奇夜に結ぶ鬼

蓮華空

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 羅遠家の裏山は母島の北西の端に位置する。この山があるお陰で町は偏西風から守られ、穏やかに冬が過ごせる。そのため、家路島列島の中でも、この母島である帰来島に人が多く住むのも頷ける。本来なら、大陸から吹きすさぶ北風は肌を刺すように痛く、南国の位置にありながらも山が無ければ、帰来島の冬は激しく厳しいものになっていた。

 そんな帰来島の端にある鬱蒼とした山中に四鵬は足を踏み入れていた。

 羅遠家の裏にある山を登って奥に進むと洞窟が現れる。その洞窟の入り口には小さな祠が立っていて、島の者は羅閻様と呼んで親しんでいる。

 『羅閻』とは『閻羅』が転じたもので『閻魔大王』を指す。いずれにせよ、地獄を連想する名を島の者が親しみを込めて呼ぶ気がしれない。

 または、羅閻とは煙羅煙羅えんらえんらという煙の妖怪が転じたものとも言われている。この島の地中では火山活動によって硫黄泉が出ている。そのお陰で羅遠家でも温泉を楽しめる訳だが、子島を抜けたさらに奥の父島では、そこから立ち込める湯気と吹き出る有毒ガスの影響で人が入る事を禁止された異界が広がっている。だから、島の人々が古来よりこの祠の先を地獄とイメージするのも頷ける。

 羅閻様というのは、その境に居て島に招き入れるものを選別しているという。邪な者には地獄を見せ、正しき者には安らぎと復活を与えるそうだ。よって、祠のあるここまでは島の者なら誰でもが足を踏み入れて良い場所になっている。
 島の者は皆、信心深く、祠の前にはたくさんの供え物が置かれている。だが、四鵬はその祠を無視し洞窟内部へと足を踏み入れた。

 ここから先は羅遠家でも当主にしか許されぬ禁域であった。四鵬はその禁を破って一体何処へ行こうというのか?

 山中に住む小鳥達はいつもより落ち着き無く、小刻みに動き回っては囀っている。まるで得体知れないものを見て、仲間達に警告しているようだ。
 森の木々もざわざわと葉を揺らし興奮しているようにも見える。入ってはならぬ者が侵入しようとしている事を誰かに教えているようでもあった。

 四鵬が暗い洞窟を抜けると、日の光が燦々と照らす草地へと出た。
 そこに立つ真っ赤に染まった紅葉がはらはらと葉を落とし、180度に広がる空と海の青が一層紅葉の紅を引き立たせ息を呑むほど美しかった。

 草地は先に行くと約50mの高さがある断崖絶壁になっており、海から吹き付ける風は強く、風が吹きすさぶ度に紅葉の紅が煌びやかに舞う。  山の裏側は大陸から吹きつける北風に当てられ、町と比べても秋の訪れが早い。

 紅葉の木が並ぶ草地の中央に平らな巨石があった。巨石の脇には樹齢1000年以上になるであろう大きな楠がそびえている。
 四鵬はその巨石に腰を下ろし、断崖絶壁のある海の向こう、子島の社を見つめた。

