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前方から襲い来る何かを、アドリエンは左手で弾き返そうとした。だが飛んできた物体は変幻自在に形をかえる液体であった。
液体は弾かれることなく、アドリエンの手にねっとりと絡みつき不快な臭気を上げながら彼の手を溶かし始めた。
「くそ!何だこれは!?」
そう吐き捨てながら、アドリエンは左手の粘液をテラに擦り付けふき取ろうとした。
粘液が付着したテラまでも、肉が腐ったような臭気を上げ、溶け始めた。しかし、すぐに細胞の再生も行われ、泥のように崩れては元に戻りを繰り返していた。
アドリエンも同じく腐敗と再生を繰り返しているが、テラほどの再生力はない。此方は次第に腐敗した皮膚が肘まで広がりつつあった。
臭気を放ちながら粘液を振り払おうとしている二人の結鬼を、緑色の静かな瞳で鼻をひくつかせる高位結鬼がいた。
「この臭い……もしかすると、こいつが効くかな?」
緑色の瞳は、スーツの懐から細い試験管を取り出すと、中身を口に含み粘液と戦う二人の結鬼に向かって霧のように吹き付けた。
霧に包まれるなり粘液は縮小し続け、跡形もなく消えた。
二人の結鬼が元の肌を取り戻す。
「ご苦労だったな、キース」
アドリエンがキースと呼ばれる緑色の瞳を労った。珍しい事だ。
彼らが粘液と戦っている最中、幼児姿の奏閻と龍一はジーナを連れ逃げようとしていた。だが、他の3人の結鬼に阻まれ動けなくなってしまった。
「よくもやってくれたな、奏閻」
腐敗も癒えたアドリエンが肘を撫でながら近づいて来た。
「ちえっ!……もうこの手はつうようしないのか……なんだ? おまえのところにもちょいと賢い奴がついたのかい? でも、脳みそすかすかの若造につくなんざ、やはりあんぽんたんだと思うがな……」
奏閻は唇を尖がらせて悪態を吐いた。
「うるさいぞ、この前時代の汚物が!汚物は汚物らしく土に還れ」
と、アドリエンが言い返す。アドリエンは獲物を追い詰め、舌なめずりをする肉食獣のような動きで彼らに近づいてゆく。
奏閻と龍一は、ジリジリと後退したが、背後からもアドリエンの配下がにじり寄ってきた。
彼らが一斉に止まると、アドリエンが地を蹴った。
風を切り、足先の刃が奏閻の首を切り落とそうとしたその刹那、奏閻は素早く身を屈め、龍一の左手に噛み付いた。
すると、どうだろう。龍一の左腕から紅砂仕込みの隠し武器が作動し、上空に綿帽子のような花を咲かせた。
空を切るアドリエンの蹴りが風を巻き起こすと、龍一とジーナ、それにしがみ付く奏閻が一気に上昇し、空の高みへと舞い上がった。
アドリエンは舌打ちし、慌てて彼らを追う。
しかし、アドリエンが彼らに近づけば近づくほど、自ら飛ぶために巻き起こした風が、彼らをアドリエンから遠ざける。アドリエンのこめかみに青筋が立つ。怒りはさらに雑な攻撃しか彼に与えず、獲物は益々遠ざかっていった。
「はっはっは、っざっま~みろ! この『たんぽぽの綿帽子』ちゃんは、おめーのような『モノ』をそざつにしか、あつかえない野郎ゥには、ぜったいつかまえられんのだ! わっはっは!」
「おのれ!奏閻!」
アドリエンは攻撃を繰り返すも、無駄に終わった。アドリエンの配下も加わり捕まえようとするが、ふわり、ふわりと奏閻達は舞い上がり上手くいかない。
「むだ、むだ、おまえたちには、むりだよぉ~ん……とは、いうものの、このまま地上に降りられないのも、ちとこまったもんだのぉ~?」
と、腕を組む。
「全くだ。このまま奴らが離れなかったら、俺たちはどうなる?」
龍一が質問した。
「おでは平気だが、おまえたちは干からびるだろうな……」
「……」
──沈黙。
「俺たちは何故、奴らに追われている?」
龍一の質問に奏閻は、さぁ…と惚けた。
「待てー!奏閻!!」
と、アドリエンが罵りながら追いかけてくる。
龍一は、ちらりと奏閻を覗き込み、
「……どう見ても目的は君だよね」
「おい! まさかおまえはおでに、奴らの中にとびこめと、そう言うのか? か弱い幼児をえさにおまえたちは助かろうというのか?」
「しかし、彼女をこのままにしておけないでしょう。早く適切な治療が必要じゃないかと……」
