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龍一は一時間ばかりの仮眠を取った後、車のハンドルを握り、フランスの東部ブルゴーニュ地域を走っていた。
ブルゴーニュ地方はフランスのほぼ中央に位置するワインの産地だ。
縦に伸びた葡萄畑は収穫を終え、金色に色付く様から黄金丘陵と呼ばれていた。
黄金に輝く朝の葡萄畑の道を、人外のモノとそれを産んだ少女を乗せドイツ方面へと向かっていた。ドイツに向かったとしても龍一自身に宛などない。だが、仮眠の前に訪れた幼児姿の人外のモノに行けと命じられたのだ。何故、その方向に行かねば成らぬのか……質問をしたいが、一向に話が出来る状態にならなかった。
どうやら後から参入したこの幼児姿のモノは、紅砂の父親らしいのだが、確かな事が聞けない。 幼児姿の人外のモノは龍一が仮眠する前から、飽きずにおっぱいについて語り続けている。
龍一が質問しても聞く耳持たず、ずっとおっぱいの色・形・感触を細かに分析、持ち主の性格や年齢別など、どうでもいい話を延々としゃべり続けている。
龍一は質問を諦め、仮眠を取ったが、龍一が寝ている間、ずっと耳元で幼児が語り続けるため、脳内で次から次に浮かんでは消える女性の乳房の羅列にうなされながら目を覚ました。
寝ていても落ち着かないので、車を走らせたが、幼児は一言、「この道を行け」と言ったきり、またおっぱいの話しに戻った。
こうして龍一は仕方なく、このブルゴーニュ地方にやって来た。
空は快晴。
延々と続く田園風景を背景に車はひた走る。
程なくして、幼児の会話が途絶えた。
龍一は安堵した。やっと、妙な話から開放されたと喜んだ矢先、ジーナの抱いている赤子が動き出した。
「追っ手が来るぞ」
赤子の癖に、当に錆びの含んだ声をしているせいか、非常に違和感を感じる。そうでなくとも、先ほどから真紅の瞳を煌かせているこの赤子に不気味さを感じていた。
「分かるのか?」
赤子がゆっくりと頷く。
「この田園地域では、逃げ道がない……俺を下ろせ、奴らの目的は俺だ」
それを聞いてジーナが赤子を強く抱きしめた。
「だめ! テラは此処に居るの! 折角産まれたのに、あの人の前に立ったら消されてしまう!」
ジーナは自分たちを追ってくる輝くほど美しい金髪の男を思い出し身震いした。
テラと呼ばれた赤子は、母を気遣うように小さな手を伸ばし、ジーナの頬に触れる。
「優しい子だね。テラ……」
ジーナは赤子に『テラ』と名づけた。ギリシャ語では『怪物』を意味するが、フランスでは『大地』を意味する言葉、いわゆる『地球』そのものをイメージした名であった。
テラはジーナの手からすり抜けると、後部座席へと移動した。
「だめ! 行ってはだめ、ここに居なさい!」
ジーナがテラの黒いベビーウェアのフードを掴んだ。
彼の緑がかった黒髪が露になり、テラは若い母を振り返った。翡翠を思わせる深い緑の瞳が白い肌によく栄える。その瞳で静かにジーナを見つめていた。
「離せ……、俺は君に出会えて、僅かな間だけでも君の中で育まれた事に感謝している。もうこれ以上、危険な目に合う必要はない。……さようなら」
テラがそう言って、後部座席の窓を開けると背後から突風が押し寄せた。
黒く小さな体はきりもみ状態で蒼穹に舞い、龍一は慌ててブレーキを踏んだ。
車が完全に停車しない内に、ジーナはドアを開け飛び出そうとしたところ、幼児に押さえられた。
「いくな! おい、りゅういち! おまえもさっさとくるまを発進させろ! あぶねぇーだろ!」
「しかし、あの子が……」
龍一が反論すると、
