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感情
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――静かだ。
あまりにも、静かすぎた。
「……おい」
意識の奥へ呼びかける。
「……聞こえてるんだろ」
返事はない。
気配すらない。
さっきまで渦巻いていた、知らない感情のざわめきが、嘘みたいに消えている。
「……マジかよ……」
掠れた高い声。
まだこの声。
喉の違和感に、少し慣れ始めている自分が、情けなくて嫌になる。
ベッドの上で、ゆっくり指を握る。
動く。
腕も、脚も。
さっきの金縛りみたいな感覚はない。
「……夢じゃない、よな……」
姿見へ向かう。
鏡の中。
黒髪の少女。
眠たげな目。
制服姿。
何度見ても、俺じゃない。
「……相沢……みずき……」
呟く。
鏡の少女も、同じ口の動き。
それだけだ。
何も起こらない。
「……おい」
もう一度。
「いるなら、返事しろ」
徹底的な無音。
「……なんなんだよ……」
理解不能。
ただひとつ確かなのは――
俺は死んだ。
そして今、この女子高生の身体で生きている。
それだけ。
◆
机の上のスマホ。
通知の山。
カレンダー。
平日。
「……学校、か……」
セーラー服。スカート。
現実感のない現実。
「……行くしかない、よな……」
この身体の生活を、壊すわけにはいかない。
母親の泣きそうな顔が、チラッと脳裏に浮かぶ。
『もう、あんなことしないで』
他に選択肢がない。
カバンを掴む。
立ち上がる。
その瞬間。
――ゾワッ。
背骨を、氷の指でなぞられた悪寒。
「……っ?」
足が止まる。
心臓が、妙な跳ね方をする。
胸の奥が、ざわつく。
一歩、踏み出そうとする。
――やめて。
声。
はっきりと。
――行かないで。
「……お前……!」
――無理……無理……無理……
感情の激流が、流れ込んでくる。
恐怖。
拒絶。
パニック。
視界が歪む。
膝が笑う。
頭の中に、チラチラと断片が浮かぶ。
教室のざわめき。
誰かの視線。
背中を押されるような、冷たい笑い声。
『いなくなればいいのに』
「……くそ……!」
無理やり歩こうとする。
身体が、言うことを聞かない。
吐き気。
めまい。
息苦しさ。
スカートの裾が、太ももに張り付く感触が、妙に生々しい。
「……学校……行きたくないってか……!」
――嫌……嫌……嫌……
頭を殴られているみたいな圧迫感。
限界。
「……っ……!」
カバンを落とす。
ドサッ。
同時に、拒否反応が、嘘みたいに引いた。
「……はぁ……はぁ……」
荒い呼吸。
汗で、制服の襟元がじっとり湿る。
胸の膨らみが、息に合わせて上下するのが、気になってしょうがない。
「……なんだよ……今の……」
答えは明白だった。
「……お前の感情、か……」
返事はない。
だが、今のは間違いなく――
この身体の持ち主の、拒絶。
◆
「……じゃあ……」
椅子に座り込む。
思考を整理。
「……学校がダメなら……」
別の場所を試す。
俺の家。
“元の俺”の家。
「……行けるのか……?」
自嘲気味に笑う。
女子高生が、四十三歳独身男の自宅へ。
字面からして狂ってる。
「……でもな……」
ここでじっとしていても、何も進まない。
財布。
スマホ。
適当にコートを羽織る。
鏡に映る自分の姿――長い髪が肩に落ちて、妙に女の子らしいシルエット。
「……寒そうだな、これ……」
吐き捨てるように呟く。
立ち上がる。
今度は――
何も起きない。
悪寒も、拒絶も。
「……へぇ……」
皮肉な笑みが浮かぶ。
「……学校はアウト、俺の家はセーフ、か……」
◆
冬の空気。
冷たい。
頬を刺す。
「……寒……」
吐いた息が白い。
駅までの道。
見知らぬ景色。
だが、頭の奥で、ぼんやり地図が重なる。
この身体の記憶。
微かに、曖昧に。
「……気持ち悪いな……」
他人の記憶で歩く感覚。
電車。
揺れ。
座席に座ろうとして、スカートが捲れそうになる。
慌てて手で押さえる。
隣の視線を感じて、肩が縮こまる。
「……マジで情けねぇ……」
窓に映る少女の顔。
何度見ても、慣れない。
◆
見慣れた駅。
見慣れた街。
胸がざわつく。
懐かしさ。
違和感。
現実の歪み。
歩く。
角を曲がる。
あのマンション。
俺の部屋。
「……ある……」
当然だ。
昨日まで住んでいた場所なんだから。
エントランス。
オートロック。
暗証番号。
指が、自然に動く。
開く。
「……入れるのかよ……」
苦笑。
エレベーター。
廊下。
扉。
鍵。
……ない。
「……あ」
当たり前だ。
鍵も財布も、全部“あっちの身体”だ。
「……くそ……」
そのとき。
背後から声。
「……え?」
振り向く。
隣の部屋のドア。
顔見知りの男。
同じ階の住人。
「……あれ?」
怪訝そうな視線。
当然だ。
知らない女子高生が、俺の部屋の前に立ってる。
「……すみません……」
反射的に頭を下げる。
高い声。
完全に他人。
「……ここに住んでた人って……」
言葉が引っかかる。
過去形。
胸の奥が、ざわつく。
「……住んでた……?」
男は一瞬黙り、
少し言いづらそうな顔をした。
「……ニュース見てない?」
「……え……」
「……この前、事故で亡くなったでしょ」
心臓が、嫌な跳ね方をした。
「……え……?」
「……ほら、横断歩道で……」
頭の奥で、世界がゆっくり傾く。
「……四十代くらいの男の人」
「…………」
「……名前、なんだっけな……」
男は少し考えて、
思い出したように言った。
「……相沢、だったかな」
――ドクン。
強烈な鼓動。
視界が滲む。
音が遠のく。
「……あ……」
喉が乾く。
息が詰まる。
「……あ……」
現実が、容赦なく確定する。
俺は。
本当に。
死んでいた。
あまりにも、静かすぎた。
「……おい」
意識の奥へ呼びかける。
「……聞こえてるんだろ」
返事はない。
気配すらない。
さっきまで渦巻いていた、知らない感情のざわめきが、嘘みたいに消えている。
「……マジかよ……」
掠れた高い声。
まだこの声。
喉の違和感に、少し慣れ始めている自分が、情けなくて嫌になる。
ベッドの上で、ゆっくり指を握る。
動く。
腕も、脚も。
さっきの金縛りみたいな感覚はない。
「……夢じゃない、よな……」
姿見へ向かう。
鏡の中。
黒髪の少女。
眠たげな目。
制服姿。
何度見ても、俺じゃない。
「……相沢……みずき……」
呟く。
鏡の少女も、同じ口の動き。
それだけだ。
何も起こらない。
「……おい」
もう一度。
「いるなら、返事しろ」
徹底的な無音。
「……なんなんだよ……」
理解不能。
ただひとつ確かなのは――
俺は死んだ。
そして今、この女子高生の身体で生きている。
それだけ。
◆
机の上のスマホ。
通知の山。
カレンダー。
平日。
「……学校、か……」
セーラー服。スカート。
現実感のない現実。
「……行くしかない、よな……」
この身体の生活を、壊すわけにはいかない。
母親の泣きそうな顔が、チラッと脳裏に浮かぶ。
『もう、あんなことしないで』
他に選択肢がない。
カバンを掴む。
立ち上がる。
その瞬間。
――ゾワッ。
背骨を、氷の指でなぞられた悪寒。
「……っ?」
足が止まる。
心臓が、妙な跳ね方をする。
胸の奥が、ざわつく。
一歩、踏み出そうとする。
――やめて。
声。
はっきりと。
――行かないで。
「……お前……!」
――無理……無理……無理……
感情の激流が、流れ込んでくる。
恐怖。
拒絶。
パニック。
視界が歪む。
膝が笑う。
頭の中に、チラチラと断片が浮かぶ。
教室のざわめき。
誰かの視線。
背中を押されるような、冷たい笑い声。
『いなくなればいいのに』
「……くそ……!」
無理やり歩こうとする。
身体が、言うことを聞かない。
吐き気。
めまい。
息苦しさ。
スカートの裾が、太ももに張り付く感触が、妙に生々しい。
「……学校……行きたくないってか……!」
――嫌……嫌……嫌……
頭を殴られているみたいな圧迫感。
限界。
「……っ……!」
カバンを落とす。
ドサッ。
同時に、拒否反応が、嘘みたいに引いた。
「……はぁ……はぁ……」
荒い呼吸。
汗で、制服の襟元がじっとり湿る。
胸の膨らみが、息に合わせて上下するのが、気になってしょうがない。
「……なんだよ……今の……」
答えは明白だった。
「……お前の感情、か……」
返事はない。
だが、今のは間違いなく――
この身体の持ち主の、拒絶。
◆
「……じゃあ……」
椅子に座り込む。
思考を整理。
「……学校がダメなら……」
別の場所を試す。
俺の家。
“元の俺”の家。
「……行けるのか……?」
自嘲気味に笑う。
女子高生が、四十三歳独身男の自宅へ。
字面からして狂ってる。
「……でもな……」
ここでじっとしていても、何も進まない。
財布。
スマホ。
適当にコートを羽織る。
鏡に映る自分の姿――長い髪が肩に落ちて、妙に女の子らしいシルエット。
「……寒そうだな、これ……」
吐き捨てるように呟く。
立ち上がる。
今度は――
何も起きない。
悪寒も、拒絶も。
「……へぇ……」
皮肉な笑みが浮かぶ。
「……学校はアウト、俺の家はセーフ、か……」
◆
冬の空気。
冷たい。
頬を刺す。
「……寒……」
吐いた息が白い。
駅までの道。
見知らぬ景色。
だが、頭の奥で、ぼんやり地図が重なる。
この身体の記憶。
微かに、曖昧に。
「……気持ち悪いな……」
他人の記憶で歩く感覚。
電車。
揺れ。
座席に座ろうとして、スカートが捲れそうになる。
慌てて手で押さえる。
隣の視線を感じて、肩が縮こまる。
「……マジで情けねぇ……」
窓に映る少女の顔。
何度見ても、慣れない。
◆
見慣れた駅。
見慣れた街。
胸がざわつく。
懐かしさ。
違和感。
現実の歪み。
歩く。
角を曲がる。
あのマンション。
俺の部屋。
「……ある……」
当然だ。
昨日まで住んでいた場所なんだから。
エントランス。
オートロック。
暗証番号。
指が、自然に動く。
開く。
「……入れるのかよ……」
苦笑。
エレベーター。
廊下。
扉。
鍵。
……ない。
「……あ」
当たり前だ。
鍵も財布も、全部“あっちの身体”だ。
「……くそ……」
そのとき。
背後から声。
「……え?」
振り向く。
隣の部屋のドア。
顔見知りの男。
同じ階の住人。
「……あれ?」
怪訝そうな視線。
当然だ。
知らない女子高生が、俺の部屋の前に立ってる。
「……すみません……」
反射的に頭を下げる。
高い声。
完全に他人。
「……ここに住んでた人って……」
言葉が引っかかる。
過去形。
胸の奥が、ざわつく。
「……住んでた……?」
男は一瞬黙り、
少し言いづらそうな顔をした。
「……ニュース見てない?」
「……え……」
「……この前、事故で亡くなったでしょ」
心臓が、嫌な跳ね方をした。
「……え……?」
「……ほら、横断歩道で……」
頭の奥で、世界がゆっくり傾く。
「……四十代くらいの男の人」
「…………」
「……名前、なんだっけな……」
男は少し考えて、
思い出したように言った。
「……相沢、だったかな」
――ドクン。
強烈な鼓動。
視界が滲む。
音が遠のく。
「……あ……」
喉が乾く。
息が詰まる。
「……あ……」
現実が、容赦なく確定する。
俺は。
本当に。
死んでいた。
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