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第七話:長公主
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あのあと、玖藻神社には無事にたどり着いたが、すぐに守護の祈祷をかけなおすと特級陰陽術師に指示されたため、日奈子長公主には挨拶できなかった。
「あぁあ、一目会ってみたかったのに」
「そうですね。会ってみてほしいです。とても優しい方ですよ」
「え! 翼禮はあったことあるの⁉」
「ありますよ、何回か。お召し物に守護の呪いをかけるためにね」
「すごーい!」
「とても聡明な方です。わたしがかける呪いについていろんな質問をしてくださいました」
「へぇ……。偏見だけど、御姫様ってこう……」
「ああ、『お飾り』ですか?」
「そう。そういう印象だから、聡明って聞くと驚いちゃう」
「政治には介入しませんからね、普通は。でも、今上帝がまだ郡王だったとき、すでに一族の女性みなさんが漢詩と兵法、本草学、経営学、政治経済学、西欧言語学、文学などに加え、いくつかの武芸をたしなんでいらっしゃいましたよ」
「すごいわね……。それは強い、いろんな意味で」
「ええ。だからきっと、旧態依然とした陽永神宮にも新しい清々しい風が入るでしょうね」
「それは素敵! うちの兄弟姉妹たちもそうなればいいのに」
「そうですね」
わたしと竜胆は玖藻神社の北側へ行くよう指示され、すでに幾重にもかかっている守護の祈祷を新しく強いものへとかけ替える作業を始めた。
「私たちのって呪いよね? というか、呪」
「そうですね。信仰が無いので〈神〉の祝福の力は使えませんから。まぁ、でも、仕方ありません。それは陰陽術師たちも承知の上でわたしたちに指示しているのですから」
「そうなの? 祈祷と打ち消し合っちゃったりしない?」
「相反する力ではありますが、そこはわたしたちの腕の見せ所です」
「どうやるの?」
「陰陽術師たちがかけた祈祷の上から強力な守護の呪を全体にかけるんです」
「なるほどね。呪なら術者が近くにいなくても発動しっぱなしだものね」
「ええ、そうです。安心でしょう?」
「理解したわ! さっそくやっちゃおう!」
「そうしましょう」
呪、というものは、聞こえは悪いけれど、性質さえ理解してしまえば、便利で有効範囲も時間も長いすばらいしいものなのだ。
作業を始めて一時間経った頃、長公主の侍女が一人近づいてきた。
「杏守 翼禮様、それと……」
「ああ、あちらで作業をしている女性は杏守 竜胆。わたしの従姉妹です」
「失礼いたしました。お二人とも、お仕事が終わりましたらお声かけください。日奈子様がお会いになりたいと申しております」
「長公主様が……。わかりました」
「では、失礼いたします」
侍女は頭を深く下げて立ち去って行った。
「会えるの⁉」
「そうなりますね」
「嬉しいわ! ワクワクしちゃう!」
「興奮しすぎないでくださいね。この葦原国で最も高貴で清いお方ですから」
「そうよね。私とは真逆の存在だものね」
「慰めづらいことを言わないでください」
「いいのよ。私は禍ツ鬼なんだから」
竜胆は別に傷ついているようには見えないけれど、声は少し寂しそうだった。
わたしは自分がとても家族から愛されていて幸せだから時に忘れてしまうけれど、子供というものは生まれてくる家を選ぶことができない。
そのせいで、苦しい思いをしている人も世界には多くいる。
竜胆も、その一人なのかもしれない。
(日奈子長公主様は、どう思っているんだろう。実兄が旧王朝を潰し、新しい王朝を開いたことに関して……)
日奈子長公主は新王朝によって生活環境が変わった人物としては一番その影響を受けているとも言える。
上手く状況をコントロールすれば、貴族でありながら好いた人と結婚も出来たかもしれない。
すでに実姉が円満な結婚生活を送っていることもあり、日奈子長公主には結婚せずとも好きに生きる選択肢もあった。
それが、突然『斎宮』という、〈自由〉から遠い存在にならざるを得なくなったのだ。
どんな気持ちなのか、想像もできない。
「もう終わるわね」
「あ、はい、そうですね」
玖藻神社を社叢ごと覆う守護の呪。