「そのしんぱいはねぇーよ。おでの開発したばんそうこうは、すぐれものなんだぞー!」
「しかし、このままでは……」
龍一が苦しげなジーナの表情をみて呟く。
ジーナが何か言った。
「……テ…ラ……」
彼女の目尻から、涙の雫が頬に沿って落ちてゆく。
「テ…ラ……、テラ……」
両腕を失った痛みに耐えながらも、自分の身の安全より、我が子の無事を願っていた。
「うう~」
と、奏閻が唸った。
「おでは、もともとにげの一手で5千年いきたからの~」
弱弱しく呟きながら、もそもそとジーナを見る。彼女は切なげな眼差しで残してきたテラのいる地を眺めていた。
「わかったよー! おでがいけばいいんだろー!おでが!」
「いいのか?」
龍一が訊く。
「おめーが、行けつっただろー!?」
「俺は奴らの目的が何か訊いただけだ」
「けっ!遠まわしなやろうだな~、まあ…いい、おでは元々我が子を思うおっかちゃんってーのによわいんだ。らえんのやつもそれが狙いだったんだろ、おでがこの娘をほっとけないと分かって……あのど畜生め!」
奏閻が手を離し、龍一たちから分離した。
「おめーたちは、そのまま風にのってとんで行け。『綿帽子』の行くところはらえんの元とはじめから設定してある。あとのことはらえんに押し付けろ、じゃあな」
どうかご無事で…、という龍一の言葉に、うるせえ!と奏閻は答え、ただ一人、足を震わせ宙に浮遊していった。
前方から邪悪な笑みを浮かべながら、アドリエンが迫ってきた。
「来るならきやがれ!」
気丈に相手を煽るも足が震える。アドリエンは、奏閻の脇を通り過ぎ、龍一の後を追った。
「あ…あれ?」
戸惑う奏閻をアドリエンの配下の者達が囲った。
「お前の相手はこいつらで十分だ。僕はこのまま羅閻の元まで案内してもらうことにする」
そう言って、笑いながら去ろうとした。
だが、その時だ!
煌く水晶の如き氷の鏃が地上より天空へと降り注いだ。
ぐぉぉぉー! と言う苦鳴と共にアドリエンの二人の配下が心臓を貫かれ、銃殺された鳥のように落下して行った。
「何者だ!?」
アドリエンの叱咤と共に、落ちた二人の結鬼をぶら下げ、見たこともない白髪の子供が突然目の前に現れた。
白髪なのに子供……と知れたのは、小柄な体と美しくもあどけない顔立ちからだ。
しかし、流石のアドリエンも奏閻も、息を呑んで、本能的な恐れを感じた。
「……アルビノの結鬼?!」
アドリエンが唇を噛み締め呟いた。だが、彼にしても呟くだけで、体は一歩も動かない。
小さい癖にそれほどの迫力が目前の子供にはあった。
齢の頃は十代初め、思春期に入ろうかという男性とも女性とも言い難い美しい風貌であった。
大きめの白い軍服が所々血に染まっていた。
表情も全く無い無機質な瞳は、何も映さない人形のような瞳だった。
「お前は何者だ?」
問うてもそれには答えず、色の無い子供はアドリエンの配下を、彼の目の前で次々と吸収していった。彼らは、苦鳴をあげる間もなく、輪郭を失い、霊体の時のような透明な存在に変りながら消えていった。
アドリエンは為す術もないままその様子を見ていた。
吸収し終えた子供が、顔を上げ、アドリエンを無機質な瞳で見つめた。
「ザン……」
色の無い子供が、一言だけ漏らした。どうやらそれが彼の名前らしい。
「う~む~、これだけの人数を吸収できるということは、こいつ……キング候補かもしれない……」
奏閻の呟きにアドリエンが反応した。
「おい!この成長の度合いからして、こいつは何人ぐらい吸収している?!」
二人の目の前で、残されたアドリエンの配下を次々と追いかけ、吸収する。
その様子を見ながら、奏閻の額から冷や汗が垂れる。
「この様子だと10人以上だ……。このじき、ここまで力をつけられるということは、恐らくげんじてんでこいつが最強のけっきだ。おでだけじゃねぇ……おめえもこいつぁ~あぶねーぞ……」
「10人?」
ロシアに送ったアドリエンの配下と一致する人数だ。彼の口元に苦笑いが浮かぶ。
「なるほど、そのようだな……」
と、アドリエンは素直に認めた。高位結鬼を二人もまとめて吸収しえる器だ。
手の内もないのにやりあうのは自殺行為だろう。
アドリエンは手を引く判断をした。だが、此処から引き上げるにしても、奴が追ってこないとも限らない。いや、確実に追ってくるだろう?
