21 / 29
【21】祭りのダンス
しおりを挟む中央広場に人が集まっている。
大きな篝火が焚かれ、ひときわ明るい。
いつもは野菜を売っている店の前に古いオルガンが置かれ、なんと野菜屋の御主人がそれを弾いていた。
ダンス曲をとても速いテンポで弾き、小鍋やワインの瓶を棒で叩いている人もいてずいぶん賑やかだ。
たくさんの人が、速いテンポのオルガンに合わせて踊っていた。
夜会でよく演奏されている曲だと思うけれど、速すぎて違う曲に聞こえる。ダンスもそれぞれが好きなように踊っていた。
オルガンに近寄ってみると、欠けている鍵盤があった。時々調子外れになるのはそれが原因のようで、もはやそれさえも味わいだった。
私とアーサーも手拍子をしながら楽しそうな踊りを見ていた。
腰の曲がった老婦人を上手にエスコートしている枯れ枝のような老紳士、お腹の大きな妻を支えてゆらゆらと音楽に身を任せている若い夫婦、女の子に手を引っ張られて振り回されている恥ずかしそうな男の子。
誰もオルガンの速いテンポに合わせてもいないし、野菜屋の御主人も緩急をつけて好きなように弾いている。
ドレスやジュエリーの値段を水面下で競いあって、優雅なようで少しも優雅ではない夜会のダンスとはまったく違い、誰もが本当に楽しんでいた。
曲が変わった。
この国の誰もが知っている戯曲の、舞台用のダンス曲だ。
クライブ様と婚約していた時、王宮での短い王子妃教育の一環で女性のダンス講師と踊ったことがあった。
この曲は有名なので、余興で求められることがよくあると聞いた。
分かり易くて見映えがいいからだろうか。
誰にでも愛想の良い男が、恋人にプロポーズをするけど断られてしまう。
男は百本の薔薇を贈ったり百枚の金貨の入った大袋を置いたりして懇願する。
それでも恋人は拒絶する。
男は国境での戦いに出て百人の敵を倒して来ようと言って離れる。
けれど男は一人の敵も倒せなかったと言い、傷だらけで戻ってくる。
道端の花を摘んで、もう一度恋人にプロポーズをすると恋人はそれを受け取る。
そんな歌劇をぎゅっと短くダンスにした曲には、男女それぞれのソロパートもある。
「奥方様、せっかくですから踊りましょう。適当でいいので」
「え?」
アーサーは私の手首を掴んで広場に出て行く。何組もの男女もわらわらと出てきて、野菜屋の御主人が改めて最初から弾き始めた。
周りの女性を見ると、思い思いに踊っている。
ならば私もと覚悟を決めて、恋人がやってくる前の穏やかなソロダンスを踊る。
ワンピースの裾を持ってお辞儀をするところから。
八枚ハギのスカートが回るたびに膨らみ、ダンスのためにこのワンピースを着てきたようだった。
戯曲のストーリー通りに、蝶を追いかけているような女性のソロダンス。
すると、アーサーが私の前に跪いてプロポーズをする。
私は手のひらを向けて拒絶をして、背中を向けて少しテンポアップしたダンスを踊る。
アーサーはジャンプを取り入れた男性ソロダンスだけれど、あまりにも器用に踊っていて驚いた。
こんな街中の祭りで歌劇の舞台のようにジャンプをするなんて……。
周辺の人たちは大きな手拍子をアーサーに送っている。
アーサーは戦いに出た場面を踊る。剣を振り回しているようなダンス。
ここが男性ソロパートの一番の見せ場だ。
他の男性の中には側転や回転を入れている人もいた。
私は、空気を集めてかき抱く仕草のダンスをゆったりと踊る。
自分のせいで戦場に出てしまった、本当は愛している恋人を待っているダンスだ。
よろよろと近づくアーサーが、ズボンのポケットからハンカチを出して花に見立てて私に差し出す。
本当はジャケットの胸のチーフを抜くのだけれど、今日のアーサーは上着を着ていない。
私はハンカチを受け取ってそれで涙を拭く仕草をする。
そしてアーサーが再びプロポーズをする。私が頷くと手を取って胸に抱きしめる。
このダンスのシナリオ通りとはいえ、抱きしめられて顔が熱くなった。
私はパートナーを見つめていなければならないところ、すぐに目を逸らしてしまった。
その場面の後は普通にペアのダンスだ。
アーサーは私の手を取り、器用に私をくるりと回す。
他の男女もみんな楽しそうに見つめ合って踊っていた。
手拍子もオルガンもどんどん速くなり、私たちのダンスも速くなる。
野菜屋の御主人がオルガンを最後にジャンジャンジャンジャンと鳴らして止め、ワンピースの裾を持ってお辞儀をする。
アーサーや他の男性たちは左手を胸にあて右手を高く掲げた。
大きな拍手に包まれて、踊っていた他の女性たちと私は弾んで抱き合って踊り終えた興奮を分かち合う。
作法も振り付けもうるさく言われないダンスは、思った以上に楽しかった。
「奥さん、驚いたよ! こんなに踊れるなんてさぁ! アーサーさんもすごいじゃないか!」
編み物仲間の婦人がソーダをくれて、弾んだ息を整える。
「このダンスを人前で踊ったのは初めてよ。アーサーがあんなに踊りが上手だなんて知らなかったわ」
「みんな踊れるでしょう、あの曲ならば」
アーサーはそう言って笑った。
それからいろいろな人たちが私たちのところへやってきた。
役場の人も定食屋のご夫婦も、薪屋や果物屋の御主人も。
