【完結】あの日の小径に光る花を君に

青波鳩子

文字の大きさ
24 / 38

【23】第一王子殿下と婚約 ②(ヴィオランテ視点)

しおりを挟む
  
「お父様、甘え切って頭の中にまで脂肪を蓄えたエデルミラが王子妃教育に応えられると本当に思っていらっしゃるのですか?」

「妹に対してそんな言い方をするな」

「私への厳しさの半分、いえ、十分の一でもエデルミラに向けて教育をしていれば、あのような怠惰な娘にはならなかったでしょう。ある意味虐待です。先々のことを考えず、一瞬一瞬が楽しければいいとお母様はエデルミラと過ごしてきたのですから。他国の言葉はおろか、帝国語ですら分からない娘を第一王子妃候補として王宮に送りこもうなど、案外お父様は冒険家でいらっしゃるのね」

「虐待などと……待て、エデルミラは帝国語も操れないのか……?」

「操るどころか、挨拶ですら覚束ないというレベルです。十歳のマリアンナのほうがよほど話せますね」

「……マリアンナに劣るのか……」

父はエデルミラの現状をまったく把握していなかったのだ。

「今夜のディナーのテーブルで、帝国の言葉のみを使うことにしてみれば分かります」

実際そのように父が食事の前に言うと、ゲームのように感じたのかマリアンナが嬉しそうに、今日のお肉は柔らかくてとても美味しいです、肉はどちらの産地のものなの? と帝国語でシェフに尋ね、シェフが淀みない帝国語で返すのを見て、エデルミラは驚いた顔を晒した。
母も無邪気にその設定を楽しんでいた。
王弟の娘であった母は、さすがに帝国語くらいは無理なく話す。母が父にその日にあったことを語るのも、給仕にオレンジジュースの二杯目を持ってこさせるのも、すべて帝国語を使った。
しばらくして肉料理の皿が下げられ、マリアンナに今日のデザートが何か楽しみですねと帝国語で話し掛けられたエデルミラは、『ばいばい!』と幼児が使う帝国語を叫んで泣きながら席を立ってしまった。
あのエデルミラがデザートを待たずに席を立つなど、余程の屈辱だったのだろう。
妹のマリアンナもいつもは自分に優しい母も、シェフも給仕も侍女に至るまで全員が帝国語を話していて、エデルミラは何も理解できなかった。
でも、それを屈辱だと感じるのは間違っている。
何かの結果を悔しがる、それは努力を重ねた者だけに許されることなのだ。
学ぼうとさえしなかった者が、自分が分からないことで恥をかかされたと思うのは間違っている。

父はその時のエデルミラの様子を見て、ショックを受けたようだった。
そして母は、エデルミラが席を立ったことにキョトンとした顔をした。
母は、この国の貴族として当然理解できるはずの帝国語を、エデルミラが身に着けていなかったことを知らなかったのだ。
娘の教育に母は関わっていなかった。
エデルミラが分かる帝国語は、幼児が歌う曲の言葉だけだと気づいた母は、さすがに顔色を失くしていた。


「……ヴィオランテよ、エデルミラに今から厳しい教育を与えたとして、何か月で習得できるだろうか……」

あのディナーの後、父は私を呼んで力なくそう言った。

「エデルミラなら午前と午後に三時間ずつ机の前に座らせるだけで三か月はかかるのではないでしょうか。勉強は無理ですわ。耕したことのない硬い土に種を蒔いたところで、被害者意識の涙の雨に種が流されて終わりでしょう」

「第一王子妃は……」

「アンセルミ公爵家の恥を晒し、王家から反逆心を疑われてもよろしいのなら、エデルミラを王宮に上げればいいでしょう」

「ならばっ、どうすればいいのだ! 王太子妃、いずれ王妃となる娘を王宮に上げるのは、私のアンセルミ公爵としての悲願なのだ!」

四大公爵家のうち、過去において王妃を輩出したことがないのはアンセルミ公爵家だけだった。それ故、父は王弟の次女である母を娶った。
ただ、そこまでアンセルミ公爵家からの王妃輩出にこだわるなら、もっとエデルミラの教育に力を注げば良かったのだ。
何故、父は母にエデルミラを任せきりにしたのかと問い詰めたところでもう遅い。

「私がジュスティアーノ第一王子殿下の婚約者になります。アンセルミ公爵家の一門から優秀な者をエデルミラの婿にすればいいのです。エデルミラはお父様の血を継ぐ子を成すだけでいいのですから、婿はお父様の好きなところから取れますわ。……お父様がかつてお好きだった女性のご子息ですとか……」

