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第五十一話:悲しき一族

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 竜胆とも話し合い、暑さと熱に身体がやられて辛かったので、その日のうちに現世へ帰ることにした。
 閻魔大王にはお礼を言い、再度挨拶をして地獄を後にした。
 あの亡者には特例で百年の減刑が言い渡されるらしい。ただし、生まれ変わるときは畜生になるという。
翼禮よくれい、大丈夫?」
「ううん……。多分、熱中症だと思います。ちょっと吐き気が……」
「肩たたこうか?」
「お願いしてもいいですか? 本当にすみません」
「いつでもどんとこいよ!」
 現世に戻ってきたら深夜だったのは幸い。
 昼間の暑さが和らぎ、少し湿って入るが風も吹いている。
 わたしと竜胆はとりあえず内裏にある仕事部屋から空枝空間くうしくうかんに入り、なだれ込むように涼しい屋敷に入った。
「ほら、座って」
「はいぃ……」
 わたしは限界だった。首も肩も背中もカチコチ。
 気持ちが悪くても吐く物が胃にない。
 身体は熱っぽく、どんなに水分をとっても満たされない。
 完全な熱中症だ。
「うわ! すごいわね。肩、鉄板入ってるみたいに硬いわよ!」
「そうですか……」
 もう言葉を発する気力もなかった
「明日仕事休んだら?」
「いえ、ダメです。仕事をちゃっちゃと済ませて、菊宸《きくじん》を探す時間を作らなければ……」
「真面目ねぇ。私が仕事しておくのに」
「竜胆さんは今後一人で出歩いてはいけません。きっと、わたしたちが地獄へ行ったことはすぐに零度界リンドゥジェにも伝わるでしょう。聡い烏羽玉はなぜ我々が地獄へ行ったのか気づくはず。そうすれば、きっと竜胆さんは誘拐されて口を割るまで拷問されるか、わたしと組めないよう、どこかに幽閉されるか……」
「……いいのよ? 翼禮よくれいのそういう心配性なところも、私は好き。でも、いくらなんでも考えすぎじゃない? もし私のことを誘拐する気なら、もうとっくにしてるわよ」
「そうでしょうか……。あ、そういえば、おかげさまで回復してきました」
「よかったわぁ。私、力には自信あるから。ほら、次は頭皮を揉んであげるから寝て頂戴」
「そんなことまで……。ありがとうございます」
 わたしは座布団を枕にして板間に寝転がり、竜胆に身を委ねた。というか、頭を。
「菊宸《きくじん》、どこから探してみるつもりなの?」
「まずは書庫に残っている雪原家と皇帝家の家系図から探ってみようと思っています。まぁ、載っていないでしょうけど……。花信かしんさんのお母様、つまり、皇女様は載っているでしょうから」
「うんうん」
「菊宸《きくじん》ってことは……、きっと……、どちらかの字を……、家族から……、もらっている……、と思うんです。多分……」
 わたしはそのまま寝てしまったらしい。
 気付いたら朝だった。
 身体には夏用の薄い布団。隣には同じく薄い布団をかけた竜胆が。
 どうやら、敷布団まで敷いてくれたらしい。
「……身体が軽い」
 わたしは朝食を作ることにした。
 竜胆に、感謝を込めて。
 数十分後、むにゃむにゃ言いながら竜胆が起きてきた。
「ふあぁ、よく眠れた?」
「はい。おかげさまで」
「わあ、朝ご飯だ!」
「食べたら先にお風呂どうぞ」
「あはは。そうなのよ。私も寝ちゃったんだぁ」
「ふふふ」
 本当はわたしの体調が心配で付き添っていてくれたんだと思う。
 竜胆はお風呂が好きだから、入らずに寝るなんてこと、そうそうない。
 胸の中心辺りが、ふわりと軽く、あたたかくなった。
 わたしと竜胆は朝ご飯を食べ、互いにそれぞれ風呂に入るなどして身支度を整えると、空枝空間くうしくうかんを出て、いつものように仕事へと向かった。
「陛下に報告しておきますか」
「そうね。どこにいるかしら」
「この時間なら……、今日は御書房ごしょぼうかもしれません」
 主上おかみは新しく建て直した内裏の中でも、御書房が大のお気に入りだ。
 華丹かたん国から買い付けた調度品を置き、和漢折衷の様式を楽しんでいるらしい。
 わたしと竜胆は廊下を進み、清涼殿の近くにある御書房へと向かった。
「陛下、いらっしゃいますか」
「おう、翼禮よくれいか。速かったな」
 今日はちゃんと直衣を着ているようだ。
「地獄はどうだった? 熱いのか? その、良い鬼がいるんだろ? 獄卒だったか。亡者はどんな生活をしているんだ?」
「……その話はまたあとでもよろしいでしょうか。烏羽玉の母親……、つまりは陛下のお母上の名前がわかったので、そちらの報告からさせて下さい」
「……は、母上の……、な、名前……」
 興奮して今にも立ち上がりそうだった主上おかみは、脱力したように椅子にもたれかかった。
「……教えてくれ。母の名を」
 机に手を乗せ、前のめりになり、真剣な表情。
 覚悟が出来たのだろう。
「陛下のお母上のお名前は、雪原 花信ゆきわら かしん。雪原家の末裔です」
「な……。ご、五十年以上前に没落した貴族……」
 主上おかみは顔を手で覆い、深呼吸を繰り返した。
「大丈夫ですか?」
「……ああ。大丈夫だ」
「陛下は菊宸《きくじん》という名に聞き覚えはありませんか?」
「菊宸《きくじん》? わたしたちを育ててくれた乳母の兄が同じ名だが、それがどうした?」
「……え」
「……え?」
 頭の中で、いくつかの仮説が主上おかみの王朝設立時の言葉に繋がっていく。
『数十代前からズレていた血統の流れを、正統なる長子の血統に戻す。これは簒奪さんだつではなく、支流だったものを本流に戻しただけ』
(もしかして……)
翼禮よくれい? どうした? 大丈夫か……?」
 初代皇帝には双子の子供がいた。
 花信の母親である皇女と、その双子の皇子。
 胡仙フーシェンの話では、皇子の死にも、その子供にも触れられていなかった。
(わたしたちは、烏羽玉の母親が誰であることに気を取られて、初代皇帝陛下の皇子については何も調べてこなかった!)
