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アスタリア王国編
170 故郷の味をいただきます!
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翌日、エリーナの髪を梳かしながら事の詳細を聞いたリズは、エリーナに抱き着いて喜んだ。
「本当ですか! よかった!」
「リズはクリスの相談にも乗ってくれていたのね。苦労をかけてごめんね」
クリスとゆっくり話した時に、リズの話にもなったのだ。エリーナが転生者について話題を出せばあっさりリズの話が出て、目を丸くした。ついでリズから発破をかけられたと苦笑したのだ。そしてマルクについても話せばそちらは知らなかったようで、「どうりで」と納得していた。アスタリア人の容姿をしているのに、他国の料理に詳しいのを不思議には思っていたらしい。
「いえ! エリーナ様がお幸せなら本望です! 本当におめでとうございます!」
エリーナは本当に幸せそうで、心の底からお祝いの言葉をかける。嬉しそうに昨日のことを話すエリーナを見ていたら胸が温かくなってきて、感極まって涙が出てきた。うれし泣きをするリズをエリーナが宥めるという変な構図になったが、リズは朝から幸せな気持ちにつつまれたのだった。
そしてニコニコと笑っているリズを見て、エリーナは少し意地悪な笑みを浮かべる。
「それで、わたくしのことはもう大丈夫だから、リズはどうなの? 今日、マルクとデートするんでしょ?」
と、からわかれたリズは、顔を赤くして首をぶんぶんと横に振る。
「違いますよ! 日本の料理を作ってくれるから、一緒にご飯を食べるだけです」
「それがデートよ。まぁ、化石のリズだから、わからないけど。楽しんできなさいよ」
そうニマニマと愉快そうに人の悪い顔をしているエリーナからは、恋人がいる余裕が伝わってきた。
「いつかはいい彼氏連れて来るんですから! 二次元に負けないくらいの!」
「はいはい。頑張ってね」
そう悠々と手を振って、エリーナは勉強をしに部屋を出て行った。
そしてリズは今日休みなので、王都に必要なものを買いに行く。色々買って昼食を食べて帰り、午後は部屋でゴロゴロと横になってお昼寝をした。そうしていればあっと言う間に約束の時間となり、リズは身支度を整えて使用人たちが住んでいる棟へと向かったのだった。
基本的に王宮勤めの使用人は王宮内の外れにある寮に住んでいる。独身用と家族用があり、キッチンなどの設備も整っているそうだ。だがリズはエリーナ付きということもあって、王族が住む区画の一室をもらっていた。
寮の入り口にマルクが立っていて、リズが目に入ると軽く手を挙げて迎えた。リズは速足でマルクに近づいていく。
「お待たせしました~」
「さっき来たとこ。リズちゃんこっち来ることあんまりないと思ってさ」
そう人懐っこい笑みを浮かべて歩き出したマルクについて行けば、他の人は仕事中のようで閑散としていた。休みの人たちは部屋で休んでいるのだろう。
「キッチンを一つ押さえといたから、そこで食べようぜ」
「楽しみにしてました! マルクさんの日本食、おいしくないはずがありません!」
そして案内されたのはこぎれいなキッチンがある小部屋で、中央にテーブルと椅子が置いてあった。部屋に入った途端、おいしそうなご飯の匂いに一瞬日本の家に帰ったような錯覚がする。
「ほら、座って。すぐに用意するからさ」
呆けているリズにマルクは声をかけ、自分は手を洗って食事の用意をする。電子レンジのないこの世界なので、時間を計算して全てできあがるように作ったのだ。藁を乗せて蒸していたご飯もいい感じで、鍋の蓋を開けて炊け具合を確認した。
「ん、最高」
さすがに釜も土鍋もないので、マルクは常に鉄の鍋を駆使して米を炊いていた。最初は火加減の難しさに四苦八苦したが、今は感覚で加減ができるようになった。
「すごーい。ご飯が炊けてる」