最後の言葉に父は驚いたように目を見開き、すぐに思案をするようにその目を細めた。
かつて父が好いていた女性は、父が結婚するより前にアンセルミ一門の伯爵家に嫁いでいた。
男児を二人産み育て、夫である伯爵は事故で亡くなっている。
今は嫡男が結婚して伯爵家を継いだが、気の強い嫁と折り合いが悪いらしく私と同じ年の次男と共に別宅で暮らしているそうだ。
その次男はとても優秀で、王宮の上級官職を目指しているらしい。
もしもエデルミラとその次男が結婚すれば、このアンセルミ公爵家に父はかつての想い人を住まわせることもできるのだ。一人きりになってしまう娘婿の母を引き取るという、美談にさえなる。
エデルミラをあんなふうに育ててしまった母に、父が『娘婿の母』を引き取ることに文句は言わせないはずだ。
母もまた、王弟の娘としてのプライドから表立って反対はしないだろう。

「……だが、バディーニ侯爵家の次男との婚約はどうするのだ。こちらから一方的に婚約を解消すれば、多額の慰謝料を払わねばならず醜聞にさえなりかねない。しかもそのように傷がついたおまえを第一王子の婚約者になど、陛下がお許しになるかどうか」

「私にお任せください。私に傷をつけず、かつ醜聞にはならないようにすればいいのでしょう。王家に私をお勧めするタイミングをお父様にお伝えしたら、陛下に話をつけていただければと」

***

子キツネ狩りで、カルロを失脚させるつもりだった。
生肉を投げて猟犬たちを混乱させ、狩りを台無しにさせる。
カルロが大事にしている角笛を隠した。今回の狩りが終われば、元あった場所にそっと戻すつもりで。
カルロの角笛に従わなかった猟犬たちが多く出て、狩りが失敗すればそれはその日の狩りのマスターを務めたバディーニ侯爵家の失態となる。
そこを突破口として、穏便にカルロとの婚約を解消するつもりだった。

カルロに恨みは無いし、特別嫌いでもない。
だからと言って、私の結婚相手として相応しいと思ったことは一度もなかった。
優しいと言えば聞こえはいいけれど、流されやすく爵位の低い家の令嬢から狙われて、人気のある自分を愉しんでいた。
レティの婚約者だったカノヴァ侯爵令息のように自ら令嬢を追うことはしなくても、来る者は拒んでいなかったのだ。
このまま私がカルロと結婚してエデルミラがジュストの婚約者になれば、いずれ私はあの怠惰な肉の塊である妹エデルミラの臣下になってしまう。
そんなことは絶対に受け入れられない。
アンセルミ公爵になって一門を好きなようにすることより、この王国の国母になるほうが、遥かに魅力的だ。

それなのに──あの日、私が思っていた以上に猟犬たちは生肉に興奮して飛びついた。草食動物なのに、私の馬も興奮してしまったのも想定外だった。
鶏肉を扱うのが上手い料理長に、猟犬の気を惹くように血を肉の中に残す形で捌いてもらった。
子キツネ狩り後の猟犬への褒美の品だと言ったら、喜んでそのように処理をしてくれた。
その肉を革袋に入れて、狩場で投げた。

でも……そのせいで、カルロは命を落としてしまった……。
駆け寄ってカルロを揺さぶる私の手についたのは、鶏の生肉の血だったのかカルロの血だったのか私にも分からない。
カルロが命を落とすまでのことは望んでいなかったが、結果的に私は悲劇の舞台に上がることになった。
そして一年と少しの期間を経て、私がジュストの婚約者となりエデルミラの婚約も決まった。

ジュストは私のことは、ただの幼馴染の友人としか思っていないだろうけれど、陛下のお決めになったことに反対するような人ではなかった。
私はカルロという負い目があるけれど、ジュストにだって『忘れられない初恋』という負い目があるはずだった。
子供の頃のジュストはレティのことが好きだった。
当人であるジュストとレティ以外の私たちは、たぶんみんなジュストの想いに気づいていた。二人の初恋は、それぞれが背負っている『家』の重みに潰される前に、シャボン玉のように空へ放たれた。おそらくジュストもレティも、その思いが恋であるとさえはっきり認識していなかっただろう。
私はずっとジュスティアーノ殿下だけを見ていたから分かる。
私の初恋こそが、ジュスティアーノ殿下だった。

でも思い出は誰にでもあるものだし、子供の頃の初恋など、すべすべした小石を拾って大事にしていたのと変わりはなく、そんな小石に躓く私ではない。
レティを傷つけてしまうとしても、私はアンセルミ女公爵という地位よりさらに上の、この国の国母になりたい。
エデルミラのことも母のことも許せなかった。
そして自分の初恋を叶える。
それは同時に、父が諦めた恋も浮かばれることなのだ。
いい子にしていても欲しいものは何も得られず、何の努力もしていないエデルミラにすべて持って行かれるところだった。
カルロの尊い犠牲によって私の道は歩きやすくなったのだ、そう思うことにした。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

「貴女じゃ彼に不釣りあいだから別れて」と言われたので別れたのですが、呪われた上に子供まで出来てて一大事です!?