竜胆が手伝ってくれたおかげでいつもの半分の時間で作業を終えることが出来た。
「では、特級陰陽術師に完了の報告をして、侍女の方に声をかけに行きましょう」
「行こう行こう」
玖藻神社の入り口付近で若い陰陽術師にネチネチと嫌味を言っていた特級陰陽術師に声をかけると、胡散臭そうに竜胆を睨んできたが、竜胆がにこりと笑いかけると、すぐに頬を赤くしてどこかに行ってしまった。
そのあと、先ほどの侍女に話しかけると、すぐに案内され、長公主がいる部屋へと通された。
よく磨かれた廊下は木の匂いが心地いい。
吹き抜ける風が揺らした御簾の先から漂う気配は、まさに清浄そのもの。
「失礼いたします。杏守 翼禮様と竜胆様をお連れいたしました」
「入ってちょうだい」
中から聞こえた声は覚えていたよりも少し大人びていた。
わたしと竜胆は頭を下げながら部屋へと入り、深く平伏すると、「頭を上げなさい」と言われ、ゆっくりと長公主を視界に収めた。
「お久しぶりね、翼禮」
「お久しぶりでございます」
「そちらが竜胆ね? あなたも仙術師なの?」
「私は魔術師でございます。仙子族ではありません」
「へぇ、そうなの。何が違うのかとても聞きたいのだけれど、それよりも頼みたいことがあって呼んだの」
日奈子長公主がわたしに視線を映し、真剣な表情で言った。
「あなたにしか、頼めないのよ」
「頼みたいこと……、ですか。なんでございましょう?」
日奈子長公主は他に話を聞いている人がいないか十分確認してから告げた。
「娘に一目会いたいの」
わたしは言葉が出なかった。
「そうよね。驚くわよね。これはあの侍女と私、そして夫の家族だけの秘密。私には二歳になる娘がいるのよ」
「……今どちらに?」
「烏天狗の里。夫は烏天狗なの」
「そう、で、すか……」
「兄も姉もこのことは知らないの。こうなったのはあなたのせいでもあるのよ? 翼禮」
「え!」
血の気が引いていく。どんなに冷静に頭を巡らせても、なにか粗相をしてしまった記憶は見つからない。
竜胆も好奇心と困惑、両方を混ぜたような表情でわたしを見つめている。
「それはどういう……」
「私ね、よく男装して武官になりすまし、北の太門の警備に参加していたの。だって、武芸を極めるのなら実戦が一番でしょ?」
わたしはさっそく意味が解らず、ぽかんとしてしまった。
「翼禮に守りの呪いをかけてもらったある日、いつもみたいに凶鬼たちとの戦闘に参加したら、数名の武官と一緒に山中ではぐれちゃって。さらには武官たちが次々に倒されて、あなたの呪いがかかっている私だけが助かっちゃったのよね。でも、帰り道がわからなくて。途方に暮れていたら、一人の烏天狗が近づいてきたの。『大丈夫ですか、お嬢さん』って。宮中の人間は誰一人として私の男装に気づかなかったのに、その烏天狗は一目見て私が女だって気づいたのよ」
胃が痛い。はやく結論を話してほしくてたまらない。
「烏天狗は私を背に乗せて山の上空まで飛んでくれて、そのおかげで私は武官たちが焚く篝火を見つけることが出来、元の場所へ戻ることが出来たの。私はすぐに次の日、侍女を連れてお礼を言いに山に入ったの。彼はまた私を見つけてくれて、すぐに降りてきてくれた。恋に落ちるのに時間なんてかからなかった。出会って一年後、私は妊娠し、夫の家族の手伝いもあって、可愛い娘を産んだ。私は烏天狗の里で暮らつもりだった。でも、こうなってしまったの」
日奈子長公主は斎宮として身に着ける予定の装束を示し、溜息をついた。
「……経緯はわかりました。失礼ながら、わたしのせいというのがどうもわからず……。謝罪しようにも理由が……」
「あなたが私の命を守ってくれたから夫と出会えて娘に恵まれたの。だから、あなたにも責任の一端はあるわよね?」
「ぼ、暴論すぎます」
わたしは目の前がチカチカするほど眩暈がした。
「ただの兄の言いつけならば撥ねつけることもできたでしょうけど、今や皇帝陛下。その命令は絶対だわ。だから……。娘に一目会いたい。踏ん切りをつけたいのよ、心に」
強く光る瞳。いつか見た、母の瞳に宿る力に似ている。
「わかりました。でも、それでは何一つ解決しません。このまま、斎宮として一生を捧げてよいのですか?」
わたしは自分の口から出た言葉が信じられなかったが、もう言ってしまったのだから引き返すことはできない。
