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Chap.2 ちいさなアリス
Chap.2 Sec.1
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身体が——重い。まとわりつくような気だるさと、おぼろげな思考。私は眠っているのか。
まだ目を開けたくなくて、素肌に触れる、なめらかな布の感触に顔をうずめた。心地のよい温もりにくるまれて、ふわりふわりと意識が沈んでいく。
——起きなければ。
意識のどこかかなたで警鐘が鳴っているのに、まぶたが重い。なぜ、起きなければいけないのか。理由がわからない。かつて、私が起きなければならない理由は、なんだった?
§
「おはよう、アリスちゃん」
重たい頭を無理やり叩き起こして、リビングに向かおうとしたところ、途中のキッチンで声をかけられた。さらりと白金の髪がゆれる。ティアだった。
「よく眠れた? ……なんてね、こんな質問は無粋かな」
くすっと笑って、ティアは視線を手許に落とす。キッチンの壁についたカップボードの上には、ティーポットとティーカップ。ティーポットの頭に手をそえて、赤茶色の鮮やかな液体をカップへとそそいだ。紅茶だろうか。ベリーのような甘酸っぱい香りがわずかに香る。
「君も飲む?」
どことなく冷ややかな空気を感じた気がしたが、勘違いだったのか。ポットを掲げて、誘うように問いかけてくれた。頷いて肯定する。
「そういうときは、〈はい〉ね。はい」
「……はい」
「うん、とっても上手」
ティアは、新しいカップをもうひとつ、取り出した。
「君も飲むなら、もうひとつはリビングで淹れようかな?」
一緒に抜き取ったトレイに、ティアはポットとカップを乗せた。慎重なようすでトレイを持ち、リビングの方へと向かっていく。その背中を追ってリビングへとついていった。
リビングにはセトのみがいた。キッチンから見て右手のテーブル。座席は右奥、壁側に座って、パンらしき物を食べながら薄い端末を触っている。タブレットデバイスにしては薄すぎるそれを、指先で操作している。
ふと、ティアの後ろにいた私の存在に気づいて顔をあげた。目が合う。眉を寄せて何か言おうとしたようだったが、結局なにも口にすることなく、彼はまた下を向いた。
「——どうぞ、座って」
ティアはセトの横に座らず、左手前、つまり通路側に着席した。ティアの横に座るには、前後のみしかスライドできないこのイスを、ティアに動かしてもらわなければ背後のスペースが足りない気がする。でも、そんなことは頼めない。そうなると、私の席は必然的にセトの隣になる。なるべくそっと着席した。
「セト君さ、アリスちゃんのごはんも用意してあげてよ」
お茶をそそぎながら、ティアがセトに話しかけた。セトはなんだかいやそうな顔でティアを見返し、
「俺は、食ったらもう出るんだよ」
「ちょっとくらいならいいでしょ? いつもより、もうかなり遅いんだし」
セトが舌打ちをした。ガタリと大きな音をたてて立ち上がる。私とセト側の座席は、背後が外への出入り口のため、移動に十分なスペースがある。私の背後を通って、セトはキッチンへと向かった。
「……いい思いしたはずなのに、機嫌悪いね」
大げさに嘆息してみせるティア。演技がかっている。
いなくなったセトの席には、食べかけの食事が置きっぱなしだ。また戻ってくるのだろうか。そんなことを思いながら、ティアが淹れてくれたお茶を頂くことにした。
今は何時だろう。なんとなくでしかないが、室内のライトの色が時間にあわせて変わっているように思う。夜はオレンジっぽく灯っていたのに、今は青みがあるような。
お茶を口に含みながら考えていると、ティアが、あざとくも見える笑みを浮かべてこちらを見つめていた。
私の顔に何かついているのだろうか。首をかしげると、ティアの細い手が伸びて、カップを持つ私の手に——触れた。
「ね、アリスちゃん」