「放っておけ! あいつは、あででしあわせなんだ! あのまま消えてもやつは本望だろう!」
先ほどまでのいやらしい目つきとは打って代わった真剣な幼児の眼差しに龍一もジーナも絶句した。
「いいから車をはしらせろ! 急げ!りゅういち、まにあわねぇぞ!!」
その切迫した雰囲気に、龍一は慌ててアクセルを踏んだ。と、同時に背後からやって来た強風で車が一瞬浮き上がる。
轟音を立てながら間近に迫った黒い竜巻が襲い掛かろうとしていた。
その中心部を良く観ると人影が揺らいでいた。
黒いスーツ姿が四人。アドリエンの配下の者たちだ。
「いかん! 奴らは高位結鬼だ。四人もそろったらもう逃げられねー!」
幼児が泡を食ったように言った。
「逃げられなかったら、俺達はどうなる?」
龍一はバックミラーで背後の竜巻を気にしながら訊いた。
「しらん!つうじょうだったら、おでたちなんか相手にしないはずだ。あの高位のあかごがいると思ってるのかもしれん。仕方がない。逃げずにつかまっておくか……どうせ逃げ切れん、やつがいないと知ったらあきらめるかもしれない」
「じゃあ、車を止めよう」
「うむ……」
と、幼児が返事をしたと同時に車は宙に浮き上がり、黒い渦の柱に巻き込まれると何処ともなく飛ばされていった。
四人の高位結鬼が巻き起こす竜巻によって飛ばされた龍一達は、山の頂にある草地へと下ろされた。
山といっても、フランスのブルゴーニュ地方は平坦な土地が多く、300m程度の峠といった感じかもしれない。
それでも豊かに木々が多い茂り、龍一達が降り立った地が一番広い草地だった。
車は四人の高位結鬼達に囲まれた。
龍一の運転席前方に立つ端整な顔立ちの男は、知的な緑の瞳と艶やかな黒髪を後ろに流した物静かな雰囲気の男だった。
彼が四人の代表格のようだ。その彼が車に近づくなり口を開いた。
「お前たちに本来、用はない。しかし、アドリエン様を傷つけた者として許すわけにはいかない」
声も固い印象だが意志の強さというより、無機質な機械仕掛けのような感情のない声だった。とても言葉通りのことを思っているとは思えない。
「はーい、おではその件にかんけいしてないから、帰らせてもらうどー」
幼児が手を上げて言い放った。
緑色の瞳が幼児を見るなり、眉根を寄せた。
「お前は低位の奴だな。何でこんなところにいる?」
「ただのとおりすがりだ、おではもう国にかえる、お前たちのじゃまはしないから、みのがしてくで」
奏閻が小さな手を合わせて憐れっぽくお願いした。
高位の男は、頷くと
「さっさと消えろ」
と、言った。
幼児は嬉しそうに、
「おおきに~」
と、車の窓からすり抜けると、風に乗り、去ろうとした。が、幼児は飛び去る事ができなかった。
上空から唐突に吹きつけた強い逆風に、幼児は勢いよく地面に叩きつけられた。
「ぎゃふん!」
と、いう悲鳴が上がり、苦痛に顔を歪め地面をのた打ち回る。体内の骨が数本折れたのかもしれない。
その様子に車の中の龍一はもちろん、その場にいた高位結鬼達まで驚きの表情だ。
上空からの風は、草地を回転し、黒いコート姿を地上に迎えた。
陽光に煌く金髪を靡かせながら微笑む姿は、天使が地上に降りてきたと錯覚するかもしれない。
それほどまでに他を圧倒する美貌の主はアドリエン・ヴィルトールだ。
首に巻いていたマフラーを左手で後ろに払いながら、天使は紫の瞳を鋭い眼光に変え、前方の端整な顔立ちをした緑の瞳に対し、吐き捨てるように言った。
「愚か者が……、こいつは羅閻の父、奏閻だ。危うく逃すところだったぞ!」
緑の瞳が動揺する。この時ばかりは機械のような固い声に感情が篭る。
