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学園編 16歳
58 プリンの進化を堪能しましょう
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事件の後処理も終わり、数日の間にラウル、ルドルフ、ミシェルがエリーナの様子を見にローゼンディアナ家を訪れていた。表立った騒ぎにはならなかったが、一部の情報に敏感な者たちには伝わったらしい。三人から心配と気遣う言葉をかけられ、エリーナは微笑を浮かべて応対した。
学園に行けばいつも以上に三人の姿を見ることが多くなり、休み時間を一人で過ごすことがなくなった。話し相手になってくれるので学園内に関してはそれでいいのだが、問題は別にある。
事件が解決し日常が戻ってもクリスの五割増しの過保護が変わらなかったのだ。学園の送り迎えに付いてくるのに加え、屋敷にエリーナがいればその隣で仕事をしている。エリーナが動くたびに書類と簡易机を移動させられる侍従たちが可愛そうだ。
最初は事件のことで心配をかけたことを悪いと思い、大目に見ていたが一週間も続くと我慢も限界だった。休日の今日も、クリスは朝からエリーナにべったりで、どこへ行くにも後をついてくる。まるで生まれたての雛だ。図書室からサロンへ移動しようと歩き出せば、クリスもそれに続いたので足を止めて振り返った。
「クリス……しつこい」
「……だって。常にエリーナが視界に入ってないと不安なんだ」
しょんぼりと遠慮がちな目を向けるクリスを見ていると、こちらが悪いような気がしてくるエリーナである。
「護衛もあれから増えたじゃない。これ以上私生活の邪魔をされたら、ここから出て行くからね!」
今日こそはっきりと言わなければ気が済まない。心配なのはわかるが、エリーナが湯あみをしている時まで廊下で待とうとするのだ。ローゼンディアナ家の中で何が起こるというのか。さすがにそれはやりすぎだと、サリーに窘められていた。
「そんな! ど、どこに行くっていうのさ!」
エリーナの拒絶に、耐性のないクリスは動揺を隠せず狼狽する。エリーナがこの屋敷からいなくなると考えただけで息が苦しくなってきた。
「ベロニカ様のところよ!」
「そんなところへ行ったら、ずっと帰ってこないじゃないか!」
敬愛するベロニカに、見事なロマンス小説の蔵書量を誇る図書室。エリーナをとらえて離さないものが多すぎる。
「それが嫌だったら、元に戻って。しばらくは多めに一緒にいる時間を作るから」
エリーナの最大限の譲歩だ。クリスは不服そうに渋っているが、エリーナが目で圧力をかけるとしぶしぶ頷いた。
「わかったよ……じゃぁ、今からデートしよう」
「何がわかったの?」
今までの話の流れからどうすればデートに誘えるのか、エリーナには理解ができない。だがクリスはニコニコと渋っていたのが嘘のように笑っている。
「今日一緒にいてくれたら明日からは今までどおりにするって約束するから。それに、カフェ・アークのパティシエが新しいプリンを開発したらしくて、食べて欲しいって」
新しいプリンという言葉に、エリーナの眉がピクリと動く。プリンと聞いて行かないという選択肢はない。
そして頷いたが最後、パパっと出かける支度をサリーに済まされ、クリスに馬車へとエスコートされる。
その馬車の中で、クリスは「これが最後だから」と隣に座って手を握ってきた。その存在を確かめるように何度か撫で、ぽつりと呟く。
「本当に、生きていてよかった」
「……そう簡単に死なないわよ」
ぶっきらぼうにそう返すが、あのイベントでは下手すればデッドエンドになっていただけに、今思い返しても背筋が凍る。リズとも話したが、ジークとルドルフの代わりにクリスが救出に来たのは、リズがローゼンディアナ家に駆け込んだためだろうと。そのおかげか、救出が早まりデッドエンドは回避された。
「それでも、僕は生きた心地がしなかったよ」
