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36.一時の別れ
しおりを挟む「ぇっ……な、なん、で……?」
「マルベー様……」
ばっと牢屋に駆け寄ると、ラーナは辺りを警戒するように、周りを見渡す。彼女がここに来た理由とか、何をする気なのか――出方が分からず、ラファイエットも無言になった。
(なんで……ユーグになんか言われてきた……?)
いつも夫の前でびくついていたラーナ。だけど今日は違っていた。何かに突き動かされるように、監視役の服を漁っていた。
「か、鍵っ、鍵は……っ」
「あ……ラーナ様……鍵は……えー……もってます、はい……」
ぱっとマルベーが見せると、ラーナは一瞬驚いたが、すぐに笑顔になった。
「良かった! 逃げましょうっ!!」
「え、ちょっと、待って、待って、どういうこと? なんでラーナ様がっ?!」
「そうだ、いきなりなんだ。あんた、旦那に何か言われてきたのか」
突き放すようなラファイエットの声。いつものラーナだったら、怯えた顔を見せるところが――「ふざけないでっ!」
怒りの声に、マルベーとラファイエットの目が丸くなった。
「ラ、ラーナ様っ?」
「旦那? !あの忌々しい名前を出さないでっ! 吐き気がするわっ!!」
「っ、と」
「さぁ早く逃げるわよっ!」
牢屋を開けると、ラーナはマルベーの腕を取る。「裁判は明後日!」と教えてくれた。
「急ですね……」
「それと……」
ラーナが隣の牢屋(ラファイエット)を気にするように、声を潜めた。
「あの騎士様は……明日処刑だって……」
「……分かりました」
(ああ……俺の裁判前に、片付けようって魂胆ね……)
処刑だとなれば、明け方にまた后たちがやってくるだろう。今度は処刑人を連れて……ぞっとして、足元が震えた。
「このままじゃ、貴方は冤罪をかけられて、子どもを取り上げられるのよっ! その前に脱出しましょうっ!」
「どうして? なんで俺を逃がそうとしてくれる……?」
(もしかして、俺との文通で友情を感じて……)
「あいつらに復讐したい!!!」
「……」
ラーナの目は爛々と輝いていた。怒りが滲んだ目は吊り上がり、「復讐するのよっ!」と声高に言った。
「あなたが逃げて、あいつらの慌てる顔が見たいのよ! あいつらの思い通りになんかさせないわっ!!」
「……それは……子どもの……ことで……?」
ラーナは世継ぎができず、責められ続けていた。牢屋にきたユーグの言動を思い出して、マルベーは胸が苦しくなった。
つい同情するような目で見ていたら「あ、私、妊娠しないようにしてたから」とあっさりした返事が返ってきた。
「え……」
「ラベンダーのお茶飲んで、とにかく妊娠しないようにしてたの。あの男の子どもなんて死んでも孕みたくなかったから!!」
「……」
「あの男は愚かだから、ラベンダーの作用なんて知らなかったから助かったわ。私、別にラベンダー好きじゃないんだけど、とにかく妊娠しないようにね、必死だったわ……あ、そうだ。お茶会の時、あなたがラベンダー茶を飲まなくて、本当に良かったわよ~」
ラーナはころころ笑いながら、溌剌としていた。何かに開放されたような笑顔が眩しい。元々美しい女性だったが、笑うと宗教画のような魅力があった。
「そうだ。あなたのところの使用人、何人か后の息がかかってるわよ。あなたが城で妊娠したって言い回ってたって、報告されてたから」
「……そっか……」
料理長を思い出し、マルベーは沈んだ。まだ妊娠は確定していなかった時期から、城内で妊娠した!とはしゃぎ回っていた。もうあの時点で、宰相側には話しが伝わっていたということは、マルベーの襲撃はかなり前もって計画されていたのだろう。
(父親を信じていたティメオが、これを知ったら……)
ティメオの傷ついた表情が浮かび、目に涙が溜まる。だがマルベーの落ち込んだ様子など、意に介していないラーナが両手を叩いた。
「さ! ここから逃げるわよっ! 私が案内するからっ!!」
「……ラーナ様、俺たちを逃がしたら、これからどうするんですか?」
「……さぁ? どうしようかしら? 実家には帰れないし……放浪するかしらね」
