奇夜に結ぶ鬼

蓮華空

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 険悪な雰囲気で終わった朝食が済むと、紅砂は玄関先の木の上で遠い空を眺めていた。

 瀬菜は紅砂の体調がどうして悪いのか知っている。

 結鬼である紅砂にとって、瀬菜の血は毒にしかならないはずなのに、紅砂は瀬菜から可能な限りの血を吸ったのだ。毒と知りつつ飲んでいるのだから気分が悪くて当たり前だ。四鵬に憑いた霊体型の結鬼幼体を捕らえるためとはいえ、わざと苦しい思いをする紅砂の気が知れない。

 吸血の際、紅砂の犬歯で貫かれた首筋の傷は、紅砂が丹念に舐め取ると跡形も無く消えた。ほんの少し、紅くうっ血したような痕を残すだけに留まったが、これが吸血鬼に噛まれた痕だと思う人はいないだろう。

 紅砂は木の上で遠くを見つめたまま動かない。

 瀬菜は彼の色素の薄い茶色の瞳を見て思う。

(結鬼であるこの人の目には、人間とは違うものが見えているのだろうか……?何を見て、何を感じているのだろう?)

 どうしてもこの人が気になってしまう。瀬菜は木の根元まで歩くと、紅砂に話かけた。

「ねぇ、さっきから何してるの?具合悪いなら少し休んだら?」

 紅砂は瀬菜の話を無視して別の話題を振る。

「刈谷さん、龍一の連絡先、分かります?」

「ええ……」

「繋いでください」

「あ、そういえば朝食の前に連絡ありましたよ。明日にでもこちらに来るって……」

「……」

 紅砂に何の反応も無かった。

「あのぉ~?聞いてます?」

「……多分、龍一は帰って来れないかもしれない……」

「え?」

 何を根拠にそんなことを……?

「でも、さっき連絡があったばかりです」

「だから、もう一度、こちらから連絡して僕と代わってください。お願いします」

「わ……分かりました」

 そう言って、瀬菜は携帯を取り出すと龍一の番号に繋いだ。
 長い着信音の後、龍一が出た。

「あ、龍一?私だけど……、いや……用っていうか、私は特にないけど紅砂さんが龍一と話しがしたいって、今、代わるね」

 はい、と言って紅砂の居る木の上に携帯を放った。
 紅砂は右手でキャッチして携帯を耳元に当てると、

「龍一?そっちで今、起きたことを話してくれないか?何故って……君の腕に仕込んでいた物が発動したね?」

 と紅砂は声のトーンを落として訊いた。
 しばらくすると、

「そう……、やっぱりね。隠し武器が役に立ったか……大変だろうけど、母体も含め、産まれた子供をなんとかして奴の手に渡らないようにしてくれ、……奴について?……いずれ説明する。それと、臍体血は冷凍にして保管しておいてくれ、至急、こちらから技術者を送るから、彼の言う通りに動いてくれ。……僕の正体?人でなかったら、信用できないかい?」

 電話の向こうで、龍一が沈黙した。紅砂が否定しなかったからだ。
 龍一が重々しく海の向こうで話し始める。

『少なくとも、あんたが仕込んだ隠し武器で俺は救われた。何もかも信じるとはいいきれないが、今は言う通りにしよう』

 龍一のその言葉と共に電話は切れた。
 紅砂は途切れた携帯を見つめながら、有難う……、と呟き瀬菜に携帯を返した。

「龍一はどうしたの?奴って誰よ?何かあったの?」

 紅砂は、瀬菜に微笑み、

「あっちはあっちで大変な事が遭ったらしい。それにしても龍一はいい仕事する。今の時期に産まれる結鬼ともなると高位の結鬼だ。そいつに人間らしい心が芽生えているとすると、前代未聞だね。父親と母親の姿を是非ともこの目で見てみたいものだ」

 そう言って嬉しそうに微笑んだ。瀬菜には何の事だかさっぱり分からなかった。

「刈谷さん、これからお出かけ?」

 紅砂が木から降り立った。

「ええ…、美容院に行ってきます」

 瀬菜は恨みがましく段々になった髪の毛を見せた。
 紅砂はそれを見て微笑むと、

「だから、僕が切ってあげますって」

 とぬけぬけと言った。

「結構です!」

 瀬菜は断固断り、羅遠家の門を開いた。
 紅砂はその後ろ姿に、

「丁度良かった、ついでに村の様子を聞いてきて下さい。多分、結鬼の犠牲者が出ているはずだから、およそ何人くらいか」

 え?と、言って瀬菜が振り返る。

(犠牲者が出てるって??)