弱弱しく呟くクリスは捨てられた子犬のようで、エリーナは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「クリス、わたくしはここにいるわ。だから、安心して」
「うん……情けないね。エリーがいるのが当たり前だったから、いなくなると思うと怖くなったんだ」
それはエリーナも同じで、クリスは大切な家族であり、側にいるのが当然の存在だ。
「いなくなんてならないわ。悪役令嬢ってのは、最後に断罪されるまでしぶとく生き残るものよ」
場を和ませようとそう胸を張って言い切れば、クリスは喉の奥で笑った。ひさしぶりに笑顔を見た気がする。
「そうだね。エリーは最後までずぶとく生きそうだ」
そして他愛のない話をし、カフェ・アークに着いた頃にはいつもと同じキラキラとした笑顔を浮かべているクリスがいたのだった。
カフェに入るなり二人は厨房の隣にある個室に通され、エリーナは珍しそうにその部屋をまじまじと見る。従業員の休憩室のようで、こぎれいにされテーブルセットが置かれていた。だが残念ながらおしゃれなテーブルセットが浮いている。
「クリス様、エリーナ様。申し訳ありません……新商品ですので、表で出すわけにもいかず」
このカフェのパティシエが出てきて頭を下げた。彼が商品開発を一手に担っているこのカフェの責任者だ。もとは王宮で働いていたらしいが、クリスが引き抜いたらしい。
「かまわないよ。周りを気にしなくていいから、僕たちも楽だし」
「わたくしもかまいませんわ」
なにより厨房に近いため、プリンの甘い香りが漂ってきている。それだけで幸せだ。
そして二人は席に着き、給仕がお茶を淹れる。エリーナは扉の向こうに見えている厨房を、目を輝かせて見ていた。作っているところを見る機会はそうそうない。甘く香ばしい香りが強くなり、お腹が空いてきた。
ほどなくしてパティシエがお盆を持って戻って来た。お皿が二つ乗っており、プリンの姿は見えない。
そっと目の前に置かれた皿に視線を落とせば、小さく丸いグラタン皿の中に茶色い飴のようなものが見える。カラメルソースのようだが、肝心のプリンが見えない。
「これは……?」
プルプル震え、卵とミルクが甘みと混ざり合ってとろけ、ほろ苦いカラメルソースが引き締める。そのプリンの姿がない。
「これは遠い異国のスイーツ。クレームブリュレでございます」
「クレームブリュレ」
パティシエの説明に、エリーナはそのまま復唱する。名前にもプリンの面影はなかった。この間のココナッツプリンとは異なる部類に入るのだろう。エリーナはスプーンを持ち、いざと意気込んでブリュレにスプーンを差し入れた。
「固いのね」
茶色い表面は硬かったが、少し力をいれるとすぐに割れた。薄い飴のようだ。そしてその下には黄色くなめらかなプリンのようなものが現れる。それらを一緒にすくい、未知のプリンにワクワクして口の中に入れた。
口の中でカリッと飴が割れ、ほろ苦さが広がると同時にプリンの甘さに包み込まれる。エリーナは目を見開き、ぱぁっと幸せそうに表情を明るくした。
「何これ、おいしい!」
食感は違うが、確かにプリンだった。少し温かいのがまたいい。
「これはプリンの進化よ! すばらしいわ!」
エリーナは感動し、ぱくぱくと食べ進める。スプーンを動かす手が止まらない。
「上の部分はキャラメリゼと言いまして、砂糖を炙って溶かすこの国にはない技法でございます」
「最高ね!」
カラメルソースに食感を加えるとは天才だとエリーナは大絶賛だ。
「うん、おいしい」
クリスも満足そうに食べていた。何よりエリーナの嬉しそうな表情が見れたことが最大の喜びだ。
「ねぇ、これまだあるかしら」
ぺろりと食べ終わったエリーナはちらっとパティシエに視線を送る。
「はい。もちろんでございます」
プリンを10個食べたという伝説のエリーナに対し、ぬかりはない。しっかり追加用とお土産用を作っていた。
