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Chap.4 うさぎを追いかけて

Chap.4 Sec.8

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 なにか音が聞こえた気がして目を覚ました。ぱちっと開いた視界に入ったのは薄闇に浮かぶ自分の拳で、それがひどくぼんやりとしていることから相当な時間が経過していると気づいた。
 横向きで床に転がったまま眠っていたらしい。ほんのすこし休むつもりが、すっかり暗くなっている。高い位置に付けられた横長の細窓を見上げる。し込む光はわずかだった。あっというまに何も見えなくなってしまいそうだ。

 のそのそと体を起こして、そっとドアの隙間から誰もいないか確認した。何も動くものはない。ほうっと息をつく。静かに立ち上がりながら、きょろきょろと周りの棚を見回した。

(懐中電灯なんて……ないかな)

 眠る前に見回ったときは食料を重視していて、用途不明の物は触れていない。とはいえ、棚はほとんど空だったから大した物はないと思う。価値のある物はとっくに誰かに回収されているだろう。いや、水や食べ物が落ちていたのだから、うっかり忘れられている可能性もあるのだろうか。

 音をたてないよう気をつけながら、室内の棚にあるいくつかの箱の中身を探ってみる。箱は紙製ではなく、きわめて薄いプラスチックのような材質だった。パッケージを見ても内容物が何かさっぱり分からない。食べ物では無いということくらいしか。開けてみようとしたが、手では開けられなかった。壊すしか今のところ手段はなさそうだ。

 使えるかどうか不明の物は置いておいて、床にならべていた食料缶のほうをなんとかしようと腰を下ろした。建物内には光源となるものがないので、外が真っ暗になってしまっては何もできない。空腹感もある。とりあえず、喉が渇いていたので水を飲んだ。吐き気や腹痛などもないので、喉の渇きも手伝って思いきりごくごくと。大丈夫、変な味はしない。いつの水かは知らないが、飲める。と思う。

 無事水分を補給して、缶を手に取った。初めに拾ったほうはスープだと思う。絵柄を見るにそんな気がする。もうひとつのほうは赤いラベルにキラキラとしたオーロラのような加工がされていた。絵はないが、書かれている流麗な文字の羅列に身に覚えがあった。

(……これ、たぶんチョコレート……だと思うけど……)

 ティアに教わった数少ない単語のひとつ。ちなみに紅茶の発音とスペルも知っている。今思うと、もっと教わることがあっただろうに。

 両手に缶を持って、交互に目をやり見比べた。開け方をいろいろ試すなら、液状よりも固形が良いかと思い、スープの缶は床に戻した。チョコレートが入っているとおぼしき(しかしチョコレートならそれはもう溶けているような。食べられない確率が高いような)赤い缶をクルクルと回して全体をつぶさに見る。プルタブなんて物は当然ない。缶切りみたいに専用の道具が要るならお手上げとなる。

(やっぱり道具探しか……)

 深く吐息して缶をあきらめ、再び立ち上がった。捨て置いた謎の箱をもう一度手に取る。ひとまず棚に残っている箱すべてを回収して、ドア側のひらけた場所にならべた。残されていた箱はたった5つだけ。どれも菓子箱ほどのサイズで、中身もそこまで重くない。持ってみて重そうな物から、床に置いたまま箱の端にかかとを乗せて体重を掛けた。

 ぱき、と小気味よい音をたてて箱の一部が砕けた。かがんで箱の中身を取り出す。直径2センチ、長さ15センチほどのスティックのような物体。ペンライトにも見える。しかしペンライトにしては変に重量があって、先端が金属質だ。スイッチらしき箇所も一応ある。
 改めて箱のパッケージを眺めた。謎のスティックペンと丸い何か……もしや。いやまさか。でもこれは……ひょっとすると、缶だろうか。太鼓をたたく絵に見えていた物が、急速に缶を開けようとしている絵に見えてきた。そんな都合よいことがあるだろうか。缶を拾った部屋に、缶を開けるための道具が残してあるなんて。

 じっとパッケージを見つめたまま、考えこむ。悩んでいる暇はない。沈みかけた日の残滓ざんしは徐々に消えている。文字やパッケージを読める時間はあとわずかだ。思いきって、缶へと向けたままスイッチと思しき箇所を押してみた。……が、とくに何も変化がない。今の私の決意はなんだったのだろうか。

(……電池とか、要るのかも)

 そう都合よく物事はできていないということか。嘆息しながら、パッケージを恨みがましく見下ろした——その、瞬間。はっと脳裏に閃光せんこうが走った。パッケージを見ると、ペン(?)の先端は缶にピッタリとあてがわれている。もしかすると、いやもしかしなくとも。

 期待をこめて、床に置いた缶の上部にペン先をくっつけたままスイッチを押した。音は無い。しかし、磁石のような吸着感がある。スイッチをはずして確認すると触れていた部分に小さな穴が空いている。ガッツポーズしたい気持ちになった。しないけれど、口角が少しだけ上がる。なんだか久しぶりに明るい気持ちになった気がした。

 霧が晴れたような、少しだけスカッとした心持ちで、もう一度ペンを持ちスイッチを入れる。そのままくるりと上部の端をなぞって円を描いた。ゴールがスタートに重なると、フタのようなそれはペン先に張り付き、ぺらりと外れた。
 ——外れた、そのときだった。

