奇夜に結ぶ鬼

蓮華空

文字の大きさ
27 / 85

26

しおりを挟む
 ――イギリス。
 ロンドンの朝、8時25分。

 明るい日差しが窓の桟をぼやけさせるほど光が降り注ぐ朝。街の雑踏も通勤・通学でせわしない。

 コンラッド・ヴィルトールは、眩しい太陽の光に、顔をしかめながらワイシャツに腕を通し、キッチンでコーヒーを入れるとマグカップ片手に寝室へ戻った。
 ベットでは、まだ女が眠っている。
 昨夜、あれだけベットで暴れたのだから、仕方ない。コンラッドはあの時の様子を思い出す度に女の内部にあるの心配をする。

 本来ならこの時期、騎乗位で深く突き入れるのは避けなければならない。それなのに女は、日頃の鬱憤を晴らすかのようにコンラッドの上で暴れた。いい加減にしろ、と止めるコンラッドの声も空しく、女はかまわず続けた。
 髪を振り乱し、高い声を上げる女に、もう言葉など通じない。
 コンラッドはあっさりと諦め好きにさせておくことにした。

 しかし、朝になるとやはり気になる。
 そして、女の下腹部に触れてみる。

 おそらくは大丈夫なのだろう。

 自分のやるべきことはやった。
 この場合、いつも問題になるのが、女に自覚がないということだ。それも仕方がないことだろう。女が自覚するには、大抵、予定日であるはずの月経が来なくなった時、初めて疑い出すのがほとんどだ。この女の予定日は、まだなのだ。
 昨夜の仕事の苛立ちも、生理的なものもある、と自分でも言っていたから、自身が妊娠しているとは、夢にも思っていないようだ。だが、子宮の中で胎児は急激な成長を遂げている。
 コンラッドが予想する限り、もうすでに妊娠5ヶ月くらいの大きさに成長しているはずだ。実際の妊娠周期はまだ2週間たらずだが、ヴァンパイアの場合、胎児の成長は通常の3倍だ。
 胎動も感じている頃だが、妊娠しているという自覚すらない女に、その微かな動きを胎動だ思うことはないだろう。
 コンラッドは、女の下腹部に触れたまま考える。

(この妊娠期間の短さはなんだろう……?妊娠初期にも関わらず、つわりを体験する女は皆無に等しい。産まれるまで妊娠したことに気付かない女も多い。それは何故なんだ?)

「おはよ」

 女が目を覚ました。
 コンラッドも、おはよ、と返す。

「何してるの?」

 女は下腹部に触れているコンラッドの手に、ねっとりと手を重ねながら訊いた。
 コンラッドは、微笑みながら指でお腹の肉をつまんだ。

「最近、太ったか?この辺やわらかい」

「な、なんて事言うのよ!」

 怒って叩こうとする女の手をするりと交わし、

「それじゃあ、俺はもう行くわ」

「え~、もう行っちゃうの?仕事なんて休んじゃえば?」

「そういうわけにはいかないよ」

 そう言って、彼はスーツのジャケットに腕を通し、赤い髪を撫で付けると、じゃあ、またな、と言ってドアに向かった。
 部屋から出る寸前、彼女に向き直り、

「体を大事にしろよ、昨夜の深酒とあの時の乱れよう……あれはよくない。じゃあな」

 と言う声と共にドアが閉まる。

「何よ!たまにしか会ってくれないんだし、いいじゃん!」

 彼女のこんな声が聞こえたが、彼は先を急がねばならない。部屋から出るなり、階段を一気に飛び下りる。
 ここは3階だ。階段は1階から吹き抜けになっており、コンラッドは3階のホール部分から、一気に1階まで飛んだ。
 着地は、何事もなかったかのように軽やかだ。
 そして、彼は急いで次の勤務地へ――。

 ロンドンから、今度はフランスのパリまで。

「ちっ!時間がねぇな」

 彼はそう言いながらロンドンの街を颯爽と走る。
 人気の無い路地に入ると、一気にビルの壁を駆け上がり建物の屋上へ――。

 そして、さらに跳躍。
 風と共に彼の姿は見えなくなり、街ではいつもと変らない朝の風景を映し出していた。




 ――フランス。
 パリの午前9時7分。

 予定より明らかに遅れたが、まあいいだろう。
 コンラッドは、後ろに撫で付けてあった髪の毛をぐしゃぐしゃとほぐし、ラフな形にするとスーツを脱いで、あらかじめ用意していた服に着替え、次に会う女の元に急いだ。

 女は不安そうな面持ちで、待ち合わせのカフェにいた。
 どうやらこの女はようやく自覚したらしい。コンラッドにとっては、ここからが正念場だ。
 女の暗い顔付きからして、胸の内が重くなる。
 いつまで、こんな事を続けるのだろう?