 子島の社は断崖絶壁を降りないと行けない。
父と紅砂は、どのようにしてここから子島へと渡っているのか四鵬は疑問に思った。

 この断崖絶壁は6年前、四鵬が落下し、白閻に出会った場所でもある。どう考えても、ここから子島に行く手段など何もない。

 四鵬は傍らに浮遊している白閻を見る。
 白閻なら子島への移動も簡単だが生身の人間には無理だ。

「うっ……」

 と四鵬が突然声を漏らした。
 白閻が背後から四鵬の首筋に牙を立て血を吸い始めた。
 四鵬の瞳は潤み官能の色を滲ませた。

四鵬はそのまま力を抜き、巨石に横たわりながら熱い吐息を漏らした。

「奴は一体何者だ?」

 白閻の唇が四鵬から離れた。

「知らねぇよ……それは俺が聞きたい。お前、本当に奴に覚えがないのか?」

「……」

 白閻は黙ってしまった。

 すると、上空から突然、

「寂しいなあ、僕の事を思い出せないなんて……」

 と、言う紅砂の声が聞こえた。
 二人がはっとしながら声のする楠を見上げると、大きく枝を張った木に紅砂がまるで豹のようにうつ伏せになってこちらの様子を伺っていた。

「紅砂っ!お前、一体いつの間に!!」

「さっきから、見てたよ」

 四鵬はその態度に腹を立て、睨みを利かせた。

「どういうつもりだ、てめぇは体調が悪いんじゃねえのか?!」

「ああ、悪いな」

 紅砂があっさりと認める。

「なら何でこんな所に居るんだ?」

「だってそこに居る白閻をなんとかしなくちゃならないでしょ。卯月を狙うなんて結鬼としてかなりイカれてるよね。失敗作だ」

「どういうことだ?」

 白閻と四鵬は互いの顔を見合わせながら問た。

 風が木々を揺らし紅葉の葉が紅い羽根のように舞い落ちると紅砂も地上に降り立った。
 そして、白閻にゆっくり近づく。

「記憶がかなり抜けている。弟である僕が誰かも分からないなんて……。やっぱり、霊体になるのが少し早すぎたようだ」

 と、残念そうに言った。

「記憶?」という白閻の声と「弟?」という四鵬の声が重なる。

「そう、記憶」

 紅砂は意味深な顔で首にかかる髪の毛をかき上げ、誘うように美しい首筋を露し、挑発するように朱鷺色の目を細めた。

「どうです?血でも吸って思い出してみてください。昔……あなたが僕に何度もそうしたように……」

「ちょっと待て、昔って……、そいつが現れたのは6年前だろ?」

 紅砂がちらりと四鵬に視線をずらした。

「僕の言う昔とは、1000年以上も前のことだよ……」

「は?」

 四鵬は唖然とした。――1000年??

(1000年以上前って?それじゃあ、紅砂こそ、一体何者だ?)

「どうです?思い出したくありませんか?1000年前の、僕とあなたの事?」

 そう言って、紅砂は白閻を熱い視線で見つめた。

 白閻はしばしの間黙って見ていたが、「頂こう……」と言って紅砂に近づいた。

 白閻の手が紅砂の頬に触れると、紅砂はその手に自ら頬を摺り寄せた。恐れる素振りなど何もない。むしろ以前からそうだった様な自然な仕草で白閻の腕に抱かれた。そして白閻の紅い唇が開き、紅砂の首筋に、プツ…、と牙を立てると紅い血が滴り始めた。

 白閻はその滴る血を強く吸った。すると血を吸い始めた白閻に変化が現れた。透き通るような霊体が次第に輪郭を露にして行く。今やはっきりと白閻が実体を成し、紅砂の血を吸い続けている。

 紅砂が恍惚と呻き始めた。はっ…、はっ…、と息遣いも荒く、目を閉じ、眉を寄せた悩ましげな表情は明らかに官能の色が濃い。紅砂は実体化した白閻を愛おしげに強く抱きしめた。

 ざぁぁーーと、海から吹き付けてきた風に、真紅の葉が二人の間を舞い落ちて行く。まさに、その様は、遠い古よりやって来た泡沫の夢……情熱的な恋人同士の抱擁に見えたかもしれない。
 紅砂が呻きながら口を開く、

「もっとだ……!もっと、もっと、吸うんだ!」

 そう言って、紅砂は白閻の頭を強く抱き、逃さぬよう押さえつける。すると次第に紅砂の瞳も真紅に輝き始め、はぁ…、という吐息と共に、唇の脇から2本の牙が現れた。

 四鵬はその姿を見て愕然となった。



『――まさか!紅砂が実体を持つ結鬼――!!』



 四鵬は動けぬまま二人の様子を見ていた。そして、ふと、ある変化に気づく。さっきまで、恍惚と恋人同士のように抱き合っていた二人に苦渋の色が満ちる。白閻が紅砂がら離れようともがき始めていた。

「まだだ!白閻!!――吸え!!もっと吸うんだ!!」

 紅砂も苦しげにそう叫びながら、白閻の頭を自分の首筋に押さえつける。白閻は悲鳴を上げていた。瞳からその苦しみを現すように涙が零れて行く。それでも、紅砂は許さなかった。

「吸え!白閻!!逆流しろ!凝固体期へ――!」

 そう言って、強引に首筋に押し付ける。
 白閻が泣きながら、

「いやーー!もう……もう……無理よーー!助けて……助けて、四鵬!」

 と四鵬に助けを求めた。

 泣き濡れた白閻の姿を……
 助けを求める女の姿を……
 黙って見ていられる四鵬ではなかった。

 四鵬は紅砂に向かって駆け出すと、宙に舞い、右の蹴りを紅砂の後頭部めがけて放った。
 紅砂は瞬時に白閻を抱えたまま回転し四鵬の蹴りを避けたが、その隙に白閻が紅砂の腕から離れた。

 白閻から離れた紅砂を四鵬はなおも追い、左手を振り上げ、羅遠流禁断の殺人拳を放つ。
 指先が弧を描きながら紅砂を襲う。
 ――僅かに紅砂が身を引く。
 紅砂の頬から鮮血が滲み、瞬時に彼は後ろに舞い四鵬との距離を取った。

 紅砂は草地に膝を付き、幽鬼のような青白い顔で喘鳴しながら、

「邪魔をするな……四鵬……」

 と、言った。紅砂もかなり辛そうだ。

 草地には白閻が悶え苦しんでいる。白い肌は至る所を紅砂の血で濡らし、白閻の艶やかな肢体が青空の下、妖しい白蛇のようにのたうっていた。
 四鵬はコートの裾を風に靡かせながら、ゆっくりと白閻の前に立つ。紅砂の意には従わず、白閻は渡さないという意思表示だ。

 その様子を見て紅砂は溜息を付いた。

「君達の絆はよく分かったよ。だけど、僕も白閻を消すためにしているんじゃない、白閻を消したくないからあえてしているんだよ。だから、白閻を僕に渡してくれないか、頼む、四鵬」

 紅砂はよろよろと立ち上がりながら言った。
 四鵬は、

「やだね。俺はお前が何者なのか分からねぇ……。お前も結鬼の犠牲者か?それとも、結鬼そのものか?」

「僕は結鬼の完全体さ、つまり人の成長で例えるなら成人した結鬼。白閻のような霊体は、いわば子供……。僕らはね、成長の度合いによって形が違うのさ」

「成長によって違う形?」

「別に自然界では珍しいことでもないだろ?」

「ま……まあ……そうだけど……」

 四鵬は答えながらあることを思い出した。

「そうだ!実態のある結鬼がお前だとしたら、9年前に卯月の血を吸った結鬼はお前か?」

「ああ……僕だ。だが何でお前がそんな事知っている?」

 紅砂が眉根を寄せ尋ねた。

「卯月から聞いた。――お前がそうした事で、以来あいつがずっと不安を抱えていたのをお前は知ってるのか?」

「……知ってる」

 紅砂は俯き苦渋に満ちた顔で言った。

「だったら何でほっとくんだ!あいつは、お前の事……」

 四鵬はここで言葉を切った。


『――お前の事……愛しいと言ったのだ――』


 四鵬の口からそんな事は言えなかった。

 何のつもりで卯月の血を吸い、羅遠家で卯月と共に暮らしていたのか知らないが、四鵬は腹の底から怒りの念が湧き上がった。つまらない嫉妬なのかもしれないが、それは押さえようもなく、次の瞬間紅砂に向かって走って行った。

 四鵬が大きくコートの裾を翻しながら蹴りを放つその姿は、舞い散る紅葉を背景に繰り広げる舞いを思わせた。二人の動きは、時に緩やかに、そして時に素早くダイナミックに翻る美しい演舞だ。次第に紅砂の口元に微笑が浮かぶ。

 彼は喜んでいるようだった。
 この闘いを明らかに楽しんでいた。

「いい動きをするな、四鵬。僕は嬉しいよ。忠実に僕が作り上げた拳を再現してくれて……」

「何?!」

 四鵬が驚きと共に一瞬だけ動きを止めた。
 紅砂はその瞬間を逃さなかった。

 空を切り紅砂の右足がしなりをつけて四鵬の後頭部へと当たる。前倒れになる四鵬に尽かさず身を低くし、回転を加え腹に肘を打つ。

 紅砂の足元に四鵬が倒れた。と、同時に紅砂も膝と両手を着いて、四つん這いになる。

 紅砂の苦しそうな喘鳴だけが辺りに響いていた。
 しばらくすると彼は起き上がり、

「いつまでも、ここに居るわけには行かないな……、辛いけど、次の作業に入りますか……」

 そう言って、傍らの四鵬を担ぎ上げ、草地で気を失っている白閻を脇に抱えると、彼は何を思ったのか、断崖絶壁のある海の方へ二人を連れて身を投げた。


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