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49 策と策のぶつかりあいです

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 これで収まるかと思われたところに、右丞相が異議を申し立てた。権謀術数渦巻く朝廷、策だと言われれば皆も関心を向ける。

(何? ……ここから何をするつもりなの?)

 ぞわぞわと、背中に何かが這い上がってきたような嫌な感じ。鈴花は何か知っているかと春明を振り返るが、彼女は首を横に振るだけだ。前にいる父親の表情はうかがえないが、張り詰めた空気を纏っていた。その隣の宵は険しい顔を右丞相に向けている。
 右丞相は立ち上がって皆の注目を集め、朗々と響く声で話し出した。

「私はこのような事態になることを危惧しておりました。陛下の偽物が現れることもですが、いもしない公子を仕立て上げられることを……」

 彼は重そうな瞼を伏せ、さも心を痛めているような表情をしている。珀家の官たちは「さよう、さよう」と頷いており、場の流れが向こうへと引きずられていく。

「ですので、私は忠臣として注意深く情報を集め、不審な動きがないか目を光らせておりました。……その時、この者が耳を疑うような話を持ち込んできたのです」

 少し間を置き、彼は後方に控えていた一人の男に視線を向けた。それは鈴花が嫌なものを感じた商人風の男で、鯰のような口ひげが目を引き、吊り上がった目は玄家のほうを見据えている。彼は太師へ向けて一度礼を取ると、こちらに向き直って口を開いた。

「お初にお目にかかりますが、私は市井にて筆跡鑑定と代筆業を生業にしているものです。……あれは、一週間ほど前でしょうか。代筆業の依頼が入りまして、見本と内容を頂いて納入したのですが、少々内容にひっかかりを覚えたので、伝手を使って右丞相様にご報告したのです」
「彼によると、代筆の内容は恋文で、李妃と先帝陛下の御名があったため不審に思ったそうだです。その文とは、まさしく先ほど玄家が証拠として提出した文。これは証拠が偽造されたという証拠である!」

 こちらを指さし、断言する右丞相。審議の場は再び混沌とした空気となり、疑わしいと物語っている目が向けられる。次々と情報が明らかになり場がひっくり返れば、皆疑り深くなっていた。鈴花は冷や水を浴びせられた心地になり、心臓は早鐘を打つ。

(どういうこと!? そんなの知らないわ! ただの言いがかりよ!)

 鈴花が何か反論しようと声を出したところに、代筆業の男の声が重なった。彼は止まることなく話していく。

「もちろん証拠もございます。私は自分の仕事に責任を持つため、紙にある印をいれておるのです。それは特別な薬品であり、火にかざせば紋様が浮き出る仕組み……」

 その言葉を受けて文官の一人が文を蝋燭の火に近づけた途端、目を見開いた。

「確かに、花の紋様が浮き出てきました!」

 文の左端に茶色い染みのような花の紋様が浮き出ており、鈴花は唇を震わせる。

(あ、ありえないわ)

 皆の心に疑いが芽生えたところで、右丞相は畳みかける。

「あまりにも狡猾! 玄家は尊い血を偽り、想いのまま操れる皇帝を玉座に据えて権力をほしいままにしようとしたのです。そもそも、陛下が襲われたのも玄家の差し金に違いありません。ここまでよくできた偽物、一朝一夕では作れますまい。奴は、周到に計画し、陛下を亡き者にして偽物とすり替えようとしたのです。ですが陛下は行方知れずとなり、急遽ご落胤に仕立て上げようとしたのでしょう」

 右丞相の声には迫力があり、抑揚のある話し方は人々を引き込む。しかも陰謀を暴いたかのような逆転劇は、時に事実よりも好まれるのだ。鈴花は血の気が引いて来た。

「や……やられた」

 思わず鈴花が漏らした声は、人々のざわめきの中に消える。百官たちの視線が痛い。鈴花は不安に表情をこわばらせ、思わず声をあげた。

「太師様! そんなはずはございません! その文の片方は景雲宮の物置から見つかり、片方は宵が持っていたものでございます!」

 鈴花が動いたことを受けて、宵も鋭い視線を代筆業の男に向けて口を開く。

「言いがかりをつけないでもらいたい。私はそのような男など知らないし、勝手な妄想を披露するのはやめてくれないか」
「おや、むきになって反論するとはますます怪しい。ですが、決定的な証拠はこれではございません」

 そして娘とそっくりな勝ち誇った笑みを顔に張り付け、侮蔑が籠った視線をこちらに投げつける。

「宵……とかいいましたな。玄家が怪しい宦官を引き入れた際に、少々調べたのですよ。すると面白いことが分かりましてなぁ」

 獲物をいたぶるような狂気的な笑み。鈴花は首筋に刃を添えられているような心地になり、手がこきざみに震えていた。とっくの前に、おぞましい奸計に陥れられていたような気がして、反論の糸口はないかと頭を回転させる。

「その男、李妃様が後宮から妓楼へと移られてから生まれ、それからは妓楼で育ったことになっております。ですが、出生の記録も戸籍もないのですよ。その上、周辺の妓楼に宵のことを伺っても、幼少期を知るものが出てきませんでした。もう皆さん、お分かりでしょう」
「……え?」

 鈴花の声が震える。鳳蓮国では子が生まれたら届が義務付けられている。そうしなければ、罰則がある上に町で家や職を探すことも難しくなるのだ。そのため、戸籍がないのは借金を背負って逃げた者や悪事に手を染めた者ぐらいだった。

(どういうこと? 普通は出生の記録はあるし、そこで育ったなら周りは知ってるはず……嘘よ、何で?)

 信じられない、信じたくないと縋るような瞳を宵へと向けた。彼は眉間に皺をよせ、唇を引き結んでいる。父親の表情は分からなくて、それがいっそう不安にさせられた。

「その男は身分を偽り、虚実の人間を作り上げて後宮に忍び込み、果ては玉座を盗もうとしたのです。さらに後宮に賊を手引し、ご落胤であることの信憑性を高めるために自作自演をしたのでしょう。これは大罪であり、それに加担した玄家も厳罰に処せられなくてはなりません!」
「違います! 玄家は誠心誠意国にために動いてきましたわ!」

 鈴花は我慢ができず、声を荒げた。太師に、百官に憤りが籠った瞳を向けるが、彼らはますます疑わしい目を返してくる。背筋が凍った。
 先ほどと一転して玄家側が悪となり、追い詰められた形になっていた。崖っぷちに立っているようで、鈴花は悔しくて下唇を噛みしめた。そこに棘のある甲高い声が響く。

「お可哀想な玄妃様。きっと何も知らず、騙されていたのでしょうね。玄家は策を弄しすぎたのよ」

 珀妃は憐れみを含んだ笑みを浮かべている。形勢が逆転し、余裕が出てきたのだろう。鈴花は珀妃を睨みつけ、気を奮い立たせた。

「あなたこそ、陰謀に利用されていることに気づけないなんて、哀れだわ。その傲慢さが身を亡ぼすのよ」
「あら、なんとでも言えばいいわ。これで玄家は終わりね」

 気味がいいわとあくどい笑みを浮かべる珀妃を右丞相が目で黙らせ、一つ手を打ち鳴らした。それを合図に堂庁ひろまの隅に控えていた武官たちが珀家と玄家を取り囲む。

「玄家を捕らえよ! 国を乗っ取ろうとした逆賊である!」

 威勢のいい右丞相の号令がかかった時、ぼそりと宵の口から言葉が漏れた。

「……来た」

 鈴花の耳にその声が届くと同時に、銅鑼の音が緊迫した空気を切り裂いたのだった。
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