奇夜に結ぶ鬼

蓮華空

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 羅遠家に三人が着いた頃には、もう陽が沈みかけていた。
 瀬菜と四鵬は、広間に戻ったが、紅砂は炊事場へ寄り、卯月に声をかけた。

「今夜はこれですき焼きにしよう」

 と、紅砂は松坂牛の入った箱と椎茸を調理場へ置く。
 卯月は驚いた様子で、

「どうしたんですか、これ?」

 と訊いた。

「頂きました。……多分、川上さんだと思うけど……」

「多分?」

 眉を顰める卯月に、紅砂が尽かさず、

「お礼は僕からしてあります。だから大丈夫」

 と言った。
 卯月は益々不思議そうに小首をかしげた。礼をしておいて、多分も何もないと思うのだが、彼女は、

「はぁ~…」

 と言って納得した。

「それより紅砂さん、お話があるんですけど……」

「なんでしょう?」

 紅砂は冷蔵庫から白菜や春菊などの野菜を取り出しながら訊いた。

「私……、予定より早いのですが、明後日には此処を出て働く事になりました。今まで……本当に有難う御座いました」

 卯月が紅砂に向かって一礼する。紅砂は、「え…?」と言って振り向き、

「あ…明後日?予定では年明けではなかったですか?」

 と問い返す。

「退職者が急に出て人手不足になったそうです。ですから、予定を早めて、来ていただきたいと……」

「そうですか……それは本当に急ですね」

 無表情に作業を続ける紅砂の横顔を卯月は凝視する。……何を考えているのか、まったく読めない。

「まあ…向こうでも頑張ってください。今日はこのまま就職祝いにでもしましょうか?」

「いえ…別にそんな事してくださらなくても……急な話ですし。それよりも私だって何のお礼も用意できなくて……」

「いつも家の事で働いてくれているのが何よりですよ……」

 そう言って微笑んだ。
 
「やっぱり、今夜はこのまま就職祝いにしましょう。ちょっと酒屋に行ってきます。それから僕が夕食を作るから、卯月はゆっくりしててよ」

 紅砂は財布を取り出し炊事場から出て行った。
 卯月はもう少し何か言って欲しかったような気がしたが、何を求めているのか自分でも分からなかった。




 紅砂は炊事場を離れると、庭に一抱えほどある大きな飾り石に手をつき頭を抱えた。

 明後日には卯月が島を出る……いくらなんでもそれは早すぎる。
卯月の成長と共に、自分も人として生きるのに限界を感じていたから、卯月が島を離れる事は紅砂にとっても都合が良かった。しかし、準備がまだ整っていない。紅砂は、彼女に危害を加えそうな結鬼に対しての仕掛けを、卯月の職場となる霧島に張り巡らせているが完成はしていない。明後日では、どうしても無理だ。

(やはり……自分が今している事は、無駄な事なのだろうか……)

 紅砂の心が揺れると同時に、西から吹き付ける風が、ある気配を運んできた。それは、さらに彼の心を重くし焦燥を掻き立てた。全細胞が警鐘を鳴らし、拳を握りしめ唇を噛む。

(もうやって来たのか?)

 どうやら何もかも、自分の思惑以上に事が運ぶようだ。西からやって来た風の気配──それは、高位結鬼の気配であった。
 紅砂が緊張した面持ちで、家の門を抜けようとしたところ、瀬菜が慌てて呼び止めにやってきた。