力の差は、既に目前の子供の方が上だ。
アドリエンは、緊張で身を震わせる奏閻にさりげなく近づき、捕まえた。
「ひぃぃぃ~!」
と、突然の出来事に奏閻は、悲鳴を上げ、手足をバタつかせた。
あっさりと奏閻が捕まったのは、アドリエンから漂う狂狂とした殺気がまるで感じられなかったからだ。
紫の瞳に奏閻の顔が映っている。そう確認できる距離まで、アドリエンは奏閻に顔を近づけた。
「お前は5千年もの間、逃げ続け、生き延びてきたと言ったな……僕にその力を貸せ、僕を連れて奴から逃げるんだ」
「ええ──!?」
「出来るだろ? さもなければ、お前を今、此処で吸収する」
「ひぃぃぃ──! 分かった、分かった、言う通りにする~……と、言いたいところだが、逃げる手立てが本当に無い」
「なんだと?」
アドリエンの眉間にしわが寄り、そんな事は許さん、とでも言わんばかりに奏閻を睨めつける。
「さっきの妙な道具は何だ?アレを出せ!」
龍一の左手から飛び出した『たんぽぽの綿帽子』の事だろう。龍一たちは、この騒ぎで既に彼方へと飛んで見えなくなっていた。無事に羅閻の元に着けばよいが……奏閻はそんな事を思いながら、
「アデは、りゅういちの腕にあったものでさいごなんだよ」
と、言った。
ちっ!とアドリエンは舌打ちし、奏閻の首を絞めた。
「他に無いのか!?」
アドリエンと奏閻が話をしている間に、空中戦を繰り広げていた最後の配下がザンに捕まり、瞬く間に吸収されていった。
ザンが上唇を舐めながら、こっちに向かって来る。
「おい、早く何とかしろ!」
アドリエンが焦りながら奏閻を揺する。奏閻は泣きながら、
「人にたよってねぇーで、おめーもなんとかしろよぉー、ひ、ひ、おめー火をもってねーか?」
「火?」
「これしか無いが」
アドリエンが懐から銃を取り出した。
「う~~、そでしかないなら、そででやってみよう……おでが撃てといったら撃てよ」
アドリエンは引き金を引く音で答えた。
目の前にZANが迫っている。
「撃て──!」
奏閻の掛け声と共に銃声が上がり、火炎放射器のような激しい炎がザンを襲った。
炎は奏閻の口から噴出す空気が発砲した火花で点火し、激しく燃え上がった。
火の勢いと共に、炎と格闘するザンから、二人はジェット機のように逃げ出した。
アドリエンが不思議そうに奏閻を見つめた。
「口から火を吹くとは、妙な真似が出来るな……。どうなってるんだ?」
炎の勢いが弱まり、失速しながら奏閻は一息ついた。
「りゅうかすいそだ。おでとらえんだけのとくぎだ。どうなってるかは教えん」
「羅閻も同じ……? 遺伝的なものか?」
アドリエンの問いに奏閻は意味ありげにニヤリと笑う。
「いでんとかんきょうの両方だ。もともといでんとは、かんきょうによってかわってくるものだろう……かんきょうとは、生きるうえで重要なえいきょうを与える。だから、これからおでにとって得な場所へ行くぞ。そこなら奴もそうそうについてこないだろうが、お前にとっても地獄だぜ~、ひひひ……」
底意地の悪い奏閻の笑いと共に、下界へと急降下した。そして、二人は瞬く間に水中へと没した。
そこはヨーロッパ北部からスカンジナビア半島に囲まれた内海、──バルト海であった。
この海が一体、彼らにどんな影響を与えるのか?
同じ環境において、彼らを天と地に分かつものとは?
