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第十話:愛しきもの
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「希奈照吾! 吾黎斗!」
深い山の中、その奥にある、白い鳥居が備え付けられた洞窟の先にそれはあった。
烏天狗の隠れ里だ。
山の地形を生かしつつ、家を建てやすいよう切り開かれた窪地には、樹齢三千年を超える御神木が三本聳え立っており、その太い枝にそれぞれが家を建てて住んでいる。
その中でも、一際低地にある大きな家から、可愛い女の子と美しい黒い翼をはためかせた背の高い男性が駆け寄ってきた。
「日奈子! 会いたかった!」
「おかあしゃま、だっこ」
「ああ、吾黎斗……。長い間一人で子育てさせてしまってごめんなさい。これからはずっと一緒よ。さぁ、腕の中へおいで、希奈照吾」
娘を抱きしめた日奈子長公主を、吾黎斗はぎゅっと抱きしめた。
この素晴らしい光景を最後まで見届けた侍女は、静かに涙を流し、微笑んだ。
「では、わたしたちはこれで失礼しますね。侍女さんも内裏にお返ししなくてはなりませんし、玖藻神社の祭事もありますので」
「待ってください」
吾黎斗は日奈子長公主からそっと離れると、わたしたちの方へと近づいてきた。
「お礼をさせてください。お願いします。人生で最も大切なものを連れてきてくださった方々なのですから!」
「あ、その件に関しましては、長公主様からとても素晴らしい贈り物をいただいております」
そう言って竜胆に目配せすると、懐から黄輝石が埋め込まれた銅の玉札を取り出して吾黎斗に見せた。
「この玉札が放つ御威光があれば、どこへでも自由に出入りすることが出来ます。それは我々のような者にとっては何よりの褒美です。これ以上望んだら罰が当たってしまいますので、どうかご容赦くださいませ」
「そうですか……。では、我ら烏天狗からも通行証を渡させてください。これさえあれば、烏天狗が治める里には自由に出入りできます」
美しい青金石で造られた札は、なめらかで夜空に流れる天の川のように輝いている。
「ありがたく頂戴いたします」
「お名前を刻みたいので、教えていただいてもよろしいですか?」
「ああ、わたしとしたことが。申し遅れました。名は杏守 翼禮と申します。隣に降りますのは従姉妹の杏守 竜胆です」
「……杏守。どこかで聞いたことが……」
すると、話を聞いていたのか、一人の大柄な壮年の男性が近づいてきた。
「私は吾黎斗の父であり、ここの里長をしております、由黎斗と申します。あなたさまはもしかして、神仙守護の……」
わたしはその先を言われないよう、小さな声で由黎斗に答えた。
「そうです。ですが、そのことはあまり広めるわけにはいかないのです」
「……なにか事情がおありなのですね。承知しました。我が息子の愛妻をお救い頂きました恩、一族末子に至るまで、永久に忘れることはありません。いかなるときも、我が一族が力となりましょう」
「ありがとうございます」
名前を彫り終えた通行証を受け取り、わたしと竜胆、そして侍女の三人は烏天狗の隠れ里を後にした。
通行証は侍女の分も受け取ったため、侍女は休日のたびに日奈子長公主に会いに来るのだという。
もうすぐ正午。急いで侍女を内裏に送り届け、わたしと竜胆は玖藻神社へと戻った。
すると案の定、玖藻神社の入り口では特級陰陽時の三人が顔を真っ青にして勅旨を読み上げた勅使を見つめていた。
「只今戻りました」
「な、も、た、タダイマモドリマシタ、だと⁉ ゆゆゆ、誘拐ではないか! 長公主様はどこだ!」
「はい? 周囲からの謂れなき誹謗中傷をさけるために秘密裏に脱出していただいたのですが?」
「ぐぬぬぬぬぬ! この、この……! ふんっ!」
再び顔を真っ赤にした特級陰陽時たちは足音をドスドスと鳴らしながら社殿へと入っていった。
「ねぇ、翼禮。もう少し感じよくお話してあげたら?」
「さっきそうしたのに悪態疲れたからもう嫌です。というか、毎回毎回なんでわたしにばっかりあんなに突っかかってくるんでしょうね」
「まぁ……、こんなに若くて可愛い女の子が自分たちより遥かに強くて優秀だったら、そりゃ妬みたくもなるんじゃない? 嫉妬よ、嫉妬」
「種族が違うのだからそんなの仕方がないことなのに。はぁ……」
「気にしない気にしない!」
