【完結】致死量の愛を飲みほして【続編完結】

藤香いつき

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Chap.4 うさぎを追いかけて

Chap.4 Sec.5

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 想定外のことが起こると、ティアは他人よりも動揺しやすい。つねづね相手の思考を先回りして行動を予測し、パターン化する傾向があるせいだと思う。意識的に仲間にはやらないよう心掛けてはいるが、他人が加わったことでここ数日わりとがっつり観察していた事実は認める。
 そんな数日の観察もあって、まさかこんな事態が起こるはずもないと……思っていたのだけれど。

「……えっ? うそでしょ?」

 昼をかなり過ぎた時間、のんびりとリビングへ姿を見せたティアを待っていたのは、彼女がいなくなったという信じられない事実だった。待機していたイシャンが事もなげにそれを報告し、処理しきれず最初は「へ~」と無意味な感嘆詞を返して呑気のんきにソファへと腰を下ろしていた。
 座って数回まばたきをしてから、ようやくシナプスが働き先ほどのセリフが出たのだが、運転席から立ち上がったイシャンはえらく冷静に、

「……嘘ではない」
「……え? ほんとに? ……え? セト君と出かけてるとかじゃなくて?」
「私が……嘘を言っているように見えるのだろうか」
「見えない。や、見えないけど……えっ? ほんとに?」
「……本当だ」
「うそ……ほんとに? ……ほんとにいなくなったの?」
「………………」

 さすがにイシャンから無言の訴えがあった。確認がしつこい。自分でも思うが、信じきれていない。

「ごめんね? でもちょっと……びっくりしちゃって。いなくなったって……え、つまり逃げたってこと?」
「……そうなる」
「なんで? どうやって? イシャン君いたんだよね? 鍵は? アリスちゃんじゃ開けられないよね?」

 湧きあがる疑問を矢継ぎ早にぶつけると、イシャンが少し目を伏せた。

「……セトを見送ったときに、私が鍵を掛け忘れたのだと思う。そのまま朝食をとろうとキッチンへ……戻ってきたときには、もういなかった」
「……鍵を掛け忘れた? イシャン君が?」

 ティアの目が、疑念に染まる。詰問のような響きをしたその声に、イシャンは一切動じることなくティアを見返した。

「……申し訳ないと、思っている。……だが……逃げたとしても、追う必要はないと……サクラさんに言われている」

 冷淡な瞳からは、感情が読めない。仲間うちでは、イシャンの心がサクラに次いで読みにくい。感情を表に出さないよう、幼少期に特殊な教育を受けていると思われる。こちらも本気を出して真っ向からその頭の中に踏み入ってやろうかと、一瞬でも思った自分に嫌悪が浮かんだ。

「…………このこと、セト君は知ってるの」
「……いいや、伝えていない」
「サクラさんには?」
「……ブレス端末のほうへ連絡した。……眠っているだろうから、確認しているかは……分からない」

 深いため息が出た。セトではなくイシャンが関与するパターンを予測していなかったなんて不覚だが、あっさりと逃げてしまった彼女に対して失望する気持ちもあった。セトではないが、自分なりに優しくしていたつもりだったのにな、と。彼女からすれば、そんなの知ったことではないかもしれないが。

「……セト君に、言ったほうがよくない?」
「……何故、伝える必要がある?」
「だって……アリスちゃんは、セト君が拾ってきたんだし」
「追う必要がないなら……今、伝達する必要も、ないと思うが」
「……なんで? 別に伝えたっていいよね。イシャン君が面倒なら、僕が連絡するよ」

 話し合っていてもらちがあかない。ソファから腰を上げて運転席へと向かおうとしたが、すれ違いざまイシャンに肩を押さえられた。

「……なに?」
「……連絡をする必要は、ない」
「それはイシャン君の判断でしょ? 僕が連絡したいんだからさ。離してよ」
「……今連絡すれば、セトが捜しに行くかも知れない」
「そうだね。そのつもりで連絡するからね、僕は」
「……サクラさんの指示に、逆らうことになる」
「アリスちゃんを連れて帰るって、僕はそれしか聞いてないよ」
「……サクラさんに、セトが直接確認しているのを、私は聞いた。……逃げても追わなくていいのかと。サクラさんは、要らないと答えていた。セトが故意に逃がした場合のみ、処罰を示唆しさしていただけで……今の状況なら、このまま放置しても問題ないはずだ」

 ティアの口唇が、ゆるやかに曲がる。

「今日はよくしゃべるね? ……そんなにアリスちゃんを連れて帰りたくないのかな?」
「……連れて帰りたいとは、最初から思っていない」
「意見を主張するのはいいけどさ……それこそ、サクラさんに逆らってるよね?」
「…………連れて帰れば、問題が起こる」
「どんな? ……まさかイシャン君まで、アリスちゃんはスパイだとか、言い出さないよね?」

 くすりと笑って、背の高いイシャンの目をのぞきこんだ。彼の目は真剣に何かを危惧している。

「……セトは、あの人間に肩入れしすぎだ。……あの人間のことで、サクラさんにまで……反抗する素振りをみせた」
「へぇ……それは僕も見たかったな。セト君でも、サクラさんに逆らったりするんだ」
「私は……真面目に話しているのだが……」
「僕だって真面目だよ。……めずらしくね」