綾織季蝶
恋愛
「貴女じゃ彼に不釣りあいだから別れて」そう告げられたのは孤児から魔法省の自然管理科の大臣にまで上り詰めたカナリア・スタインベック。 相手はとある貴族のご令嬢。 確かに公爵の彼とは釣り合うだろう、そう諦めきった心で承諾してしまう。 別れる際に大臣も辞め、実家の誰も寄り付かない禁断の森に身を潜めたが…。 何故か呪われた上に子供まで出来てしまった事が発覚して…!?

『魔力ゼロの欠陥品』と蔑まれた伯爵令嬢、卒業パーティーで婚約破棄された瞬間に古代魔法が覚醒する ~虐げられ続けた三年間、倍返しでは足りない~

スカッと文庫
恋愛
「貴様のような無能、我が国の王妃には相応しくない。婚約を破棄し、学園から追放する!」 王立魔道学園の卒業パーティー。きらびやかなシャンデリアの下、王太子エドワードの声が冷酷に響いた。彼の隣には、愛くるしい表情で私を嵌めた男爵令嬢、ミナが勝ち誇ったように寄り添っている。 伯爵令嬢のリリアーヌは、入学以来三年間、「魔力ゼロの欠陥品」として学園中の嘲笑を浴び続けてきた。 婚約者であるエドワードからは一度も顧みられず、同級生からはゴミのように扱われ、ミナの自作自演による「いじめ」の濡れ衣まで着せられ……。 それでも、父との「力を隠せ」という約束を守るため、泥を啜るような屈辱に耐え抜いてきた。 ――だが、国からも学園からも捨てられた今、もうその約束を守る必要はない。 「さようなら、皆様。……私が消えた後、この国がどうなろうと知ったことではありませんわ」 リリアーヌが身につけていた「魔力封印の首飾り」を自ら引き千切った瞬間、会場は漆黒の魔力に包まれた。 彼女は無能などではない。失われた「古代魔法」をその身に宿す、真の魔道の主だったのだ。 絶望する王太子たちを余目に、隣国の伝説の魔術師アルベルトに拾われたリリアーヌ。 彼女の、残酷で、甘美な復讐劇が今、幕を開ける――。

【大賞・完結】地味スキル《お片付け》は最強です!社畜OL、異世界でうっかり国を改革しちゃったら、騎士団長と皇帝陛下に溺愛されてるんですが!?

旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞で大賞をいただきました】→【規約変更で書籍化&コミカライズ「確約」は取り消しになりました。】 佐藤美佳子(サトウ・ミカコ)、享年28歳。死因は、過労。連日の徹夜と休日出勤の果てに、ブラック企業のオフィスで静かに息を引き取った彼女が次に目覚めたのは、剣と魔法のファンタジー世界だった。 新たな生を受けたのは、田舎のしがない貧乏貴族の娘、ミカ・アシュフィールド、16歳。神様がくれた転生特典は、なんと《完璧なる整理整頓》という、とんでもなく地味なスキルだった。 「せめて回復魔法とかが良かった……」 戦闘にも生産にも役立たないスキルに落胆し、今度こそは静かに、穏やかに生きたいと願うミカ。しかし、そんな彼女のささやかな望みは、王家からの突然の徴収命令によって打ち砕かれる。 「特殊技能持ちは、王宮へ出仕せよ」 家族を守るため、どうせ役立たずと追い返されるだろうと高をくくって王都へ向かったミカに与えられた任務は、あまりにも無謀なものだった。 「この『開かずの倉庫』を、整理せよ」 そこは、数百年分の備品や資材が山と積まれ、あまりの混沌ぶりに探検隊が遭難したとまで噂される、王家最大の禁足地。 絶望的な光景を前に、ミカが覚悟を決めてスキルを発動した瞬間――世界は、彼女の「お片付け」が持つ真の力に震撼することになる。 これは、地味スキルでうっかり国のすべてを最適化してしまった元社畜令嬢が、カタブツな騎士団長や有能すぎる皇帝陛下にその価値を見出され、なぜか過保護に甘やかされてしまう、お仕事改革ファンタジー。

