【完結】致死量の愛を飲みほして【続編完結】

藤香いつき

文字の大きさ
36 / 228
Chap.4 うさぎを追いかけて

Chap.4 Sec.2

しおりを挟む


 珈琲の熱が、かたく凍りついていた全身にじわりじわりと染みていく。こわばっていた四肢がゆるみ、ぎこちなくとも正常な機能を取り戻そうとしていた。身体をほぐすその温かさに、またしても涙が湧きあふれそうだったので、まばたきを繰り返して抑えこむ。涙をこぼしても何にもならない。——分かっている。

「……なぁ、」

 テーブルに視線を合わせたまま茫然ぼうぜんとしていた私に、セトの声が掛かった。顔を上げると、明るい蜂蜜色の眼がこちらを見ている。

メシは?」
「……ゴハン?」
「食べねぇか? ……作ってやっても、いいけど」

 食事についてかれているようだった。朝食を食べるかどうかなのだろうと推測できたが、昨日のセトが用意してくれたカレーを思い出して胃が苦しくなった。食べ物を口に入れる気力がない。珈琲すら弱った胃には辛い気がしたが、温もりがなぐさめになったので飲めたのだと思う。

 返答に迷っていると、セトのほうはそんな私を見て、「俺の言ってる意味、分かんねぇか?」考えるように眉間を狭めてから立ち上がり、黙ってキッチンへと行ってしまった。

 怒らせたのだろうか。足下が抜けるような不安に駆られ、カップのかすかな熱に、両手でぎゅっとすがった。昨夜の凌辱りょうじょくによって植え付けられた恐怖が、絶えず胸を締めつけている。自分の身体を乱暴に扱われることが、こんなにも心を削るなんて知らなかった。私はこれからも、こんなことをしていかなければいけないのだろうか。……できるのだろうか。

 カップを握ったまま、目だけでそっと外へのドアを確認した。外へと出るためのドアは、いつも鍵が掛かっている。本当にロックされているのかどうかは確かめていないが、シャワールームと同じ小さな錠前のマークが閉じられ、緑に点灯している。構造上は内部から開けられないわけがないと思うが、彼らの様子を見ていると何かの認証システムで解錠しているらしかった。セトが壁のような平坦へいたんなドアへてのひらをかざし、アンロックのマークが点灯してからドアが自動で開くのを一度見ている。ティアには、私では開けられないというようなジェスチャーをされたが、まだ試していない。逃げられないと、確定したわけではない。

 ……試してみようか。しかし、もし開かなかった場合に警報などが鳴ってしまっては意味がない。もとより、彼らにとって私など逃げようがいなくなろうが関係ないだろうか。身体しか使えない、いくらでも代わりがきく私なんて。——それならば、

「ほらよ」

 いきなり目の前に現れた物体に、びくりと肩が跳ねた。はっとして横に立つセトを振り仰ぐ。過剰に反応してしまった私に、セトも驚いているようだった。きまりが悪そうに向かいの席へと戻る。

「……おととい、美味うまいって言ってたろ。食べられるもんだけ食えよ」

 早口に言って、私にフォークを手渡した。
 テーブルに置かれたのは、一昨日に見たワンプレートの朝食だった。今回はふたり分のプレートが、私とセトの前にひとつずつ置かれている。メニューは同じ。違うのは、私のプレートのパンはひとつ、セトのほうはパンが7つあるくらい。

「……あ、アリガトウ」

 予想していなかったのもあって、ほうけたような感謝が口から落ちた。セトはそんな私に一瞥をくれたが、応えることなく食事を始めた。
 どうするか迷ったが、とりあえず小さく合掌していただきますを唱えてから、桃に似た果物へとフォークを刺した。口に含むと、みずみずしい甘さにほんのすこし心が癒されたように錯覚した。

 食べられないと思ったのに、ひとくち胃に入れただけで、ゆっくりではあるが他も受け入れることができた。そういえば昨日の夕食はほとんど食べていない。ひどい思いをしたのに、図太い神経をしていると心の中だけでわらった。昨夜は眠れず、死にたいとまで思ったのに。結局こうして生きることに執着している私はなんなのだろう。

 ふがいない自分には目をつぶる。今は食べることだけに集中しておきたい。考えても辛く仕方のないことに頭を使うくらいなら、栄養を摂っているほうが身になる。昨夜を思い出そうとする頭を空っぽにしたくて、ただ黙々と食事を進めた。

