昆陽伝

畑山

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江戸の火事と昆陽

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 夜、狭い路地の長屋、数人の男達が集まっていた。
 男達は、長屋の一角で油に火を付けた。火は長屋の壁を上へ横へと這っていく、木と紙で出来ている壁は、やすやすと炎に削られていく。火が壁の隙間を見つけて潜り込んでいく。入り込んだ火が、中で寝ている者達の顔を赤く照らす。炎は屋根に登り、しばらく様子を見るかのように、じわりじわりと広がる。風が吹いた。火は一瞬消えた。風がやむと、炎が大きく立ち上がる。風が吹くと炎は寝転び、やむと立ち上がる。屋根が燃えていく。屋根の木材が、火にまかれめくれ上がる。燃えちぎれた木材がくるりとまわり、風にのって飛んでいく。夜空を、小さな火種が、別の木の屋根に落ち、じりじりと焼き広がる。風に押され、つぎつぎと広がっていく。
 屋内に入り込んだ炎は、逃げ遅れた人、あるいは動けぬ人、それらを焼いていく。
 半鐘が鳴り響く。人々は恐怖の表情を浮かべ逃げ惑う。子供の泣き声がする。咳き込む声がする。泣き叫ぶ女の声がする。
 風が通る。炎がふきだす。燃えた家屋が崩れ広がっていく。
 逃げていた。人々は出来るだけたくさんの荷物を持って逃げていた。
 その中で奇妙な男達が居た。二人一組で荷物を運ぶ、あるいは背中に荷物をしょって、何かを運んでいた。男達はひどく冷静だった。まっすぐ前を向いていた。逃げ惑う人々とはどこか違った。
 町火消しがやってきた。

「実は、お主に調べて欲しいことがあってな」
 大岡越前が言った。江戸町奉行所の大岡越前の役宅である。部屋には火鉢が一つ、着ているものも質素であった。
「私に出来ることなら何なりと」
 青木昆陽は言った。相談したいことがあると言づてをもらい、駆けつけた。大岡越前には、町の儒学者であったころ取り立ててくれた恩がある。
「この季節に起こる風向きを調べてくれないだろうか」
 あちちと、大岡越前は火鉢の上で焼いた干し芋を歯でくわえた。昆陽が持ってきた干し芋である。これなら冬でも、食料として備蓄出来る。
「風向きですか。かまいませんが、何故そんなことを」
「今に始まったことではないのだが、江戸では、火事がひんぱんに起こっている。風向きがわかれば、延焼を抑えるために何か出来るのではないかと思ってな」
 江戸は火事が多かった。明暦三年の火事では、江戸城の大半、江戸の町の半分以上燃え尽きてしまった。大岡越前は、徳川吉宗の命令を受け町火消しを設立させ、火に強い、壁や瓦を推奨していた。
「そのようなことでしたら、喜んで協力いたします」
 昔、魚問屋を営んでいた昆陽の両親の店が火事で焼けてしまったことがあった。
「それも問題なのだが、それに便乗した物取りが横行していてな」
「火事場泥棒という奴ですか」
「ふむ、それどころか、火事場泥棒目当ての放火を行っている者までいる」
「それは、ひどい」
 昆陽は眉をひそめた。金を盗むというのなら、まだ許せる面はある。だが、金のために火を放つのは、外道の所行である。
「先日、長浜屋の倉に火事で焼けた番頭の死体が転がっていてな、当初は火災に巻き込まれ死んだのだろうとおもわれていたが、腹に刺し傷のようなものがあった。うつぶせに倒れていたので、腹の部分は焼けずに残っておったのだ」
「つまり、腹を刺された後、火事で焼けたと言うことですか」
「そうじゃ、そもそも、長浜屋の倉の燃え方がおかしい。白壁の頑丈な倉だ。まるで倉の中から炎が出てきたような燃え方じゃった」
 そんなところから火はでん。大岡越前は付け加えた。
「火付けと言うことでしょうか」
「そうだ。一度近くの長屋を燃やし、人が逃げたところで倉を破り、再び火を放った。番頭と盗人との接点は見つからなかった。番頭はおそらく盗人と鉢合わせして殺されたのだろう。倉の火付けは証拠を消すためじゃろう。調べてみると、ここ半年で同じような火事が五件もあった」
「五件も」
「わかっているだけでだ。灰になれば盗みの証拠もなくなるからな。もっとあるかもしれん」
「火事場とはいえ、誰か見ておらぬのですか。その悪党一味を」
「町火消しの者達にも聞いてみたのだが、火事の現場だ。荷物を持って逃げる者や大八車を引いている者達もいる。あやしいといえば、どれも怪しいと言えるだろう。火事場で町火消しに怪しい奴を見張っておけなどとはいえないし、それを止めて調べろともいえん」
「やっかいなことでございますね」
「江戸は人が多すぎるのだ。瓦屋根の普及もまだまだ進んではおらん。仮に進んだところで、付け火となると、いかに火に強い建物でも、火勢が強ければ燃えてしまう。特に冬のこの時期は、一度火がつけば風向きによっては江戸中が火の海になりかねない」
 大岡越前は額に皺を寄せた。
「わかりました。江戸の風向きを調べておきます」
「頼む」
 大岡越前は頭を下げた。おやめくださいと、昆陽は恐縮した。