ラーナの笑顔に自虐的な笑みが混じる。彼女の、開放感溢れた様子は……
(死ぬ気なんじゃないのかな……)
死ぬつもりだから、こんな大胆な行動に出たのだろう。マルベーはラファイエットを呼んだ。
「ラフィー、ラーナ様と一緒に城を出て、ティメオに知らせてくれ。俺は残るから」
「はぁ?!」
「俺は妊娠してる以上、あいつらは俺を殺せない。でも……」
(ラファイエットは明日……それに脱出がバレたらラーナ様も……)
マルベーはラファイエットの身を案じていた。王家の子が欲しい宰相達にとって、マルベーにはまだ生かしておく価値はあるが、ラファイエットには無い。
マルベーにとって、ここから一刻も早く逃げて欲しいのはラファイエットだった。
「ラーナ様、ラファイエットは獣人で、イタチ族です。小さいので布に隠せるし、運ぶことができます。彼を連れて、ティメオに知らせてくれませんか? そして全てが終わったら、また俺に会いに来てほしいのです……あなたの身元や安全は、俺が……あー、俺の家が保証します。だめですか?」
「……それは……」
「まだこれからでしょう? 俺は元気な子を産みたいし、子どもが成長する姿が見たい……ラーナ様だって、これからでしょう?」
(まだ十九じゃん。俺よりこの先の人生が長いのに、こんなところで終わらせるなよ)
責める口調ではなく、お願いするように、説き伏せる。ラーナはしばらく黙り込んでいたが「うん」と小さな声。頼りない、幼子のような声だった。
「ありがとうございます。ラファイエットをよろしくお願いします」
「……わかったわ」
ほっとして息を吐くと、ラファイエットの一喝が飛んできた。
「ふざけるなっ! 勝手に話を進めるな! 」
「きょうだい、頼むよ……俺はまだ死なない。だから大丈夫だから、なぁ」
「お前を一人にできるわけないだろう?! バカかっ! どうせお前のことだっ! 俺が先に処刑されるとか心配してるんだろう! まず自分の身を案じろっ!」
ラファイエットも理解していた。だけど主人を置いていけるわけがない。最悪、脱出途中で見つかっても、自分が犠牲になれば良いのだ――声を張り上げると、マルベーの目から、涙が零れ落ちた。
「ラ、ラフィーっ……そこまで……俺のこと……お前、俺のこと、もしかして」
(好きなの? きょうだい愛を超えた気持ちが俺に……)
長年、マルベーと一緒に過ごしてきたが、ラファイエットはいつまでも結婚しなかった。もしかして、主人に叶わぬ想いを抱き続けていたのかと、思い切って聞こうとしたら――
「俺はなぁっ! お前のこと弟みたいにっ……お前は俺の弟同然だろうっ! マーっ」
感極まったように、騎士が泣き出した。マルベーは絶句して、すーっと冷静になった。
「……俺の方が年上なんだけど」
「こんな放蕩な兄いるわけないだろう! お前は弟だよっ!!」
「お、おぅ……」
(ラフィーがいつまでも結婚しなかったのって……俺が心配だったのか……)
兄として、というか保護者的な気持ちで、マルベーを見守り続けていたのだ。泣きじゃくる騎士に脱力して、マルベーは吹き出した。
「お前っ! なに笑ってんだ! こんな状況でっ!」
「ふふっ……きょうだい、大丈夫だから。俺は死なないから……ね、もう大丈夫だよ」
両手を握り、向かい合う。泣き続けるラファイエットとは反対に、マルベーはすっかり立ち直っていた。
「俺は死なない。だから……また会おう。きょうだい」
吹っ切れた様子の主人に、騎士が頷いた。ちんまりとイタチになったラファイエットを、ラーナに預ける。
外から鍵をかけてもらい、手を振った。ラーナの足音が小さくなっていくのを、静かに聞いていた。
翌朝、ラファイエットがいなくなったことにより、宮殿は大騒ぎになっていた。マルベーは素知らぬ顔をして(詰問されると、腹が痛いと騒いだ)慌てるフリをした。
「ラっ、ラフィーっ! 俺を置いて、俺をっ、俺を裏切ったんだぁ……うぇーん」
眠らせてしまった監視役に心の中で謝りながら、泣きまねをする。慌ただしく人が駆け回る中、ラーナがいなくなったことを気に留める者はいなかった。
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