後日、エリーナが大満足したクレームブリュレは、『お嬢様のブリュレ』としてカフェ・アークで売り出され、瞬く間に人気商品になったのだった。
そして季節は過ぎ、小さなイベントをこなす日常が終わればあっという間に学園の一年目が過ぎていった。
学園に行けばいつも以上に三人の姿を見ることが多くなり、休み時間を一人で過ごすことがなくなった。話し相手になってくれるので学園内に関してはそれでいいのだが、問題は別にある。
事件が解決し日常が戻ってもクリスの五割増しの過保護が変わらなかったのだ。学園の送り迎えに付いてくるのに加え、屋敷にエリーナがいればその隣で仕事をしている。エリーナが動くたびに書類と簡易机を移動させられる侍従たちが可愛そうだ。
最初は事件のことで心配をかけたことを悪いと思い、大目に見ていたが一週間も続くと我慢も限界だった。休日の今日も、クリスは朝からエリーナにべったりで、どこへ行くにも後をついてくる。まるで生まれたての雛だ。図書室からサロンへ移動しようと歩き出せば、クリスもそれに続いたので足を止めて振り返った。
「クリス……しつこい」
「……だって。常にエリーナが視界に入ってないと不安なんだ」
しょんぼりと遠慮がちな目を向けるクリスを見ていると、こちらが悪いような気がしてくるエリーナである。
「護衛もあれから増えたじゃない。これ以上私生活の邪魔をされたら、ここから出て行くからね!」
今日こそはっきりと言わなければ気が済まない。心配なのはわかるが、エリーナが湯あみをしている時まで廊下で待とうとするのだ。ローゼンディアナ家の中で何が起こるというのか。さすがにそれはやりすぎだと、サリーに窘められていた。
「そんな! ど、どこに行くっていうのさ!」
エリーナの拒絶に、耐性のないクリスは動揺を隠せず狼狽する。エリーナがこの屋敷からいなくなると考えただけで息が苦しくなってきた。
「ベロニカ様のところよ!」
「そんなところへ行ったら、ずっと帰ってこないじゃないか!」
敬愛するベロニカに、見事なロマンス小説の蔵書量を誇る図書室。エリーナをとらえて離さないものが多すぎる。
「それが嫌だったら、元に戻って。しばらくは多めに一緒にいる時間を作るから」
エリーナの最大限の譲歩だ。クリスは不服そうに渋っているが、エリーナが目で圧力をかけるとしぶしぶ頷いた。
「わかったよ……じゃぁ、今からデートしよう」
「何がわかったの?」
今までの話の流れからどうすればデートに誘えるのか、エリーナには理解ができない。だがクリスはニコニコと渋っていたのが嘘のように笑っている。
「今日一緒にいてくれたら明日からは今までどおりにするって約束するから。それに、カフェ・アークのパティシエが新しいプリンを開発したらしくて、食べて欲しいって」
新しいプリンという言葉に、エリーナの眉がピクリと動く。プリンと聞いて行かないという選択肢はない。
そして頷いたが最後、パパっと出かける支度をサリーに済まされ、クリスに馬車へとエスコートされる。
その馬車の中で、クリスは「これが最後だから」と隣に座って手を握ってきた。その存在を確かめるように何度か撫で、ぽつりと呟く。
「本当に、生きていてよかった」
「……そう簡単に死なないわよ」
ぶっきらぼうにそう返すが、あのイベントでは下手すればデッドエンドになっていただけに、今思い返しても背筋が凍る。リズとも話したが、ジークとルドルフの代わりにクリスが救出に来たのは、リズがローゼンディアナ家に駆け込んだためだろうと。そのおかげか、救出が早まりデッドエンドは回避された。
「それでも、僕は生きた心地がしなかったよ」
弱弱しく呟くクリスは捨てられた子犬のようで、エリーナは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「クリス、わたくしはここにいるわ。だから、安心して」
「うん……情けないね。エリーがいるのが当たり前だったから、いなくなると思うと怖くなったんだ」