アドリエンは帰来島へと送ったコンラッドを想う。
案ずる必要はないと、気晴らし程度に向かわせたが、コンラッドの身に暗雲のような霧が立ち込めているようで落ち着かない。
羅閻の生息地に安易に向かわせた自分に後悔の念が過ぎりつつ、アドリエンは、奏閻を捕らえたまま水中深くへと潜っていった。
液体は弾かれることなく、アドリエンの手にねっとりと絡みつき不快な臭気を上げながら彼の手を溶かし始めた。
「くそ!何だこれは!?」
そう吐き捨てながら、アドリエンは左手の粘液をテラに擦り付けふき取ろうとした。
粘液が付着したテラまでも、肉が腐ったような臭気を上げ、溶け始めた。しかし、すぐに細胞の再生も行われ、泥のように崩れては元に戻りを繰り返していた。
アドリエンも同じく腐敗と再生を繰り返しているが、テラほどの再生力はない。此方は次第に腐敗した皮膚が肘まで広がりつつあった。
臭気を放ちながら粘液を振り払おうとしている二人の結鬼を、緑色の静かな瞳で鼻をひくつかせる高位結鬼がいた。
「この臭い……もしかすると、こいつが効くかな?」
緑色の瞳は、スーツの懐から細い試験管を取り出すと、中身を口に含み粘液と戦う二人の結鬼に向かって霧のように吹き付けた。
霧に包まれるなり粘液は縮小し続け、跡形もなく消えた。
二人の結鬼が元の肌を取り戻す。
「ご苦労だったな、キース」
アドリエンがキースと呼ばれる緑色の瞳を労った。珍しい事だ。
彼らが粘液と戦っている最中、幼児姿の奏閻と龍一はジーナを連れ逃げようとしていた。だが、他の3人の結鬼に阻まれ動けなくなってしまった。
「よくもやってくれたな、奏閻」
腐敗も癒えたアドリエンが肘を撫でながら近づいて来た。
「ちえっ!……もうこの手はつうようしないのか……なんだ? おまえのところにもちょいと賢い奴がついたのかい? でも、脳みそすかすかの若造につくなんざ、やはりあんぽんたんだと思うがな……」
奏閻は唇を尖がらせて悪態を吐いた。
「うるさいぞ、この前時代の汚物が!汚物は汚物らしく土に還れ」
と、アドリエンが言い返す。アドリエンは獲物を追い詰め、舌なめずりをする肉食獣のような動きで彼らに近づいてゆく。
奏閻と龍一は、ジリジリと後退したが、背後からもアドリエンの配下がにじり寄ってきた。
彼らが一斉に止まると、アドリエンが地を蹴った。
風を切り、足先の刃が奏閻の首を切り落とそうとしたその刹那、奏閻は素早く身を屈め、龍一の左手に噛み付いた。
すると、どうだろう。龍一の左腕から紅砂仕込みの隠し武器が作動し、上空に綿帽子のような花を咲かせた。
空を切るアドリエンの蹴りが風を巻き起こすと、龍一とジーナ、それにしがみ付く奏閻が一気に上昇し、空の高みへと舞い上がった。
アドリエンは舌打ちし、慌てて彼らを追う。
しかし、アドリエンが彼らに近づけば近づくほど、自ら飛ぶために巻き起こした風が、彼らをアドリエンから遠ざける。アドリエンのこめかみに青筋が立つ。怒りはさらに雑な攻撃しか彼に与えず、獲物は益々遠ざかっていった。
「はっはっは、っざっま~みろ! この『たんぽぽの綿帽子』ちゃんは、おめーのような『モノ』をそざつにしか、あつかえない野郎ゥには、ぜったいつかまえられんのだ! わっはっは!」
「おのれ!奏閻!」
アドリエンは攻撃を繰り返すも、無駄に終わった。アドリエンの配下も加わり捕まえようとするが、ふわり、ふわりと奏閻達は舞い上がり上手くいかない。
「むだ、むだ、おまえたちには、むりだよぉ~ん……とは、いうものの、このまま地上に降りられないのも、ちとこまったもんだのぉ~?」
と、腕を組む。
「全くだ。このまま奴らが離れなかったら、俺たちはどうなる?」
龍一が質問した。
「おでは平気だが、おまえたちは干からびるだろうな……」
「……」
──沈黙。
「俺たちは何故、奴らに追われている?」
龍一の質問に奏閻は、さぁ…と惚けた。
「待てー!奏閻!!」
と、アドリエンが罵りながら追いかけてくる。
龍一は、ちらりと奏閻を覗き込み、
「……どう見ても目的は君だよね」
「おい! まさかおまえはおでに、奴らの中にとびこめと、そう言うのか? か弱い幼児をえさにおまえたちは助かろうというのか?」
「しかし、彼女をこのままにしておけないでしょう。早く適切な治療が必要じゃないかと……」