 翌日、青木昆陽は城に登城した。昆陽は紅葉山の御文庫で書物方として働いている。おかげで古今の様々な書物を手に取り、それを読むことが出来る。昆陽にとっては、天職と言っても良い仕事だ。天文方にも話を聞き、江戸の風の向きと強さを調べた。
「これは確かにやっかいだ」
 三日ほどかけ調べ、調べた内容を書き写しながら昆陽はつぶやいた。
 冬の乾燥と西からの風、これが重なり合えば、火は燃え広がる。江戸城周辺などは、ある程度の対策が取られているが、長屋や商店など、連なりあった建物が無数にある場所は、火に弱かった。狭い小道も多い。明暦三年の火事では、風が炎を運び江戸の町を焼き尽くした。江戸城を含め、江戸が半分以上焼けた。 

 まとめた資料をたずさえ、大岡越前のいる役宅へ向かった。留守ならば置いていこうと考えていたが、幸い大岡越前は役宅にいた。客間に通された。大岡越前は背を丸め座っていた。
「調べたものをお持ちしました」
「ありがたい、こんなに早く仕上げてくれるとは」
 大岡越前は、昆陽が、まとめた冬の江戸の風向きと天気をその場で読み始めた。
「お疲れのようで」
「うむ、夜間の見回りの強化をしておるでな」
 大岡越前の額の皺は深くなっていた。読みながら風向きについていくつか質問した。
「これは、まずいな」
「ええ、私も改めて調べてみて、江戸の町が、ここまで、もろいものだとは思っていませんでした」
 昆陽は己の不明を恥じた。
「どうしたものか」
 大岡越前は落ち込んだ声を出した。
「やはり問題は火の粉です。板葺きの屋根では、風に乗った火の粉が転がり込みあっさりと燃えてしまいます」
「わかっておる。そのため、火に強い瓦屋根を推奨しておるのだが、いかんせん値段が高すぎる。庶民では手が出せまい。だが、問題は、それだけでは無い」
「長屋ですね」
「その通りだ」
 長屋は、狭い地域に密集するように建てられている。ひとたび火が出れば、風にあおられいくらでも燃え広がった。板屋根に土をのせて、火がつきにくいようにしているところもあるが、それほど大きな効果は出ていなかった。
「火事が起こるたびに、再建のために人が集まります。そのため江戸の人口が増えてしまうのです。人が増えれば火事が起きやすくなる。これでは、いつまでたっても火事はなくなりません」
 火事が無くならない限り、仕事はなくならない。それを期待して人が集まる。そのため人が密集して暮らすようになり、長屋が出来る。結果火事が起こる。
 悪循環であった。再建のために金だけは出て行くので、幕府の財政難の一因にもなっていた。
「防火対策は上様もお悩みの様子であったが、そう簡単には進まぬ」
「これ以上長屋を作らせないように出来ないのでしょうか」
「難しいだろう。人の住むところはどうしてもいる。仕事はあるのだ。江戸で生まれ育った人間もいる。路上で生活しろとは言えないだろう。町を外に外に広げてはいるが、それでも人の増える数の方が多い。強引に、長屋を建てられないようになどしたら、米価の二の舞じゃ」
 徳川吉宗は米の価格を安定させるため、様々な方策を行ったが、反発が多く、どれも成功しなかった。
「その上、火事場泥棒が出るとなると」
「やっかいだ。この上なくやっかいだ」
「手がかりになりそうなものも燃えてしまっていますし、火事場では目撃者も、あまり期待出来ないでしょう。難しい事件ですね」
「そうだ。火事から逃げる者達も大勢いる。逃げる者達をとらえ、盗人かどうか調べるわけにもいくまい。何より火を消すことを優先せねばならぬ」
 大岡越前は腕を組んだ。