 心拍数が上がる。もし頭に浮かんだ仮説が事実なら、大変なことになる。
 万世一系ばんせいいっけい
 皇帝は常に男系の血筋であることが常とされている。
 仲が悪いと決めつけていた双子の皇女と皇子が、実は左大臣の暗殺計画を知っていて、防げないと悟り、土壇場で手を組んでいたとしたら……?
 皇女の子供が本当は花信かしんだけだったとしたら……?
 菊宸きくじんは皇子の方の息子だったとしたら……?
禍ツ鬼マガツキは、自分の性別を好きに変えられる。とすれば、禍ツ鬼マガツキの王が女体化し、菊宸きくじんの子を産んでいたとしたら? それが、烏羽玉……)
 そして、菊宸きくじんが人間に産ませたのが主上おかみとその姉妹。
 花信を同じ時期に入内させたのは皇帝家に対する目くらましだったとしたら……。
「まずい!」
 双子なら、禍ツ鬼マガツキの王が同じ長命ののろいを施すことも可能だ。
「な、なにがまずいのだ、翼禮よくれい。どうした? どうしたというのだ?」
菊宸きくじんが持っているのは、まさに玉印! 逃げるときに、祖父である初代皇帝陛下の玉印を持っていったのでは⁉」
 わたしは校風のあまり叫ぶように話してしまった。
 主上おかみと竜胆の驚いた顔に気づき、深呼吸をした後、落ち着いて二人に説明した。
「初代皇帝陛下の双子は、互いの子供を乳母に託し、一緒に逃がしたのです。それが、皇女の娘〈花信〉と、皇子の息子〈菊宸〉」
 主上おかみは驚愕の表情を浮かべ、椅子から立ち上がった。
「成長した二人は、まず、〈花信〉を入内させます。しかし、簒奪を疑われ廃后。最初の作戦は失敗に終わりました。それと同時期に、〈菊宸〉は、何らかの理由で女体化していた禍ツ鬼マガツキの王と出会い、結婚。そうして烏羽玉が生まれます。その後、長命ののろいを授かった〈花信〉と〈菊宸〉は、数百年後、再び〈花信〉を入内させます。今度は、〈雪原 花信〉と名を改め、目くらましとして。同時期に、〈菊宸〉は人間と結婚。〈花信〉が宿下がりするたびに子供をもうけ、美綾子長公主、陛下、日奈子長公主が誕生。その時期を見計らい、一度〈花信〉は皇帝の元から去り、乳母として三人の子供を育てます」
 主上おかみは床にぺたりと座り込んでしまった。
「〈菊宸〉は烏羽玉と共に作戦を練り、あらゆる手段を講じて、あなたを、陛下を皇帝の座に就かせたのです。しかし、ここで、賢い〈菊宸〉は本物の玉印と桃華タオファ文字で書かれた正当な血統を示す唯一の公的文章を隠したのです」
「な、何故隠すのだ?」
「烏羽玉を玉座に座らせないようにするためです」
「でも、どうしてそんなことを……」
「陛下を愛しておられるからでしょう」
 主上おかみは言葉を失い、ただただ虚空を見つめている。
「以上の推理が当たっているとするならば、本物の玉印と桃華タオファ文章のありかも、わかる気がします」
「……初代皇帝の双子。つまりは、私にとって、遠いが近い、お祖父じい様の墓の中、ということだな」
「その通りです」
「だが、きっと墓など建ってはいないだろう。当時、皇位を左大臣とやらに簒奪されたのだから」
「でも、目的が明確になりました。なんとしても、烏羽玉より先に陛下のお祖父様のお墓を探さねばなりません」
「なぜ、なぜ菊宸……、いや、本当の父上は、その場所を教えてくれないのだ、私に……」
「そんなことをすれば、あなたはとっくに烏羽玉に殺されているでしょう」
「……そういうことか。結局は、何百年何千年経とうとも、悲しき皇族は家族間で殺し合わねばならんのだな」
 主上おかみはうなだれ、自嘲気味に笑い出した。
「はは……。そうか……。あはははは……」
「陛下、お気を確かに。才覚の場合、烏羽玉の勢力と戦争になるやもしれません」
「……顔を見たこともない祖父と父上、そして叔母上の悲願がこの玉座なのだとしたら、私は全力で護るぞ。何があっても、どんなことが待ち受けていようと」
 主上おかみは立ち上がり、再び席に着くと、わたしと竜胆を見て言った。
「この国も、家族も、私が護ってみせる。力を貸してくれ」
「もちろんです」
「力になりますわ」
 わたしは、今更ながらなぜ杏守あんずのもり家が皇帝家の〈影〉だったのか、わかった気がした。
 監視していたのだ。きっと。
 簒奪から始まった、血なまぐさいこの一族を。
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