「も…申し訳ありません……知らなかったものですから……」
「知らないも何もない!低位と見たら全て血祭りにあげろ!」
アドリエンが厳しく叱責する。
その様子を車の中から見ていたジーナが悲鳴を上げた。
「テラ!?」
ジーナの視線はアドリエンの右手に持つ『何か』に注がれていた。
アドリエンが手にしているモノは、天使としては似つかわしくない、血にまみれた赤子の姿であった。
赤子は自分の頭部を掴んで離さない白い手をもぎ離そうと懸命に足掻いていた。しかし、短い赤子の手ではうまいこといかない。よく観ると白い手は赤子の頭を掴んでいるだけではなく、頭部に指の第二関節までめり込ませ、直接、脳に大きな苦痛を与えていた。
アドリエンがジーナの悲壮な表情に気づき、ニヤリと邪悪な笑みを浮かべると、赤子をぶら下げた右手を持ち上げ見せびらかすように振った。体が左右に揺れるたびに、赤子の顔が苦痛に歪む。
そんな姿を見せられて、ジーナは黙っていられるほど柔な母性を持ち合わせていなかった。
車から慌てて飛び出すなり、無謀にもアドリエンに掴みかかる。
「離して! テラをかえして、この悪魔!」
腕を掴まれたアドリエンが眉間にしわを寄せ、ジーナの髪の毛を掴んだ。
「誰が悪魔だって? こいつこそ、育てば僕らなんかより恐ろしい魔王となる。だから今のうちにその芽を摘み取っておかないと世界が大変な事になるんだよ。僕らはいわばこの地上の救世主と呼んでくれても良いくらいだ。何故ならこいつらは誕生したら、いかなる手段を使っても殺すことは出来ない。」
アドリエンが赤子を宙に放り投げ、黒いコートが翻った。
ジーナの目には、アドリエンがボールのような何かを蹴りつけたように見えた。
アドリエンの手に赤子が戻ってきた。と同時に、ジーナは悲鳴を上げた。
「きゃぁぁぁぁ───!」
──無い。
赤子の……テラの首の無い胴体が血の糸を引きながらアドリエンの右手でうごめいていた。
アドリエンのブーツの先にある刃が、血で朱に染まっている。彼はこれでテラの首を切り落としたのだ。
「さぁ、お前達もよく見るんだ。僕らよりも更に力のある結鬼の再生能力を……」
アドリエンの台詞と共に、赤子の体を前方に向けると、彼方に飛んだテラの首が、飛んだ時と同じ軌跡を辿りながら戻ってきた。
それはあたかもスクリーンに映し出された映像が巻き戻るかのような再生の仕方だった。
驚いた事に、アドリエンのブーツの先に付いた血糊までも巻き戻っていく。
辺りの者は、息を呑み、高位結鬼の再生能力に恐れをなした。
「こいつらは、例えこっぱ微塵に切り裂いたとしても同じだ。瞬時に再生する。物理的にこいつらを葬る事は不可能だ。こんな奴らが本性剥き出しで地上を暴れまわったらどうなると思う?それこそ大変な惨事になるだろう……。だからこいつを今、吸収しないと大変な事になる。僕はね、好きでこんな真似をしているんじゃないよ、破壊的な力を持ちそうな奴は出来るだけ小さいうちに始末をつけて、自然の均衡を保たないとこの世界が危ないでしょ。だから仕方がないんだよ」
アドリエンはジーナの顎に手を添え、優しい瞳で語り続けた。
「だから、君の目から見たら残虐な行為でも、これは僕に課せられた宿命。これぞ自然の掟」
ジーナは絶句した。邪悪な堕天使が、真の天使のような優しさでジーナを見つめ、囁いている。 彼女の唇がわなないた。アドリエンの言葉に、賛同してしまいそうな自分を奮い起こして、彼女は負けじとアドリエンに詰め寄った。
「それでも私はテラを守りたい! この地上に産まれてきた限り、テラはテラとして生きる意味がある!」