 それから二週間ほどたった夜、昆陽は半鐘の音に目を覚ました。慌てて、起き上がり家の外へ出てみた。遠くの方だったが少し赤い光が見えた。

「やられた」
 大岡越前は顔をしかめた。大岡越前の役宅である。
「昨日の材木町の火事ですか。やはり例の火事場泥棒ですか」
 青木昆陽が言った。火事が気になって、大岡越前の役宅を訪ねたのだ。
「ああ、だが、盗みに入ったのは、そこではない」
「というと」
「麹町の小物屋がやられた」
「逆の方向では」
「そうだ。別の場所に火を付け、そちらに人が集まっている間に麹町の小物屋に押し入ったのだ。かならずしも、盗みをはたく店の近くで火を放つわけではない。離れたところに火を放ち、そこに人の目が集まっている状況で別の場所で盗みを働いたのだ」
「その小物屋の者たちは」
「皆殺しだ」 
「同じ盗賊でしょうか」
「おそらくそうだろう。火のつけ方が同じだ。人の目が届かぬような場所に、油をまいて、火をつけている。火付けと盗み、一味のものを二手に分けたのだろう」
「何とかならないものでしょうか」
 言うべきではない、昆陽もわかっていた。だが、口に出さなければ気が済まなかった。
「何とも出来ないな。昨日の火事でも、三十数件の家が焼け、十人の人間が焼け死んだ。盗賊一味をとらえるため、火事場に火付け盗賊改めと奉行所のものを向かわせたが、やはり火事場での捜査は難しい。逃げるものの妨げになり、犠牲者を増やしかねん。盗みと火事、二手に分かれられたら、どうしようもない」
 人手がたらんのだ。大岡越前は悔しそうにつぶやいた。
「申し訳ありません。つい、越前様を責めるような口調になってしまいました」
 昆陽は頭を下げた。
「よいのだ。わしとてなんとかならんものかと、日々思うておる」
 わしが何とかせねばならんのにな。付け加えた。
「私も何かお手伝い出来ないでしょうか」
「何かというと」
「はい、私のような者が出来ることは何もありはしないでしょうが、それでも何か出来るようなことが、猫の手ぐらいは、あるやもしれません。市中の見回りでも何でも手伝わせて頂けないでしょうか」
 大岡越前はしばし、昆陽を見つめた。
「さすがに、市中の見回りはさせられないな」
「そうですか」
 腰に刀を差しているとは言え、昆陽は元は魚問屋の息子である。刀の振り方も知らないし、若くもない。断られるのも当然のことであった。
「しかし、この間、頂いた江戸の風向きについての、まとめ書きは見事であった。昆陽殿には、知恵の方をお借りしたい」
「なんなりと、この頭で良ければお使いください」
 世の役に立ってこその学問、昆陽は常々そう思っていた。
 しばし待たれよと、大岡越前は席を立ち、事件に関する資料をどっさり持ってきた。二人はそれを見ながら、しばし意見を交わした。