「それって、大変な事じゃないの?!」

「大丈夫だよ。犠牲者と言っても血と精液を搾られてしばらく呆然としている程度だからさ、問題は四鵬の想い人の体内に入らなければいい、その女性はこちらが確保しているしね」

「そういえば、四鵬の想い人って?」

「卯月」

「あ~、なるほどね~~」

 瀬菜は納得した。確かに四鵬は彼女の前では大人しい。そして、彼女の側には――、瀬菜は紅砂を見つめた。

(常にこの人が居るか……)

 瀬菜の胸の内で、水泡なようなものが弾けた。

「あなた……、彼女が結鬼に囚われないようにずっと彼女を見守ってるの?昨夜私とキスしてる最中、突然血相を変えたかと思うと、彼女の部屋の前で哀しそうに佇んでいたわね、どうして?」

 紅砂は瀬菜の問いかけに渋面を作ると、

「探偵っていうのは、嫌な所に目を付けますね」

「それが商売です。彼女はあなたにとってどんな存在?さっきの朝食の時だって、普通じゃないわよね」

 紅砂は溜息を付ながら、余計な事を…、という目で瀬菜を見つめた。

「それは誰にも教えたくないのですが……」

「是非とも教えて頂きたいですわ!さもなきゃ、彼女にあんたの正体ばらすわよ~!」

 瀬菜は楽しげに言った。どうやらこの辺が紅砂の弱点になりそうだと踏んだのだ。
 紅砂は深く深く溜息を付き、案の定……

「仕方ないですね。但し、聞いたら口外は法度ですよ。余計な事に首を突っ込むと命を縮めますからね」

(命を縮めるだなんて念の押し方がちょっと不気味じゃないの!)

 と瀬菜は思ったが、好奇心には勝てなかった。

 彼女は、例え怖くとも……どうして?と身を乗り出し尋ねることが止められない。
 そんな瀬菜の姿に紅砂は呆れながらも指で彼女を手招きすると耳元でこう言った。

「彼女が唯一の結鬼の女だからです」

「は?」

 と瀬菜が聞き返す。

「彼女も結鬼なの?」

「そうです。結鬼は凝固体期、霊体期、を経て完全体で産まれるのですが、その場合すべて男で生まれてきます。たった一人の女だけは、およそ1000年もの長い凝固体期を得て完全体に変化します」

「結鬼って、男と女で成長が違うの!?」

「ええ、ですが卯月自身、自分が結鬼だなんて気づいていませんので、内密にお願いします」

「な、何で本人は知らないの?」

「それは凝固体期の後、完全体になると全ての記憶がリセットされるからです。凝固体期――というのは、いわば肉の塊のような状態で、その期間に老化した細胞を少しずつ元の新しい細胞に変換していく。新しく再生された後はまた赤子として産まれ変る。ですから、記憶、その他全ての細胞が完全にリセットされるというわけです。そして卯月は、凝固体期から完全体に変化した時、偶然僕の父に拾われました。それからまた人の手に渡り――以来、人としてこの島で育てられたからです」

「あなたのお父さんって?!――人間?」

「いいえ、彼も結鬼です」

「マジで!?」

 瀬菜は妙なところで驚いてしまった。人間でないと考えてしまうと、紅砂に親がいるってことが不思議に思えてしまう。

「でも、何で卯月ちゃんを初めから結鬼として育てなかったの?」

「それが、前世での彼女の望みですから」

(前世?なんだかよく分からない話だが……)

「そうは言っても、彼女は人ではないのでしょ。人にはなれないんでしょう?」

「無理ですね」

「じゃあいずれ、彼女も自分の運命を知る時が来るのよね」

 紅砂の顔が曇る。

「来るでしょうね、僕はなるべくその時間を延ばしたい」

「どうして?」

「だから、それが以前の彼女の望みだから……」

「だから、どうしてあなたがその望みを叶え様としてるの?」

「嫌な質問ですね。もう、それくらいにしておいて下さい」

 紅砂が質問を遮ろうとしたが、瀬菜はなおも畳かける。

「もう少し教えてよ、じゃなきゃ今の話も彼女にばらしちゃうからね」

 瀬菜がそう言うと、ついに紅砂が豹変する。

 庭の立ち木や地面をついばんでいた小鳥達が、一斉に飛び立つと、辺りは静けさを増し、瀬菜の背筋に冷たいものが走る。
 紅砂の瞳の色が朱に輝き始める。

「これ以上介入するつもりなら、僕はそれなりの対応をしなくてはいけません」

 あくまで静寂を決め込んではいるが、その静けさは嵐の前の予兆を孕んだ実に不気味な静けさであった。

 瀬菜が思わず、後退する。

(……怖い。
そんなに……怒らなくてもいいじゃない……)