ジーナの言葉にアドリエンは顔を顰めた。
「だから、その意味とは、僕に吸収される事だと言っているだろう!」
「違う! テラにそんな意思はない。意思のない行為に意味はない! 一方的なあなたの思い込みは、いつしかあなた自身に帰ってくる!だから、やめて! もうこんなことはやめて!!」
ジーナは必死にアドリエンに懇願した。
「うるさい女だ……手を離せ、僕はこいつを吸収する。こいつの父親はコンラッドだろう……。コンラッドは僕のクローンだ。すなわち、僕の細胞から産まれたものだ。だから、もう一度僕の中に戻るだけの事」
そう言ってテラの喉に牙を食い込ませた。
周囲の者は、ただアドリエンの行為を見守ることしか出来なかった。
「だめー!」
と、言って必死にアドリエンにしがみ付いたジーナは、何を思ったのか、アドリエンの首に噛み付いた。
その暴挙にアドリエンの怒りが頂点に達する。
噛み付いてきたジーナを振り払うと同時に右足を閃かせた。
「──!?」
周囲に驚きの声が上がり、草地にはパラパラと紅い雨が降り注ぐ。
時間を置いてジーナの体が地面に横たわり、さらに時間を置いて空中から彼女の両腕が落ちてきた。
「愚かな女だ……自分が生き残ることだけ考えていればいいものを……それがお前に与えた自然のしっぺ返しだ」
アドリエンが冷え冷えとした口調で言った。
両腕を失い、地面でわななくジーナの体に慌てて身を寄せた小さい影があった。奏閻だった。
奏閻は、背中のリュックから薄いセロファンのような膜を二枚取り出すとジーナの両肩に素早く貼り付けた。
心臓の鼓動と合わせて噴出していた血が止まった。どのような止血効果なのか……?
「てめぇー!おんなのこに対してなんてことしやがるんだぁー!!」
奏閻が振り向き様、怒気を荒げ、またもや背中のリュックから奇妙な竹筒を取り出すと、前方のアドリエンに向かってなにかを放った。
ブルゴーニュ地方はフランスのほぼ中央に位置するワインの産地だ。
縦に伸びた葡萄畑は収穫を終え、金色に色付く様から黄金丘陵と呼ばれていた。
黄金に輝く朝の葡萄畑の道を、人外のモノとそれを産んだ少女を乗せドイツ方面へと向かっていた。ドイツに向かったとしても龍一自身に宛などない。だが、仮眠の前に訪れた幼児姿の人外のモノに行けと命じられたのだ。何故、その方向に行かねば成らぬのか……質問をしたいが、一向に話が出来る状態にならなかった。
どうやら後から参入したこの幼児姿のモノは、紅砂の父親らしいのだが、確かな事が聞けない。 幼児姿の人外のモノは龍一が仮眠する前から、飽きずにおっぱいについて語り続けている。
龍一が質問しても聞く耳持たず、ずっとおっぱいの色・形・感触を細かに分析、持ち主の性格や年齢別など、どうでもいい話を延々としゃべり続けている。
龍一は質問を諦め、仮眠を取ったが、龍一が寝ている間、ずっと耳元で幼児が語り続けるため、脳内で次から次に浮かんでは消える女性の乳房の羅列にうなされながら目を覚ました。
寝ていても落ち着かないので、車を走らせたが、幼児は一言、「この道を行け」と言ったきり、またおっぱいの話しに戻った。
こうして龍一は仕方なく、このブルゴーニュ地方にやって来た。
空は快晴。
延々と続く田園風景を背景に車はひた走る。
程なくして、幼児の会話が途絶えた。
龍一は安堵した。やっと、妙な話から開放されたと喜んだ矢先、ジーナの抱いている赤子が動き出した。
「追っ手が来るぞ」
赤子の癖に、当に錆びの含んだ声をしているせいか、非常に違和感を感じる。そうでなくとも、先ほどから真紅の瞳を煌かせているこの赤子に不気味さを感じていた。
「分かるのか?」