指を搦めとるように、私の手を引きよせる。囁くような声で、私の呼び名を口にした。
「なんで僕を選んでくれなかったの? ……僕ってけっこう、君に優しくしてると——思うんだけど」
心をのぞき込むような瞳。雪のような睫毛に縁取られた青紫色の虹彩は、まるで宝石だ。完璧な西洋人形のように、無数のきらめきを携えている。
その美しい目は微笑んでいるようだが、口調はやんわりと責めるような響きだった。
「それとも……この容姿だから、僕は女性[woman:ジェンダーにおける女]だと思った? ……そうだとしたら……すごく、不愉快だな」
独り言のような囁き。ジェスチャーはない。ひょっとすると、私に伝える気はないのかも知れない。
捕らえられた手に、指を絡めたり、ほどいたり。彼は微笑をうかべたまま、私の指を弄ぶ。
意図が分からず、私はただ、絡みあう指先を見つめていた。冷たい指先だと思った。
「今どき、こんなこと言うのは古いけど……ちゃんと、男[male:生物学的な性差による男]として、意識してね?」
どれくらいそうしていただろう。身を乗り出したティアが、私の手を包んだまま持ち上げ、指先にくちづけした。宝石のような目を、パチリとウィンクさせる。なにか大切な感情を、彼はその瞳に映していた気がするのに……その一瞬で、軽薄な色へと塗りかえられてしまった。
ぱっと解放された手が、仄かに熱い。ティアが元のように着席すると、セトが戻ってきた。タイミングがいいと感じたが、ティアはこれを見越したうえで話を締めくくったのかもしれない。
「ほらよ」
トン、と軽快な音とともに、目の前にプレートが置かれた。丸いパンと思われる物体に、おそらくスクランブルエッグ。それから、きちんと切られたフルーツが小皿に入って添えられていた。
オシャレなカフェで出てきそうな、ワンプレート。なんというか、とても、
「え! 似合わない! ……セト君、似合わない」
「あ? 変な文句言ってんじゃねぇよ」
セトが作ってくれたのだろうか。彼らしくないような気がするから、もともとあった物を載せただけなのだろうか。どちらにせよ、私のために持ってきてくれたのだと、思う。
「あ……アリガトウ」
感謝を伝えると、セトはふんっと鼻を鳴らして席に戻った。ティアはプレートをまじまじと見つめている。
「西洋スモモがすごくキレイに切られてる……信じられない。なにその意外性」
「意外じゃねぇよ。いつもナイフで獲物さばいてんだよ」
「それとこれとは違うんじゃない……?」
「ナイフは使い慣れてるって話だ」
「ミラベルだけじゃなくてさ……卵もまさかこれ、わざわざ作った?」
「それは……まぁ、てきとうに」
「うそでしょ……料理できたの? こんなに長く一緒にいて、初めて知ったんだけど」
「あのな、お互い知らねぇこともあるに決まってんだろ。四六時中いるわけじゃねぇんだしよ」
「え~……納得できないな。セト君って車では加工食ばっかり食べてるのに。アリスちゃんのためなら料理するんだ?」
「……お前はほんとにうるせぇな」
食べて、いいのだろうか。
ふたりは目の前のプレートについて話している気がする。もしかしてこれは、ティアの食事だったのだろうか。一緒に置かれたフォークに手を伸ばしていいのかどうか……迷う。
「何してんだよ。早く食え」
セトがフォークを掴んで、私の手に押しつけた。食べろ、ということだと思う。ティアは許してくれるだろうか。
ちらりと上目遣いに視線を向けると、気づいたティアが、
「あ、ごめんね? 気にしないで。食べて食べて」
掌を上に向けて、プレートを示した。食べていいよと、そういうふうに見える。
ふたりに見られたまま、スクランブルエッグらしき、トロトロの黄色いそれをフォークですくう。すくいづらい。スプーンは見当たらないので、そのままフォークに少量をのせて口に運んだ。生クリームのようなコクがある、塩味の効いた卵の味。
私が飲み下すまで、じいいっと見てくるふたりの目。パンを手に取ろうとしたが、感想を待たれている気がして、ひとまず口を開き、
「……オイシイ」
嘘では、ない。