死に物狂いで支えた公爵家から捨てられたので、回帰後は全財産を盗んで消えてあげます 〜今さら「戻れ」と言われても、私は隣国の皇太子妃ですので〜

しょくぱん
恋愛
「お前のような無能、我が公爵家の恥だ!」 公爵家の長女エルゼは、放蕩者の父や無能な弟に代わり、寝る間も惜しんで領地経営と外交を支えてきた。しかし家族は彼女の功績を奪った挙句、政治犯の濡れ衣を着せて彼女を処刑した。 死の間際、エルゼは誓う。 「もし次があるのなら――二度と、あいつらのために働かない」 目覚めると、そこは処刑の二年前。 再び「仕事」を押し付けようとする厚顔無恥な家族に対し、エルゼは優雅に微笑んだ。 「ええ、承知いたしました。ただし、これからは**『代金』**をいただきますわ」 隠し金庫の鍵、領地の権利書、優秀な人材、そして莫大な隠し資産――。 エルゼは公爵家のすべてを自分名義に書き換え、着々と「もぬけの殻」にしていく。 そんな彼女の前に、隣国の冷徹な皇太子シオンが現れ、驚くべき提案を持ちかけてきて……? 「君のような恐ろしい女性を、独り占めしたくなった」 資産を奪い尽くして亡命した令嬢と、彼女を溺愛する皇太子。 一方、すべてを失った公爵家が泣きついてくるが、もう遅い。 あなたの家の金庫も、土地も、働く人間も――すべて私のものですから。

処刑台の皇妃、回帰して復讐を誓う ~冷酷公爵と偽りの婚約者~ おまえたちは許さない!

秦江湖
ファンタジー
皇妃エリアーナは、夫である皇帝アランと、たった一人の親友イザベラの策略により、無実の罪で処刑される。 民衆に罵られ、アランの冷酷な目とイザベラの嘲笑を「始まりの景色」として目に焼き付けながら絶命した彼女は、しかし、処刑の記憶を持ったまま三年前の過去に回帰する。 「おまえたちは許さない」 二度目の人生。 エリアーナの目的はただ一つ、自分を陥れた二人への完璧な復讐。 彼女はまず、アラン(皇太子)からの婚約内示を拒絶。そして、アラン最大の政敵である「北の冷血公爵」ルシアン・ヴァレリウスに接触する。 1周目で得た「未来の知識」を対価に、エリアーナはルシアンに持ちかける。 「貴方様には帝国の覇権を。わたくしには復讐の舞台を。そのための『契約婚約』を――」 憎悪を糧に生きる皇妃と、氷の瞳を持つ公爵。 二人の偽りの婚約の行く末は……

婚約破棄された公爵令嬢ですが、戻らなかっただけです

鷹 綾
恋愛
王太子カイル殿下から、社交界の場で婚約破棄を言い渡された公爵令嬢リュシエンヌ。 理由は―― 「王太子妃には華が必要だから」。 新たに選ばれたのは、愛らしく無邪気な義妹セシリア。 誰もが思った。 傷ついた令嬢は泣き、縋り、やがて戻るのだと。 けれどリュシエンヌは、ただ一言だけ告げる。 「戻りません」 彼女は怒らない。 争わない。 復讐もしない。 ただ――王家を支えるのをやめただけ。 流通は滞り、商会は様子を見始め、焦った王太子は失点を重ねる。 さらに義妹の軽率な一言が決定打となり、王太子妃候補の座は静かに消えた。 強いざまあとは、叫ぶことではない。 自らの選択で、自らの立場を削らせること。 そして彼女は最後まで戻らない。 支えない。 奪わない。 ――選ばれなかったのではない。 彼女が、選ばなかったのだ。 これは、沈黙で勝つ公爵令嬢の物語。

完結·婚約破棄された氷の令嬢は、嫁がされた枯れおじのもとで花開く

恋愛
ティリアは辺境にある伯爵の娘であり、第三王子ガフタの婚約者であった。 だが、この婚約が気に入らないガフタは学園生活でティリアを冷遇し、卒業パーティーで婚約破棄をする。 しかも、このまま実家に帰ろうとするティリアにガフタは一回り以上年上の冴えないおっさん男爵のところへ嫁ぐように命令する。 こうしてティリアは男爵の屋敷へと向かうのだが、そこにいたのは…… ※完結まで毎日投稿します ※小説家になろう、Nolaノベルにも投稿中

筆頭婚約者候補は「一抜け」を叫んでさっさと逃げ出した

基本二度寝
恋愛
王太子には婚約者候補が二十名ほどいた。 その中でも筆頭にいたのは、顔よし頭良し、すべての条件を持っていた公爵家の令嬢。 王太子を立てることも忘れない彼女に、ひとつだけ不満があった。

処理中です...