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学園編 18歳

100 先生とおでかけしましょう

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 夏休みも後半に入りかけた頃、エリーナの下にラウルから手紙が届いた。いつも通りクリスが持ってきたそれは、デートのお誘いだ。自室で手紙に目を通したエリーナは、むずがゆさを感じて頬に手を当てた。

(先生とデート……)

 内容は観劇と食事で、課外授業ではない。大人の男性とのデートだ。先ほどから胸の奥が騒がしい。今までとは違う自分の反応に戸惑いを浮かべ、エリーナはしばらく部屋の中を歩き回った。なんだかじっとしていられない。
 それを生暖かい目でクリスが見ていた。

「先生とのデート、楽しみなの?」

 そう優しいながらも棘がある声に、またもや胸がざわつく。視線を合わせれば、クリスは完璧な微笑を見せていた。きれいすぎて怖い。

「えっと……楽しみというか、照れ臭いというか」

 適当な言葉は見つからないが、なんだか落ち着かないのだ。先生も男の人だったと変に意識してしまう。

「ふ~ん。じゃあ、僕も付いて行こうかな」

 と意地悪な笑みに変えて、クリスが近づいて来れば、エリーナは「ひゃっ」と変な声を上げて後退る。ラウルも男性だが、クリスも男性だ。
 距離を取られたクリスは傷ついた顔をして、寂し気な声を出した。

「エリー、僕のこと嫌い?」

 そんな捨てられた子犬みたいな目で見ないでほしい。エリーナはその表情がぐっと心に突き刺さり、ラウルからの手紙をピシッとクリスに向けた。

「嫌いじゃないから、大人しく待ってて! お土産買ってくるから!」

 そしてクリスが一転笑顔になって出て行った後は、サリーがうきうきとデートの準備を始めた。まだ袖を通していないドレスを出し、吟味している。サリーはラウルが復位した時に涙を流して喜んでいた。なんだかいつもより気合が入っている。
 一時間ほどかけて衣装が決まった後は、日程に合わせて美容のために食事と運動のメニューを組むという徹底ぶりだ。これにはクリスも苦笑していた。デートの前日には全身磨き上げられ、髪までさらさらのつやつやになった。


 そしてデート当日、渋い顔のクリスと満面の笑みのサリーに送られてラウルと共に馬車へ乗り込んだのだった。
 ガタガタと小刻みに揺れる馬車に乗り、王都の中心街へと向かう。ラウルは馬車に乗り込むなりずっとエリーナの顔を見ており、気恥ずかしくなったエリーナは視線を窓の外へ向けていた。

(いつも、どんな顔をして先生と話していたかしら……なんか、気まずいわ)

 自然にしようと思えば思うほど、何が自然か分からなくなる。思い悩んでいるのが顔に出ていたようで、ラウルは突然噴き出した。

「エリー様、いつも通りでいいですよ。思い悩ませてすみません。でも、意識してもらえているのは嬉しいですよ」

 そう言って極上の笑みを浮かべるのだから、手に負えない。ラウルも攻略キャラだったと、今更ながらその実力を痛感するエリーナだ。
 そして劇場につけば、優しくエスコートをされた。ラウルのエスコートを受けたことはあまりない。今までは教師という立場に加え、爵位もなかったため必要以上にエリーナに近づこうとしなかったのだ。
 いつもより近い距離に、嫌でも意識をさせられる。エリーナは自然な表情ができず、すまし顔を作るしかなかった。
 さらに案内されたのはボックス席で、二人でゆったりくつろげる席だった。驚いてラウルを二度見してしまう。すると彼は、いたずらっぽく笑って席に座るように促した。

「少しでも二人っきりでいたくて」

 破壊力抜群の言葉に、エリーナが赤面する。自重をしなくなったラウルは恐ろしい。

「せ、先生らしくないわ」

 隣に座ったラウルを軽く睨むが、ラウルからすればそれすらも可愛らしい。

「先生らしくするのはやめましたから」

「わ、私は先生と呼ぶのを止めないからね!」

「そんなことを言われると、止めさせたくなりますね」

 そしてふとラウルは黙り、じっとエリーナを見つめた。その瞳は温かく、優しい熱を持っている。

「こうやって堂々と出かけられるのは、爵位の良いところですね」

 いかに教師と先生であっても、平民と貴族が二人っきりで会うのは外聞がよろしくない。特にデートと思われる場所に行くなら、なおさらだ。

「頑張ってよかったと思いますよ」

 そう朗らかに笑うラウルに、エリーナも微笑む。ラウルに爵位が戻ったことは、喜ばしくそのための研究だとも聞いていた。

「先生が研究で無実を証明されたのは素晴らしいと思うわ」

「ありがとうございます。爵位が欲しかったので、少し無理をしました」

 気恥ずかしそうな表情を浮かべるラウルに、エリーナは何気なく浮かんだ疑問を口にする。

「どうして爵位が欲しかったの? 研究のため?」

「いえ……」

 そこで一度ラウルは言葉を切り、エリーナから視線を逸らさずに真剣な表情を向けた。

「エリー様の隣に立つためですよ」

「……え?」

 思いもよらない答えに目を丸くしたエリーナに対し、ラウルは甘く優しい笑みを浮かべる。

「エリー様がローゼンディアナ家はクリス様に任せて、どこかに嫁ぎたいとおっしゃったからです。まぁ、父の無実を証明したいという理由も半分はありましたけどね」

「そ、そんな理由で?」

「きっかけなんて、些細なものですよ」

 そしてエリーナが何か言葉を返す前に、劇場が徐々に暗くなっていき舞台に明かりが点く。舞台に視線を向け、小さくなっていくざわめきに耳を傾けながらエリーナはふと気づいた。

(そっか、学園の庭園で先生がどうしたいか訊いたのは、分岐だったのね)

 将来ローゼンディアナ家に残りたいか、外に嫁ぎたいか。その時は世間話の一つかと思っていたが、リズが茂みに潜みその後、選択肢を確認してきたことからも重要なイベントだったのだろう。
 エリーナは舞台を見ているラウルの横顔を盗み見る。薄暗い中で見る表情は、夜の庭園でのおしゃべりを思い起こさせた。でもその時と今とでは立場も胸に抱く思いも異なっている。

(先生とのつきあいは長いけれど、知らないことばかりね……)

 長くいることが相手を深く知っていることに繋がるとは限らない。そしてふと、クリスの顔も浮かんできた。

(それにきっと、クリスだって……)

 どれほど長く、近くにいてもエリーナが知らないクリスはいるはずだ。そのことに気づいたエリーナは、一抹の寂しさを覚えたのだった。
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