも、四鵬はそう幼い頃に父から聞いた。だから、父も薬術に関しては何も知らないし、祖父もそのことは口にしなかった。
あいつは知ってるというのか――?知ってるとしたら、一体何処で知った――?
「卯月……、紅砂が何か作ったのを見たか?」
四鵬は卯月に訊いてみた。
「いいえ、私は紅砂さんがしていることには関与しないから何も……」
「そうか…」
「そんなことより、四鵬、ちょっとそこで待っててよ!着替え借りてくるから!いつまでも濡れたままでは風邪を引くし、何より廊下が傷む!」
そう言って、卯月は持っていたトランクを浴室へと持っていき、刈谷さ~ん、先に送ってきた荷物、脱衣所に置いておきますね~、と言って、四鵬を振り返り、
「そこで、ちゃんと待ってるんだよ」
と、念を押して去っていった。四鵬はしばらく卯月の後ろ姿を記憶に留めながら、
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※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
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