奇夜に結ぶ鬼

蓮華空

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 花之悲壮岳から吹きつける風に誘われ、コンラッドは山の中を彷徨っていた。

 紅砂の気配はすれども、一向に彼の姿が掴めない。その理由の一つに、紅砂の気配を乗せて吹く風が一方向から吹いてくる訳ではなく、全く逆の方向から同時にやってくることもあるからだ。お陰でコンラッドは混乱し、余計な緊張感から、神経はささくれ立ち、周囲の木々を何ふりかまわず伐りつけていた。

 木々が倒れる度に、父島に地響きがあがる。
 鳥たちが暗闇の中、悲鳴を上げつつ飛び立って行った。

(どうなってるんだ? くそ……!)

 コンラッドの苛立ちは頂点に達した。
 鬱蒼とした森がなんとも気に入らない。

「どこだ!? 羅閻!!」

 声に出して叫んでみる。だが、そこには、沈黙で答える森があるだけだった。
 コンラッドは不意に、言いようのない孤独感に苛まれた。
 沈黙で返す、森の見えない圧力に耐え切れなくなった彼は、前方の大樹を切りつけようとして、もう一度体を回転させ、足を止めた。

 目前の大樹から立ちこめる圧倒的な威圧感が、そうさせたのだ。

 樹齢3000年以上を誇るこの大樹は、所々萎縮し、裂け、瘤をつくり、うねるように天高く伸びている。

 ただ、この地に立つ──。

 この樹がしてきた事はたったそれだけの事だ。

 だが、永い年月をそうして生き続けてきた自然に、コンラッドは敬意を賞したくなった。

 よく観ると大樹の半分はすでに死んだ細胞だ。しかし、大樹は、死んだその細胞を礎に永い時を生きている。
ただ、そこに立って生きる事の壮絶さを、大樹は物語っていた。

 コンラッドは自分の左手を切りつけ、すぐに再生する肌を見つめた。

(何故、俺たちはすぐに再生を果たす……?)

 コンラッドが感慨に耽っていると、また紅砂の気配がした。それも大樹の根元からだ。コンラッドの口元がほころぶ。

「なるほど、そういう事か……」

 大地の割れ目から吹き付ける風が、今までコンラッドを迷わせていた。

 紅砂は地下にいる。

 コンラッドがそう確信すると、今度は地面に対し刃物を振るった。大樹の根の一部を切り刻みながら体重をかけ地に潜って行く。

 ふっと体が沈み、地中に僅かなスペースが作られた。足下は花崗岩でこれ以上地中に潜るのは無理かと思われたが、実際には花崗岩の割れ目から紅砂の香りがする。 
 
「さらに下か」

 コンラッドは呟き、屈み込むと、左手を岩に、右手には全神経を集中させ拳を岩に叩きつけた。
 岩が粉々に砕け彼は地下へと落下していった。

 地下は長い溶岩洞になっていた。時折、火山性のガスが発生するこの地は、恐らく紅砂と奏閻以外に足を踏み入れた事などないだろう。

 コンラッドは真っ暗な溶岩洞を軽快に歩いて行く。結鬼の目は夜目が利く、ましてや紅砂の居場所を感知できればコンラッドにもう迷いは無かった。

 500mほど進んだ頃だろうか……前方で彼と同じ紅玉の瞳が揺れていた。

 ──紅砂だ。彼は何故、この狭い空洞の中で立ち止まり、敵を迎え入れたのか……?
 紅砂の濡れた唇がゆっくりと開いた。
 
「もう少し用心なさったら如何です? あなた達高位の結鬼は自分の再生力を過信しすぎだと思いますよ。まずは、自分を深く知ってみることです」

「余計なお世話だ。お前こそ、もう逃げ場は無いんじゃないか?」

 コンラッドが訊き返す。彼の言葉に紅砂の笑みはより一層深く刻まれた。

「逃げ場が無いのではなく、逃げる必要がないんですよ。あなたの方こそ、諦めて此処で帰りなさい。その方が賢い選択だと思いますよ。」

「わざわざそれを伝えるために姿を現したのか? 親切な野郎だな……」

「お互い傷つけ合う必要などないでしょう。あなたは僕を吸収したいわけではないようですし……」

 紅砂の言葉にコンラッドは頷いた。

「吸収したがってるのはアドリエンだ。あいつがどうしてそうしたいのか、俺にも分からない……」

 紅砂が鼻で笑う。

「高位の結鬼は鈍感だからな。自分が欲するものが、何を意味するのか分からない」

 不服そうにコンラッドの瞳が細まる。

「そういうものでは無いのか? お前にはその意味が分かっているのか?」

「まあね……、だけど、それも妄想だ」

 溶岩洞の中でコンラッドの笑いが木霊した。

「妄想? それではお前も分かってないのと同じじゃないか!?」

 紅砂は肩を竦めた。

「だけど、あなた達よりましさ。だから、あなた方の闇は濃く深い、光が深部に届くことは無いから、多くのものを吸収しようとする。……哀しいかな、その行為が逆に周囲を輝かせる事になり、益々、光を欲する……。だが、あなた方はどんなに光を欲しようとも、闇に帰るしかない」

 そう呟く紅砂の顔には、高位結鬼に対する同情すら感じられる。
 コンラッドが肩を竦めながら言った。

「闇から生まれて、闇に帰る……全てがそういうものだろう?」

「確かに……『生』とは一瞬の閃きのようなもの。その一瞬に有るのが『生』。だけど、その一瞬を感じることが出来なければ、光の中にあっても、闇に居るのと同じ事……」

 コンラッドの左の頬が僅かに引き攣る。
 紅砂はそんなコンラッドの様子を嘲笑した。

「だから、あなた達は鈍感だと言うのです、いや、初めからそのような感覚が与えられていないのかもしれない……」

 コンラッドが疾風と共に紅砂に襲い掛かる。一握りで喉を潰し、これ以上二の句が告げられぬようにしてから、コンラッドは紅砂の耳元で囁いた。

「黙って聞いてりゃ好きなことほざきやがって……、何らかの理由をつけて自分らの特権意識を持っているだけではないのか!? 所詮、お前達は俺達に食われる運命だ! それが気に食わないだけだろう……?」

 コンラッドの問いかけに、紅砂は首を振って答えた。──否、と言いたいのだろう。
 紅砂の首筋に熱い息を吹きかけながらコンラッドが続けた。

「アドリエンから、半分はお前の血を吸って良いと言われている。吸収される恐怖を味わいながら、これから残された自分の『生』について考えな!」

 コンラッドの瞳が真紅に煌くと、白い牙が紅砂の喉を貫いた。

 暗い溶岩洞の中で、紅砂は壁を背に、きつくコンラッドの腕に囚われていた。血の香りがあたり一面を覆う。
 紅砂は抵抗しなかった。初めから半分だけと彼自身が言っていたこともあるが、相手を理解するのに、一番分かりやすい方法が、この吸血行為に他ならないからだ。
 紅砂の口元に微かな笑みが浮かぶ。彼はコンラッドの中に、何を見たのか……?
 吸血を終えたコンラッドの白い牙が離れ、顔を上げると、安堵の篭った紅砂の瞳が待っていた。その様子に、コンラッドは訝しげに眉根を寄せた。

(美味いか?)

 紅砂が尋ねた。潰された喉では、声がまだ出ない。
 コンラッドは、彼の唇の動きで質問の内容を理解した。唇に残る血を袖口でふき取り、

「……まずい!」

 と、顔をしかめて答える。正直な感想だ。
 それを聞いた紅砂は艶やかに微笑んだ。

(気の進まない血なんか飲むもんじゃないよ……しかし、君はいささか妙な奴だ。僕の血は、ある女の血が混じっているため、特に高位の者には美味いはずだ……、それなのに、この血の香りが分からないなんてね……)

「?」

 コンラッドが不思議そうに紅砂を見つめていた。紅砂の唇の動きが読めなかったのか、言っている内容が理解できなかったのか、いずれにせよ、コンラッドの気を引くものではなかったらしい。彼は紅砂の髪の毛を鷲づかみにし、囁いた。