赤子がゆっくりと頷く。
「この田園地域では、逃げ道がない……俺を下ろせ、奴らの目的は俺だ」
それを聞いてジーナが赤子を強く抱きしめた。
「だめ! テラは此処に居るの! 折角産まれたのに、あの人の前に立ったら消されてしまう!」
ジーナは自分たちを追ってくる輝くほど美しい金髪の男を思い出し身震いした。
テラと呼ばれた赤子は、母を気遣うように小さな手を伸ばし、ジーナの頬に触れる。
「優しい子だね。テラ……」
ジーナは赤子に『テラ』と名づけた。ギリシャ語では『怪物』を意味するが、フランスでは『大地』を意味する言葉、いわゆる『地球』そのものをイメージした名であった。
テラはジーナの手からすり抜けると、後部座席へと移動した。
「だめ! 行ってはだめ、ここに居なさい!」
ジーナがテラの黒いベビーウェアのフードを掴んだ。
彼の緑がかった黒髪が露になり、テラは若い母を振り返った。翡翠を思わせる深い緑の瞳が白い肌によく栄える。その瞳で静かにジーナを見つめていた。
「離せ……、俺は君に出会えて、僅かな間だけでも君の中で育まれた事に感謝している。もうこれ以上、危険な目に合う必要はない。……さようなら」
テラがそう言って、後部座席の窓を開けると背後から突風が押し寄せた。
黒く小さな体はきりもみ状態で蒼穹に舞い、龍一は慌ててブレーキを踏んだ。
車が完全に停車しない内に、ジーナはドアを開け飛び出そうとしたところ、幼児に押さえられた。
「いくな! おい、りゅういち! おまえもさっさとくるまを発進させろ! あぶねぇーだろ!」
「しかし、あの子が……」
龍一が反論すると、
「放っておけ! あいつは、あででしあわせなんだ! あのまま消えてもやつは本望だろう!」
先ほどまでのいやらしい目つきとは打って代わった真剣な幼児の眼差しに龍一もジーナも絶句した。
「いいから車をはしらせろ! 急げ!りゅういち、まにあわねぇぞ!!」
その切迫した雰囲気に、龍一は慌ててアクセルを踏んだ。と、同時に背後からやって来た強風で車が一瞬浮き上がる。
轟音を立てながら間近に迫った黒い竜巻が襲い掛かろうとしていた。
その中心部を良く観ると人影が揺らいでいた。
黒いスーツ姿が四人。アドリエンの配下の者たちだ。
「いかん! 奴らは高位結鬼だ。四人もそろったらもう逃げられねー!」
幼児が泡を食ったように言った。
「逃げられなかったら、俺達はどうなる?」
龍一はバックミラーで背後の竜巻を気にしながら訊いた。
「しらん!つうじょうだったら、おでたちなんか相手にしないはずだ。あの高位のあかごがいると思ってるのかもしれん。仕方がない。逃げずにつかまっておくか……どうせ逃げ切れん、やつがいないと知ったらあきらめるかもしれない」
「じゃあ、車を止めよう」
「うむ……」
と、幼児が返事をしたと同時に車は宙に浮き上がり、黒い渦の柱に巻き込まれると何処ともなく飛ばされていった。
四人の高位結鬼が巻き起こす竜巻によって飛ばされた龍一達は、山の頂にある草地へと下ろされた。
山といっても、フランスのブルゴーニュ地方は平坦な土地が多く、300m程度の峠といった感じかもしれない。
それでも豊かに木々が多い茂り、龍一達が降り立った地が一番広い草地だった。
車は四人の高位結鬼達に囲まれた。
龍一の運転席前方に立つ端整な顔立ちの男は、知的な緑の瞳と艶やかな黒髪を後ろに流した物静かな雰囲気の男だった。
彼が四人の代表格のようだ。その彼が車に近づくなり口を開いた。
「お前たちに本来、用はない。しかし、アドリエン様を傷つけた者として許すわけにはいかない」