「そのしんぱいはねぇーよ。おでの開発したばんそうこうは、すぐれものなんだぞー!」
「しかし、このままでは……」
龍一が苦しげなジーナの表情をみて呟く。
ジーナが何か言った。
「……テ…ラ……」
彼女の目尻から、涙の雫が頬に沿って落ちてゆく。
「テ…ラ……、テラ……」
両腕を失った痛みに耐えながらも、自分の身の安全より、我が子の無事を願っていた。
「うう~」
と、奏閻が唸った。
「おでは、もともとにげの一手で5千年いきたからの~」
弱弱しく呟きながら、もそもそとジーナを見る。彼女は切なげな眼差しで残してきたテラのいる地を眺めていた。
「わかったよー! おでがいけばいいんだろー!おでが!」
「いいのか?」
龍一が訊く。
「おめーが、行けつっただろー!?」
「俺は奴らの目的が何か訊いただけだ」
「けっ!遠まわしなやろうだな~、まあ…いい、おでは元々我が子を思うおっかちゃんってーのによわいんだ。らえんのやつもそれが狙いだったんだろ、おでがこの娘をほっとけないと分かって……あのど畜生め!」
奏閻が手を離し、龍一たちから分離した。
「おめーたちは、そのまま風にのってとんで行け。『綿帽子』の行くところはらえんの元とはじめから設定してある。あとのことはらえんに押し付けろ、じゃあな」
どうかご無事で…、という龍一の言葉に、うるせえ!と奏閻は答え、ただ一人、足を震わせ宙に浮遊していった。
前方から邪悪な笑みを浮かべながら、アドリエンが迫ってきた。
「来るならきやがれ!」
気丈に相手を煽るも足が震える。アドリエンは、奏閻の脇を通り過ぎ、龍一の後を追った。
「あ…あれ?」
戸惑う奏閻をアドリエンの配下の者達が囲った。
「お前の相手はこいつらで十分だ。僕はこのまま羅閻の元まで案内してもらうことにする」
そう言って、笑いながら去ろうとした。
だが、その時だ!
煌く水晶の如き氷の鏃が地上より天空へと降り注いだ。
ぐぉぉぉー! と言う苦鳴と共にアドリエンの二人の配下が心臓を貫かれ、銃殺された鳥のように落下して行った。
「何者だ!?」
アドリエンの叱咤と共に、落ちた二人の結鬼をぶら下げ、見たこともない白髪の子供が突然目の前に現れた。
白髪なのに子供……と知れたのは、小柄な体と美しくもあどけない顔立ちからだ。
しかし、流石のアドリエンも奏閻も、息を呑んで、本能的な恐れを感じた。
「……アルビノの結鬼?!」
アドリエンが唇を噛み締め呟いた。だが、彼にしても呟くだけで、体は一歩も動かない。
小さい癖にそれほどの迫力が目前の子供にはあった。
齢の頃は十代初め、思春期に入ろうかという男性とも女性とも言い難い美しい風貌であった。
大きめの白い軍服が所々血に染まっていた。
表情も全く無い無機質な瞳は、何も映さない人形のような瞳だった。
「お前は何者だ?」
問うてもそれには答えず、色の無い子供はアドリエンの配下を、彼の目の前で次々と吸収していった。彼らは、苦鳴をあげる間もなく、輪郭を失い、霊体の時のような透明な存在に変りながら消えていった。
アドリエンは為す術もないままその様子を見ていた。
吸収し終えた子供が、顔を上げ、アドリエンを無機質な瞳で見つめた。
「ザン……」
色の無い子供が、一言だけ漏らした。どうやらそれが彼の名前らしい。
「う~む~、これだけの人数を吸収できるということは、こいつ……キング候補かもしれない……」
奏閻の呟きにアドリエンが反応した。
「おい!この成長の度合いからして、こいつは何人ぐらい吸収している?!」
二人の目の前で、残されたアドリエンの配下を次々と追いかけ、吸収する。
その様子を見ながら、奏閻の額から冷や汗が垂れる。
「この様子だと10人以上だ……。このじき、ここまで力をつけられるということは、恐らくげんじてんでこいつが最強のけっきだ。おでだけじゃねぇ……おめえもこいつぁ~あぶねーぞ……」
「10人?」
ロシアに送ったアドリエンの配下と一致する人数だ。彼の口元に苦笑いが浮かぶ。
「なるほど、そのようだな……」
と、アドリエンは素直に認めた。高位結鬼を二人もまとめて吸収しえる器だ。
手の内もないのにやりあうのは自殺行為だろう。
アドリエンは手を引く判断をした。だが、此処から引き上げるにしても、奴が追ってこないとも限らない。いや、確実に追ってくるだろう?