 女がコンラッドの姿に気が付き、安心したように微笑む。
 彼は腹の底にわだかまる暗さを気づかれぬよう薄く微笑みを返し、彼女の居るテーブルへと座った。

「ごめん、少し遅れた」

「いいよ、来てくれただけで……」

 彼女は笑みを浮かべるが、力がない……無理しているのがはっきりと分かる。

「話ってなに?」

 分かってはいるが毎回同じ事を訊く。そして、訊いてから彼女が話し出すまでの間、最も重苦しい空気が流れる。
 コンラッドは、いつもこの瞬間が嫌いだ。
 彼女は俯いたまま、何も話さない。
 結局、沈黙に耐えられず口を開いたのは、コンラッドのほうだった。

「妊娠したんだろ?」

 そのものズバリを言う――。そうでないと話がややこしく、長く重い空気が流れるからだ。
 彼女は驚いたように、

「わ、分かる?」

 と訊いた。

「ああ、そうだろうな、と思って」

「ど、どうしよう……か……?」

「産むしかないだろ?」

「それで…いいの?」

 彼女は口ごもる。産むにしても父親にはなんて説明すればいいのだろう……。
 彼女はまだ学生の身であった。

「家へ来いよ。子供が産まれるまでさ」

「え?そ…それって……?」

 彼女はなおも口ごもる。
 コンラッドは、苛立ちを覚えた。

「腹が目立たない内は普通に暮らしてさ、目立つようになったら家で産みな。設備は十分整ってる。不安なら、今からでも構わない。どっちがいい?」

 ぶっきらぼうに言い放つ。産んだ後の女の変節と惨状が目に浮かぶせいで、コンラッドは、怯える彼女の身になって優しくなど声をかけていられない。

 早くおさらばしたいものだ。
 端から愛などない、この恋愛ごっこに……。

「設備って、あなたの家、産婦人科だったの?」

「ま、そんなところだ。行くのか?行かないのか?」

「い、行くよ、父には話せないもの……。それとも……」

 彼女はここで言葉を切り、上目遣いでコンラッドの様子を見る。

「結婚してくれる?」

 こういう台詞を吐くときの女は、いつの時代でも可愛らしく言うもんだ。
 コンラッドは、片方の眉を吊り上げて青い瞳を見開いた。

「そうだな……子供を産んでみて、それでも君が良ければね」

「ほ、本当に?」

「無事に産んで、それでも君に心変わりがなかったらいいよ」

 コンラッドは気のない素振りで、窓の外に青い瞳を向けながら言った。

「ないよ!心変わりなんて無い!!」

 彼女は喜んで、テーブルの上に置いたコンラッドの手を強く握った。

「ないよ!!絶対に……絶対に心変わりなんかするわけない!」

 コンラッドはもう一度彼女に視線を移すと、青く深い海色の瞳を不思議そうに瞬かせた。普段、内気で大人しい彼女が初めて見せる意思の強さだった。

「……ならいいけど」

 彼の気のない返事でも彼女は喜んだ。
 コンラッドはまた視線を窓に戻した。彼女の混じりけの無い純粋な笑顔を見ていられなくなったのだ。 
 こうして喜んでいられるのも、今のうちだけだ。喜びが大きい分、後の絶望の度合いも大きい。それでも彼は、この喜びがずっと続く事を願っていつでもOKを出す。しかし、その通りの運命を辿った女はいない。
 コンラッドの青い瞳が、悲しみの色に染まる。

(自分が何を産み出すのか……。真実を知れば、皆消えて行く運命――。この娘もいずれまた……)


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...