声も固い印象だが意志の強さというより、無機質な機械仕掛けのような感情のない声だった。とても言葉通りのことを思っているとは思えない。
「はーい、おではその件にかんけいしてないから、帰らせてもらうどー」
幼児が手を上げて言い放った。
緑色の瞳が幼児を見るなり、眉根を寄せた。
「お前は低位の奴だな。何でこんなところにいる?」
「ただのとおりすがりだ、おではもう国にかえる、お前たちのじゃまはしないから、みのがしてくで」
奏閻が小さな手を合わせて憐れっぽくお願いした。
高位の男は、頷くと
「さっさと消えろ」
と、言った。
幼児は嬉しそうに、
「おおきに~」
と、車の窓からすり抜けると、風に乗り、去ろうとした。が、幼児は飛び去る事ができなかった。
上空から唐突に吹きつけた強い逆風に、幼児は勢いよく地面に叩きつけられた。
「ぎゃふん!」
と、いう悲鳴が上がり、苦痛に顔を歪め地面をのた打ち回る。体内の骨が数本折れたのかもしれない。
その様子に車の中の龍一はもちろん、その場にいた高位結鬼達まで驚きの表情だ。
上空からの風は、草地を回転し、黒いコート姿を地上に迎えた。
陽光に煌く金髪を靡かせながら微笑む姿は、天使が地上に降りてきたと錯覚するかもしれない。
それほどまでに他を圧倒する美貌の主はアドリエン・ヴィルトールだ。
首に巻いていたマフラーを左手で後ろに払いながら、天使は紫の瞳を鋭い眼光に変え、前方の端整な顔立ちをした緑の瞳に対し、吐き捨てるように言った。
「愚か者が……、こいつは羅閻の父、奏閻だ。危うく逃すところだったぞ!」
緑の瞳が動揺する。この時ばかりは機械のような固い声に感情が篭る。
「も…申し訳ありません……知らなかったものですから……」
「知らないも何もない!低位と見たら全て血祭りにあげろ!」
アドリエンが厳しく叱責する。
その様子を車の中から見ていたジーナが悲鳴を上げた。
「テラ!?」
ジーナの視線はアドリエンの右手に持つ『何か』に注がれていた。
アドリエンが手にしているモノは、天使としては似つかわしくない、血にまみれた赤子の姿であった。
赤子は自分の頭部を掴んで離さない白い手をもぎ離そうと懸命に足掻いていた。しかし、短い赤子の手ではうまいこといかない。よく観ると白い手は赤子の頭を掴んでいるだけではなく、頭部に指の第二関節までめり込ませ、直接、脳に大きな苦痛を与えていた。
アドリエンがジーナの悲壮な表情に気づき、ニヤリと邪悪な笑みを浮かべると、赤子をぶら下げた右手を持ち上げ見せびらかすように振った。体が左右に揺れるたびに、赤子の顔が苦痛に歪む。
そんな姿を見せられて、ジーナは黙っていられるほど柔な母性を持ち合わせていなかった。
車から慌てて飛び出すなり、無謀にもアドリエンに掴みかかる。
「離して! テラをかえして、この悪魔!」
腕を掴まれたアドリエンが眉間にしわを寄せ、ジーナの髪の毛を掴んだ。
「誰が悪魔だって? こいつこそ、育てば僕らなんかより恐ろしい魔王となる。だから今のうちにその芽を摘み取っておかないと世界が大変な事になるんだよ。僕らはいわばこの地上の救世主と呼んでくれても良いくらいだ。何故ならこいつらは誕生したら、いかなる手段を使っても殺すことは出来ない。」
アドリエンが赤子を宙に放り投げ、黒いコートが翻った。
ジーナの目には、アドリエンがボールのような何かを蹴りつけたように見えた。
アドリエンの手に赤子が戻ってきた。と同時に、ジーナは悲鳴を上げた。
「きゃぁぁぁぁ───!」
──無い。
赤子の……テラの首の無い胴体が血の糸を引きながらアドリエンの右手でうごめいていた。