それはエリーナも同じで、クリスは大切な家族であり、側にいるのが当然の存在だ。
「いなくなんてならないわ。悪役令嬢ってのは、最後に断罪されるまでしぶとく生き残るものよ」
場を和ませようとそう胸を張って言い切れば、クリスは喉の奥で笑った。ひさしぶりに笑顔を見た気がする。
「そうだね。エリーは最後までずぶとく生きそうだ」
そして他愛のない話をし、カフェ・アークに着いた頃にはいつもと同じキラキラとした笑顔を浮かべているクリスがいたのだった。
カフェに入るなり二人は厨房の隣にある個室に通され、エリーナは珍しそうにその部屋をまじまじと見る。従業員の休憩室のようで、こぎれいにされテーブルセットが置かれていた。だが残念ながらおしゃれなテーブルセットが浮いている。
「クリス様、エリーナ様。申し訳ありません……新商品ですので、表で出すわけにもいかず」
このカフェのパティシエが出てきて頭を下げた。彼が商品開発を一手に担っているこのカフェの責任者だ。もとは王宮で働いていたらしいが、クリスが引き抜いたらしい。
「かまわないよ。周りを気にしなくていいから、僕たちも楽だし」
「わたくしもかまいませんわ」
なにより厨房に近いため、プリンの甘い香りが漂ってきている。それだけで幸せだ。
そして二人は席に着き、給仕がお茶を淹れる。エリーナは扉の向こうに見えている厨房を、目を輝かせて見ていた。作っているところを見る機会はそうそうない。甘く香ばしい香りが強くなり、お腹が空いてきた。
ほどなくしてパティシエがお盆を持って戻って来た。お皿が二つ乗っており、プリンの姿は見えない。
そっと目の前に置かれた皿に視線を落とせば、小さく丸いグラタン皿の中に茶色い飴のようなものが見える。カラメルソースのようだが、肝心のプリンが見えない。
「これは……?」
プルプル震え、卵とミルクが甘みと混ざり合ってとろけ、ほろ苦いカラメルソースが引き締める。そのプリンの姿がない。
「これは遠い異国のスイーツ。クレームブリュレでございます」
「クレームブリュレ」
パティシエの説明に、エリーナはそのまま復唱する。名前にもプリンの面影はなかった。この間のココナッツプリンとは異なる部類に入るのだろう。エリーナはスプーンを持ち、いざと意気込んでブリュレにスプーンを差し入れた。
「固いのね」
茶色い表面は硬かったが、少し力をいれるとすぐに割れた。薄い飴のようだ。そしてその下には黄色くなめらかなプリンのようなものが現れる。それらを一緒にすくい、未知のプリンにワクワクして口の中に入れた。
口の中でカリッと飴が割れ、ほろ苦さが広がると同時にプリンの甘さに包み込まれる。エリーナは目を見開き、ぱぁっと幸せそうに表情を明るくした。
「何これ、おいしい!」
食感は違うが、確かにプリンだった。少し温かいのがまたいい。
「これはプリンの進化よ! すばらしいわ!」
エリーナは感動し、ぱくぱくと食べ進める。スプーンを動かす手が止まらない。
「上の部分はキャラメリゼと言いまして、砂糖を炙って溶かすこの国にはない技法でございます」
「最高ね!」
カラメルソースに食感を加えるとは天才だとエリーナは大絶賛だ。
「うん、おいしい」
クリスも満足そうに食べていた。何よりエリーナの嬉しそうな表情が見れたことが最大の喜びだ。
「ねぇ、これまだあるかしら」
ぺろりと食べ終わったエリーナはちらっとパティシエに視線を送る。
「はい。もちろんでございます」
プリンを10個食べたという伝説のエリーナに対し、ぬかりはない。しっかり追加用とお土産用を作っていた。
後日、エリーナが大満足したクレームブリュレは、『お嬢様のブリュレ』としてカフェ・アークで売り出され、瞬く間に人気商品になったのだった。
そして季節は過ぎ、小さなイベントをこなす日常が終わればあっという間に学園の一年目が過ぎていった。
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