「翼禮は相変わらずね。相手の身分なんか気にせず言うんだから。でも、だから呼んだの。ありがとう。仕方がないのよ」
悲しい瞳。わたしが西欧に留学に行く前日の母の瞳も、寂しそうで、わたしまで泣いてしまいそうになったことを今でも覚えている。
「わたしは父と母のもとに生まれることが出来、この世界で一番幸運な子供だと自覚して生きています。姫様もそうですよ、きっと。でも、ここで日奈子様が諦めたら、それも泡と消えてしまいます。あなたにも、姫様にも、一緒に幸せになる権利があるのです」
日奈子長公主は目を見開き、涙をこぼした。
「翼禮、あなたって本当に……。でも、もうここまで来てしまった。今更……」
「わたしに時間をください。一日で構いません」
日奈子長公主は涙をぬぐい、わたしをじっと見つめた。
「どうするつもり?」
「皇帝陛下のところに殴り込んでまいります」
「……え! そんな、あなたが捕まるわよ!」
「いえ、大丈夫です。実はわたし、皇帝陛下直下の仙術師として雇われているので、どうやら楯突いてもいいらしいのです」
そう言って、わたしは懐から一枚の玉札を見せた。
銀で出来た札にはわたしの名前と家の格、そして、皇帝陛下の近習であることの印、今上帝の誕生石である青炎石が埋め込まれている。
「で、でも……」
「でも、その代わり、日奈子様には少々痛手となる噂が流れることになるやもしれません。覚悟はおありですか?」
わたしが問うと、日奈子長公主は深呼吸をし、また強い母の瞳に戻った。
「ええ。娘と夫と人生を送れるのなら、なんでも耐えられるわ」
「いいでしょう。では、日奈子様の護衛には竜胆を残していきます。わたしの所在についてはうまくごまかしていただけますか?」
「ええ、もちろん。私の使いで外に出ていることにするわ」
「竜胆も、上手くできますか?」
わたしが竜胆に視線を映し、瞳をまっすぐ見つめながら言うと、竜胆は勢い良くうなずいて答えた。
「もちろん! こういうの、楽しいわ! 任せて翼禮」
「よし。空枝空間の鍵を渡しておくから、好きに使ってくださいね」
「うん!」
わたしは一本の小さな杏の枝を竜胆に渡した。
そして、深く平伏すると、すぐに部屋から出て、空へと飛び出した。
「あぁあ、一目会ってみたかったのに」
「そうですね。会ってみてほしいです。とても優しい方ですよ」
「え! 翼禮はあったことあるの⁉」
「ありますよ、何回か。お召し物に守護の呪いをかけるためにね」
「すごーい!」
「とても聡明な方です。わたしがかける呪いについていろんな質問をしてくださいました」
「へぇ……。偏見だけど、御姫様ってこう……」
「ああ、『お飾り』ですか?」
「そう。そういう印象だから、聡明って聞くと驚いちゃう」
「政治には介入しませんからね、普通は。でも、今上帝がまだ郡王だったとき、すでに一族の女性みなさんが漢詩と兵法、本草学、経営学、政治経済学、西欧言語学、文学などに加え、いくつかの武芸をたしなんでいらっしゃいましたよ」
「すごいわね……。それは強い、いろんな意味で」
「ええ。だからきっと、旧態依然とした陽永神宮にも新しい清々しい風が入るでしょうね」
「それは素敵! うちの兄弟姉妹たちもそうなればいいのに」
「そうですね」
わたしと竜胆は玖藻神社の北側へ行くよう指示され、すでに幾重にもかかっている守護の祈祷を新しく強いものへとかけ替える作業を始めた。
「私たちのって呪いよね? というか、呪」
「そうですね。信仰が無いので〈神〉の祝福の力は使えませんから。まぁ、でも、仕方ありません。それは陰陽術師たちも承知の上でわたしたちに指示しているのですから」
「そうなの? 祈祷と打ち消し合っちゃったりしない?」
「相反する力ではありますが、そこはわたしたちの腕の見せ所です」
「どうやるの?」
「陰陽術師たちがかけた祈祷の上から強力な守護の呪を全体にかけるんです」
「なるほどね。呪なら術者が近くにいなくても発動しっぱなしだものね」
「ええ、そうです。安心でしょう?」
「理解したわ! さっそくやっちゃおう!」
「そうしましょう」
呪、というものは、聞こえは悪いけれど、性質さえ理解してしまえば、便利で有効範囲も時間も長いすばらいしいものなのだ。
