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Chap.4 うさぎを追いかけて
Chap.4 Sec.9
しおりを挟む——衝撃は、耳をつんざくような音とともに訪れた。
何かが割れるような激しい音と、すぐそばの床に重いものが落下した振動を感じた。頭上から砂利のような物が降りかかり、はっとして目を開けると、
「——何してんだお前は!」
心臓が飛び跳ねるほどの怒号が、鼓膜を殴った。思わずびくりと震えて、声の先のその姿を見上げ、
「……せ、と……?」
真っ赤な世界のなかで、ひどく気の抜けた声が、こぼれ落ちた。
「なんだこの状況はっ! 何したらこんなふざけた事になんだよ!」
突如現れた彼は怒鳴り声をまき散らしながら、出入り口から入ろうとしていた化け物の胴体を蹴り飛ばした。後ろにいた何匹かも倒れこむ。その隙に、セトは私の方へと駆け寄り、
「お前こんな狭い部屋に閉じこもりやがって! 感染したいのか!」
「……ご、ゴメンナサ」
「ばか! 喋るな!」
状況を把握しきれずにパチパチとまばたきをして謝罪しかけた私の口に、ハンカチのような布が突っ込まれた。
「それで鼻と口ふさいどけ!」
早口で聞き取りづらいが、鼻と口を意味する単語。
そのまま出入り口へと戻ったセトは、足許に這い寄っていた化け物を蹴り上げ、新たに来ていた他の化け物も足蹴にしていく。布をくわえたまま動けずにいる私を首だけで振り返り、「鼻と口を塞げっつってんだろ!」自身のその2点を指さして隠すようにジェスチャーした。鼻と口を布で覆えということなのか。訳も分からず布をあてがうと、清涼な香りが鼻にぬけた。ガーゼみたいな布には、特殊な液体が染み込んでいるようだった。
「くそっ、どうすんだこれ!」
罵声をあげるセトは次から次へと化け物を蹴飛ばしていくけれど、効果がないのか敵は動きを止めるようすがない。初めて会ったときは頭を突き刺したら死んだように倒れたが……今、彼が右手に持っている槍のような武器を使わないのは何故なのか。というか、今ここにいるのは本当にセトなのか。ひょっとすると私はもうかじられていて、死にかけの脳が都合のよい夢でも見せてくれているのだろうか。
考えていると、さわ、と風を感じた。どこから吹いたのかとたどって頭上を仰ぐ。嵌め殺しのはずの窓が割れて、壁ぎわに破片が落ちていた。細かい破片は私の肩にも降り掛かっている。
まさかあそこから、槍を使って棒高跳びのように跳び込んで来た、なんてことは……。
「駄目だキリねぇっ……おいウサギ!」
馬鹿みたいにぼうっと窓枠を見上げていた私を、セトが振り返った。名前を呼ばれたのに反応して見返すと、こちらにまた素早く近寄り、
「撃つから目ぇ閉じとけ。いやもう覆っとけ!」
布を押さえる手を掴まれ、強制的に顔全体を隠させられた。
「いいか、そのまま、何があっても動くなよ」
ぐっと頭と手を押さえられ、念押しされた。聞いたことのあるセリフだった。じっとしていろ、そんな感じのニュアンスで。
——パシュッ、パシュッ、パシュッ。
回らない思考のもと、されるがままに布で顔を隠していると、空気を裂くような軽い破裂音がいくつも連続して聞こえた。銃声にしては迫力のない(生の銃声なんて聞いたことあったのかどうか)、しかしそれは何度も何度も執拗に鳴り続き、化け物が倒れるような、壁にぶつかるような音も、ときおり混ざった。
破裂音が、いったん止まる。近くにいたセトの気配がなくなり、今度は少し遠い所から破裂音と重い打撃音のようなものが響いた。
——夢では、ない。目が醒めるような清涼な香りに包まれながら聞く音は、ひどく生々しい。あの大量の化け物を、セトひとりで倒しているのか。そんなこと、できるのか。
そもそも、なぜセトがここにいるのか。車からもう随分と離れたはずで、仮にサイレンが外に聞こえたとしても、彼らのいた場所まで届くはずない。届いたところで、こんなに早く駆けつけられるわけもない。わざわざ探しにくる必要だって、ないはずで。
(——嘘だ)
頭の中で、否定する。自分の中に浮かんだありえない可能性に、胸を突かれたかのようなショックを覚えた。全身を貫く戦慄に、涙が浮かびそうになる。
そんなはずない。彼らにとって私はそこまでの存在じゃない。そんな必要は絶対にない。逃げ出した私を——助けに来てくれた、なんて……そんなこと——
…………——音が、止んだ。
戸惑いから集中していなかった私は、その瞬間に気づかなかった。
いつのまにか、破裂音も、衝撃音も、何も聞こえない。
耳が痛くなるような、吐息さえもためらわれるような静寂が、辺りに広がっていた。
しんと静まりかえったなか、目を閉じて座り込んでいる私は、自分がどこにいるのか分からないような、不安な気持ちに囚われた。
やはり夢だったのではないか。でもそれなら、どこからが夢でどこまでが現実なのか。