 そんな言葉が瀬菜の中で呟かれると、なんだか急に涙が滲んできた。

 昨夜の様子といい、今朝の事といい、思い返す度に、紅砂が卯月の事をどう思っているのか想像がつく。
そして、今のこの対応。

 明確に思い知らされる。紅砂が卯月の事をどう思っているのか。
 卯月が結鬼唯一の女なのだとしたら、当然の成り行きなのか。

(私は、今朝恋心を抱き初めて、もうこんな想いをさせられるのかい!?
いくらなんでもひどすぎる。
この人は、やっぱり私の血がほしかっただけなのか)

 瀬菜は必死で涙を抑えようと思ったが無理だった。
 零れ落ちる涙を慌てて手の甲で拭う。

 紅砂はそんな瀬菜の様子を見て、ふっと雰囲気を和らげた。

 そして、やり過ぎた感を強めながら、戸惑ったように首の後ろを掻く。

 人で無い癖に人の気持ちが分かるようだ。
 彼は困ったように弁解を始めた。

「あの、なんか勘違いしているようなので一応言っておきますが、僕は別に卯月とは、あなたが考えているようにはならないですよ」

 それを聞いて瀬菜は尽かさず。

「嘘!」

 と言った。

「嘘嘘嘘嘘……嘘ーーーーー!!」

 と連続して断固否定し、絶対、それは嘘!と断定した。

 紅砂はその様子に大きな溜息を付いた後、瀬菜を見て、意味深に微笑んだ。

「それ、嫉妬してるの?」

 瀬菜は思わず、ぐ……、と言葉に詰まったが、確実に的を得ている。
 彼女は腕をまくり、そうよ!と言って認めた。
 腕まくりは、乙女の気持ちを弄ぶ奴はぶん殴るぞ~!という意思表示だ。
 紅砂は肩をすくめ、

「恐らくあなたの嫉妬の素は、同種の女性って事で気になっていると思います。ですが同種は同種でも、僕は卯月の相手にはなれないのです」

「え?何で?」

 瀬菜は、すっ頓狂な声を上げた。

「僕は結鬼の繁殖条件から外れている。繁殖資格のない雄だからです」

「繁殖するのに、資格ってのがあるの?」

「ええ、僕は結鬼の完全体の中では最も低い地位、蟻の世界で言う、働き蟻のようなものです。結鬼の世界では男としても女としても認められない」

「じゃあ、あなたの存在意義って?」

「高位の結鬼にとっての餌ですね。それと、幼体である結鬼が育つように良い苗床をつくる事。あとは唯一の女性の保護」

「そ、そうなんだ……」

「安心した?」

 紅砂が訊いた。

「それじゃあ、あなたと彼女がくっつく事はない訳だ」

「無いですよ。向こうが本能で僕を男として認識しません」

「あなた自身はどうなの?」

 瀬菜の質問に紅砂の眉が吊り上がる。

「僕から見た彼女……という事ですよね」

「ええ、私にとってそれが一番重要」

 紅砂はしばし顎に手をやったまま考えた。

「……蜃気楼。そう蜃気楼のようなものです。目で見ることは出来るけど、決して掴む事のできない幻ですよ」

 紅砂はそう言ったけど、瀬菜は納得がいかなかった。

「そういうものなの?結鬼って?本当に本能で避ける?」

「結鬼は人間を媒介して、人の肉体を持ち産まれてきますが本質は獣じみている。感情よりも本能が先にたちますから、卯月が確実に発情を迎えたら僕はその存在にすら気づかれない。今だけですよ。言葉を交わせたりできるのも……」

「そうなんだ」

 それはそれで、切ないような気がした。

(決して、掴めない幻……)

 そう表現する紅砂に、瀬菜は少なくとも彼が卯月に憧れともいえる感情を抱いている感じがした。

 現在、二人の関係を見ると、表立ってそんな素振りはなさそうだが、互いを思いやれるとても良い関係のような気がした。それが、彼女の正式な発情と共に、存在が無視されるほど忘れ去られてしまうと言うのなら、こんなに切なくて哀しいものはないように思えた。

 瀬菜は自身の経験と被せてしまう。

 自分が正式な女ではないと分かった時の……相手の反応。
 それ以来、何も無かったの如く振舞われた哀しみ――。
 瀬菜はたまらず紅砂から背を向けた。
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