口々に、オールブライト領とこの街を愛してくれる領主の奥さんがいて幸せだと言ってくれたのに、何故か嬉しさよりも寂しさを感じてしまった。
街の人たちと笑っているアーサーの顔から目を逸らす。
胸の鼓動がまだ落ち着かなかった。
ダンスの中の、プロポーズの場面のアーサーの目を思い出してしまう。
抱きしめられた時、アーサーは『もう離したくない』と、劇中歌の言葉を諳んじた。
オルガンや手拍子の音にかき消されるくらいの小さな声が、耳朶を分け入って私の一番柔らかいところに沁み込んだ。
──私はアーサーのことを……。
その言葉を、私の心はすんなりと受け入れてしまった。
ソーダにアルコールが入っていたかのように、頬が熱くなる。
気づいてしまった想いに、胸が高鳴るより強く私の理性がストップをかけた。
お飾り妻でクライブ様に一度も手を取ってもらったことさえ無いとはいえ、私は領主の妻だ。
クライブ様に『愛することはない』と結婚の誓いを交わすはずの教会で言われた時よりも、大きな絶望感に苛まれた。
生まれたこの気持ちに少しの栄養を与えることも許されない。
そのまま消えるのを待つだけだった。
「……さすがに疲れたわ。もう帰りましょう」
「では」
アーサーが何か言いかけた時だった。
モッカ婆さんを連れたパン屋のおかみさんがやってきた。
「二人の踊りを見たよ。いい踊りだった」
「婆さん……」
「アーサー、早く結婚してしまいな」
モッカ婆さんの言葉にアーサーは何も返さなかった。
どうしてモッカ婆さんがアーサーを呼び捨てに……。
──孫の結婚を楽しみにしてるんだ
ふと、いつかのモッカ婆さんの言葉を思い出す。
孫の結婚……まさか……。
驚いた顔をアーサーに向けてしまった。
何も取り繕えなかった自分に怒りを覚える。
そんな私をアーサーが居心地の悪そうな目で捕らえた。
「申し訳ありません。小麦の収穫を手伝いに行った時に伝えるべきでした。
自分は婆さんの娘の子どもです。意図的に隠していたわけではないのですが」
「……そうだったの。それならあの日、パン屋のおかみさんがやってくる前に、アーサーがモッカ婆さんの麦を先に収穫しに行けば良かったわね。館の仕事なんて後回しにしても、それほど困ることはないのだもの」
「前日に行くべきだったと後になって思いました……」
アーサーの言葉が頭の上を通り過ぎていくようで、何も入ってこない。
──王さまが言うにはね、もうすぐ孫は領地を貰えるそうなんだよ
──そうしたらお嫁さんを娶って、二人でその領地を治めることになるって
モッカ婆さんの嬉しそうな声だけが頭の中で繰り返される。
祭りの喧騒が消えたように意識が遠のきそうになった。
……もうすぐ、アーサーはあの館を出て行くのだ。
どこかの領地を国王から与えられ、そこで結婚する。
そういうことなのだと胸の奥で独り言をつぶやいて、すべてを振り切るように立ち上がる。
「今夜はもう帰りますわ。皆さまはどうぞこの後もお祭りを楽しんでくださいね」
すれ違う人たちが手を振るのに応えながら、ランプで灯された夢のような祭りの街を後にした。
そう、私の夢のような時間は終わった。
胸に灯ったばかりの暖かな灯りを吹き消して、私の胸の中は真っ暗になる。
せっかく暗いことに慣れていたのに、どうして灯りを点してしまったのだろう。
帰りの馬車を待つ間も揺れる馬車の中でも、アーサーに微笑みながら雑談に興じる。
いつもの私はどんな顔でアーサーと話していたのか、今この表情で合っているか自信がないけれど、とにかく穏やかに明るくこの場を乗り切りたくて必死だった。
「ただいま戻ったわ! ピート、留守番ありがとう。アーサーも付き合ってくれてありがとう、おかげさまで初めてのお祭りを楽しめました。ヘレナは戻っている?」
「ええ、少し前に戻ってきました」
「疲れているところ悪いけど、すぐに湯浴みをしたいの。お湯を沸かしてくれれば後は自分でします。お湯が沸く頃に降りてくるわ」
「承知しました」
部屋に駆け込みたいところ、ゆったりと階段を上がっていく。
私は『いつもの私』をうまくできていただろうか。
自室に入り閉めたドアにもたれるようにして、ずるずるとしゃがみ込む。
両手で顔を覆っても、泣くことだけはしたくなかった。
感傷的な気持ちになりたくない。
両手で作った小さな暗闇に、僅かな時間だけ心を任せた。
505
あなたにおすすめの小説
「君は完璧だから、放っておいても大丈夫」と笑った夫。~王宮から私が去ったあと「愛していた」と泣きついても、もう手遅れです~
水上
恋愛
「君は完璧だから、放っておいても大丈夫だ」
夫である王太子はそう笑い、泣き真似が得意な見習い令嬢ばかりを優先した。
王太子妃セシリアは、怒り狂うこともなく、静かに心を閉ざす。
「左様でございますか」
彼女は夫への期待というノイズを遮断し、離縁の準備を始めた。
お飾り王妃の死後~王の後悔~
ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。
王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。
ウィルベルト王国では周知の事実だった。
しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。