「大変! 大変! ちょっとあんた、何処行くのよー」

「ちょっと買い物に……」

「それどころじゃないわよ! 何か知らないけど四鵬の様子が変なのー! 救急車? 救急車呼んだほうがいいのかしら~? あなた達の場合も?!」

 あたふたする瀬菜に、紅砂は舌打ちをしながら、

「もう……そんな段階に来ましたか? やはり、途中で四鵬が邪魔をしたから、白閻の目覚めが早かったようですね」

 と、言った。

「な…なによ、あんた? 今の事態を予想していたの?」

「ええ……。しかし、タイミングが非常に悪い」

 遥か彼方を見つめては、紅砂が緊張している。彼の尋常とは言いがたい表情を見て、瀬菜は不安になった。

「とりあえず、四鵬のところに行って見てきます」

 紅砂は素早く家に戻り、四鵬の居る広間へと向かった。

 広間では四鵬が苦しそうにのたうち回わり、卯月が泣きそうな声で、四鵬に呼びかけを続けていた。二人に近づいた紅砂は、卯月に優しく声をかけた。

「卯月……まだ大丈夫だから、ちょっと離れていてくれるかい?」

「四鵬はどうしたの? 紅砂さん、分かるの?」

 卯月が泣きそうな声で尋ねた。

「ああ……、これは仕方がないことなんだ。だけど、何も手がないというわけではないから安心して」

 紅砂が優しく声をかける。

「でも、本当にどうして四鵬が急に苦しみ出したの?」

 瀬菜が不思議そうに問いかける。

「これは、四鵬に憑いていた結鬼の呪いさ。幼体は成長が阻まれると、今までの犠牲者を呪って共に消滅を図る。16世紀、ヨーロッパで『モールヴィヴァン=生ける死者』と呼ばれていたモノは、この状態の結鬼を指す。狙う犠牲者がすでに故人であった場合や、今回のように自分の意に反して捕らえられた場合に、幼体は自身の肉を食らい、犠牲者に呪いをかける。これは、どんなに遠く離れた土地に犠牲者がいようとも、決して逃れる事が出来ないと言われている」

 紅砂の説明を聞いて瀬菜が焦る。

「それじゃあ、どうするのよ!」

「だから、あの結鬼を完全体に進ませれば、この呪いは解ける」

 紅砂の冷厳な答えに瀬菜が絶句する。

「あ、あんた……この事が分かっていたから、蘭武ちゃんが母体になる事を拒まないって思ってたのね。……四鵬がこうなったら、拒めないって……」

 紅砂は黙って瀬菜の顔を見つめていたが、目は確かに、そうだ、と言っている。何処まで紅砂の思惑通りに事が進むのだろうか……。いや、これは、もう既に仕組まれた、避ける事の出来ない道だったのか? 自分と紅砂の違いは、その道の見通しが出来るか出来ないかの違いなのか……。

「四鵬……苦しいか。必ず助けるから、もう少し辛抱してくれ」

 紅砂が四鵬に話しかける。
 喘鳴しながらも四鵬が何とか口を開く。

「ど…どうする……つ…もり……だ?」

「これからお前を仮死状態にする。安心しろ。お前は僕の弟だ」

 そう四鵬に言うと、今度は背後の瀬菜と卯月に向かい、

「悪いが二人は、僕が良いと言うまで部屋の外で待っていてくれ」

 と、頼んだ。

「わ…分かりました」

 そう言って心配そうに卯月と瀬菜は、部屋から出て行った。




 二人が部屋から出て行ったのを見計らって、紅砂はゆっくりと目を閉じた。
 大きく息を吐き、本来、意識ではコントロールできない細胞を強引に意識で持って動かす。彼の左の肺は、普段ほとんど機能していない。代わりに左の肺には、ある気体が常に溜まっており、それを意識でもって排出しようと集中する。
 彼の目が開いた。その目は結鬼の目とも違う、薄桃色の淡い瞳の色に変化していた。そして、左の肺に詰まっていた気体を人工呼吸の要領で四鵬の肺に送り込むと、次第に四鵬の瞳の輝きが消えた。

 仮死状態。

 確かに彼が言った通りに、四鵬の瞳孔は開き、呼吸も停止した。
紅砂はそっと四鵬の額に手をあて、目を閉じさせるとふいに立ち上がった。

 襖を開け、卯月と瀬菜の元に行き忠告する。

「今、四鵬がほぼ死んだような状態になっているけど、騒がずこのままにしておいてくれ。仮死状態にしておいたほうが元に戻った時、細胞の損傷が激しくないのでね」

「わ…分かった」

 瀬菜が答える。

「それから、僕は今から出かけて来るけど、二人は家でじっとしていてくれ」

 そう言いながら、紅砂は早足で慌しく玄関へと向かう。二人も後を追った。

「何処に行くの?捕らえた結鬼の所?」

 玄関先で紅砂は振り返り、

「いや、その前にちょっと野暮用が出来た。必ず戻るから、待っていてくれ」

 そう言ったが、二人は少々不安になった。いつもの紅砂に比べ、神経がピリピリと高ぶっているようにも思える。

「それじゃあ、家から絶対に出ないで待っていて下さい。後はよろしくお願いします!」

 と瀬菜に言うと、脇に立てかけてあった杖を持って慌しく去っていった。

「ちょ…ちょっと──!必ず戻って来るんでしょうね──!!」

 瀬菜が大声で紅砂の後ろ姿に向かって叫ぶと、紅砂は杖を一振りして振り向きもせず、茜色に染まった道を行ってしまった。
 後に残された瀬菜が心配そうな面持ちで、

「大丈夫なのかしら……? なんか一人で、色々背負い過ぎてない?」

 と、呟いた。
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