作業を始めて一時間経った頃、長公主の侍女が一人近づいてきた。
「杏守 翼禮様、それと……」
「ああ、あちらで作業をしている女性は杏守 竜胆。わたしの従姉妹です」
「失礼いたしました。お二人とも、お仕事が終わりましたらお声かけください。日奈子様がお会いになりたいと申しております」
「長公主様が……。わかりました」
「では、失礼いたします」
侍女は頭を深く下げて立ち去って行った。
「会えるの⁉」
「そうなりますね」
「嬉しいわ! ワクワクしちゃう!」
「興奮しすぎないでくださいね。この葦原国で最も高貴で清いお方ですから」
「そうよね。私とは真逆の存在だものね」
「慰めづらいことを言わないでください」
「いいのよ。私は禍ツ鬼なんだから」
竜胆は別に傷ついているようには見えないけれど、声は少し寂しそうだった。
わたしは自分がとても家族から愛されていて幸せだから時に忘れてしまうけれど、子供というものは生まれてくる家を選ぶことができない。
そのせいで、苦しい思いをしている人も世界には多くいる。
竜胆も、その一人なのかもしれない。
(日奈子長公主様は、どう思っているんだろう。実兄が旧王朝を潰し、新しい王朝を開いたことに関して……)
日奈子長公主は新王朝によって生活環境が変わった人物としては一番その影響を受けているとも言える。
上手く状況をコントロールすれば、貴族でありながら好いた人と結婚も出来たかもしれない。
すでに実姉が円満な結婚生活を送っていることもあり、日奈子長公主には結婚せずとも好きに生きる選択肢もあった。
それが、突然『斎宮』という、〈自由〉から遠い存在にならざるを得なくなったのだ。
どんな気持ちなのか、想像もできない。
「もう終わるわね」
「あ、はい、そうですね」
玖藻神社を社叢ごと覆う守護の呪。
竜胆が手伝ってくれたおかげでいつもの半分の時間で作業を終えることが出来た。
「では、特級陰陽術師に完了の報告をして、侍女の方に声をかけに行きましょう」
「行こう行こう」
玖藻神社の入り口付近で若い陰陽術師にネチネチと嫌味を言っていた特級陰陽術師に声をかけると、胡散臭そうに竜胆を睨んできたが、竜胆がにこりと笑いかけると、すぐに頬を赤くしてどこかに行ってしまった。
そのあと、先ほどの侍女に話しかけると、すぐに案内され、長公主がいる部屋へと通された。
よく磨かれた廊下は木の匂いが心地いい。
吹き抜ける風が揺らした御簾の先から漂う気配は、まさに清浄そのもの。
「失礼いたします。杏守 翼禮様と竜胆様をお連れいたしました」
「入ってちょうだい」
中から聞こえた声は覚えていたよりも少し大人びていた。
わたしと竜胆は頭を下げながら部屋へと入り、深く平伏すると、「頭を上げなさい」と言われ、ゆっくりと長公主を視界に収めた。
「お久しぶりね、翼禮」
「お久しぶりでございます」
「そちらが竜胆ね? あなたも仙術師なの?」
「私は魔術師でございます。仙子族ではありません」
「へぇ、そうなの。何が違うのかとても聞きたいのだけれど、それよりも頼みたいことがあって呼んだの」
日奈子長公主がわたしに視線を映し、真剣な表情で言った。
「あなたにしか、頼めないのよ」
「頼みたいこと……、ですか。なんでございましょう?」
日奈子長公主は他に話を聞いている人がいないか十分確認してから告げた。
「娘に一目会いたいの」
わたしは言葉が出なかった。
「そうよね。驚くわよね。これはあの侍女と私、そして夫の家族だけの秘密。私には二歳になる娘がいるのよ」
「……今どちらに?」
「烏天狗の里。夫は烏天狗なの」
「そう、で、すか……」
「兄も姉もこのことは知らないの。こうなったのはあなたのせいでもあるのよ? 翼禮」
「え!」
血の気が引いていく。どんなに冷静に頭を巡らせても、なにか粗相をしてしまった記憶は見つからない。
竜胆も好奇心と困惑、両方を混ぜたような表情でわたしを見つめている。
「それはどういう……」
「私ね、よく男装して武官になりすまし、北の太門の警備に参加していたの。だって、武芸を極めるのなら実戦が一番でしょ?」
わたしはさっそく意味が解らず、ぽかんとしてしまった。