最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。
小説家になろう様にも投稿しています。
婚約破棄された公爵令嬢ですが、戻らなかっただけです
鷹 綾
恋愛
王太子カイル殿下から、社交界の場で婚約破棄を言い渡された公爵令嬢リュシエンヌ。
理由は――
「王太子妃には華が必要だから」。
新たに選ばれたのは、愛らしく無邪気な義妹セシリア。
誰もが思った。
傷ついた令嬢は泣き、縋り、やがて戻るのだと。
けれどリュシエンヌは、ただ一言だけ告げる。
「戻りません」
彼女は怒らない。
争わない。
復讐もしない。
ただ――王家を支えるのをやめただけ。
流通は滞り、商会は様子を見始め、焦った王太子は失点を重ねる。
さらに義妹の軽率な一言が決定打となり、王太子妃候補の座は静かに消えた。
強いざまあとは、叫ぶことではない。
自らの選択で、自らの立場を削らせること。
そして彼女は最後まで戻らない。
支えない。
奪わない。
――選ばれなかったのではない。
彼女が、選ばなかったのだ。
これは、沈黙で勝つ公爵令嬢の物語。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
お好きになさって下さい、私は一切気にしませんわ
Kouei
恋愛
婚約者のクレマンド様は、いつも私との約束を破ってばかり。
理由は決まって『従妹ライラ様との用事』
誕生日会にすら来なかった彼に、私はついに告げた。
「どうぞ、私以外のご令嬢をエスコートするなり、お出かけするなり、関係を持つなり、お好きになさって下さい。私は一切気にしませんわ」
二人の想いは、重なり合えるのだろうか ……
※他のサイトにも公開しています。
白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』
鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」
公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。
だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。
――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの?
何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。
しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。
それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。
そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。
温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。
そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。
「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」
「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」
離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。
そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。
結婚初夜、「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と夫に言われました
ましゅぺちーの
恋愛
侯爵令嬢のアリサは婚約者だった王太子テオドールと結婚した。
ちょうどその半年前、アリサの腹違いの妹のシアは不慮の事故で帰らぬ人となっていた。
王太子が婚約者の妹のシアを愛していたのは周知の事実だった。
そんな彼は、結婚初夜、アリサに冷たく言い放った。
「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と。
王太子妃は離婚したい
凛江
恋愛
アルゴン国の第二王女フレイアは、婚約者であり、幼い頃より想いを寄せていた隣国テルルの王太子セレンに嫁ぐ。
だが、期待を胸に臨んだ婚姻の日、待っていたのは夫セレンの冷たい瞳だった。
※この作品は、読んでいただいた皆さまのおかげで書籍化することができました。
綺麗なイラストまでつけていただき感無量です。
これまで応援いただき、本当にありがとうございました。
レジーナのサイトで番外編が読めますので、そちらものぞいていただけると嬉しいです。
https://www.regina-books.com/extra/login
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる