奇夜に結ぶ鬼

蓮華空

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 ――イギリス。
 ロンドンの朝、8時25分。

 明るい日差しが窓の桟をぼやけさせるほど光が降り注ぐ朝。街の雑踏も通勤・通学でせわしない。

 コンラッド・ヴィルトールは、眩しい太陽の光に、顔をしかめながらワイシャツに腕を通し、キッチンでコーヒーを入れるとマグカップ片手に寝室へ戻った。
 ベットでは、まだ女が眠っている。
 昨夜、あれだけベットで暴れたのだから、仕方ない。コンラッドはあの時の様子を思い出す度に女の内部にあるの心配をする。

 本来ならこの時期、騎乗位で深く突き入れるのは避けなければならない。それなのに女は、日頃の鬱憤を晴らすかのようにコンラッドの上で暴れた。いい加減にしろ、と止めるコンラッドの声も空しく、女はかまわず続けた。
 髪を振り乱し、高い声を上げる女に、もう言葉など通じない。
 コンラッドはあっさりと諦め好きにさせておくことにした。

 しかし、朝になるとやはり気になる。
 そして、女の下腹部に触れてみる。

 おそらくは大丈夫なのだろう。

 自分のやるべきことはやった。
 この場合、いつも問題になるのが、女に自覚がないということだ。それも仕方がないことだろう。女が自覚するには、大抵、予定日であるはずの月経が来なくなった時、初めて疑い出すのがほとんどだ。この女の予定日は、まだなのだ。
 昨夜の仕事の苛立ちも、生理的なものもある、と自分でも言っていたから、自身が妊娠しているとは、夢にも思っていないようだ。だが、子宮の中で胎児は急激な成長を遂げている。
 コンラッドが予想する限り、もうすでに妊娠5ヶ月くらいの大きさに成長しているはずだ。実際の妊娠周期はまだ2週間たらずだが、ヴァンパイアの場合、胎児の成長は通常の3倍だ。
 胎動も感じている頃だが、妊娠しているという自覚すらない女に、その微かな動きを胎動だ思うことはないだろう。
 コンラッドは、女の下腹部に触れたまま考える。

(この妊娠期間の短さはなんだろう……?妊娠初期にも関わらず、つわりを体験する女は皆無に等しい。産まれるまで妊娠したことに気付かない女も多い。それは何故なんだ?)

「おはよ」

 女が目を覚ました。
 コンラッドも、おはよ、と返す。

「何してるの?」

 女は下腹部に触れているコンラッドの手に、ねっとりと手を重ねながら訊いた。
 コンラッドは、微笑みながら指でお腹の肉をつまんだ。

「最近、太ったか?この辺やわらかい」

「な、なんて事言うのよ!」

 怒って叩こうとする女の手をするりと交わし、

「それじゃあ、俺はもう行くわ」

「え~、もう行っちゃうの?仕事なんて休んじゃえば?」

「そういうわけにはいかないよ」

 そう言って、彼はスーツのジャケットに腕を通し、赤い髪を撫で付けると、じゃあ、またな、と言ってドアに向かった。
 部屋から出る寸前、彼女に向き直り、

「体を大事にしろよ、昨夜の深酒とあの時の乱れよう……あれはよくない。じゃあな」

 と言う声と共にドアが閉まる。

「何よ!たまにしか会ってくれないんだし、いいじゃん!」

 彼女のこんな声が聞こえたが、彼は先を急がねばならない。部屋から出るなり、階段を一気に飛び下りる。
 ここは3階だ。階段は1階から吹き抜けになっており、コンラッドは3階のホール部分から、一気に1階まで飛んだ。
 着地は、何事もなかったかのように軽やかだ。
 そして、彼は急いで次の勤務地へ――。

 ロンドンから、今度はフランスのパリまで。

「ちっ!時間がねぇな」

 彼はそう言いながらロンドンの街を颯爽と走る。
 人気の無い路地に入ると、一気にビルの壁を駆け上がり建物の屋上へ――。

 そして、さらに跳躍。
 風と共に彼の姿は見えなくなり、街ではいつもと変らない朝の風景を映し出していた。




 ――フランス。
 パリの午前9時7分。

 予定より明らかに遅れたが、まあいいだろう。
 コンラッドは、後ろに撫で付けてあった髪の毛をぐしゃぐしゃとほぐし、ラフな形にするとスーツを脱いで、あらかじめ用意していた服に着替え、次に会う女の元に急いだ。

 女は不安そうな面持ちで、待ち合わせのカフェにいた。
 どうやらこの女はようやく自覚したらしい。コンラッドにとっては、ここからが正念場だ。
 女の暗い顔付きからして、胸の内が重くなる。
 いつまで、こんな事を続けるのだろう?