「さあ、お前はこのままフランスまで来てもらおう」

 紅砂は首を振った。彼には遣り残した事がある。白閻を完全体にし、四鵬の命を救う事……これだけは、果たしておきたい事柄であった。

 コンラッドは苛立ちを覚えた。本来なら吸血した時点で、紅砂は自分の命令に従うはずである。
それなのに紅砂は首を立てに振らなかった。苛立ちは、彼に暴力的な行為を齎した。アドリエンと同じ血がそうさせるのか、気に入らないものは、消せ、もしくは、とことん追い詰め地獄を見せる。彼もその流儀に従った。そのような方法でしか、彼は人を従わせる術を知らなかった。

 右足の刃物が、闇の中で閃く。
 防ごうとした紅砂の左手が血しぶきを上げ、天井に飛んだ。

 紅砂が身を引く。

 追うコンラッドは、間髪要れず左足を閃かせた。
 紅砂が狭い溶岩洞の中、後方に回転しながら、切られた左腕を拾い、切り口にあてがうと、彼はそのまま後方へと風に乗って猛スピードで深い地下道へと進んでいった。

 コンラッドも後を追う。抜け道もない狭い溶岩洞は、コンラッドに有利かと思われた。だが、紅砂の後を追えば追うほど、コンラッドは妙な感覚に顔を顰めた。

 紅砂の笑みがさらに深く刻まれてゆく。紅砂が足を止めた。

 相手が何を考えているのか分からないが、コンラッドはチャンスとばかり、後方から風を呼び、一気に前方の紅砂目掛けて叩きつけた。

 風は鎌イタチの如く、紅砂の全身を切り刻み、鮮血が糸のように後方へと伸びて行く。だが、真紅の糸を引きながらも紅砂の笑みは変らなかった。寧ろコンラッドに対し、

「いい風を有難う、起こす手間が省けたよ」

 と、礼を言った。

「──何!?」

 と、驚くと共に、コンラッドは体を前屈させたかと思うと、かつてない苦しみを味わった。

 ──呼吸が出来ないのだ。

 彼は極度の喘息患者のような呼吸器障害を起こしていた。思うように体が動かせず、地に突っ伏すコンラッドに紅砂はゆっくりと近づいた。

「苦しいでしょう。高位結鬼の再生力を持ってしても、酸素分圧が低下すれば、細胞の活動は難しい。此処は元々憤怒岳の火山活動により硫化水素が充満してる。すなわち、死を知らぬあなた方をより死に近づけ、仮死状態にする事が出来る場所。あなたは、自分が暴露していることに気づかなかったのですか? おそらく嗅覚にも異常をきたし、皮膚組織も一部壊死し始めていたというのに……」

 紅砂の言うとおり、コンラッドの皮膚は緑がかった暗赤褐色にところどころ変化していた。

 コンラッドは先ほどから身体に妙な感覚があった。しかし、その身に何が起ころうとも再生する自分の体に対するおごりが勝敗を決めた。コンラッドは自然を知らぬが故に、自然に負けたのだ。

 それにしても、何故、紅砂は同じ場に居て、平然としているのだろう?

 コンラッドの瞳にも、そのような疑問が浮かぶ。紅砂は、彼の言わんとしている事を察し、説明した。

「僕はね……、父の代からこの地に住んでいる。この島の池は、山から流れてくる淡水と地下から進入してくる海水と二層に分かれた汽水湖でね。その淡水と海水の狭間では、酸素がなく、硫化水素を糧として30億年もの昔から変わらず生きている紅色硫黄細菌がいる。僕はその細菌を永きに渡って体内に住まわせることで、酸素を必要とせず活動する術を手に入れた。あなたの起こした風は、その硫化水素を高濃度で集めてしまったのですよ。……ほら、もう意識を保つ脳もやられてきましたね。……ゆっくり『仮の死』を味わいながら、お休みなさい」

 紅砂がそう言うと、コンラッドは瞼を閉じ、動かなくなった。

 そして、紅砂は懐からゼリー状の塊を取り出すと、端と端を摘み、さっと宙で振り回し大きな袋状に伸ばした。彼はそれをコンラッドに被せ、白閻を包んでいた時と同じような膜を作った。
 
 コンラッドは膜に包まれ、大きなバルーンのように宙に浮くと、紅砂は片手でそれを突きながら地中の奥へと消えていった。
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