ただ、感想を語ろうにも、伝達かつ表現できる語彙がこれしかない。
「まあ、当然だな」
「ほんとに? アリスちゃん、無理してない?」
「おい」
セトとティアの応酬を聞きながら、丸いパンを手に取った。こうばしい香りがする。ちぎって口に入れると、バターの芳醇な旨味がひろがった。とても美味しい。蜂蜜のような風味もある気がする。
「あっ、ほら、パンを食べたときのほうが美味しそうな顔してる。セト君の手作りは微妙だったんじゃ……」
「パン焼いたのも俺だろが」
「違うよね? 焼いてくれたのはメル君で、それを万全な保存状態で持ってきたのは僕で、セト君はただ温めただけだよね?なんなら、温めるのはマシンにいれるだけ」
「お前まじでうるせぇ」
食を進めながら、にぎやかなふたりの顔をそろりと見た。昨夜の情事と、先ほどの指へのキス。思い出すといろいろ複雑な感情が湧き起こりそうなので、パンと一緒に強引に飲み込んでおく。
とくに、昨夜のことは。考えると泣きそうになるから。感情を抑えて、意識的に思考から追い払うよう心がけた。
考えてはいけない。首筋をくすぐった舌の感触も、肌をなでた掌の温かさも。——それから、身体を何度も貫いた、彼の律動も。
「こいつが美味しいって言ったんだから、それでいいだろ。——な? ウサギ」
私の肩を、セトが掴んだ。何かを確かめるように、のぞき込まれる。
黄金の眼。昨日、幾度となく私を攻めたてた、狼のような……。
「……はい」
なにを訊かれたのか、知らない。ただ、彼が最後に口にしたのが、おそらく昨日私につけられた呼び名だったから。
恐れから生まれたその応えをどうとったのか、セトは目を見開いてティアを振り返った。
「会話できたぞ! なあ、今こいつ、ちゃんと返事したよな?」
高揚したセトに、頭をわしゃわしゃと撫でられる。大きな掌。「成長してるじゃねぇか」褒めてくれているのかも知れない。でも、身体がこわばってしまう。そのたくましい手が、怖い。
「うん……そうだね、さっき教えたからね。……僕がね」
機嫌のよいセトを見ながら、ティアが口の中だけでぶつぶつ言っている。
私はただ、身をすくませていた。
まだ目を開けたくなくて、素肌に触れる、なめらかな布の感触に顔をうずめた。心地のよい温もりにくるまれて、ふわりふわりと意識が沈んでいく。
——起きなければ。
意識のどこかかなたで警鐘が鳴っているのに、まぶたが重い。なぜ、起きなければいけないのか。理由がわからない。かつて、私が起きなければならない理由は、なんだった?
§
「おはよう、アリスちゃん」
重たい頭を無理やり叩き起こして、リビングに向かおうとしたところ、途中のキッチンで声をかけられた。さらりと白金の髪がゆれる。ティアだった。
「よく眠れた? ……なんてね、こんな質問は無粋かな」
くすっと笑って、ティアは視線を手許に落とす。キッチンの壁についたカップボードの上には、ティーポットとティーカップ。ティーポットの頭に手をそえて、赤茶色の鮮やかな液体をカップへとそそいだ。紅茶だろうか。ベリーのような甘酸っぱい香りがわずかに香る。
「君も飲む?」
どことなく冷ややかな空気を感じた気がしたが、勘違いだったのか。ポットを掲げて、誘うように問いかけてくれた。頷いて肯定する。
「そういうときは、〈はい〉ね。はい」
「……はい」
「うん、とっても上手」
ティアは、新しいカップをもうひとつ、取り出した。
「君も飲むなら、もうひとつはリビングで淹れようかな?」
一緒に抜き取ったトレイに、ティアはポットとカップを乗せた。慎重なようすでトレイを持ち、リビングの方へと向かっていく。その背中を追ってリビングへとついていった。
リビングにはセトのみがいた。キッチンから見て右手のテーブル。座席は右奥、壁側に座って、パンらしき物を食べながら薄い端末を触っている。タブレットデバイスにしては薄すぎるそれを、指先で操作している。
ふと、ティアの後ろにいた私の存在に気づいて顔をあげた。目が合う。眉を寄せて何か言おうとしたようだったが、結局なにも口にすることなく、彼はまた下を向いた。