「意外と食ったな」

 プレートの上の物を食べきったところ、私よりも早く食べ終わっていたセトが何かつぶやいた。機嫌が良さそうだったので文句ではないと思う。セトは自分のプレートを手に席を立ち、私の方へと手を伸ばした。反射的に目の前のプレートを押さえ、

「これは、わたし……」
「ついでだろ」

 ひったくられそうだったので、思いきって自分の方へと引き寄せた。セトの片眉が上がる。

「は?」

 急に怒ったような声を出されて、ひるむ。見下ろされているせいか迫力が増して怖い。プレートから手を離した。遠慮して自分で持って行こうと思ったことを後悔する。彼が動くよりも先に立ち上がっておけばよかった。いやしかし、セトは私が食べ終わったのと同じタイミングで席を立ったわけで。……もしかすると、私が食べ終えるのを待っていてくれたのだろうか。

「……アリガトウ」

 こんなとき、これしかない。〈ありがとう〉と〈ごめんなさい〉ばかり言っている。そんなことを思いセトを見ると、彼は何故か怖い顔で私のプレート辺りを見ていた。

「……なんだそれ」
「…………?」
「それ、腕、ちょっと見せてみろ」

 セトは手にしていた自分のプレートを置くと、私の手を取った。左手首をセトの方へと引き寄せ、袖をひじまでめくり上げる。鬱血うっけつしたような、赤紫色のへびがまとわり付いたようなあざが、白々とした光の下に現れた。自分でも気づいていなかった拘束の痕に衝撃を受け、とっさにセトの手を振り払う。袖を引き下ろして痕を覆うと、金の眼が鋭くなった。

「なに隠してんだ?  怪我けがならてやるから、出せよ」

 また手首を掴まれそうになったので、腕を胸の前に寄せて身を縮めた。

「なんで抵抗してんだよ。別に痛いことしねぇって。ほら貸せ」

 セトが何をしたいのか分からない。わざわざこんなみにくい痣を見たいとも思えないが、なぜか強引に手を引っ張ろうとしてくるので、首を振って触らないでと訴えた。

「いやっ……せと、いやっ」
「お前これ、反対の腕にもねぇか?」

 私の必死なNOは届いていないのか。セトは私の意思を無視し、両手首を掴んでめくれかけた袖の中を上からのぞいてくる。ひとの話を聞かずに強い力で手を掴む姿に、出会ったときが思い出された。基本的に荒っぽいひとなのだ。〈痛い〉と〈やめてほしい〉という言葉を、ティアから教わっておかなくてはいけなかった。

「せとっ……せと!」
「だから抵抗すんなって」

 名前を呼んでも力をゆるめてくれない。皮膚に指先が食い込み、骨が締められる痛みに涙が浮かぶ。押し込めていた恐怖が一気にふくれあがり、眼の奥からしずくとなってこぼれ落ちた。

「はっ? おいまて、なんで泣くんだ!」

 セトが焦ったように何か言ったが、もう止まらない。決壊した涙腺からぽろぽろと感情があふれていく。
 ——いたい、こわい、もうゆるして。
 昨夜ずっと願っていた思いが頭のなかで反響し、止めどなく流れていく。

 誰も助けてくれないのは分かっている。分かっているのに、願ってしまう。——誰か助けて。この悪夢を終わらせて。
 そんな叶わない願いを、小さな子供のようにわめいてしまいたかった。
しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

橘若頭と怖がり姫

真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。 その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。 高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

籠の鳥〜見えない鎖に囚われて✿❦二人の愛から…逃れられない。

クラゲ散歩
恋愛
私。ユリアナ=オリーブ(17)は、自然豊かなオータム国にあるグローパー学院に在籍している。 3年生になって一ヶ月が経ったある日。学院長に呼ばれた。技術と魔術の発展しているフォール国にある。姉妹校のカイト学院に。同じクラスで3年生の男子3名と女子3名(私を含め)。計6名で、半年の交換留学をする事になった。 ユリアナは、気楽な気持ちで留学をしたのだが…まさか学院で…あの二人に会うなんて。これは…仕組まれていたの?幼い頃の記憶。 「早く。早く。逃げなきゃ。誰か〜私を…ここから…。」

処理中です...