蓋を開けた時に広がった香りに引き寄せられ、リズはマルクの隣に立って白く輝く鍋の中を覗き込んだ。米粒が一つ一つ立っており、じゅるりと唾が出てきた。マルクは米粒をつぶさないようにかき混ぜる。
「こっちで流通している米は粘りが少なかったから、東の国から粘りの強い米を買ったんだ。これもカイル様のおかげだな」
「わぁ、今度カイル様にも日本食を作ってあげましょうよ。彼、胃が弱いから、胃に優しい料理とかどうでしょう」
「オッケー、考えとく」
そしてマルクは手早く残る料理を作り、完璧な盛り付けをしてテーブルに運んだ。並んだ料理を見て、リズは「わぁ」と感嘆の声を上げる。
「よく食べてた料理だぁ……てっきり、なんかお高くてちまっとしたのかと思ってました」
白ご飯に味噌汁。リズがリクエストした和風ハンバーグに、分厚い卵焼き。南瓜の煮物に、漬物まである。
「懐石料理な。そりゃ、俺の本業はそっちだけど、食べたいのはこういう料理だろ?」
リズはマルクの気配りが嬉しくて、「はい!」と元気よく頷いた。家庭的な料理の懐かしさに自然と顔は綻び、二人同時に手を合わせる。
「いただきます」
こちらに来てからは口にしなかった食事の挨拶。本当に日本に戻った気がして、リズはじんわりと胸が温かくなった。
そしてさっそく熱々の白ご飯を箸ですくい、そのまま口に入れた。炊き立ての強い香りが鼻に抜け、噛めば噛むほど甘みが出てくる。粘りがあり、いつも食べている米とは全く違った。
「おいしい!」
お漬物と一緒に食べればさらに甘さが引き立って、漬物のパリポリした食感がおいしさを倍増させる。その勢いでハンバーグに箸を入れれば、中から肉汁があふれ出して来た。それだけで幸せである。ソースは大根おろしと和風の餡で、大きく切り取って口に放り込めば肉のうまみが押し寄せ、出汁の効いた餡が包み込む。
リズはおいしさのあまり足をばたつかせ、顔を蕩けさせた。
「最高~! これです、これなんです! こっちのハンバーグって、肉っ! て感じで、それもいいんですけど、硬いんですよね。この柔らかさと肉々しさのバランスが最高です!」
「つなぎとのバランスだな。それに肉の部位によって脂が違うから、その辺りは調整がいる」
そしてリズは好物の卵焼きに箸を伸ばした。ふんわりとした卵焼きは簡単に箸で切れて、湯気が出る。熱々のそれに息を吹きかけて冷まし、ワクワクしてパクリと口に入れた。この間お弁当を作ってもらった時に、マルクの味は知っている。
(……え?)
だが、その味は前とは違う。甘く、そして少し硬い。出汁が染み出るのではなく、卵が詰まっている。この味は……。
知らぬ間に、リズの頬に涙が伝っていた。反応を楽しみにしていたマルクがギョッとして、箸を止める。
「お、おい。まずかったか?」
「え……」
そこで初めて泣いていることに気づいたリズは慌てて涙を拭い、誤魔化すように笑う。
「あ、違うんです。その、あまりにも、お母さんが作った卵焼きの味と似ていたから、驚いて……」
甘くて硬めの卵焼きがいつもお弁当に入っていた。唐突に母親のことを思い出し、無性に会いたくなったのだ。転生してから無意識に封じ込めていた記憶の蓋が開き、とめどなく涙が溢れる。
「そっか、似た味が出せたか……この前、少しご両親について訊いただろ? 出身地とか食の好みを参考に、その味に寄せてみたんだ。リズちゃんには、これが一番おいしいかと思って」
リズは泣きながらもう一口卵焼きを食べる。事故に遭った日の朝食にも、甘い卵焼きがあった。その時の家族との会話。数少ない友達との馬鹿話。苦しくも幸せだった日本での生活。それを一気に感じて、リズの心は感情が洪水を起こしていた。
「おいしい、です。とても……」
リズは次から次へと卵焼きを食べ、ご飯を口に放り込む。マルクは手を伸ばしてリズの頭を撫で、優しく包み込むように微笑んだ。
「笑って食べないと、せっかくおいしい料理がまずくなっちまう」
そう言われ、リズは袖で涙を拭うと口角を上げた。
「はい!」
そして涙まじりの笑顔で食べ進めるリズを見ながら、マルクも食事を進める。リズは離れた手に寂しさを覚え、その手を目で追った。するとマルクと目が合い、どうしたと首を傾げられる。その動作に胸が騒めく。
(何か、もやもやする)
だがそれが何か分からず、リズはそのざわめきをお茶と一緒に流し込んだ。その後、会話は自然と日本でのリズの生活の話になり、リズは笑顔で自分のことを話した。家族のこと、学校のこと、友達のこと。良いことも悪いことも。今思えば、小さいことで悩んでいた。そんな二度と戻らない日々。
話が終わるころには、出された料理はきれいに食べ終えていた。お茶を飲み、時間が過ぎたことを残念に思う。
(こうやって、マルクさんとずっと話せたらいいのに。マルクさんのご飯を食べて、一緒に……)
そう、ぽつりと思った。それほどマルクの側は居心地がよい。その時ふとエリーナの顔が浮かんだ。「ずっとクリスと一緒にいたいの」と惚気ていた朝の顔だ。
(……え?)
ざわざわとした胸のざわめきが、高鳴りに変わる。それは真実を告げる足音のようで。
「リズちゃん。次はオムライスを作るから、また食べに来てね」
その笑顔に、なぜか胸が締め付けられた。
「は、はい。もちろんです!」
「俺、誰かにご飯作るの好きだから、おいしく食べてもらえると嬉しいんだよ」
好き。その言葉に心臓が跳ねた。
(どう、しよう……)
ここまで来たら、いくらリズが化石でも分かる。だてに乙女ゲームを極め、ロマンス小説を読みふけっていない。
「王都のおいしい料理屋に行くのもいいけど」
「マ、マルクさんのご飯が食べたいです」
咄嗟にそう返すと、マルクは嬉しそうに笑う。その笑みも心臓に悪くて。
(どうしよう……好きに、なっちゃった)
鼓動という足音は、恋という真実を告げていったのだ。
SS
ある日の夕食の前菜に、リズとマルクがエリーナにぜひ食べて欲しいという料理が出てきた。なんでもプリンに似ており、エリーナなら気に入るとお薦めされたのだ。
リズが木のトレーで運んできたものは、筒の形をした磁器で、細やかな模様が描かれている。磁器の蓋が付いており、掴みやすいように盛り上がっていた。東の国から取り寄せた器らしい。
「こちらが茶碗蒸しです。和食の一つで、木のスプーンでお召し上がりください」
リズがそう言って蓋を開けると、白い湯気と出汁の香りが立ち昇る。エリーナは艶やかな黄色い面に目を輝かせた。
「すごい。きれいなプリンみたいね」
香りに甘さがないので、料理だとはわかる。エリーナは待ちきれずに木のスプーンを差し入れると、柔らかく出汁が中からあふれ出して来た。
「スープみたい」
「はい、まずは上の卵の部分を召し上がってください」
魚介の香りを楽しみ、口の中にいれるとほろりと崩れて出汁と合わさっていく。プリンとは違う食感で、素材を頂いている感じがする。
「上品な味ね。おいしいわ」
もう一口と深めにスプーンをいれれば、何かにつきあたりそれごとすくい上げた。
「まぁ、お肉や野菜も入っているの?」
「はい。それを全て含めて茶碗蒸しです。プリンはもともと保存食を作るために、肉や野菜を卵液で蒸したものと言われていますので、茶碗蒸しはプリンの原型に近いのですよ」
「これが、プリンの始まり……」
そう言われると、この茶碗蒸しが神々しいものに感じる。エリーナは一つ一つ素材の味を楽しみ、卵の滑らかさを堪能した。和食の神髄は出汁であると、以前マルクが豪語していたが、それが分かる気がする。
「出汁はカラメルソースなのね」
カラメルソースのないプリンに締まりがないように、出汁のない茶碗蒸しは成り立たない。エリーナはその共通点を噛みしめながら、最後の一口を味わうのだった。
「本当ですか! よかった!」
「リズはクリスの相談にも乗ってくれていたのね。苦労をかけてごめんね」
クリスとゆっくり話した時に、リズの話にもなったのだ。エリーナが転生者について話題を出せばあっさりリズの話が出て、目を丸くした。ついでリズから発破をかけられたと苦笑したのだ。そしてマルクについても話せばそちらは知らなかったようで、「どうりで」と納得していた。アスタリア人の容姿をしているのに、他国の料理に詳しいのを不思議には思っていたらしい。
「いえ! エリーナ様がお幸せなら本望です! 本当におめでとうございます!」
エリーナは本当に幸せそうで、心の底からお祝いの言葉をかける。嬉しそうに昨日のことを話すエリーナを見ていたら胸が温かくなってきて、感極まって涙が出てきた。うれし泣きをするリズをエリーナが宥めるという変な構図になったが、リズは朝から幸せな気持ちにつつまれたのだった。
そしてニコニコと笑っているリズを見て、エリーナは少し意地悪な笑みを浮かべる。
「それで、わたくしのことはもう大丈夫だから、リズはどうなの? 今日、マルクとデートするんでしょ?」
と、からわかれたリズは、顔を赤くして首をぶんぶんと横に振る。
「違いますよ! 日本の料理を作ってくれるから、一緒にご飯を食べるだけです」
「それがデートよ。まぁ、化石のリズだから、わからないけど。楽しんできなさいよ」
そうニマニマと愉快そうに人の悪い顔をしているエリーナからは、恋人がいる余裕が伝わってきた。
「いつかはいい彼氏連れて来るんですから! 二次元に負けないくらいの!」
「はいはい。頑張ってね」
そう悠々と手を振って、エリーナは勉強をしに部屋を出て行った。
そしてリズは今日休みなので、王都に必要なものを買いに行く。色々買って昼食を食べて帰り、午後は部屋でゴロゴロと横になってお昼寝をした。そうしていればあっと言う間に約束の時間となり、リズは身支度を整えて使用人たちが住んでいる棟へと向かったのだった。
基本的に王宮勤めの使用人は王宮内の外れにある寮に住んでいる。独身用と家族用があり、キッチンなどの設備も整っているそうだ。だがリズはエリーナ付きということもあって、王族が住む区画の一室をもらっていた。
寮の入り口にマルクが立っていて、リズが目に入ると軽く手を挙げて迎えた。リズは速足でマルクに近づいていく。
「お待たせしました~」
「さっき来たとこ。リズちゃんこっち来ることあんまりないと思ってさ」
そう人懐っこい笑みを浮かべて歩き出したマルクについて行けば、他の人は仕事中のようで閑散としていた。休みの人たちは部屋で休んでいるのだろう。
「キッチンを一つ押さえといたから、そこで食べようぜ」
「楽しみにしてました! マルクさんの日本食、おいしくないはずがありません!」
そして案内されたのはこぎれいなキッチンがある小部屋で、中央にテーブルと椅子が置いてあった。部屋に入った途端、おいしそうなご飯の匂いに一瞬日本の家に帰ったような錯覚がする。
「ほら、座って。すぐに用意するからさ」
呆けているリズにマルクは声をかけ、自分は手を洗って食事の用意をする。電子レンジのないこの世界なので、時間を計算して全てできあがるように作ったのだ。藁を乗せて蒸していたご飯もいい感じで、鍋の蓋を開けて炊け具合を確認した。
「ん、最高」
さすがに釜も土鍋もないので、マルクは常に鉄の鍋を駆使して米を炊いていた。最初は火加減の難しさに四苦八苦したが、今は感覚で加減ができるようになった。
「すごーい。ご飯が炊けてる」
蓋を開けた時に広がった香りに引き寄せられ、リズはマルクの隣に立って白く輝く鍋の中を覗き込んだ。米粒が一つ一つ立っており、じゅるりと唾が出てきた。マルクは米粒をつぶさないようにかき混ぜる。
「こっちで流通している米は粘りが少なかったから、東の国から粘りの強い米を買ったんだ。これもカイル様のおかげだな」
「わぁ、今度カイル様にも日本食を作ってあげましょうよ。彼、胃が弱いから、胃に優しい料理とかどうでしょう」
「オッケー、考えとく」
そしてマルクは手早く残る料理を作り、完璧な盛り付けをしてテーブルに運んだ。並んだ料理を見て、リズは「わぁ」と感嘆の声を上げる。
「よく食べてた料理だぁ……てっきり、なんかお高くてちまっとしたのかと思ってました」
白ご飯に味噌汁。リズがリクエストした和風ハンバーグに、分厚い卵焼き。南瓜の煮物に、漬物まである。
「懐石料理な。そりゃ、俺の本業はそっちだけど、食べたいのはこういう料理だろ?」
リズはマルクの気配りが嬉しくて、「はい!」と元気よく頷いた。家庭的な料理の懐かしさに自然と顔は綻び、二人同時に手を合わせる。
「いただきます」
こちらに来てからは口にしなかった食事の挨拶。本当に日本に戻った気がして、リズはじんわりと胸が温かくなった。
そしてさっそく熱々の白ご飯を箸ですくい、そのまま口に入れた。炊き立ての強い香りが鼻に抜け、噛めば噛むほど甘みが出てくる。粘りがあり、いつも食べている米とは全く違った。
「おいしい!」
お漬物と一緒に食べればさらに甘さが引き立って、漬物のパリポリした食感がおいしさを倍増させる。その勢いでハンバーグに箸を入れれば、中から肉汁があふれ出して来た。それだけで幸せである。ソースは大根おろしと和風の餡で、大きく切り取って口に放り込めば肉のうまみが押し寄せ、出汁の効いた餡が包み込む。
リズはおいしさのあまり足をばたつかせ、顔を蕩けさせた。
「最高~! これです、これなんです! こっちのハンバーグって、肉っ! て感じで、それもいいんですけど、硬いんですよね。この柔らかさと肉々しさのバランスが最高です!」
「つなぎとのバランスだな。それに肉の部位によって脂が違うから、その辺りは調整がいる」
そしてリズは好物の卵焼きに箸を伸ばした。ふんわりとした卵焼きは簡単に箸で切れて、湯気が出る。熱々のそれに息を吹きかけて冷まし、ワクワクしてパクリと口に入れた。この間お弁当を作ってもらった時に、マルクの味は知っている。
(……え?)
だが、その味は前とは違う。甘く、そして少し硬い。出汁が染み出るのではなく、卵が詰まっている。この味は……。
知らぬ間に、リズの頬に涙が伝っていた。反応を楽しみにしていたマルクがギョッとして、箸を止める。
「お、おい。まずかったか?」
「え……」
そこで初めて泣いていることに気づいたリズは慌てて涙を拭い、誤魔化すように笑う。
「あ、違うんです。その、あまりにも、お母さんが作った卵焼きの味と似ていたから、驚いて……」
甘くて硬めの卵焼きがいつもお弁当に入っていた。唐突に母親のことを思い出し、無性に会いたくなったのだ。転生してから無意識に封じ込めていた記憶の蓋が開き、とめどなく涙が溢れる。
「そっか、似た味が出せたか……この前、少しご両親について訊いただろ? 出身地とか食の好みを参考に、その味に寄せてみたんだ。リズちゃんには、これが一番おいしいかと思って」
リズは泣きながらもう一口卵焼きを食べる。事故に遭った日の朝食にも、甘い卵焼きがあった。その時の家族との会話。数少ない友達との馬鹿話。苦しくも幸せだった日本での生活。それを一気に感じて、リズの心は感情が洪水を起こしていた。
「おいしい、です。とても……」
リズは次から次へと卵焼きを食べ、ご飯を口に放り込む。マルクは手を伸ばしてリズの頭を撫で、優しく包み込むように微笑んだ。
「笑って食べないと、せっかくおいしい料理がまずくなっちまう」
そう言われ、リズは袖で涙を拭うと口角を上げた。
「はい!」
そして涙まじりの笑顔で食べ進めるリズを見ながら、マルクも食事を進める。リズは離れた手に寂しさを覚え、その手を目で追った。するとマルクと目が合い、どうしたと首を傾げられる。その動作に胸が騒めく。
(何か、もやもやする)
だがそれが何か分からず、リズはそのざわめきをお茶と一緒に流し込んだ。その後、会話は自然と日本でのリズの生活の話になり、リズは笑顔で自分のことを話した。家族のこと、学校のこと、友達のこと。良いことも悪いことも。今思えば、小さいことで悩んでいた。そんな二度と戻らない日々。
話が終わるころには、出された料理はきれいに食べ終えていた。お茶を飲み、時間が過ぎたことを残念に思う。
(こうやって、マルクさんとずっと話せたらいいのに。マルクさんのご飯を食べて、一緒に……)
そう、ぽつりと思った。それほどマルクの側は居心地がよい。その時ふとエリーナの顔が浮かんだ。「ずっとクリスと一緒にいたいの」と惚気ていた朝の顔だ。
(……え?)
