【完結】致死量の愛を飲みほして【続編完結】

藤香いつき

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Chap.3 鏡の国の

Chap.3 Sec.1

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 暗闇のなかで、目を開けた。
 まばたきを数回くり返すうちに、夢の世界からゆっくりと脳が覚醒していくのを感じる。
 ナイロンのような、シルクのような。するするとなめらかな質感をしたマットの存在に、自分がどこにいるのかを思い出した。

 そっと上半身を起こすと、カプセルの内部に、ぽうっとやわらかな光が広がる。ティアの姿はない。が、足元にきちんとたたまれている洋服が目に入った。最初の黒い服とよく似た形だが、これは薄いグレーのワンピースで袖が短い。
 洋服に腕をとおしてから、この服の問題点に突きあたる。そうだ、これはひとりでは着ることができないのだった。

 誰か(できればティアがいい。他の人には頼める気がしない)探してみようか。体重を移動させて立ち上がろうとすると、上部が音もなく開いた。これは、昨日も経験したのでもう驚かない。どう判断しているのか知らないが、優秀なほど先回りしてくれる。

 そろりと顔を出してみる。寝室は他の部屋と比較すると暗い。今はカプセルの中のほうが明るいように思う。昨日は目が覚めた時点で明るくなっていたが、今日は身体を起こすまでカプセルの中は真っ暗だった。ティアがそう設定してくれたのだろうか。

 辺りを確認したが、誰もいない。ただ、私の目の前にある、反対側の上下のカプセルがふたつとも閉じていて、側面に小さな人型のマークが点灯している。もしかすると誰か入っていて、眠っているのかもしれない。ふたりとなると誰なのか。ひとりは、なんとなくサクラだと思う。

 背中は開いたままだが、仕方がないのでそのままカプセルから出た。キッチンの方へ行くために、スライドドアに触れる。開いたドアの先がまぶしくて、目を細め、

『……ぁ』

 思わず声が出た。
 キッチンにいたセトと、バチリと目が合う。

 セトは無言のままこちらを数秒ほど眺めたかと思うと、ふいっと視線を外し、カップボードとは反対の機械類がならんでいる方へと向いた。

 なにか言うべきだろうか。セトの横顔を見て、考える。

「……オハ、ヨウ」

 昨日ティアがつかっていた言葉を、口にしてみた。何度か耳にしたので印象に残っていたのだが、正しくつかえているだろうか。
 セトの視線が、ちらりとこちらに流れ、

「はっ……何時だと思ってんだ」

 あざけるように鼻で笑われた。言い方がおかしかっただろうか。

「もう昼だぞ。呑気のんきにおはようとか言ってんじゃねぇよ」

 語尾が強い。注意でもされているのか、あるいは怒られているのか。とりあえずワンピースを結んでほしいと頼める雰囲気ではない。

『あの……なんて……?』

 セトに近寄って問いかける。発音が悪いとか、そんな些細ささいなことを指摘されている、だといいのだけれど。
 首をかしげた私に、セトが「嫌みも通じねぇのか」あきれて吐息した。
 私を無視することにしたのか、目の前の機械に話しかけ始める。食事をつくるらしい機械。これが稼働されるのを見るのは初めてだ。ちょっと、いや、けっこう気になる。

 セトとの距離を詰めて、背後からそろっとのぞいてみた。たくましい体躯たいくに隠れてあまり見えないが、電子オーブンのような形の機械。表面は中がうっすら見える仕様だが、さらにディスプレイになっているのかメニューの映像も右上に出ている。見る感じ、カレーライスのような。

 眺めていた画面がスライドして、中からプラスチックのような薄っぺらい皿が出てきた。よく知るカレーとは違う気はするが、香辛料の混ざった独特の香りがただよう。美味しそう。

