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【番外編】狂王
しおりを挟むくすんだ記憶の中で、輝くのは結婚生活だった。全てを失い、玉座に座っても、狂王はつい昨日のことのように、妻を思い出すことができた。
『旦那様~!』
大口を開けて笑い、よく動き回る。コロコロと変わる表情に、いつも胸が締め付けられていた。
他の人には見せて欲しくない
そんな重たいことを言っても、妻はカラカラと笑うだけ。そんなおおらかで、軽いところも愛していた。
抱き締めた時の温もりも覚えている。腕の中に収まる体と甘い匂い。オメガだからと言っていたが、特別な香りだった。
首筋から漂う芳香は、王に安らぎを与えた。こんな時はいつだってお喋りな妻も、静かになる。頭を撫でられ、細い指で耳を摘ままれる感触に、胸が温かくなった。
『ねぇ、旦那様……手紙、読んだ?』
青く透き通った瞳が輝いていた。内緒話をするように、耳に息を吹きかけられる。くすぐったい、やめてと笑った。
二人でじゃれ合う時間は、母親の温もりも忘れてしまった王にとって、かけがえのない時間だった。
『はい、そのために早く帰ってきたのですから……それで……本当なのですか?』
『……』
ちょっと得意げな顔をして、妻はもったいぶっていた。この人が何をしていても可愛い。おかしくなってキスをして、もう一度聞いた。
『当たり前だろ!……子どもができましたー!』
王は瞠目した。手紙を読んでいてもたってもいられず、馬を走らせたが、現実感がなかった。つい目線が落ちて、平らな腹を見つめる。妻は笑って、王の手を取った。
『なんだよ~、もっと喜んでよ!』
『ぁ……』
手を腹に当てられて、声が出なくなった。嬉しいとか、愛しているとか言葉が頭の中を駆け巡る。なのに、口から出てきたのは嗚咽だった。
『ぁ……うっうっ……』
『また泣く~』
妻が髪を乱すようにして、撫で回す。堪らなくなって抱き締めようとしたが、我に返った。
『……っ』
『ん? 何してんの?』
寝台から掛け布団を持ち出し、妻の肩にかけた。自分が父親になるという事実に歓喜したが、それよりも妻の体調が心配になった。
『冷やすと、体に悪いので……っ、これからはもっと温かくしましょう』
絹の布団を妻に巻き付けるようにした。真面目に考えた結果だったが、妻は爆笑していた。
『大丈夫だから!』
『でもっ……』
『まだ腹も膨れてないのに! 父親がこんな調子だと心配になるな~』
『私が……父親……』
妻に言われて、現実味が出てくる。父親……権力争いで母を亡くし、自分に関心も示さない実の父親……
『私が……親に……なれるでしょうか』
『何言ってんの~。最高の父親になるよ!』
妻は笑いながら、耳にキスをしてくれた。不思議な事に、この人に言われると、そうなる気がした。
『子ども、絶対可愛いよ~』
『……そう、ですね』
妻は子どもの名前とか、産着を早速侍女に頼んでいた。子どもは春に生まれる予定だと聞き、胸が高鳴った。
この冬を乗り越えれば、新しい家族が生まれる。そう遠くない未来に、王は涙が止まらなくなっていた。
『これ以上の幸せが……ありますでしょうか』
『いっつもそれ言ってるな~』
妻は呆れているようだったが、本心だった。結婚してから、王は幸福続きだった。幼少期、手に入れることができなかった幸せな時間。それが当たり前のように繰り返されて、毎日こっそり泣いていた。
『これからもっと幸せなことが起きるよ! ずっと続いているのが……見える!』
『はい』
「見えてるって、言っていたじゃないか……」
「……陛下?」
気遣うような声は、戦将軍だった。新しく任命した年若い男が、王を心配そうに見つめていた。
「――なんでもない、如何した?」
「はっ、宰相家の身内を全て捕らえました。地下牢に収容しております」
「そうか……よくやった。裁判はさっさと済ませろ。一週間後には、広場に処刑台を設置する」
「はっ」
襲撃から三日。まだ宮殿は、血の臭いがこびり付いていた。
研ぎ澄まされた剣には、首を次々と撥ねていった跡が残っている。逃げ惑う女官、恐怖で叫び声を上げた后……全員を始末したが、まだ王の心は満たされなかった。
まだだ
まだ、足りない
根絶やしにすれば、もしかしたら妻が返ってくるかもしれない――妄執に囚われた王は、ふと思い出した。
「リンネテンセイ」
「……?」
そうだ。妻が言っていた。テンセイを果たしても、自分達は一緒だと。
見つけてくださいね――
「必ず見つけます」
王の目の下のクマはどす黒く、目は濁りきっていた。
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