セトに渡された布で顔を覆ったまま、じっと。ただじっと、耳を澄ませて息をひそめていた。
すると、かたん、と。
音が聞こえ、動く気配が分かった。それは私のいる部屋に向けて、迷うことなく歩いてくる。
「………………」
出入り口にたどり着いたその気配から、ふっと吐息のような音がもれた。出入り口で止まったそれは、カチッと物音をたてて動いている。その硬質な音の後に、シューっとスプレーを振りかけるような空気音が聞こえた。
私はまだ、動けずにいる。
がさごそと物を触る音を響かせてから、その気配はようやく、足を進めた。
やわらかな足音とともにすぐ目の前までやってくると、片膝をついて屈みこんだように近くなった気配が、私の腕を掴んで、
「もういい。……ほら、外せよ」
顔を覆っていた手を、取られる。
開いた視界の真ん中で、赤い光を背負ったセトの顔が、にじんでいる。
「はっ……なんて顔してんだよ。この泣き虫」
セトが目を細めて、かすかに笑った。
熱い雫が、頬をつたう。
恐怖ではない。悲しみでも不安でもない。絶望からすくい上げられたかのような、あたたかな痛みで、胸が痛い。
「ご……ゴメン、ナサイっ……」
泣きながら、口をついて出たのは、謝罪だった。もっと、もっとうまく、伝えなければいけないことがあるのに。
胸のなかで響くこの感情を、なんと言えばいいのか分からない。わからない、言葉を何も知らない。
勝手に逃げ出したことも、彼らを非難していたことも。なんの役にも立たない、存在意義も分からない私なんかを見つけて、助けてくれたことも。
全部話して謝りたいのに、何ひとつ伝えられない。
「ゴメンナサイ……ゴメン、ナサイっ……」
壊れた機械みたいに、同じことをくり返すことしかできない。はらはらと涙だけが感情のままにあふれ、頬を濡らしていく。むだだと知っているくせに、私は泣いてばかりだ。何も伝えることのできない、無意味なものだけが、身体からこぼれ落ちていく。
「……おい」
泣いてうつむいたまま謝る私の顎を、セトが指先で持ち上げた。狼のような眼に、間近で睨まれる。……怒っている。怒られて、なんなら殴られても当然かも知れない。
「違うだろ。……こういうときは、なんて言うんだよ」
反射的に身をすくめたが、拳が飛んでくることはなかった。文句を言うようにつぶやくセトの声には、不思議と怒りの音はない。
けれども、なんと言っているのか分からず、当惑してその瞳を見つめ返した。
「………………」
「………………」
「………………」
「……チッ、なんでもねぇよ」
舌打ちをして顎を離すと、セトはふてくされたように視線をそらした。
原因のはっきりしない沈黙がおり、私は目前のセトの顔を見つめたまま、その顔が傷だらけなのを気にしていた。遠くで灯る赤い光が逆光になっているため不明瞭だが、引っかき傷のような黒い筋が頬のあちこちに走っている。視線を下げると、腕や脚の布が切られているのにも気づいた。太ももにいたっては布地が裂け、皮膚から黒々とした血がしたたっている。
「……せ、せとっ」
「ん? ……あぁ、窓で切ったんだな。大したことねぇよ」
私の視線を追ったセトが、平然とした顔で吐息まじりに応えた。大丈夫と言っているみたいだが、そう話しているあいだも傷口から血が流れており、見ているほうがジクジクと痛みを覚えるくらい痛ましい。
「そんなことより、お前は? 怪我してねぇか?」
傷口に動揺している私のことは気にせず、セトは顎をしゃくってこちらを指した。数秒ぽかんとしてセトの顔を眺めてしまう。
「……怪我だよ。痛いとこ、ねぇのかって」
面倒臭そうに自分の怪我を指さしてから、私の方へと指先をスライドさせる。まさか私のことを案じてくれているのだろうか。考えこむ私にあきれたのか、セトは無遠慮な視線で私の体を上から下までなぞり、
「平気そうだな。よかったじゃねぇか。こんな状況で、無事だったんだから」
「………………」
「にしても、ひでぇな。なんだ? ここ。何があったんだ?」
セトが背後に一瞥を投げ、懐疑的な声で私に尋ねた。状況の説明を求められている、気がする。
『…………あ……あの……缶切り? を……使ったら……缶から……これが……』
手の届く範囲に落ちていた缶を拾い、とっさに出た日本語でささやきながら、床に転がっている正体不明のメカニズムを指さした。装置のほうを触るのはなんとなく良くない気がしたのだが、セトは躊躇なくつまみ上げ仔細に見つめる。
「……発信機か。ここが外れるとスイッチが入るようになってるな」
上部に付いていたバネのような留め金を、セトが押し込む。すると、部屋のスライドドアがスムーズに閉まっていった。閉まりきるのとほぼ同時に、奥の空間を照らしていた1階中央の赤い柱も消灯した。視界が黒に塗り潰される。
「……せ、せと! せと!」
(それ、押してよかった?)
