新訳 零戦戦記 選ばれしセカイ

全滅へ

「おそらくは８００機超。
向こうも相応の無理をしてでもこちらに突っ込んで、根絶やしにせんばかりの勢いか。」
空母葛城の山口は顎に手を置く。
「当面はこちらは直掩隊、そしてありったけの対空火網で対処するほかありません。」
久保の回答に、福留ら他の幕僚は、露骨に愕然とした表情を浮かべた。

え、たったそれだけ！？
そもそも迫り来る脅威は敵艦載機だけでなく…。

結局海軍中枢で今孔明と持ち上げられた天才様の智慧の泉も枯れたってことかい。
アメリカの物量と隙のない速攻の前には…。
彼らは、既にそわそわと、この葛城が沈む時に如何に生き残るかの算段を始めていた…。


一方、その艦隊の上空である。
「次！」
４機目を血祭りに上げるカリン。
残り８機。
自身が鍛え上げた相応の腕っこきが…。
ヴァンのベアキャットの無線には、悲鳴混じりの声。
「クッ女狐が！」
ヴァンは旋回し僚機を盾にしつつ、無線に向け叫ぶ。
「最低４機1組だ！弾幕張ってゴリ押して張り飛ばせ！」
どうにか３機1組の編隊を組んだ隊が、カリンに向け２０ミリの嵐を浴びせる…。
「遅いっつーの！」
尾翼にハートマークの零戦７６型が、ベアキャット隊の目の前から消えた…。
次の瞬間には後方から、３０ミリの単発撃ち(！)で操縦席を、エンジンを砕かれ３機のベアキャット…！
なんだこいつは！もはや魔女だ。本物の…。
ヴァンは半ば恐怖を覚える。

「あと、４機ぃ！」
カリンが再度スロットルをあおった時。
愛機のエンジンが異音を発する。

「あれしきの敵戦に何を手こずって！」
ハルゼーはそういったものの、連携も個人プレイも自由自在の敵ベテラン群の巧緻さは、伝え聞く味方無線や報告からも十分体感していた。
「どうにか、スカイレイダー３００強が敵艦隊に肉迫しつつあります」
カーニーの報告に、ハルゼーは葉巻を噛み切り、頷いた。

「全艦対空特化輪形陣！
ここを凌がねば後がないぞ！」
大和指揮所より樋端防空参謀が檄を飛ばす。
既に大和以下の戦艦、重巡は４式弾を３連斉射。１００機に迫る戦果を挙げていた。
しかし、それも距離を詰められれば打ち止めである。

残りは高角砲と、無数の対空３０ミリ機関砲群。
「うおおおおおお！撃て！撃ちまくれ！」
「クッ！弾幕きちいぞ！だが怯むな！」
駆逐艦レベルでも無視し得ぬ弾幕。
大和搭載のウルツブルグレーダーから、大まかであるが敵侵入方位、高度の情報が共有されたのも大きい。

「電波信管、各艦の精緻なレーダー連動なしの状態で、しかも砲熕兵器のみにおけるものでは最強クラスの防空体制であったのでは！？」
後年そう表する向きもある。
実際対戦闘機戦にも劣らぬ被害を出すスカイレイダー群。
だが、半数が実戦未経験の中、それでも彼らは勇猛果敢であった。
重巡摩耶、大破、後沈没。
高雄も中破。
「墜ちろ！墜ちろ！
墜ちたな…！！」
防空特化(雷装なし)実験型駆逐艦の一隻、朝露で配下の５銃座の指揮を取る、石丸中尉。
美的センスも何もなく、ざっくり言えば両用砲２割、機関砲群８割の針鼠武装。

20隻弱の、統一性は無いが強力な対空火網を誇る軽巡、駆逐艦緊急改装の防空専任艦が、いわば結界を張りギリギリ輪形陣中枢への米編隊浸透を食い止めていたが、それも最早…。

空母葛城　第一機動艦隊統合指揮所。
重苦しい空気が動く。
「山口閣下、あとを頼みます。」
「うむ。武運を祈る。」
久保拓也航空参謀長が！？

「な、久保くんアンタ何処へ行く気だ！？」
「便所とか言ってこの期に及んで現実逃避では！？」
他の幕僚達が詰め寄るが、涼しげな顔で通り過ぎる久保。
指揮所の戸口を開け、出て行く間際、謎めいた言葉を…。
「(この窮地をこじあける)穴はひとつしかないから…」

？？？

甲板下航空機格納庫。整備班控え室。
「あれ？久保の旦那！？
…いやなんですか、その格好は！？
そもそも、まともな戦闘機は根こそぎ…」
「杉さん、『回らない奴』があるだろう。」
杉谷華丸整備大尉は、大きな目をさらに見開く。
あれは…全開試験一回しただけの…。

５分後、葛城甲板上。
明らかにレシプロエンジンの音ではない響き。
「葛城指揮所　こちらは久保一番。
零式艦上戦闘機８８型、出る！！」
異形の心臓を持つ翼がしなり、甲板を蹴った…。