 昆陽は、紅葉山の御文庫で古い書物の内容を新しい紙に書き写していた。
 紙は黄ばみ、所々虫食いの穴が開いており、欠けている文字は、写本を探し書いた。写本がない場合は、前後の文から推測しながら書き写した。いずれは、諸国を歩き、各大名が死蔵している古い書物をまとめたいと考えていた。
 作業をしながらも例の火付け盗賊のことを考えていた。
 火付けに使った油は、魚油ではなく、匂いの少ない菜種油を使っていることがわかった。昆陽が火事の現場を観察し、それと同じような燃え方をする油を探した。燃えるもののない広場で、いくつかの油に火をつけ、燃え広がる様や匂いを確かめ、菜種油を使ったものと結論づけた。奉行所は油の出ところを探っているようだが、今のところ何も出てこないようであった。量もそれほど多いわけではない。
 手がかりになるようなものがあってもすべて燃えてしまっている。町火消しの懸命な働きがあって、町一つ燃えるような火事にはなっていないが、それでも大勢の人が家を失い命を失っている。己の無力さに昆陽は歯がみした。
 せめて火をつける場所でもわかればと、悩みながらも、古い書物を書き写していた。江戸の町は広い。その気になれば、どこにでも火をつけることが出来る。西からの風に乗れば、どこにだって飛び火する。
「虫を退治せねば、穴はなくならないか」
 古い書物に開いた穴を見ながら、ふとつぶやいた。何気なく吐いた言葉だったが、昆陽の頭の中で、何かがつながった。火事を防ぐ、そのことにとらわれすぎていたのではないだろうか。奴らの目的は、盗みを働くことだ。火をつけるのは、その手段の一つに過ぎない。
 奴らの目的は、盗みである。火は盗みの目くらましとすれば、盗人どもは、まずは盗む場所を決め、それから火をつける場所を決めたのではないか。昆陽はそう考えた。
 大岡越前の役宅で何度も見た火災と盗みが起きた地図を頭の中で反芻した。火事が起きた場所と盗みが起きた場所を別々に分けてみた。その中から盗みが起きた場所だけを取りだしてみる。なぜそこだったのか、次はどこに入る気なのか、昆陽は頭の中で何度も何度も、その地図を思い起こしながら考えた。やがて一つの答えが昆陽の中で生み出された。
「船か」
 火事はあちこちで起こっているが、盗みが起きた場所はすべて川の近くであった。盗賊は盗んだものを船を使って運んだのではないだろうか。火事が目くらましになっていて、川の近くの店という共通点が見えなかったのだ。
 昆陽は己の推察を確かめるため、城を出た後、着替えもせず、火事が起きた店近くの川に向かった。
 そのまま火事があった店周辺を観察しながら、川に沿ってさかのぼっていった。
 日が沈み、夜になった。家に帰ろうかと思ったが、なにやら嫌な予感がしたので、そのまま川沿いをさかのぼっていった。
 北西から冷たい風が吹いていた。空気も乾燥している。火などつけられたらと、昆陽の背に寒気が走った。
 かすかな光が見えた。少し坂を上った、古い、廃寺のようだ。近くの川には船がつないであった昆陽は、廃寺へ近づいてみることにした。

 男達が居た。十人程度、廃寺の崩れかけた、お堂の前で、ひとかたまりに集まっていた。提灯の明かりが男達の顔を照らす。熱に浮かされたような、笑みとも恐怖ともつかない顔をしていた。
「江戸での仕事は今夜で最後だ。このおつとめが終われば、金を山分けして、いったん解散する。派手にやろうや」
 一味の首魁らしき男が声を潜めながら言った。手には油壺を持っている。 
 男達の服装は、ばらばらであった。一つだけ共通点があるとしたら首筋に手ぬぐいをまいていることだけだった。火事場で煙を吸わないようにするためと顔を隠すためである。
 ぞろり、男達が立ち上がった。それぞれ油壺や、かなてこなどを手にしている。
 風が吹いた。提灯の灯がはげしく揺れた。首魁の男は目を細めた。さて、今宵はどれだけ燃えるかな。醜く笑った。
 寺の門に、一人の男がいた。
 盗人達の足が止まる。
「待たれい」
 門の前にいる男は静かに言い放った。
「何者だ!」
 提灯をかざした。闇の中、顔が浮かび上がる。
 青木昆陽である。
 盗人達は辺りを見渡した。恐怖に目が血走っている。捕り方に囲まれたのではないか。そう考えたからだ。
「一人ではないか! おどろかせよって!」
 他に人の気配はない。男達は昆陽を見た。提灯の明かりにうつる青木昆陽。城を出た後、着替えもせずここに来たため、かみしもを着ていた。
 そして、下は、何もはいていなかった。下帯も締めていない、上はかみしも、足元は草履に白い足袋、しかし下半身は丸出しであった。
「なぜ履いてない!」
 ざわついた。昆陽出現に一度、昆陽下半身裸に二度、盗人どもは二度驚いた。
「神妙にいたせい」
 昆陽は張りのある声で言った。
「な、そのようななりで、おまえのような、おかしな奴に言われたくはない! やれ! やっちまえ!」
 盗人達は短刀を抜いた。
「馬鹿者どもめ」
 昆陽は背を向けた。いや、正確に言うと、尻を向けた。手を前に出し尻を突き出した。
「臆したか」
 盗人達の提灯が、昆陽の尻を照らす。盗人の白刃と昆陽の尻が光る。
 盗人達は短刀を構え、昆陽に近づいた。
 昆陽は尻に力を込めた。
 屁の成分にはメタンや水素といった可燃性のガスが含まれている。故に、屁に火を付けると燃える。ただ、大気中で屁が希釈されるため、屁で火災が起こるようなことはまずない。しかし、それは一般の人間の場合である。昆陽である。後に芋神様とあがめられることになる青木昆陽である。
 昆陽は、尻に力を込めた。腸の中でため圧縮された屁が、皺の数が百二十八門ある昆陽の肛門から放たれた。それは、冬の、からっ風に乗って男達へ向かう。
 くさっ! と先頭の男が口を開ける前に、提灯の火に屁が引火して燃えた。昆陽は、さらに燃えよと尻を振り屁を出し続けた。へぼぼぼぼと、屁は燃え男達も燃えた。
 炎に包まれる男達、火は男達が持っていた油にも引火し爆発した。男達はさらに燃えた。
 炎に包まれ踊る男達、それを昆陽は悲しそうに見守っていた。
「自業自得、因果応報というわけか」
 やがて誰も動かなくなった。人が来る前に帰ろうと、昆陽は下帯と袴を探したが、どこにも見当たらなかった。どうやら火がついて燃えてしまったようだ。そうならぬよう、わざわざ脱いで登場したのだが、屁の流れどころが悪かったのか、燃えてしまっていた。
「しかたない」
 下半身裸の青木昆陽は、夜の江戸の町を走った。夜風が冷たくきゅっとなり、時々浴びせられるおどろきの悲鳴が、存外心地よかった。