力の差は、既に目前の子供の方が上だ。
アドリエンは、緊張で身を震わせる奏閻にさりげなく近づき、捕まえた。
「ひぃぃぃ~!」
と、突然の出来事に奏閻は、悲鳴を上げ、手足をバタつかせた。
あっさりと奏閻が捕まったのは、アドリエンから漂う狂狂とした殺気がまるで感じられなかったからだ。
紫の瞳に奏閻の顔が映っている。そう確認できる距離まで、アドリエンは奏閻に顔を近づけた。
「お前は5千年もの間、逃げ続け、生き延びてきたと言ったな……僕にその力を貸せ、僕を連れて奴から逃げるんだ」
「ええ──!?」
「出来るだろ? さもなければ、お前を今、此処で吸収する」
「ひぃぃぃ──! 分かった、分かった、言う通りにする~……と、言いたいところだが、逃げる手立てが本当に無い」
「なんだと?」
アドリエンの眉間にしわが寄り、そんな事は許さん、とでも言わんばかりに奏閻を睨めつける。
「さっきの妙な道具は何だ?アレを出せ!」
龍一の左手から飛び出した『たんぽぽの綿帽子』の事だろう。龍一たちは、この騒ぎで既に彼方へと飛んで見えなくなっていた。無事に羅閻の元に着けばよいが……奏閻はそんな事を思いながら、
「アデは、りゅういちの腕にあったものでさいごなんだよ」
と、言った。
ちっ!とアドリエンは舌打ちし、奏閻の首を絞めた。
「他に無いのか!?」
アドリエンと奏閻が話をしている間に、空中戦を繰り広げていた最後の配下がザンに捕まり、瞬く間に吸収されていった。
ザンが上唇を舐めながら、こっちに向かって来る。
「おい、早く何とかしろ!」
アドリエンが焦りながら奏閻を揺する。奏閻は泣きながら、
「人にたよってねぇーで、おめーもなんとかしろよぉー、ひ、ひ、おめー火をもってねーか?」
「火?」
「これしか無いが」
アドリエンが懐から銃を取り出した。
「う~~、そでしかないなら、そででやってみよう……おでが撃てといったら撃てよ」
アドリエンは引き金を引く音で答えた。
目の前にZANが迫っている。
「撃て──!」
奏閻の掛け声と共に銃声が上がり、火炎放射器のような激しい炎がザンを襲った。
炎は奏閻の口から噴出す空気が発砲した火花で点火し、激しく燃え上がった。
火の勢いと共に、炎と格闘するザンから、二人はジェット機のように逃げ出した。
アドリエンが不思議そうに奏閻を見つめた。
「口から火を吹くとは、妙な真似が出来るな……。どうなってるんだ?」
炎の勢いが弱まり、失速しながら奏閻は一息ついた。
「りゅうかすいそだ。おでとらえんだけのとくぎだ。どうなってるかは教えん」
「羅閻も同じ……? 遺伝的なものか?」
アドリエンの問いに奏閻は意味ありげにニヤリと笑う。
「いでんとかんきょうの両方だ。もともといでんとは、かんきょうによってかわってくるものだろう……かんきょうとは、生きるうえで重要なえいきょうを与える。だから、これからおでにとって得な場所へ行くぞ。そこなら奴もそうそうについてこないだろうが、お前にとっても地獄だぜ~、ひひひ……」
底意地の悪い奏閻の笑いと共に、下界へと急降下した。そして、二人は瞬く間に水中へと没した。
そこはヨーロッパ北部からスカンジナビア半島に囲まれた内海、──バルト海であった。
この海が一体、彼らにどんな影響を与えるのか?
同じ環境において、彼らを天と地に分かつものとは?
アドリエンは帰来島へと送ったコンラッドを想う。
案ずる必要はないと、気晴らし程度に向かわせたが、コンラッドの身に暗雲のような霧が立ち込めているようで落ち着かない。
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