疑問を名前に込めつつ、突としておとずれた暗闇にあわてて彼の方へと右手を伸ばした。届く前に、ぱしっと手首を掴まれ、
「あぁ、わりぃ。……けどよ、明かりが外にもれるし、こっちのほうが安全だろ」
『ドアっ……閉まったら……私たち、出られない……』
「お前さっきから何言ってるか分かんねぇ」
重大な事が起こったのではと心配する私をよそに、セトの声は落ち着きはらっていて焦りがない。何も見えない漆黒の闇から聞こえるその声と繋がった手を頼りに、本当に存在しているのかを確認したくて少し身を乗り出した。ら、左手がセトに当たり、
「——っ」
息を呑む音がした。しまった、いま絶対に怪我に触った。
「ゴメンナサイ……」
「急に動くな。……つかお前、全然見えてねぇの?」
左手も掴まれて、そのまま両手を降参するみたいに顔の横で固定された。余計な行動をとるなということかもしれない。ついでに距離が縮まったせいか目が慣れてきたのか、セトの輪郭がぼんやりとあぶり出しのように浮かんできていた。思ったよりも距離が詰まっている気がする。
「……ふぅん」
表情は見えないが、どことなく馬鹿にしたような、含みのあるような声が、少し先から聞こえた。
黒い人影が、ゆらりとこちらに寄る。
「せと……?」
名前を呼んでみるが、返事はない。腕を動かそうとしたところ、ぐっと圧がかかって動かせないので、気絶したとかではないようだった。
しかし、黒い影は黙ったまま応えてくれない。どうしたのか。
「……せと?」
もう一度、呼んでみる。目を凝らして闇を見つめるが、表情も顔のパーツも全く見えてこない。立体感もなく、ただ曖昧な輪郭が影のまま停止している。
「………………」
じわじわと胸に不安がひろがり始める。なんだろう、どうしたのだろう。傷が痛いのだろうか。治療に役立つ物をセトはきっと持っているだろうが、こんな暗闇の中ではどう治療していいのかも分からない。それとも、怪我を触ったから怒っているのだろうか。
「…………せと……おこって、る?」
「いや」
問いかけた私の唇に、返事と重なって熱い吐息が掛かった。
ほんのすぐ目の前、びっくりするほど近い距離から、声が。動転して思いきり身を引こうとしたが、腕を掴まれていたせいで、上半身がびくんっと跳ねただけだった。
そんな私の驚愕したようすに、もれる声を噛み殺すような、かすれた音が聞こえ出し、
「ふっ……くく……」
「………………」
「お前……驚きすぎっ……くっ……くくっ」
「………………」
「わりぃ……そんな驚くと、思わなくてよ……ふ、くくくっ」
まさか、私は今、笑われているのか。
「…………せと」
心配や不安に染まっていた心が、急にすっと平坦になった。そこから、ふつ、ふつ、とわき上がってくる何か。なんだろうこの感覚。とても久しぶりすぎて思い出せないかも知れない。この身体で目覚めてから、初めての感情。なんと言えばいいか……いや、これはきちんと言葉を知っていた。
「わたし……おこってる」
「はははははっ」
相手の状態にしか言ったことのなかった単語。
小さく訴えると、セトがもう堪えきれないといったように声をあげた。
闇に響く、無邪気な子供みたいな声に、
(……セトも、こんなに笑ったりするんだ)
その顔が見えないことを、ほんの少しだけ……ほんとうに、すこしだけ、残念に思った。
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