「——どうぞ、座って」
ティアはセトの横に座らず、左手前、つまり通路側に着席した。ティアの横に座るには、前後のみしかスライドできないこのイスを、ティアに動かしてもらわなければ背後のスペースが足りない気がする。でも、そんなことは頼めない。そうなると、私の席は必然的にセトの隣になる。なるべくそっと着席した。
「セト君さ、アリスちゃんのごはんも用意してあげてよ」
お茶をそそぎながら、ティアがセトに話しかけた。セトはなんだかいやそうな顔でティアを見返し、
「俺は、食ったらもう出るんだよ」
「ちょっとくらいならいいでしょ? いつもより、もうかなり遅いんだし」
セトが舌打ちをした。ガタリと大きな音をたてて立ち上がる。私とセト側の座席は、背後が外への出入り口のため、移動に十分なスペースがある。私の背後を通って、セトはキッチンへと向かった。
「……いい思いしたはずなのに、機嫌悪いね」
大げさに嘆息してみせるティア。演技がかっている。
いなくなったセトの席には、食べかけの食事が置きっぱなしだ。また戻ってくるのだろうか。そんなことを思いながら、ティアが淹れてくれたお茶を頂くことにした。
今は何時だろう。なんとなくでしかないが、室内のライトの色が時間にあわせて変わっているように思う。夜はオレンジっぽく灯っていたのに、今は青みがあるような。
お茶を口に含みながら考えていると、ティアが、あざとくも見える笑みを浮かべてこちらを見つめていた。
私の顔に何かついているのだろうか。首をかしげると、ティアの細い手が伸びて、カップを持つ私の手に——触れた。
「ね、アリスちゃん」
指を搦めとるように、私の手を引きよせる。囁くような声で、私の呼び名を口にした。
「なんで僕を選んでくれなかったの? ……僕ってけっこう、君に優しくしてると——思うんだけど」
心をのぞき込むような瞳。雪のような睫毛に縁取られた青紫色の虹彩は、まるで宝石だ。完璧な西洋人形のように、無数のきらめきを携えている。
その美しい目は微笑んでいるようだが、口調はやんわりと責めるような響きだった。
「それとも……この容姿だから、僕は女性[woman:ジェンダーにおける女]だと思った? ……そうだとしたら……すごく、不愉快だな」
独り言のような囁き。ジェスチャーはない。ひょっとすると、私に伝える気はないのかも知れない。
捕らえられた手に、指を絡めたり、ほどいたり。彼は微笑をうかべたまま、私の指を弄ぶ。
意図が分からず、私はただ、絡みあう指先を見つめていた。冷たい指先だと思った。
「今どき、こんなこと言うのは古いけど……ちゃんと、男[male:生物学的な性差による男]として、意識してね?」
どれくらいそうしていただろう。身を乗り出したティアが、私の手を包んだまま持ち上げ、指先にくちづけした。宝石のような目を、パチリとウィンクさせる。なにか大切な感情を、彼はその瞳に映していた気がするのに……その一瞬で、軽薄な色へと塗りかえられてしまった。
ぱっと解放された手が、仄かに熱い。ティアが元のように着席すると、セトが戻ってきた。タイミングがいいと感じたが、ティアはこれを見越したうえで話を締めくくったのかもしれない。
「ほらよ」
トン、と軽快な音とともに、目の前にプレートが置かれた。丸いパンと思われる物体に、おそらくスクランブルエッグ。それから、きちんと切られたフルーツが小皿に入って添えられていた。
オシャレなカフェで出てきそうな、ワンプレート。なんというか、とても、
「え! 似合わない! ……セト君、似合わない」
「あ? 変な文句言ってんじゃねぇよ」
セトが作ってくれたのだろうか。彼らしくないような気がするから、もともとあった物を載せただけなのだろうか。どちらにせよ、私のために持ってきてくれたのだと、思う。
「あ……アリガトウ」
感謝を伝えると、セトはふんっと鼻を鳴らして席に戻った。ティアはプレートをまじまじと見つめている。
