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夕日
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***
一週間、俺は体力作りに励んでいた。
手術が終わってから、すぐに妹にジャージを持ってきてもらい、ウォーキングをした。
最初から張り切って走り出したりすると、逆に体を壊すことがある。
だから少しずつ、少しずつ体を慣らしていく。
夏の大会に向けて、体力を戻しておかなければ部員のみんなの足を引っ張ることになる。ちゃんと分かってる。
「あまり無理はしないでね」
聞きなれた声がした。低くて太いが、なぜか威圧感はない。俺の手術をした、佐藤守という医師だ。
「大丈夫です。一週間毎日頑張ってたのでもう慣れました」
「また体を壊したら今度は許さないよ?」
冗談まじりに忠告された俺は気合を入れ直す。大会まであと二週間。早く退院して部活に参加したい。
「それだけ元気なら、もう退院しても問題なさそうだね」
「ありがとうございます。先生のおかげです」
「お礼なら君の中の肝臓の持ち主にしてあげなさい。僕は彼女の意思に従っただけだから」
「彼女」という言葉に、俺は少し違和感を覚えた。臓器提供してくれたのは脳死した人のはずだ。死んだ人に会うことはできない。
「提供してくれたのは女性なんですか?」
俺が聞いた瞬間、佐藤先生の顔が一瞬強ばった気がした。気のせいだろうか。
「うん、女性だよ。臓器移植のネットワークみたいなものがあってね。そこに女性として登録していたらしいよ」
俺はその言葉に納得して、また走り出した。
***
「と、まあそういうわけで幸人は無事退院できるよ」
「何がどういうわけで退院できるの?別に無事ならいいけどさ」
いきなりドアを開けて、かすみちゃんは幸人の退院を私に報告してきた。
幸人が元気になったことに安心した。これで彼はテニスを思う存分できる。
その時、佐藤先生が入ってきた。いつもの穏やかな笑顔で微笑みかける。
「かすみちゃんもいたんだね。おはよう」
「先生!おはようございます!」
入院したての頃、先生は私に「かすみちゃんは本当に君に懐いてるね」と言っていたが、どっこいどっこいだと思う。多分私以上に懐いている。
「夢叶ちゃん、幸人君は無事退院できるよ。体力も申し分ないし、薬もちゃんと飲んでるからね」
薬というのは拒絶反応を起こさないための免疫抑制剤のことだろう。幸人は忘れっぽいところがあるから心配していたが、その必要はなかったようだ。
「退院できるってことはかすみちゃんから聞いています。本当によかったです」
「体調は?」
先生は最近、私の体調をちょくちょく聞いてくるようになった。抗がん剤を投与してからちょうど一週間。副作用が出てくる頃だからだ。
私自身も、ちゃんと分かっている。
「大丈夫です。今のところは」
「そうか、それならよかった」
もう七月に入って外は蒸し暑い。蝉の鳴き声も聞こえてくる。毎日のように病室に来る結愛とかすみちゃんは汗だくだ。
私は申し訳ないと思ったが、二人が気にするなと言っているので何も言わない。
「それにしても、本当に絵が上手になったよね」
声を上げたのは結愛だ。さっきまでいなかったはずなのだが、どこから湧いて出てきたのだろう。
実際、私自身も絵が上達したと思っている。世間一般的には上手い方に分布されてると思う。
一週間前は小学生レベルだったが、今では美術部の二年生になりたてと言ったところだろう。
「これネットに投稿すれば?」
「「投稿?」」
私と佐藤先生の声が重なった。おそらく先生もスマホをうまく使いこなせないのだろう。
私と同様に、メッセージくらいしか使い道がないのかもしれない。
「投稿とかってお金かからないの?」
私の質問に「そこからか…」と言わんばかりの結愛とかすみの視線が、体に突き刺さる。
ちょっと居心地が悪いので、私は視線を逸らした。一方先生は別の心配をしていた。
「ネットって住所とか個人情報とか特定されたり、危ないって聞いたことあるけどそこは大丈夫なの?」
小中学校の授業で習ったので、私も同じような心配をしていた。
「しっかり対策すれば大丈夫だよ」
返事をしたのは結愛だ。
