【完結】致死量の愛を飲みほして【続編完結】

藤香いつき

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Chap.3 鏡の国の

Chap.3 Sec.8

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 握っている手首の細さを思い出して、セトはついりきんでしまっていた手を緩めた。シャワー室までの短いあいだ、ウサギは痛みを訴えるそぶりはなかったが、離した手首にはうっすらと指の跡が浮かんでいた。その跡はすぐに消え、そっと安堵あんどする。

「服はさっきのでいいな?」

 無断で使用されていた黒のトップスを改めて取り出し、手渡す。ウサギはきょとんとした目でその服を眺め、どうしてまた着替えなければいけないのだろうという顔で見上げた。

「その服、邪魔くせぇしよ。俺だったら破いちまいそうだし……イシャンが破くとは限らねぇけど。——とにかく、お前は破かれたくねぇんだろ。ならさっさと後ろ向け」

 矢継ぎ早に言い切ってウサギの背中に手を伸ばし、リボンをほどいた。戸惑う彼女は首だけでセトを振り返るが、「やりづれぇ。前向いてろ」強制的に頭を前向きに固定されて大人しくなった。
 長い髪を肩から前に払い、編み込まれたリボンをひとつひとつ緩めていく。白いうなじに目がいったが、昼間のような苛立いらだちまぎれの劣情をいだくことはなかった。何故か。その理由を考えたくはない。あまりにも馬鹿らしい答えを、認めたくない。

「……チッ。まじでこれ面倒くせぇな」

 思考を止めるために適当な文句を口にすると、「……ゴメンナサイ」そんなことだけ伝わるのかウサギが小さく謝った。

「そうやってすぐ謝るな。お前は悪くねぇだろ。大体な、俺が持ってきた服なんだから、お前が謝るのはおかしいんだよ。つっても俺は、自分が悪いと思ってねぇから謝らねぇぞ」
「…………ゴメン、ナサイ」
「だから謝るなっ」

 つい大きくなった声に、頼りない肩がびくりと震えた。しまった。そう思ったが、ここで謝るのはしゃくなので、取りつくろうように声量だけ下げてごまかす。

「だからな……その、あれだ。ごめんなさいは……やめろ。簡単に謝るのは……よくねぇだろ」
「………………」
「……分かったか?」
「…………せとは、ゴメンナサイ、キライ?」
「嫌いっつぅか……お前に怒ってもねぇのに、言わなくていい」
「……せと、は、おこってナイ?」
「そう、怒ってねぇんだよ。いつも怒ってるように見えるのか知んねぇけど……ほとんど怒ってねぇよ」
「……ホトンド?」
「怒ってねぇってことだよ」
「…………セト、は、おこってナイ」
「ああ」

 リボンがほどけた背をポンっとたたくと、そろりと振り返る目が、うかがうようにこちらを見上げた。

「……なんだよ」
「……アリガトウ、スキ?」
「……そっちは悪くねぇな」
「ワルクナイ? …………スキじゃナイ? キライじゃナイ?」
「あー……いや、今のはどっちかっつぅと好きってほうか?」

 真剣な顔で考えている彼女に、いま自分たちは何について話しているのかと、セトも訳が分からなくなってくる。

「まぁ……ありがとうは、好きだ」

 なんだこの言い回しは。自分で自分に突っこむ。
 しかし、ほっとしたように表情を緩めた顔が、いつもの泣くようなおびえたものではなかったから、

「せと、アリガトウ」
「……ん」

 聞くたびに居心地わるい感じがする言葉を、素直に受け取っておくとした。

「ほら、早く着替えちまえよ」

 ウサギの手にあった服を顎でしゃくってやると、3秒ほど考える間があってからシャワー室へと入っていった。ついでに自分のシャワーの用意もする。といっても着替えの服を確認するくらいで、すぐに手持ち無沙汰になった。セトはモーターハウスで生活しているあいだ、睡眠時も外出時も変化のないしっかりした服を着ている。非常事態に備えてだが、今のところモーターハウスは襲撃を受けていない。しかし、警戒していて損はない。おそらくイシャンも同じ考えだろう。彼も常に武装している。

 各自の洋服や小物をおさめた棚に寄り掛かっていると、シャワー室のドアがスライドした。自身の黒い上衣だけ身に着けたウサギの姿に、正直なところ、それはどうなのかと言ってやりたい。無防備にさらされた脚が誘っているようにも見える。なんのために洋服を探してきたのだったか。

「お前さ、……それ、下も穿くか?」
「…………シタ?」
「ボトムス。俺のでいいなら」

 棚の中からジーンズを取り出してみせると、ウサギは曖昧あいまいにうなずいた。考えていることは分かる。

「サイズ合わねぇか。そうだよな」

 互いに分かってはいるが、試しにウサギの腰回りに合わせてみる。ウエストのサイズがどう頑張っても足りない。もちろん、最初から予測はついていた。

「明後日までの辛抱だな……」
「……シンボウ?」
「ハウスに帰ればお前サイズの服もあるし、作ることもできる」
「……ツクル?」
「……その、言葉が通じねぇの、帰ったらなんとかなんねぇかな」