アドリエンのブーツの先にある刃が、血で朱に染まっている。彼はこれでテラの首を切り落としたのだ。
「さぁ、お前達もよく見るんだ。僕らよりも更に力のある結鬼の再生能力を……」
アドリエンの台詞と共に、赤子の体を前方に向けると、彼方に飛んだテラの首が、飛んだ時と同じ軌跡を辿りながら戻ってきた。
それはあたかもスクリーンに映し出された映像が巻き戻るかのような再生の仕方だった。
驚いた事に、アドリエンのブーツの先に付いた血糊までも巻き戻っていく。
辺りの者は、息を呑み、高位結鬼の再生能力に恐れをなした。
「こいつらは、例えこっぱ微塵に切り裂いたとしても同じだ。瞬時に再生する。物理的にこいつらを葬る事は不可能だ。こんな奴らが本性剥き出しで地上を暴れまわったらどうなると思う?それこそ大変な惨事になるだろう……。だからこいつを今、吸収しないと大変な事になる。僕はね、好きでこんな真似をしているんじゃないよ、破壊的な力を持ちそうな奴は出来るだけ小さいうちに始末をつけて、自然の均衡を保たないとこの世界が危ないでしょ。だから仕方がないんだよ」
アドリエンはジーナの顎に手を添え、優しい瞳で語り続けた。
「だから、君の目から見たら残虐な行為でも、これは僕に課せられた宿命。これぞ自然の掟」
ジーナは絶句した。邪悪な堕天使が、真の天使のような優しさでジーナを見つめ、囁いている。 彼女の唇がわなないた。アドリエンの言葉に、賛同してしまいそうな自分を奮い起こして、彼女は負けじとアドリエンに詰め寄った。
「それでも私はテラを守りたい! この地上に産まれてきた限り、テラはテラとして生きる意味がある!」
ジーナの言葉にアドリエンは顔を顰めた。
「だから、その意味とは、僕に吸収される事だと言っているだろう!」
「違う! テラにそんな意思はない。意思のない行為に意味はない! 一方的なあなたの思い込みは、いつしかあなた自身に帰ってくる!だから、やめて! もうこんなことはやめて!!」
ジーナは必死にアドリエンに懇願した。
「うるさい女だ……手を離せ、僕はこいつを吸収する。こいつの父親はコンラッドだろう……。コンラッドは僕のクローンだ。すなわち、僕の細胞から産まれたものだ。だから、もう一度僕の中に戻るだけの事」
そう言ってテラの喉に牙を食い込ませた。
周囲の者は、ただアドリエンの行為を見守ることしか出来なかった。
「だめー!」
と、言って必死にアドリエンにしがみ付いたジーナは、何を思ったのか、アドリエンの首に噛み付いた。
その暴挙にアドリエンの怒りが頂点に達する。
噛み付いてきたジーナを振り払うと同時に右足を閃かせた。
「──!?」
周囲に驚きの声が上がり、草地にはパラパラと紅い雨が降り注ぐ。
時間を置いてジーナの体が地面に横たわり、さらに時間を置いて空中から彼女の両腕が落ちてきた。
「愚かな女だ……自分が生き残ることだけ考えていればいいものを……それがお前に与えた自然のしっぺ返しだ」
アドリエンが冷え冷えとした口調で言った。
両腕を失い、地面でわななくジーナの体に慌てて身を寄せた小さい影があった。奏閻だった。
奏閻は、背中のリュックから薄いセロファンのような膜を二枚取り出すとジーナの両肩に素早く貼り付けた。
心臓の鼓動と合わせて噴出していた血が止まった。どのような止血効果なのか……?
「てめぇー!おんなのこに対してなんてことしやがるんだぁー!!」
奏閻が振り向き様、怒気を荒げ、またもや背中のリュックから奇妙な竹筒を取り出すと、前方のアドリエンに向かってなにかを放った。
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