 互いに色の違う眼が、見合っている。片方はほほえみながら、もう一方は厳しい表情を浮かべて。双方ゆずる気はないが、力で争えばイシャンに分があるのは明白だった。ティアとしても、どうすべきか考えあぐねている。
 いっそサクラを起こそうか。そうすれば、サクラの彼女に対する真意も分かるかもしれない。……ただ、寝起きのサクラほど怖いものもない。

「………………」
「………………」

 視線をずらすことなく、無意味な時間だけが過ぎていく。しかし、状況の打開は思わぬとこから起こった。
 ふたりの横にあったドアが、なめらかに割れて、

「…………何やってんだ? お前ら」

 くだんの人物である、セトがいた。
 イシャンがティアの肩を離し、セトの方へと振り向く。

「セト……早いな」
「ん? ……あぁ、まぁな。サクラさんに、深追いしないよう注意受けたからよ。ざっくり回って記録しただけだ」
「……そうか」
「ウサギは? ……寝てるのか?」

 中に乗り込みながら、セトはリビングをぐるりと見回し、ふたりに視線を戻した。
 ティアはイシャンに流し目を送り、どう告げるのか見ている。イシャンは黙ってセトを見返すだけで、何も話さなかった。

「なんだよ。どうした?」

 大きく息を吐いて、ティアはイシャンの代わりに口を開いた。

「逃げちゃったって」
「…………は?」
「アリスちゃん。イシャン君が目を離したすきに、鍵が開きっぱなしになってたドアから、出てっちゃったんだって……ね、イシャン君」
「……ああ」

 セトの眉間に、ぐっと深いしわが刻まれる。金の眼に映るのは、意外にも怒りではなかった。ティアの予想よりはずっと落ち着いている。

「……いつだ?」
「え?」
「いつ出てったのかって、訊いてんだよ」
「さぁ? 僕は今さっき起きたし。いつ出てったの? イシャン君」
「……セトが、出かけた直後だ」
「なんだそれ。もっと早く報告してこいよ!」
「……報告は、不要だと判断した」
「ああ? 何言ってんだ、要るに決まってんだろ!」

 怒鳴り声とまではいかないが、それなりに迫力のある声でイシャンをにらみつけたセトは、脱いだはずの靴を再び手に取った。ティアは当然のなりゆきに「あ~あ。余計なリスクが増えちゃったね?」イシャンにだけ聞こえる吐息のような声で嫌みをこぼした。イシャンはそんなティアには応えず、

「待て、セト! 追う必要はないと、サクラさんが言っただろう!」

 切羽詰まったような声でセトを呼び止めた。ティアは彼がここまで感情を出しているのを初めて見る。開いたドアから飛び降りたセトは、上半身だけで振り向いた。

「逃げてねぇよ! ……気分転換に出て、帰れなくなっちまっただけかも知んねぇだろ!」
「馬鹿なことを言うな! 他人のために自分を危険にさらす必要はない。サクラさんに追い出されたいのか!」
「はぁっ!? ふざけんな! 他人じゃねぇよ! サクラさんが連れて帰るって言ったんだからな! あいつが俺らを嫌おうがお前がどう思おうが、あいつはもう仲間なんだよ!!」

 場にそぐわず、ティアは笑ってしまった。
 イシャンはもう、何も言い返せない。

「とにかく! ウサギは散歩に出て迷子になったとでも言っとけ! サクラさんに! 分かったな!」

 一方的に言い切ったセトは、イシャンから視線をはずして地面を見下ろす。足跡そくせきを確認して行き先を読んだのか、そのまま振り返ることなく疾風のように走っていってしまった。喉からあふれる愉悦を抑えきれずに、ひとしきりクスクスと笑ってから、立ち尽くしているイシャンの肩へとなぐさめるように手を乗せた。

「サクラさんを盾に、うまいことヘリクツこねられちゃったね?」
「………………」
「ま、心配しなくても、セト君なら平気でしょ。……僕たちはさ、もう子供じゃないんだから。何かあっても自己責任、ってね。イシャン君が気に病まなくても」
「……貴方とは今、話したくない」
「そう? それは残念」

 肩に乗せた手を払われ、微笑したまま両肩を上げる。そんなふざけたティアを、イシャンは刹那せつな、横目で射ぬいた。
 ティアは、黒曜石の眼に映る激しいほのおを見た気がした。彼が仲間内で、ティアだけ強く警戒していることを知っている。イシャンにとってはティアもまた、彼女と同じ他人なのだろう。

 イシャンはティアから離れて寝室へと消えていった。サクラを起こして、セトによる彼女の追跡を直接報告するつもりか。サクラの眠りが深く、機嫌の悪い状態に当たればいいのに、と。意地悪なことを期待してしまった。サクラがこの後どう対応するのか知らないが、イシャンの思いとは真逆の結末をむかえる予感がしている。

 それにしても、

——他人じゃねぇよ! サクラさんが連れて帰るって言ったんだからな! あいつが俺らを嫌おうがお前がどう思おうが、あいつはもう仲間なんだよ!!

 セトの壮快なセリフを反芻はんすうし、胸中だけでひとりつぶやく。

(アリスちゃんに嫌われてるの、そうとう根にもってるね……?)

 残されたリビングで苦笑していたティアは、ふと寝起きで何も食べていないことを思い出し、牛乳たっぷりのミルクティーを淹れようと思いついた。
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