竜胆に背中を軽くたたかれ、少し気を取り直したわたしは、竜胆の顔色が隠れ里への出発前よりもさらに良くなっていることに気が付いた。
「竜胆は元気ですね」
「あの烏天狗の隠れ里、何か私に近いモノが祀られていたみたいで、かすかに漂っていた瘴気を吸ったらさらに元気になっちゃったんだよね」
「ああ……。それは大天狗ですね」
「大天狗? 天狗って、あの、顔の赤い長い鼻の?」
「そうです。清濁を併せ持つ神と妖怪の間に位置する存在です」
「へぇ……。でも、なんで祀ってるの?」
「それは長い話になるのですが、かいつまんではなすと、天狗の総大将が一人の若き人間の将軍に加勢し、すでに数の少なかった天狗たちも戦に出て闘い、全滅してしまったんです。その総大将だった大天狗の身体を人間たちに辱められないよう持ち帰り、祀っているのが神使の一族である烏天狗たちなのです。同じ地で生まれたので、親戚のような関係性ですね」
竜胆には何か思い当たるふしがあったのか、何度も頷いている。
「人間の若き将軍ねぇ……。そんなことがあったのね。私ももっと人間の社会に触れないと、時代の流れに追いつけなくなっちゃうわ。年号も何回変わったかもうわからないわ。それに、海の向こうの国々との貿易があんなにも盛んになっているなんて知らなかったもの。ねぇ、ドレス買ってよ、翼禮」
「ドレスは全部オーダーメイドなんです。わたしのお給料ではそんなにぽんぽん買ってあげられません。自分で稼いで買ってください」
「ええ! 翼禮ってそんなにお給料低いの⁉」
「……ドレスが高価なんです!」
「あっそ」
「ひどい。心が傷つきました」
「あはははは! 大丈夫大丈夫。今回とっても頑張ったんだから。きっと特別褒賞かなんか出るんじゃない?」
「今は内裏と後宮、そして大内裏の修復で工事費が嵩んでるんです。陛下にもそこまで余裕はないと思いますよ」
「貧乏なのねぇ」
「不敬ですよ」
「ごめーん」
お気楽な竜胆の態度に、私はつい吹き出してしまった。
「ふふ、ふふふ」
「もっと可愛らしく笑ったら? 声が低い」
「いいんです」
「ふうん」
わたしは小さく息を吐き、空を見上げた。
春の空には爽やかな風が流れ、時折流れてくる雲はまるで小さな綿菓子のよう。
このしばしの平穏をかみしめるように深呼吸をし、わたしと竜胆も社殿へと向かった。
深い山の中、その奥にある、白い鳥居が備え付けられた洞窟の先にそれはあった。
烏天狗の隠れ里だ。
山の地形を生かしつつ、家を建てやすいよう切り開かれた窪地には、樹齢三千年を超える御神木が三本聳え立っており、その太い枝にそれぞれが家を建てて住んでいる。
その中でも、一際低地にある大きな家から、可愛い女の子と美しい黒い翼をはためかせた背の高い男性が駆け寄ってきた。
「日奈子! 会いたかった!」
「おかあしゃま、だっこ」
「ああ、吾黎斗……。長い間一人で子育てさせてしまってごめんなさい。これからはずっと一緒よ。さぁ、腕の中へおいで、希奈照吾」
娘を抱きしめた日奈子長公主を、吾黎斗はぎゅっと抱きしめた。
この素晴らしい光景を最後まで見届けた侍女は、静かに涙を流し、微笑んだ。
「では、わたしたちはこれで失礼しますね。侍女さんも内裏にお返ししなくてはなりませんし、玖藻神社の祭事もありますので」
「待ってください」
吾黎斗は日奈子長公主からそっと離れると、わたしたちの方へと近づいてきた。
「お礼をさせてください。お願いします。人生で最も大切なものを連れてきてくださった方々なのですから!」
「あ、その件に関しましては、長公主様からとても素晴らしい贈り物をいただいております」
そう言って竜胆に目配せすると、懐から黄輝石が埋め込まれた銅の玉札を取り出して吾黎斗に見せた。
「この玉札が放つ御威光があれば、どこへでも自由に出入りすることが出来ます。それは我々のような者にとっては何よりの褒美です。これ以上望んだら罰が当たってしまいますので、どうかご容赦くださいませ」
「そうですか……。では、我ら烏天狗からも通行証を渡させてください。これさえあれば、烏天狗が治める里には自由に出入りできます」
美しい青金石で造られた札は、なめらかで夜空に流れる天の川のように輝いている。
「ありがたく頂戴いたします」
「お名前を刻みたいので、教えていただいてもよろしいですか?」
「ああ、わたしとしたことが。申し遅れました。名は杏守 翼禮と申します。隣に降りますのは従姉妹の杏守 竜胆です」