「翼禮に守りの呪いをかけてもらったある日、いつもみたいに凶鬼たちとの戦闘に参加したら、数名の武官と一緒に山中ではぐれちゃって。さらには武官たちが次々に倒されて、あなたの呪いがかかっている私だけが助かっちゃったのよね。でも、帰り道がわからなくて。途方に暮れていたら、一人の烏天狗が近づいてきたの。『大丈夫ですか、お嬢さん』って。宮中の人間は誰一人として私の男装に気づかなかったのに、その烏天狗は一目見て私が女だって気づいたのよ」
胃が痛い。はやく結論を話してほしくてたまらない。
「烏天狗は私を背に乗せて山の上空まで飛んでくれて、そのおかげで私は武官たちが焚く篝火を見つけることが出来、元の場所へ戻ることが出来たの。私はすぐに次の日、侍女を連れてお礼を言いに山に入ったの。彼はまた私を見つけてくれて、すぐに降りてきてくれた。恋に落ちるのに時間なんてかからなかった。出会って一年後、私は妊娠し、夫の家族の手伝いもあって、可愛い娘を産んだ。私は烏天狗の里で暮らつもりだった。でも、こうなってしまったの」
日奈子長公主は斎宮として身に着ける予定の装束を示し、溜息をついた。
「……経緯はわかりました。失礼ながら、わたしのせいというのがどうもわからず……。謝罪しようにも理由が……」
「あなたが私の命を守ってくれたから夫と出会えて娘に恵まれたの。だから、あなたにも責任の一端はあるわよね?」
「ぼ、暴論すぎます」
わたしは目の前がチカチカするほど眩暈がした。
「ただの兄の言いつけならば撥ねつけることもできたでしょうけど、今や皇帝陛下。その命令は絶対だわ。だから……。娘に一目会いたい。踏ん切りをつけたいのよ、心に」
強く光る瞳。いつか見た、母の瞳に宿る力に似ている。
「わかりました。でも、それでは何一つ解決しません。このまま、斎宮として一生を捧げてよいのですか?」
わたしは自分の口から出た言葉が信じられなかったが、もう言ってしまったのだから引き返すことはできない。
「翼禮は相変わらずね。相手の身分なんか気にせず言うんだから。でも、だから呼んだの。ありがとう。仕方がないのよ」
悲しい瞳。わたしが西欧に留学に行く前日の母の瞳も、寂しそうで、わたしまで泣いてしまいそうになったことを今でも覚えている。
「わたしは父と母のもとに生まれることが出来、この世界で一番幸運な子供だと自覚して生きています。姫様もそうですよ、きっと。でも、ここで日奈子様が諦めたら、それも泡と消えてしまいます。あなたにも、姫様にも、一緒に幸せになる権利があるのです」
日奈子長公主は目を見開き、涙をこぼした。
「翼禮、あなたって本当に……。でも、もうここまで来てしまった。今更……」
「わたしに時間をください。一日で構いません」
日奈子長公主は涙をぬぐい、わたしをじっと見つめた。
「どうするつもり?」
「皇帝陛下のところに殴り込んでまいります」
「……え! そんな、あなたが捕まるわよ!」
「いえ、大丈夫です。実はわたし、皇帝陛下直下の仙術師として雇われているので、どうやら楯突いてもいいらしいのです」
そう言って、わたしは懐から一枚の玉札を見せた。
銀で出来た札にはわたしの名前と家の格、そして、皇帝陛下の近習であることの印、今上帝の誕生石である青炎石が埋め込まれている。
「で、でも……」
「でも、その代わり、日奈子様には少々痛手となる噂が流れることになるやもしれません。覚悟はおありですか?」
わたしが問うと、日奈子長公主は深呼吸をし、また強い母の瞳に戻った。
「ええ。娘と夫と人生を送れるのなら、なんでも耐えられるわ」
「いいでしょう。では、日奈子様の護衛には竜胆を残していきます。わたしの所在についてはうまくごまかしていただけますか?」
「ええ、もちろん。私の使いで外に出ていることにするわ」
「竜胆も、上手くできますか?」
わたしが竜胆に視線を映し、瞳をまっすぐ見つめながら言うと、竜胆は勢い良くうなずいて答えた。
「もちろん! こういうの、楽しいわ! 任せて翼禮」
「よし。空枝空間の鍵を渡しておくから、好きに使ってくださいね」
「うん!」
わたしは一本の小さな杏の枝を竜胆に渡した。
そして、深く平伏すると、すぐに部屋から出て、空へと飛び出した。
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