今気づいたが、結愛は守に対して敬語を使っていない。元々敬語を使う性格ではないし、担任の先生にもタメ口だったりする。
「カメラの位置情報をオフにしたり、周りの景色を映さなかったりすれば問題ありませんよ」
詳しく教えてくれたのはかすみちゃんだ。その言葉に、夢叶と守が同じ反応をする。
「「いちじょうほう?」」
結愛とかすみちゃんはまたもや「そこからか…」という顔をした。今度は先生も居心地が悪そうに目を逸らした。
次の日、試しに窓から見た外の景色をネットにあげることにした。
「ユーザー名はどうする?」
「ゆーざーめい?」
「ダメだこりゃ」
結愛とかすみちゃんに指導を受けていたが、私はやはり機械音痴なのだと実感する。
「簡単に言えば偽名だよ」
随分と胸糞悪い例えをした結愛に、私とかすみちゃんがなんとも言えない目を向ける。
「芸名って言えば分かるかな」
別の言い方をしたかすみちゃんのおかげで、私はやっと納得出来た。芸名は確かに本名を使う人もいるだろうが、ものすごい名前を名乗っている人もいる。それなら想像できる。
「それなら…”闘病の女子高生 夕日”」
「夕日?」
聞き返したのは結愛だ。なんでいきなり夕日が出てきたんだと言いたいのだろう。
「夕日が綺麗だから」
窓の外を見ながらそう言った。だって空が茜色に染まっていて、とても綺麗で…
「夢叶ちゃん、安直って言われたことない?」
生まれて初めての言葉をかすみちゃんに言われたショックで、雷に打たれたような衝撃を感じた。
「じゃあそれで行こう。最初は何を投稿する?」
「結愛は何がいいと思う?」
この一週間で描いた絵は、ざっと数えて五十枚ある。景色、花、病室、似顔絵の他に、ネットで調べた人気のキャラクターなど、時間があればとにかく描いたのだ。
「似顔絵を投稿するわけにはいかないから、まずは無難に景色じゃない?」
提案したのはかすみちゃんだ。その意見に誰も反対しなかった。
「じゃあ、投稿するね。絶対バズるよ!」
正直私はバズりとかは分からないが、二人が楽しそうならそれでいいかと思った。
実は今、体調があまり良くない。全身に倦怠感を感じる。抗がん剤の副作用だ。
動けないわけではないので、何も言わない。楽しそうな二人の少女を眺めながら、私はもうすでに読み終わった本を開いた。
一週間、俺は体力作りに励んでいた。
手術が終わってから、すぐに妹にジャージを持ってきてもらい、ウォーキングをした。
最初から張り切って走り出したりすると、逆に体を壊すことがある。
だから少しずつ、少しずつ体を慣らしていく。
夏の大会に向けて、体力を戻しておかなければ部員のみんなの足を引っ張ることになる。ちゃんと分かってる。
「あまり無理はしないでね」
聞きなれた声がした。低くて太いが、なぜか威圧感はない。俺の手術をした、佐藤守という医師だ。
「大丈夫です。一週間毎日頑張ってたのでもう慣れました」
「また体を壊したら今度は許さないよ?」
冗談まじりに忠告された俺は気合を入れ直す。大会まであと二週間。早く退院して部活に参加したい。
「それだけ元気なら、もう退院しても問題なさそうだね」
「ありがとうございます。先生のおかげです」
「お礼なら君の中の肝臓の持ち主にしてあげなさい。僕は彼女の意思に従っただけだから」
「彼女」という言葉に、俺は少し違和感を覚えた。臓器提供してくれたのは脳死した人のはずだ。死んだ人に会うことはできない。
「提供してくれたのは女性なんですか?」
俺が聞いた瞬間、佐藤先生の顔が一瞬強ばった気がした。気のせいだろうか。
「うん、女性だよ。臓器移植のネットワークみたいなものがあってね。そこに女性として登録していたらしいよ」
俺はその言葉に納得して、また走り出した。
***
「と、まあそういうわけで幸人は無事退院できるよ」
「何がどういうわけで退院できるの?別に無事ならいいけどさ」
いきなりドアを開けて、かすみちゃんは幸人の退院を私に報告してきた。
幸人が元気になったことに安心した。これで彼はテニスを思う存分できる。
その時、佐藤先生が入ってきた。いつもの穏やかな笑顔で微笑みかける。
「かすみちゃんもいたんだね。おはよう」
「先生!おはようございます!」
入院したての頃、先生は私に「かすみちゃんは本当に君に懐いてるね」と言っていたが、どっこいどっこいだと思う。多分私以上に懐いている。