 けたたましいサイレンが鼓膜をたたき鳴らし、辺りに響きわたった。ぎょっとした弾みで缶が倒れ、中身が転がり出る。チョコレートではない。奇妙な銀の装置が、ランプを激しく点滅させている。やかましく鳴り響くサイレンの音源はこれではないが、赤く光るランプの下に貼られたピエロのシールが、ホログラムのようにケタケタと笑って動いているように見える。これは、いったい……。

 まとまらない思考のまま、建物全体で鳴っているサイレンの音にひるんで逃げようと立ち上がった。取っ手のないドアに手を這わせてずらし、できた隙間から指を入れてドアを滑らせ、部屋から顔を出す。暗闇に近いと思っていた空間は、中央の柱が赤く光っていて周囲を確認できるほどの明るさがあった。ただ、その赤い光の奥に見える入り口のドアが、

(うそ……なんでっ……)

 入るときは、何もなく解放されていたはずだった。そこを通って入ったのだから間違いない。それなのに、シャッターか何かのような物で覆われて外が見えなくなっている。シャッターの手前には鉄格子もおりている。

 ぞっと背筋に寒気が走った。サイレンはむことなく空間に反響していて、閉じめられたのだと直感した。それでも、入り口へ駆け寄ろうと一歩踏み出そうとして、

《ビ——————》

 耳ざわりなノイズまじりの警笛がサイレンに重なって、思わず足が止まった。あまりにもうるさい音に、耳をふさぐ。それでも音は脳まで入り込んできて頭が割れそうだ。何がどうなっているのか。混沌こんとんとした音の渦に顔をしかめていると、ふいに、

 ——閉じられていた残りすべてのドアが、一斉に開いた。

 意味も分からず、耳に手を当てたまま、天井まであるたくさんの部屋を見る。ぽっかりと空いた黒い長方形の穴から、なにかが。なにか、うごめくような、影が。

「あ……あ……あぁ……」

 騒音が、ぴたりと止まった。引き換えに、乾いた喉から、張り付いた搾りかすのような音が落ちる。見開かれた眼球に映る光景は、赤く照らされ、まるで悪趣味なB級映画に出てくるゾンビたちの登場シーンのように非現実的で。夢だこれは、と笑いたい気持ちと、鳥肌が立つほどの恐怖が、いまぜになって湧き起こった。

 閉じられていたはずのドアから——生きた人間とは思えない、朽ちかけた死体が動いているかのような——化け物が、数えきれないほど顔を出している。それらは止まることなく、心許ない廊下へと歩を進め、そのまま——折り重なるように、1階の床へと落下した。

 ぐしゃり。ぐちゃ。ごつっ。血の気が引くような音をたてて、次々と。下にいたものは落ちてきた化け物に潰され、またその上に化け物が落ちる。
 踏み出そうとしていた、数メートル先の床にも、まるで出来損ないの人形のようにそれが落ちてきた。何か液体が飛び散り、とっさに一歩身を引く。床の材質が柔らかいせいか、あるいは化け物が強靭きょうじんなのか、奇妙に原型をとどめていて、それがいっそう、ぐにゃぐにゃ曲がる人形を彷彿ほうふつとさせた。

 落ちた化け物と、目が合う。真っ赤なライトに照らされたそれは、ぶるりと身を震わせ、皮から突き出た骨で、私の方へと這うようにずりずりと進み始めた。気づくと、重なり合う化け物の双眸が、一同にこちらを向いている。

「ひっ……」

 身体中の血が凍るような恐怖に襲われた。もれそうになった悲鳴を抑え込み、硬直していた身体を叱咤しったして急ぎドアを掴む。重たいそれを引っぱって閉めようとしたが、なぜか動かない。震えて力が入っていないからなのか。いや、違う。全力を込めてもドアは微動だにしない。

 閉じられないドアに見切りをつけて後退し、室内にあった棚まで駆け戻った。バリケードのことを思い出して棚を動かそうとしたが、これも固定されているのか倒れもしない。だめだ、出入り口をふさげない。
 室内を見回したが、他に逃げ道がないことなんてとっくに分かっている。窓は通れるサイズかも知れないが位置が高く、棚を使って登るには距離がありすぎる。そもそも窓には鍵もなくめ殺しのようだ。

 足下が抜けるような絶望だった。逃げ場のない室内から、出入り口へと振り返る。這いずる化け物の後ろから、骨が砕けることがなかったのか二足歩行で歩いている化け物たちも見えた。もうすぐそこまで、届こうとしている。

 ふ、と。
 なんだか笑えてしまった。
 あんなに必死で逃げ出したのに、こんなにもあっさりと終わってしまうのか。
 知らない世界で、自分のことも何ひとつ分からないまま、大勢の化け物たちに襲われて——あぁ、ひょっとしたら喰われて——誰にも知られず、死ぬのか。

 くだらなすぎる。
 私は本当に、体を引き換えにするしかできない無価値な人間だったのか。いつだって弱くて逃げることしか頭にない、最期まで戦う気概も持てない、その程度の。

 そっと静かに、考えるのをやめてその場に腰を下ろした。死んでもいいかな、と。ようやく思えた。できることなら痛い思いはしたくないから、頭を一気にがぶりとやってもらえないかな、化け物の口に自分で頭を突っ込もうかな、なんて。できないことを想像しながら、じわりとにじむ目を閉じた。

 ぎゅっと両手を握り、閉じたまぶたの裏で、訪れる痛みや衝撃を待ち構え——
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