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【5】エレインとの楽しい時間(グレイアム視点)
しおりを挟む「ねえグレイ、今日の放課後に一緒に行きたいところがあるの」
ジェシカがそう言ったのは、朝の授業が始まる前の慌ただしい時間だった。
こんなふうに学園外に一緒に出かけようなどと言いだすことは、これまでなかった。いったいどうしたというのだろう。
「知っていると思っていたが、予定を急に変えることはちょっと難しいな。
いつもどおり迎えの馬車が来るんだ、すまない」
「その馬車に私も一緒に乗せてもらって、一緒に出かけることはできないのかな」
「それも知っていると思っていたが、王家の馬車に婚約者でもない女性を乗せるのは難しい。そんなことをすればあらぬ噂が立つ。エレインにも周囲にも迷惑をかけてしまうことを僕はしたくない」
「婚約者!? エレインさんなら構わないっていうの!?」
「いったいどうしたんだ、少し声を控えてくれ」
ジェシカが声を張ったことで、何事かと周囲の者がこちらをチラチラ気にしている。
「そうやってごまかさないで! グレイ、答えて。エレインさんなら急だとしても馬車に一緒に乗せることができるというの?」
「できるかできないかという話だったら、できる。彼女は僕の婚約者だからね。一緒に馬車に乗っても問題はないし、従者も分かっている」
「……もういいわ。今までエレインさんのことなんか気にかけていなかったのに!」
「そういう話ではなかっただろう? 王家の馬車の僕の隣に、婚約者以外の女性を乗せることはしたくないと言っただけだ」
「もういいって言ったでしょう! エレインさんと差別をしてどこまで私を惨めにさせるの!」
そう叫ぶように言いながら、走って行ってしまった。
どうしてこんな話の流れになってしまうのか、ジェシカはいつもそうだった。
たぶんジェシカの中では、僕がジェシカを身分で差別したということになってしまうのだろう。そういう思い込みの激しいところは子供の頃から少しも変わっていない。
話しながらヒートアップしてどんどん横道に逸れていく。
良い方向に逸れる時は、王族の僕がジェシカを特別大切に思っているというストーリーになり、悪い方向に逸れる時は、今のように身分を理由に可哀相な思いをする自分というストーリーになる。
ただ、ジェシカに言われたことの一つは確かにその通りだった。
今までエレインのことをあまり気に掛けていなかったと言われれば、そうかもしれない。
でも今は、エレインのことが気になり始めている。
月に一度のお茶会だって、毎週でもいいようにさえ思っている。
でもそのことにジェシカはまったく関係がない。
ジェシカの気持ちは変わりやすく、しばらくすれば何もなかったように接してくるだろう。
いつもそうだった。
***
放課後、迎えの馬車まで行く途中で偶然にもエレインに会った。
登園した頃に、ジェシカに『婚約者のエレインだったら急だとしても王家の馬車に乗せることができる』と言ったことを思い出した。
「帰るところだろうか」
「はい。今日は特に予定もございませんので」
「それなら少し買い物に付き合ってもらえないだろうか。──急な話で申し訳ないのだが」
「……喜んでお付き合いさせて戴きたいところですが、公爵家の馬車が迎えにきているのです……」
「ああ、それなら問題ない。君、申し訳ないが、ミッドフォード公爵家の馬車にそのまま帰ってもらうように伝えてくれ。エレイン、二時間くらい大丈夫だろうか?」
「はい、問題ありません」
「では、ミッドフォード公爵家に伝えて欲しい、エレイン嬢は二時間ほどで王家の馬車で送ると」
僕は従者の一人にそう頼んだ。
そしてエレインを伴って、迎えの馬車まで歩いていく。
「今日は予定を変更して、このまま街へ行ってもらいたい。こちらは僕の婚約者のエレイン・ミッドフォード公爵令嬢だ。彼女も一緒に行く」
馭者にそう伝えると、『かしこまりました』と馬車のドアを開けた。僕は先に乗り込み、エレインの手を取ってふわりと乗せると、馬車は走り始めた。
エレインは落ち着かない顔で馬車の揺れに身を任せているが、僕も落ち着かない気持ちになっていた。
どうして急にエレインを誘ったりしたのか、自分の言動なのによく分からなくなった。
「殿下、そろそろ王都の街の入口ですがどちらに向かいましょうか」
「あ、ああ、そうだった。アディンセル商会の辺りで停めて欲しい」
何も考えていなかった僕の口から咄嗟に出たのは、文房具や本、外国の小物などを扱う店の名前だった。
「かしこまりました。アディンセル商会であれば、あと少々で到着します」
エレインはまだ居心地が悪そうに座っていた。僕はそんなエレインを笑顔に変えてみたくなったが何も思いつかず、とりあえず当たり障りのない話をする。
「今日は、新しいペンを探したいんだ。今使っている物より少し軸の太いものが欲しくてね。エレインに選んで貰えたら嬉しい」
「まあ、ペンでございますか。ペンはいくつ持っていても、もっと手に馴染む物があるのではないかと思うことがありますね」
エレインは僕の咄嗟の作り話に合わせるように応えてくれた。
大袈裟に反応するでもなく、内容を的確に受けて端的にかつ明るく次に繋げた。母上がエレインを頭のいい子だと褒めていたのは、こういうところなのだろう。
今朝はジェシカとの不毛なやり取りがあっただけに、余計にエレインとの会話が心地良く感じる。
「そうなのだよ、是非エレインの意見も参考にさせて欲しい」
「私などの話が参考になりますか分かりませんが、ご一緒させて戴きいろいろと見てみたいと思います」
エレインは、はにかむような小さな微笑を浮かべて頷いた。
その笑顔が、急に胸に飛び込んできた。