「夢叶ちゃん、幸人君は無事退院できるよ。体力も申し分ないし、薬もちゃんと飲んでるからね」
薬というのは拒絶反応を起こさないための免疫抑制剤のことだろう。幸人は忘れっぽいところがあるから心配していたが、その必要はなかったようだ。
「退院できるってことはかすみちゃんから聞いています。本当によかったです」
「体調は?」
先生は最近、私の体調をちょくちょく聞いてくるようになった。抗がん剤を投与してからちょうど一週間。副作用が出てくる頃だからだ。
私自身も、ちゃんと分かっている。
「大丈夫です。今のところは」
「そうか、それならよかった」
もう七月に入って外は蒸し暑い。蝉の鳴き声も聞こえてくる。毎日のように病室に来る結愛とかすみちゃんは汗だくだ。
私は申し訳ないと思ったが、二人が気にするなと言っているので何も言わない。
「それにしても、本当に絵が上手になったよね」
声を上げたのは結愛だ。さっきまでいなかったはずなのだが、どこから湧いて出てきたのだろう。
実際、私自身も絵が上達したと思っている。世間一般的には上手い方に分布されてると思う。
一週間前は小学生レベルだったが、今では美術部の二年生になりたてと言ったところだろう。
「これネットに投稿すれば?」
「「投稿?」」
私と佐藤先生の声が重なった。おそらく先生もスマホをうまく使いこなせないのだろう。
私と同様に、メッセージくらいしか使い道がないのかもしれない。
「投稿とかってお金かからないの?」
私の質問に「そこからか…」と言わんばかりの結愛とかすみの視線が、体に突き刺さる。
ちょっと居心地が悪いので、私は視線を逸らした。一方先生は別の心配をしていた。
「ネットって住所とか個人情報とか特定されたり、危ないって聞いたことあるけどそこは大丈夫なの?」
小中学校の授業で習ったので、私も同じような心配をしていた。
「しっかり対策すれば大丈夫だよ」
返事をしたのは結愛だ。
今気づいたが、結愛は守に対して敬語を使っていない。元々敬語を使う性格ではないし、担任の先生にもタメ口だったりする。
「カメラの位置情報をオフにしたり、周りの景色を映さなかったりすれば問題ありませんよ」
詳しく教えてくれたのはかすみちゃんだ。その言葉に、夢叶と守が同じ反応をする。
「「いちじょうほう?」」
結愛とかすみちゃんはまたもや「そこからか…」という顔をした。今度は先生も居心地が悪そうに目を逸らした。
次の日、試しに窓から見た外の景色をネットにあげることにした。
「ユーザー名はどうする?」
「ゆーざーめい?」
「ダメだこりゃ」
結愛とかすみちゃんに指導を受けていたが、私はやはり機械音痴なのだと実感する。
「簡単に言えば偽名だよ」
随分と胸糞悪い例えをした結愛に、私とかすみちゃんがなんとも言えない目を向ける。
「芸名って言えば分かるかな」
別の言い方をしたかすみちゃんのおかげで、私はやっと納得出来た。芸名は確かに本名を使う人もいるだろうが、ものすごい名前を名乗っている人もいる。それなら想像できる。
「それなら…”闘病の女子高生 夕日”」
「夕日?」
聞き返したのは結愛だ。なんでいきなり夕日が出てきたんだと言いたいのだろう。
「夕日が綺麗だから」
窓の外を見ながらそう言った。だって空が茜色に染まっていて、とても綺麗で…
「夢叶ちゃん、安直って言われたことない?」
生まれて初めての言葉をかすみちゃんに言われたショックで、雷に打たれたような衝撃を感じた。
「じゃあそれで行こう。最初は何を投稿する?」
「結愛は何がいいと思う?」
この一週間で描いた絵は、ざっと数えて五十枚ある。景色、花、病室、似顔絵の他に、ネットで調べた人気のキャラクターなど、時間があればとにかく描いたのだ。
「似顔絵を投稿するわけにはいかないから、まずは無難に景色じゃない?」
提案したのはかすみちゃんだ。その意見に誰も反対しなかった。
「じゃあ、投稿するね。絶対バズるよ!」
正直私はバズりとかは分からないが、二人が楽しそうならそれでいいかと思った。
実は今、体調があまり良くない。全身に倦怠感を感じる。抗がん剤の副作用だ。
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