「西洋スモモがすごくキレイに切られてる……信じられない。なにその意外性」
「意外じゃねぇよ。いつもナイフで獲物さばいてんだよ」
「それとこれとは違うんじゃない……?」
「ナイフは使い慣れてるって話だ」
「ミラベルだけじゃなくてさ……卵もまさかこれ、わざわざ作った?」
「それは……まぁ、てきとうに」
「うそでしょ……料理できたの? こんなに長く一緒にいて、初めて知ったんだけど」
「あのな、お互い知らねぇこともあるに決まってんだろ。四六時中いるわけじゃねぇんだしよ」
「え~……納得できないな。セト君って車では加工食ばっかり食べてるのに。アリスちゃんのためなら料理するんだ?」
「……お前はほんとにうるせぇな」
食べて、いいのだろうか。
ふたりは目の前のプレートについて話している気がする。もしかしてこれは、ティアの食事だったのだろうか。一緒に置かれたフォークに手を伸ばしていいのかどうか……迷う。
「何してんだよ。早く食え」
セトがフォークを掴んで、私の手に押しつけた。食べろ、ということだと思う。ティアは許してくれるだろうか。
ちらりと上目遣いに視線を向けると、気づいたティアが、
「あ、ごめんね? 気にしないで。食べて食べて」
掌を上に向けて、プレートを示した。食べていいよと、そういうふうに見える。
ふたりに見られたまま、スクランブルエッグらしき、トロトロの黄色いそれをフォークですくう。すくいづらい。スプーンは見当たらないので、そのままフォークに少量をのせて口に運んだ。生クリームのようなコクがある、塩味の効いた卵の味。
私が飲み下すまで、じいいっと見てくるふたりの目。パンを手に取ろうとしたが、感想を待たれている気がして、ひとまず口を開き、
「……オイシイ」
嘘では、ない。
ただ、感想を語ろうにも、伝達かつ表現できる語彙がこれしかない。
「まあ、当然だな」
「ほんとに? アリスちゃん、無理してない?」
「おい」
セトとティアの応酬を聞きながら、丸いパンを手に取った。こうばしい香りがする。ちぎって口に入れると、バターの芳醇な旨味がひろがった。とても美味しい。蜂蜜のような風味もある気がする。
「あっ、ほら、パンを食べたときのほうが美味しそうな顔してる。セト君の手作りは微妙だったんじゃ……」
「パン焼いたのも俺だろが」
「違うよね? 焼いてくれたのはメル君で、それを万全な保存状態で持ってきたのは僕で、セト君はただ温めただけだよね?なんなら、温めるのはマシンにいれるだけ」
「お前まじでうるせぇ」
食を進めながら、にぎやかなふたりの顔をそろりと見た。昨夜の情事と、先ほどの指へのキス。思い出すといろいろ複雑な感情が湧き起こりそうなので、パンと一緒に強引に飲み込んでおく。
とくに、昨夜のことは。考えると泣きそうになるから。感情を抑えて、意識的に思考から追い払うよう心がけた。
考えてはいけない。首筋をくすぐった舌の感触も、肌をなでた掌の温かさも。——それから、身体を何度も貫いた、彼の律動も。
「こいつが美味しいって言ったんだから、それでいいだろ。——な? ウサギ」
私の肩を、セトが掴んだ。何かを確かめるように、のぞき込まれる。
黄金の眼。昨日、幾度となく私を攻めたてた、狼のような……。
「……はい」
なにを訊かれたのか、知らない。ただ、彼が最後に口にしたのが、おそらく昨日私につけられた呼び名だったから。
恐れから生まれたその応えをどうとったのか、セトは目を見開いてティアを振り返った。
「会話できたぞ! なあ、今こいつ、ちゃんと返事したよな?」
高揚したセトに、頭をわしゃわしゃと撫でられる。大きな掌。「成長してるじゃねぇか」褒めてくれているのかも知れない。でも、身体がこわばってしまう。そのたくましい手が、怖い。
「うん……そうだね、さっき教えたからね。……僕がね」
機嫌のよいセトを見ながら、ティアが口の中だけでぶつぶつ言っている。
私はただ、身をすくませていた。
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