「おのれの用意した油で焼け死ぬとは、馬鹿な連中だ」
 大岡越前は酒を飲みながら、豪快に笑った。昆陽が焼き殺した廃寺に集まっていた連中の事である。屁で焼き殺したことも、己が関わったことも、昆陽は話してはいない。油に引火して燃えた。そう奉行所は判断をしているようであった。
 大岡越前行きつけのそば屋である。事件解決の打ち上げに二人で来た。
「して、その者達は何者だったのですか」
 昆陽は問うた。身元を聞く前に焼き殺してしまったので、盗賊どもが何者かわかっていなかった。
「上方を根城にしていた盗賊団だ。入れ墨が焼け残っていたのでわかったのだが、背中に夜叉の入れ墨がある男が頭領で、鬼夜叉の仁平という名で、急ぎ働きを繰り返していたそうだ。上方で手が回ってきたので、江戸に逃げてきたのだろう」
「迷惑な話ですね」
「まったくその通りだ。しかし、まぁ、これで一安心だ。この件に関してはな」
「火事ですね」
「ふむ、江戸が火事に弱いと言うことは何も変わっていない。平和な世が長く続きすぎた。戦の世なら、付け火ごときで町が半分焼けてしまうような町が作られるようなことはあるまい。戦にでもなれば、城ごと燃えてしまうからな。かといって、今の世の中強引に事を進めても、いらぬ反発を招くだけで前に進むことはないだろう」
 損をする人間が増えると、急に物事が動かなくなる。大岡越前は酒を飲みながら付け加えた。
「防火対策ですが、屋根瓦のかわりにカキの殻を使ってみてはいかがでしょうか」
「カキの殻、あの貝の殻か」
「はい、屋根にカキ殻を敷き詰めれば防火対策になりますし、古くなれば砕いて畑にまけば作物の病の予防にもなります」
 昆陽は言った。
「なるほど、カキ殻なら、屋根瓦と違って、軽いし、ただ同然で手に入る。さっそくやってみよう。良い話を教えてくれた」
 大岡越前はうれしそうに笑った。
「火事場泥棒の件は解決したのじゃが」
 大岡越前は思い出したかのように言った。
「何か、まだあるのですか」
「妙な噂が残ってな。男達が焼け死んだ夜のことだ。江戸の町を下半身を丸出しにした男が走り去ったとか。何人か目撃したものがおるらしく。おかしな事に、それを真似するものも現れたとか。事件とは全く関係が無いようなのだがな」
 大岡越前は、いぶかしげな顔をした。
「おかしな人が居るものですね」
 昆陽は下を向いてそばをすすった。

 了
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