 女がコンラッドの姿に気が付き、安心したように微笑む。
 彼は腹の底にわだかまる暗さを気づかれぬよう薄く微笑みを返し、彼女の居るテーブルへと座った。

「ごめん、少し遅れた」

「いいよ、来てくれただけで……」

 彼女は笑みを浮かべるが、力がない……無理しているのがはっきりと分かる。

「話ってなに?」

 分かってはいるが毎回同じ事を訊く。そして、訊いてから彼女が話し出すまでの間、最も重苦しい空気が流れる。
 コンラッドは、いつもこの瞬間が嫌いだ。
 彼女は俯いたまま、何も話さない。
 結局、沈黙に耐えられず口を開いたのは、コンラッドのほうだった。

「妊娠したんだろ?」

 そのものズバリを言う――。そうでないと話がややこしく、長く重い空気が流れるからだ。
 彼女は驚いたように、

「わ、分かる?」

 と訊いた。

「ああ、そうだろうな、と思って」

「ど、どうしよう……か……?」

「産むしかないだろ?」

「それで…いいの?」

 彼女は口ごもる。産むにしても父親にはなんて説明すればいいのだろう……。
 彼女はまだ学生の身であった。

「家へ来いよ。子供が産まれるまでさ」

「え?そ…それって……?」

 彼女はなおも口ごもる。
 コンラッドは、苛立ちを覚えた。

「腹が目立たない内は普通に暮らしてさ、目立つようになったら家で産みな。設備は十分整ってる。不安なら、今からでも構わない。どっちがいい?」

 ぶっきらぼうに言い放つ。産んだ後の女の変節と惨状が目に浮かぶせいで、コンラッドは、怯える彼女の身になって優しくなど声をかけていられない。

 早くおさらばしたいものだ。
 端から愛などない、この恋愛ごっこに……。

「設備って、あなたの家、産婦人科だったの?」

「ま、そんなところだ。行くのか?行かないのか?」

「い、行くよ、父には話せないもの……。それとも……」

 彼女はここで言葉を切り、上目遣いでコンラッドの様子を見る。

「結婚してくれる?」

 こういう台詞を吐くときの女は、いつの時代でも可愛らしく言うもんだ。
 コンラッドは、片方の眉を吊り上げて青い瞳を見開いた。

「そうだな……子供を産んでみて、それでも君が良ければね」

「ほ、本当に?」

「無事に産んで、それでも君に心変わりがなかったらいいよ」

 コンラッドは気のない素振りで、窓の外に青い瞳を向けながら言った。

「ないよ!心変わりなんて無い!!」

 彼女は喜んで、テーブルの上に置いたコンラッドの手を強く握った。

「ないよ!!絶対に……絶対に心変わりなんかするわけない!」

 コンラッドはもう一度彼女に視線を移すと、青く深い海色の瞳を不思議そうに瞬かせた。普段、内気で大人しい彼女が初めて見せる意思の強さだった。

「……ならいいけど」

 彼の気のない返事でも彼女は喜んだ。
 コンラッドはまた視線を窓に戻した。彼女の混じりけの無い純粋な笑顔を見ていられなくなったのだ。 
 こうして喜んでいられるのも、今のうちだけだ。喜びが大きい分、後の絶望の度合いも大きい。それでも彼は、この喜びがずっと続く事を願っていつでもOKを出す。しかし、その通りの運命を辿った女はいない。
 コンラッドの青い瞳が、悲しみの色に染まる。

(自分が何を産み出すのか……。真実を知れば、皆消えて行く運命――。この娘もいずれまた……)


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