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34.負けられない
しおりを挟むぞろぞろと大勢の足音が聞こえる。横になって、肘を突いて本を読んでいたマルベーはのっそりと起き上がった。はっとした若者が、飛び上がるようにして出て行った。
「――罪人はここかしら」
「……」
無視していると、後ろに控えていたユーグが声を張り上げた。
「そうです! 母上! こいつです! 王家に泥を塗った不届き者はっ!」
(こいつはホント、母親がそばにいるとイキるよな~)
マルべーはきゃんきゃん吠える弟殿下を無視して、后と対峙した。こんな饐えた匂いのする牢屋に来るため、胸元を豪奢なネックレスで固めた后。宝石が子どもの拳ぐらいあるサイズで、重くないのかな~とマルベーは観察していた。
従者を従えた親子が、マルベーの牢屋に入ってくる。鍵を開けるところを、さっと確認した。
「……お前、口が聞けなかったかしら?」
「い~え~、とんでもない! お后様のお美しさに声も出なかったのです~。お許しを~」
笑うが、一歩も引かない姿勢を示す。皇帝陛下は姿を見せず、後継者を狙う親子二人。目的が見えず、油断できない状況だった。
「おい、マルベーに何かしてみろ!」
隣から切り裂くような声がする。ラファイエットの怒りを感じて、頼もしかった。后は鬱陶しげに、扇子を仰いでいた。
「よくもこんな汚らわしい場所にいられるわね」
「そうですか? 慣れたら快適ですよ! お后様もぜひ!」
あからさまに嫌みを言うと、従者がざわつく。皆、女主人の動向を気にしているようだった。
「……マルベー殿。今日は貴方を、わたくしが救済しようとわざわざこんな場所に足を運んだのよ。分かる?」
「わ~、なんだろう~、俺を救済してくださるんですか?! 一体! どんな方法で?!」
声を張り上げて、復唱する。隣のラファイエットにも聞かせるためだった。
「本来であれば、貴方のような大罪人は王族とはいえ、処刑される身分です。ですが、ここで罪を認めれば、場所を幽倫塔に移し、出産を許しましょう。その後は爵位を返上し、庶民として生きなさい」
(いや、何を言ってるんだ~、こいつは~)
「え?! ここで罪を認めたら、幽倫塔で出産を許す?! その後は爵位を返上して生きる?!」
「お前っ! さっきからワーワーうるさ」
「すみませんっ! オメガなんで!一回言われただけでは理解できない頭してるんでぇ!!」
ユーグの言っていることなど、聞く価値はない。コンラディン家を支配しているのは、宰相の娘である后なのだ。冷ややかな目で、扇子を仰いでいた。
「ちなみになんですけど! 子どもはどうなるんでしょうかね?!」
「子どもに罪はありませんからね。例えどんな汚れた腹から生まれようと、王家の血を引く者……」
ちらっと息子である、愚弟殿下に目配せをする。ユーグは得意満面な表情で「私が引き取ろう!」と言った。
「寛大な処置として、子どもは跡取りとして育ててやる! 感謝しろっ!」
(なるほどな~。いつまで経っても子どもができないから……)
王族の血を引くティメオの子を、取り上げようと言うのか。親子の魂胆が分かり――同時に、自分の命は出産まで保証されたことを理解した。
(どうせあれだろ? 表向き俺は死んだことになって、それをティメオに伝えて、出産後、俺は口封じに殺されるってわけか~)
「妻が汚職に関わっていたと明るみになれば、ティメオ様があまりに不憫。貴方は世間的には病死として発表しましょう――ここまで寛大な処遇を与えようとしているのですよ、罪を認めなさい」
マルベーですら予想できたストーリーに、思わず吹き出す。表情を変えたのは、ユーグだった。
「お前っ! オメガの癖にっ! オメガの分際でっ! 母上を馬鹿にしてるのか?!」
「いやいやぁ、別に……子どもができなくて、不憫なのはどちらなのかと思いまして~」
(俺の中の子を欲しがってるこいつらは、まだ俺に手は出せない)
小馬鹿にすると、ユーグの顔色がますます悪くなる。蒼白になった顔は、唇をぶるぶると震わせていた。
「なっ……全部な、全部あの家畜が悪いんだろう?!」
「……」
カチク――? マルベーは首を傾げたが、ユーグは周りが見えていないようだった。唾を飛ばしながら「あの家畜がっ! 子を孕めない家畜などっ! 家畜として価値が無いんだよぉ!」と喚いている。
(え……こいつ、ラーナ様のこと言ってんの……?)
「オメガはなっ! 家畜のように赤子を大量に産むから価値があるんだ! それをあの女っ! いつまで経っても子を孕みもしないっ! あの女のせいだ! 全部あの家畜の呪いなんだぁ!」
妻を家畜扱いする男は、牢屋で喚き散らしていた。想像以上に、ラーナの立場を酷さが分かり、胸が痛んだ。彼女はこんな環境で、一体どんな思いで……
「お前は家畜の分際でっ! 子を産むしか能が無いお前はっ!年増の癖に子が出来るなんてなぁっ! ああ! あの家畜よりかはマシかもしれないな?!」
ラーナへの怒りが、マルベーに飛んでくる。目を充血させ、罵る男を、后は一瞥しただけだった。
(ああ、この人、息子が種無しって気づいてんのね)
だからさっさと諦めて、マルベーの子を取り上げようと画策したのだ。マルベーは乾いた笑いが出た。
「お言葉ですが、ユーグ殿には愛妾が何人もいらっしゃいますよね――なんで子が一人もできないんですかね?」
ユーグの目が変わる。怒りが極限に達したような目つきに――やめろ、止まれ、と頭の中でサイレンが鳴る。
それでも、ラーナの手紙を思い出す。口が動いていた。
「あんたが種無しなんだろう!! 家畜以下だよ!!」
瞬間、叫び声と一緒に、拳が飛んでくる。咄嗟に屈んで、腹を守る――頭に凄まじい衝撃がきた。
「っ……」
「オメガっ! 家畜の分際でっ!お前は! お前はぁっ!」
どろりと頭から流れてくる。視界がぼやけている――我を忘れたユーグが、オメガに蹴りをいれようとした時だった。
「やめなさいっ! これは王族を孕んでいるのよ?!」
后の一喝に、従者がユーグを取り押さえる。口角から唾を飛ばす男は、獣のような叫び声を上げていた。
「あいつがっ! 僕をっ!侮辱した! オメガの癖にっ!」
「マーっ!」
「っ、大丈夫! 大丈夫だからっ!」
目元を拭うと、袖に真っ赤な血が付いていた。腹を蹴られていないのだから、無問題――マルベーは髪をかき上げると、声を張り上げた。
「裁判をさせろっ!!」
后が眉を潜める。扇子をパタパタさせ、小バエを追い払うような仕草だった。
「俺は冤罪だ。だから取引はしない。でっち上げの裁判まで出てやるよ、そこでお前達の罪が暴かれるだろうね――俺には見えているから」
「ふざけるなぁ! この家畜がっ!」
ユーグを無視して、后だけを睨み付ける。血を拭うと、鉄の匂いが鼻を掠めた。
「――自分が生きる道を、自ら閉ざしに行くのね。やっぱりオメガは知能が低いわ」
鼻を鳴らした后が、暴れるユーグを連れて、牢屋を後にする。
静かになった牢屋で、マルベーは額の血を拭きながら、計画を思いついた。
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