……こんなに可愛らしい子だっただろうか。
僕はますます落ち着かない、少し不思議な気持ちになった。
馬車が止まり、先に降りた僕は再びエレインの手を取って、エレインを優雅に着地させる。
今の僕の心と同じくらい、エレインは軽かった。
アディンセル商会の木製のドアを店の者が開けると、僕はエレインを先に通す。僕に小さく会釈をしてすっと入っていったエレインは、さすがに公爵令嬢で動きが洗練されている。
店内は広く、娘のほうが僕らくらいの年齢と思われる母娘が見て回っている。他に客がいるようでもないので、護衛の者も急な訪問先にそれほど気を遣わなくてもよさそうだと安心した。
ペンを探したいと言った手前、ペンやインクが並んでいる棚の前までいく。
「思ったよりも種類がたくさんあるな……」
「ええ、本当ですね。どのくらいの太さの物をお探しなのですか?」
「今使っているのがこれと同じくらいだから……そうだな、このくらいの太さがいい」
一つのペン軸を手に取り持って見せる。
ペン軸の素材も色も、さまざまな物がありこれは迷う。別にペンが欲しい訳でもなかったのに、つい夢中になっていろいろ手に取って試してみた。
そして一本のペン軸が目に留まった。
ペン先のほうが深緑色で、だんだん黄味がかった薄茶色になっているペン軸だ。
「これは美しい、持った感じも悪くない。どうだろうか?」
「とても素敵な色合いですね。今、グレイアム殿下がお使いのペン先はどこの物でしょうか。
こちらのペン軸の仕様では、バルリエ社製のペン先だと付け根まで入らないかもしれません」
「ええっと、なんだったかな……。そうだ、Gとペン先に刻印が入っている物だ」
「Gの刻印と言えばギャロワ社製のペン先ですね。ギャロワ社製でしたらこのペン軸に付け根までしっかり入ると思います」
試しに売り場にあるバルリエ社のペン先を入れてみたら、確かに途中で止まってしまう。
僕が持っているのと同じギャロワ社のペン先は、すっと根元まで入った。
「驚いた、君はペンに詳しいのだな!」
「いえ、つい先日、新しくバルリエ社のペン先を手持ちのペン軸に付けて見ましたら、根元まで入らなかったのです。書けないことはないのですが、少し扱いにくくて元に戻しました。そんな失敗をしたばかりでした」
「君の失敗のおかげで僕は、間違いのない物を買えそうだ」
「色の変化がとても美しい、殿下のお手に合う物が見つかって良かったです」
「エレインは何か探しているものはないのか?」
「はい、今は特にございません」
ここで何かの名を挙げれば、僕が一緒に買う流れになることも想像できそうなのに、エレインは何も言わない。そうした謙虚さはとても好感が持てる。
でも、そんなエレインに、返って何か贈りたくなってしまう。
早々にペン軸を見つけてしまったので、なんとなく店内を一緒に見て歩く。
ふと、国外からの輸入品のところでひとつの物に目が留まった。
小さなうさぎのブローチだ。
目の部分にうさぎらしく赤い石が入っている物から、青い石、緑色の石、黄色や紫色まである。
「先日の砂糖より、少し大きいうさぎがいる」
エレインにうさぎを指してそう言うと、目を輝かせた。
「まあ、可愛らしいうさぎですね」
エレインは赤い目の一般的なうさぎのブローチではなく、緑の目をしたうさぎを手の平に載せて柔らかく見つめ、丁寧に元に戻した。
「急であったのにペンを選ぶのを手伝ってくれた礼に、このうさぎをエレインに贈らせて欲しい」
「いえ、そんな!」
エレインは首を振った。
「大袈裟な物ではないから受け取ってくれないか」
「では……お言葉に甘えてしまいます。ありがとうございます」
ペン軸とうさぎのブローチを店の者に渡し、制服の内ポケットから札入れを出して払った。
いつもは従者が支払うことが多いが、なんとなく自分でそうしたかった。
それから少し街を歩いて、エレインをティーサロンに誘う。
まさか往来で贈り物の包みを渡すわけにもいかないからだ……というのは言い訳かもしれない。なんとなく、まだエレインを帰したくないような気持ちになっているのはどうしてなのか、もう少しエレインと話して確かめてみたかった。
この頃になるとエレインからは、緊張による硬さのようなものが消えていた。
横を歩くエレインの髪が、歩くリズムで少し跳ねるのを見ていると、僕の気持ちも跳ねているようだった。
向かい合って茶を飲むのは月に一度はやってきたはずだが、こうして街中のティーサロンではまた違った感じがある。
店内に女性客が何人もいるが、学園の制服姿であるというのにエレインは優雅だ。
居ずまいというか何気ない所作がきれいだということに、王宮で二人きりで向かい合っている時にはあまり気がつかなかった。
うさぎのブローチの包みを渡すと、エレインは微笑んで受け取った。
「ありがとうございます、大切にいたします」
「紅茶には入れないほうがいいな」
僕の軽口にエレインが頬を染めて笑い、それから『砂糖の形にしたときに紅茶に入れて消えるのが似合うのは何か』といったような、他愛のない話をしたりした。
ちなみにエレインが『消えてしまうのですから、小さなおばけなどどうでしょうか』と言い、僕は膝を打って笑った。
エレインとの会話は何もかもが楽しかった。
こちらの意図するものを受け止め、すぐに的確に、時にユーモアを交えて返してくれることがこんなに心地よいとは。
エレインや周囲に気を遣うのが厭だから、王宮内のお茶会で十分だと思っていたことなど、すっかり忘れるほど楽しい時間だった。
ティーサロンを出て王家の馬車にエレインと一緒に乗り込むところをジェシカが見ていたことなど、少し浮かれていた僕は気づきもしなかった。
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