ざわざわとした胸のざわめきが、高鳴りに変わる。それは真実を告げる足音のようで。
「リズちゃん。次はオムライスを作るから、また食べに来てね」
その笑顔に、なぜか胸が締め付けられた。
「は、はい。もちろんです!」
「俺、誰かにご飯作るの好きだから、おいしく食べてもらえると嬉しいんだよ」
好き。その言葉に心臓が跳ねた。
(どう、しよう……)
ここまで来たら、いくらリズが化石でも分かる。だてに乙女ゲームを極め、ロマンス小説を読みふけっていない。
「王都のおいしい料理屋に行くのもいいけど」
「マ、マルクさんのご飯が食べたいです」
咄嗟にそう返すと、マルクは嬉しそうに笑う。その笑みも心臓に悪くて。
(どうしよう……好きに、なっちゃった)
鼓動という足音は、恋という真実を告げていったのだ。
SS
ある日の夕食の前菜に、リズとマルクがエリーナにぜひ食べて欲しいという料理が出てきた。なんでもプリンに似ており、エリーナなら気に入るとお薦めされたのだ。
リズが木のトレーで運んできたものは、筒の形をした磁器で、細やかな模様が描かれている。磁器の蓋が付いており、掴みやすいように盛り上がっていた。東の国から取り寄せた器らしい。
「こちらが茶碗蒸しです。和食の一つで、木のスプーンでお召し上がりください」
リズがそう言って蓋を開けると、白い湯気と出汁の香りが立ち昇る。エリーナは艶やかな黄色い面に目を輝かせた。
「すごい。きれいなプリンみたいね」
香りに甘さがないので、料理だとはわかる。エリーナは待ちきれずに木のスプーンを差し入れると、柔らかく出汁が中からあふれ出して来た。
「スープみたい」
「はい、まずは上の卵の部分を召し上がってください」
魚介の香りを楽しみ、口の中にいれるとほろりと崩れて出汁と合わさっていく。プリンとは違う食感で、素材を頂いている感じがする。
「上品な味ね。おいしいわ」
もう一口と深めにスプーンをいれれば、何かにつきあたりそれごとすくい上げた。
「まぁ、お肉や野菜も入っているの?」
「はい。それを全て含めて茶碗蒸しです。プリンはもともと保存食を作るために、肉や野菜を卵液で蒸したものと言われていますので、茶碗蒸しはプリンの原型に近いのですよ」
「これが、プリンの始まり……」
そう言われると、この茶碗蒸しが神々しいものに感じる。エリーナは一つ一つ素材の味を楽しみ、卵の滑らかさを堪能した。和食の神髄は出汁であると、以前マルクが豪語していたが、それが分かる気がする。
「出汁はカラメルソースなのね」
カラメルソースのないプリンに締まりがないように、出汁のない茶碗蒸しは成り立たない。エリーナはその共通点を噛みしめながら、最後の一口を味わうのだった。
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