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「奥様。最近食事をあまり取られていないようですが……」

 私付きの侍女は部屋に入るなり、心配そうな声で言った。
 窓際の椅子に腰かけ、外の景色に見入っていた私は、彼女の顔を見ることもなく、言葉を返す。

「大丈夫よ。倒れない程度には食べているから。心配しないで」

 あれ、私のことはこんなに掠れていたのだろうか。
 ふとそんな疑問が湧くも、侍女の声に遮られる。

「心配しないわけがありません! もう三年も一緒にいるのです! 奥様のことが……私は……ただ心配なのです。だから、せめて食事はもう少しとって頂きたいのです」

「ありがとう心配してくれて。でも食欲が湧かないの。きっとすぐに元に戻るわ。きっと……」

 それは私の本心からの願いだった。
 しかし食事のことではないけれど。
 侍女は少し間を置いて「分かりました」とだけ言って部屋を去っていく。
 一人になった私は、空を飛ぶ二羽の小鳥を見ながら大きなため息をついた。

 公爵令息のホルンと結婚して三年。
 彼は私への愛を無くし、家にほとんど帰らなくなっていた。
 
 何が原因か分からないが、私は理想の妻になれるようにたくさん努力をした。
 しかしそれは全部不発に終わり、ホルンの表情は日に日に冷たくなっていった。
 あぁ、愛されていないんだ……そう思った時にはホルンは家に帰らなくなっていた。

 最後に見たのは三週間前の深夜。
 物音で目覚めた私は、廊下でホルンと出くわした。
 彼は外出用の服を着ていて、帰ってきたのも束の間すぐに家を出るみたいだった。
 
「ブルーメ。ちょっと仕事で出かけてくるよ」

 いつ戻るのですか?本当に仕事なのですか?
 聞きたいことはたくさんあったが、私はそれを抑え込み、良い妻を演じた。

「分かりました。待っていますね、ホルン様」

 そう言った私に、ホルンは作ったような微かな笑みで言葉を返す。

「愛しているよブルーメ」

 それは呪いの言葉だった。

 ……三週間後の現在。
 ホルンは未だに家に帰ってこず、私は憂鬱とした日々を過ごしていた。
  
 一体どれだけ願えば、私の望みは叶うのだろう。
 私はただ、平凡な幸せを望んでいるだけなのに。
 空を飛ぶ二羽の小鳥が憎らしく思えてきて、私は椅子から立ち上がった。

 ……それから数日後。
 侍女が勢いよく、部屋の扉をノックした。

「奥様。至急お伝えしなければいけないことがあります」

 時刻は夕方。
 もしかしてホルンが帰ってきたのだろうか。
 私は勇み足で椅子から立ち上がり、危うく転びそうになる。
 扉を開けると、なぜか侍女は顔を青くしていた。

「奥様。落ち着いて聞いてください。旦那様は……浮気をしている可能性がございます」

「……はい?」

 世界から色と音が消えた。
 殴られたような衝撃に、一瞬視界までもがぐらついた。
 再びそれらが戻った時には、侍女は次の言葉を話し始めていた。

「先ほど買い物に街まで馬車を走らせていた所、旦那様と思しき男性を発見致しました。しかし彼は貴族令嬢の女性と手を繋ぎ歩いており……」

「もういい」

 先ほどまでの期待が綺麗さっぱり消えて、今度は深い絶望の波が私を襲う。
 私の冷たい声に、侍女はびくっと体を震わすと、おずおずと頭を下げる。

「も、申し訳ございません……しかし、旦那様のことはお調べなさった方がいいかと……このままでは悲しむのは奥様です」

「分かってる。ありがとう」

 私はそれだけ言うと、扉を閉めた。
 扉の向こうで侍女は何か言っていたが、両手で耳を塞いで聞かないことにする。
 私のその場に崩れ落ち、耳を塞ぎながら涙を流した。
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