 ため息をつくと、ウサギが困った顔で首をかしげた。いまだに信じられないが、まったく共通語が分からないらしい。どこでどう育てば共通語に触れずに生きてこられるのか。

「つか、仲間とはどうやってコミュニケーション取ってたんだ? みんなお前と一緒の言語だったのかよ?」
「………………?」
「いや、いい。なんでもねぇ」

 理解させるのに苦労しそうなので追求しないことにした。サクラから仲間に追い出されたと聞いたが、共通語を話せないことが要因なのかも知れない。言葉がなければ誤解も生じやすいだろう。

「帰ったら、なんとかしてやるよ。……ロキに、頼んでやってもいい」

 とは言ってみたが、あの自分勝手なやつが他人のために翻訳機を作る蓋然性がいぜんせいは低い。サクラが言えば聞くだろうが、サクラが頼むほうは更に低い。AIに彼女の言語を学習させるにしても時間がかかりそうだ。なんとかしてやるとは実に無責任な発言であった。
 思考を止めてウサギを見ると、まだ困った顔をしていた。

「……カエル。……はうす、カエル……アサッテ」
「おお、分かってんじゃねぇか」
「……ろき?」
「それは仲間の名前な。ハウスにあと4人いるんだよ。ロキ、ハオロン、アリア、メルウィン」
「……ろき、はおろん。……ありあ、めるいん?」
「メルウィン」
「めるうぃん」
「そう」
「…………よ、にん」
「あと4人。俺ら含めてハウスには今8人住んでる」
「はち、にん」

 数字を認識していないようなので、両の拳を顔の前に出し、

「こっちが……俺、サクラさん、イシャン、ティア」

 名前を言いながら、右手の指を1本ずつ立てていく。

「で、ハウスにいるのが……ロキ、ハオロン、アリア、メルウィン……計8人。分かったか?」
「はちにん……」

 左手の指も同様に4つ立てると、数を理解した彼女の顔がこわばった。頬から血の気が引いていく。

「……どうした?」

 下を向いた彼女の顔をのぞき込むと、黒眼がうっすら濡れていた。

「は? ……お、おいっ……なんだよ、どうした?」

 尋ねるが、彼女は首を振るだけで何も答えない。涙のたまった瞳でじっと床を見つめている。何か泣かせるようなことを言っただろうか。言動を振り返ってみても思い当たらない。
 途方に暮れて「どこか……痛いのか?」見当違いだとは思いながらも体調を案じて、その肩に手を乗せようとした。そして、そこで、やっと気づく。その肩は何かに怯えるように小さく震えていた。今まで怯えさせることは多々あったが、今回においては誓って何もやっていない。

「……お前、もしかして……ハウスに帰るのが嫌なのか?」

 深く考えずに問いかけてから、自分が口にしたセリフを反芻はんすうする。何故そう思ったのか。彼女が動揺したのは、ハウスの仲間の話をしたからだ。その意味は何か。なぜ、仲間の話を聞いて怯える必要があるのか。

「……俺の言ってる意味、分かるか? ……ハウスに、帰りたくない? ……ハウスが、嫌いか?」

 伝わりそうな単語を探して言い回しを変えながらその顔を見つめていると、床から離れた彼女の眼がこちらを向いた。訴えるような、だが諦めたようなまなざし。わずかに見える非難にも似た色。重なる視線の奥に見えた感情を、ふいに理解した。

「…………俺らが、嫌いか」

 問い掛けではなかった。確信を帯びた答えを、彼女は否定することなく、逃げるように目を伏せた。

「……ゴメン、ナサイ」

 それはなんの謝罪だ、と。問い詰めてやりたい苛立ちと、なんで嫌いなんだと素直に訊きたい気持ちが混ざって、何も言葉が出ない。サクラが極端に冷たいのは仕方ないが、少なくともティアや自分は彼女に対して配慮しているほうだと思っていたからこそ、納得がいかない。知らない他人を助けて仲間に入れてやったのに、嫌われるいわれがあるのか。

「……お前に嫌われようが……どうでもいいけどよ、」

 胸の内で渦巻き始める怒りを抑え込みながら、最低限の声量で言葉を繋いでいく。

「そんなに嫌なら……出てけよ。誰も止めやしねぇ。俺らだって……俺だって、お前なんか……」

 その、先を。
 何も言えずに、言葉を切った。
 彼女が何か言いたげに唇を開いたが、聞く気はない。そのままきびすを返して、寝室へのドアを開けた。

「……セト?」

 ドアのすぐ前にいたイシャンと顔を合わせた。たった今ドアを開けるところだったのだろう。
 先ほどまでの彼女とのやりとりを意識から追い出し、

「どうした?」
「……もう、用は済んだかと……連れて行っても、支障は無いだろうか?」
「あぁ、ウサギか。好きにしろよ」

 横を通り抜けてリビングに向かおうとすると、イシャンに名を呼ばれて引き止められた。半身だけ振り向く。

「なんだ?」
「……シャワーは、浴びないのか?」
「後でいい」
「……そうか」

 もう質問は無いようだったので、イシャンを残してリビングの方へと足を進めた。

 意識から追い出したはずだが、執拗しつように頭に浮かぶのは彼女の泣き顔だった。最初に会ったときなのか行為の最中なのか、今や区別がつかないが、脳裏に焼き付いたままのその映像が不愉快で仕方ない。あれがなければ。あの顔を、知らなければ。

——俺らが、嫌いか。

 自分で吐いた言葉に、これほどさいなまれることもなかっただろうに。
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