「…………何見てんだよ」

 肩越しにセトの顔が振り返った。ジロリとにらむように見下ろされる。

「やらねぇからな。食べたきゃ自分で作れよ」

 機嫌が悪いのか、昨日よりも当たりが強い。鋭い眼光にひるんで反射的に身がすくむ。

「なんだよ。ったく、なんでお前はすぐそういう顔を……」

 体ごと振り向きながら何かを言いかけて、しかし言葉がとぎれた。セトの目が、私の首許くびもとにとまる。

「お前それ、なんかはだけて……あぁ、そういや自分で着られねぇんだったか?」

 急に伸びてきた腕が、ぐっと私の肩をつかんだ。引き寄せられる。バランスを崩しかけたこちらに構うことなく、セトは反対の手で私の長い髪を無造作にどけると、まるで抱きしめるような形で私の背を確認した。

「ティアにやってもらわなかったのかよ。……それともあれか、ヤるのに夢中で裸で寝ちまったか?」

 悪意のある言い方をされた気がする。私のほどけた背を見て、自分で着られないことを馬鹿にしているのだとしたら、すこし理不尽だ。これをくれたのは彼なのに。もっと着やすい服をくれたら、私だって着衣できる。

『……もしよければ、結んでもらってもいいですか?』

 脳裏をかすめた不満をかき消して、意味もなく敬語でお願いしながら、セトを見上げた。とうぜん言葉だけでは伝わらない気がするので、指で背中を示す。

「あ? 結べってか?」

 金の眼が、不満そう。頼むべきじゃなかったと後悔しかけたが、肩を掴んでいた手に力が入ったかと思うと、ぐるっと後ろ向きにされた。彼は力任せな人だと思う。転ばないよう、カップボードのトップにあしらわれた大理石(違うかも。傷ひとつないくらい丈夫な素材だ)に見える板に片手をついて、自分の体を支えた。

「邪魔だ」

 背に落ちていた髪を前に払われる。あらわになった背中がすーすーして落ち着かない。腰にぐっと圧がかかったので、断られたのではないらしい。緩んでいたひもを、下から順に締めてくれている。

「……めんどくせぇな」

 今のつぶやきは想像がついた。面倒だと言っているに違いない。彼自身あきれているのに、なぜこの服を選んだのだろう。たまたま見つけたのが、この複雑な服だったのだろうか。

 きゅっと、ひもを引かれるたびに、背筋が伸びる。きつく締めすぎているような。でもそんな意見を言えるほどの強い心はない。半分ほど進んだところで、「もうよくねぇか」すごく投げやりな声が聞こえた。

 セトの手が止まる。終わったわけないと思うのだが、放棄されたのだろうか。
 様子を見るために振り返ろうとして、首の根を後ろから掴まれた。まるで動物を捕らえるみたいに。
 びっくりして振り向こうとしたが、押さえられているせいで動けない。力が掛かる。ちょうど胸下くらいの高さのカップボードに押しつけられ、前のめりになった私の肩に、セトがいきなりみ付いた。

『っ……』

 鋭い痛みに、全身がこわばる。カップボードの上で、何も頼るものがなく空を掴むように手を握った。うなじにあったセトの手が離れ、握りしめた私の右手首に絡まったかと思うと、きつく押さえられる。

「……れるか。暇だしな」

 咬み付いていた歯が離れたかと思うと、首筋の肌をめられた。何かささやいた気がするが分からない。混乱する頭には入ってこない。セトの左手がするりとスカートの裾から滑り込んで、ためらいなく私の下着を下ろした。
 悲鳴をあげるよりも早く、セトの指が無遠慮に——

《——トレイの取り忘れがあります。確認してください》

 突如、妙にかっちりとした発音の声が響いた。
 ピタリと。セトの動きが止まる。

「あー……そういやメシ……」

 耳許でセトの唇が気の抜けたような声を出した。私を拘束していた手が外れる。振り返ると、セトが先ほどのカレーのような皿に手を伸ばしていた。
 皿を手にしてから、茫然ぼうぜんとした顔の私に気づき、眉根を寄せたまま沈黙する。
 しばらく黙って、何やらとても気まずそうな表情を一瞬だけ浮かべ、けれどもすぐさま怒ったように舌打ちし、

「作ってやろうか。お前も食べたいんだろ」

 最終的にやけっぱちな態度で、機械を指さしたのだった。
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