「……杏守。どこかで聞いたことが……」
すると、話を聞いていたのか、一人の大柄な壮年の男性が近づいてきた。
「私は吾黎斗の父であり、ここの里長をしております、由黎斗と申します。あなたさまはもしかして、神仙守護の……」
わたしはその先を言われないよう、小さな声で由黎斗に答えた。
「そうです。ですが、そのことはあまり広めるわけにはいかないのです」
「……なにか事情がおありなのですね。承知しました。我が息子の愛妻をお救い頂きました恩、一族末子に至るまで、永久に忘れることはありません。いかなるときも、我が一族が力となりましょう」
「ありがとうございます」
名前を彫り終えた通行証を受け取り、わたしと竜胆、そして侍女の三人は烏天狗の隠れ里を後にした。
通行証は侍女の分も受け取ったため、侍女は休日のたびに日奈子長公主に会いに来るのだという。
もうすぐ正午。急いで侍女を内裏に送り届け、わたしと竜胆は玖藻神社へと戻った。
すると案の定、玖藻神社の入り口では特級陰陽時の三人が顔を真っ青にして勅旨を読み上げた勅使を見つめていた。
「只今戻りました」
「な、も、た、タダイマモドリマシタ、だと⁉ ゆゆゆ、誘拐ではないか! 長公主様はどこだ!」
「はい? 周囲からの謂れなき誹謗中傷をさけるために秘密裏に脱出していただいたのですが?」
「ぐぬぬぬぬぬ! この、この……! ふんっ!」
再び顔を真っ赤にした特級陰陽時たちは足音をドスドスと鳴らしながら社殿へと入っていった。
「ねぇ、翼禮。もう少し感じよくお話してあげたら?」
「さっきそうしたのに悪態疲れたからもう嫌です。というか、毎回毎回なんでわたしにばっかりあんなに突っかかってくるんでしょうね」
「まぁ……、こんなに若くて可愛い女の子が自分たちより遥かに強くて優秀だったら、そりゃ妬みたくもなるんじゃない? 嫉妬よ、嫉妬」
「種族が違うのだからそんなの仕方がないことなのに。はぁ……」
「気にしない気にしない!」
竜胆に背中を軽くたたかれ、少し気を取り直したわたしは、竜胆の顔色が隠れ里への出発前よりもさらに良くなっていることに気が付いた。
「竜胆は元気ですね」
「あの烏天狗の隠れ里、何か私に近いモノが祀られていたみたいで、かすかに漂っていた瘴気を吸ったらさらに元気になっちゃったんだよね」
「ああ……。それは大天狗ですね」
「大天狗? 天狗って、あの、顔の赤い長い鼻の?」
「そうです。清濁を併せ持つ神と妖怪の間に位置する存在です」
「へぇ……。でも、なんで祀ってるの?」
「それは長い話になるのですが、かいつまんではなすと、天狗の総大将が一人の若き人間の将軍に加勢し、すでに数の少なかった天狗たちも戦に出て闘い、全滅してしまったんです。その総大将だった大天狗の身体を人間たちに辱められないよう持ち帰り、祀っているのが神使の一族である烏天狗たちなのです。同じ地で生まれたので、親戚のような関係性ですね」
竜胆には何か思い当たるふしがあったのか、何度も頷いている。
「人間の若き将軍ねぇ……。そんなことがあったのね。私ももっと人間の社会に触れないと、時代の流れに追いつけなくなっちゃうわ。年号も何回変わったかもうわからないわ。それに、海の向こうの国々との貿易があんなにも盛んになっているなんて知らなかったもの。ねぇ、ドレス買ってよ、翼禮」
「ドレスは全部オーダーメイドなんです。わたしのお給料ではそんなにぽんぽん買ってあげられません。自分で稼いで買ってください」
「ええ! 翼禮ってそんなにお給料低いの⁉」
「……ドレスが高価なんです!」
「あっそ」
「ひどい。心が傷つきました」
「あはははは! 大丈夫大丈夫。今回とっても頑張ったんだから。きっと特別褒賞かなんか出るんじゃない?」
「今は内裏と後宮、そして大内裏の修復で工事費が嵩んでるんです。陛下にもそこまで余裕はないと思いますよ」
「貧乏なのねぇ」
「不敬ですよ」
「ごめーん」
お気楽な竜胆の態度に、私はつい吹き出してしまった。
「ふふ、ふふふ」
「もっと可愛らしく笑ったら? 声が低い」
「いいんです」
「ふうん」
わたしは小さく息を吐き、空を見上げた。
春の空には爽やかな風が流れ、時折流れてくる雲はまるで小さな綿菓子のよう。
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