【完結】致死量の愛を飲みほして【続編完結】

藤香いつき

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Chap.5 溺れる涙

Chap.5 Sec.1

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 太陽は、いつ如何いかなるときも順当に巡って、世界に始まりを告げる。
 静まりかえった建物の中は耳を澄ませても音がなく、陽光による薄明かりがし込むことで、ようやく朝がきたのかと知れた。

 ウサギはというと、あれから朝まで健やかに眠りやがった。
 途中、体勢が気になったのでウサギを横に向け、腕に頭を乗せて、(いつ起きるんだこいつ)と呑気のんきな寝顔を見ていたのだが、ランプを消した後の夜闇が、徐々に白み始めたころには心底あきれ果てていた。この危険な状況下で、ここまでぐっすり眠れるのはどういう神経なのか。トラップが仕掛けられていた建物の中にいるわけで、こいつは感染している可能性だってあるわけで、しかも嫌いな人間の腕のなかで。これは相当に図太い神経をしているに違いない。
 そして、目を覚ました最初のリアクションがまた気にわない。こちらの顔を認識するなり、ひゃっと悲鳴みたいな声をあげ、あわてて距離をとりやがった。手を伸ばしても届かないくらいの距離まで離れてから、パチパチとまばたきを繰り返し、現状を思い出したようにハッとして、

「…………オハ、ヨウ?」
「………………」

 徹夜のせいもあって、怒る気力もない。あきれすぎるとこういう心境になるのかと、新鮮な体験をしている。
 しらけた目で見返すセトに申し訳なくなったのか、そろそろと離れた距離を戻ってきた。

「……ゴメンナサイ」
「………………」
「……せと、おこってる?」
「いや、あきれてる」
「……アキレテル?」
「まあ、休めたならいいけどよ」

 よ、のところで勢いをつけて立ち上がった。同じ姿勢でいたせいか身体の節々ふしぶしに違和感があり、ウサギの頭を乗せていた腕が軽くしびれている。平常の感覚を取り戻すためにストレッチをしながら、ここからどう出るかを考えた。

「お前、そこから降りられるか?」

 窓の方を指さすと、ウサギは目で追って見上げ、きょとんとした顔でまたこちらに視線を戻した。

「あっちは死体だらけだからな。トラップのリスクもあるし、そこから出ちまったほうが安全だろ? ……で、お前ここから、俺を踏み台にして出られるか? っていてんだよ」
「………………」
「とりあえずやってみるか。いいな?」
「? ……はい」

 神妙な顔で話を聴いていたウサギだったが、今ひとつ分かっていない顔で肯定した。なんとなく予想はしていたので気にせず、武器として携帯しているバトンを伸ばして窓枠に残る断片を念入りにたたき落とした。枠で手を切ることはないと思うが、万が一に備えてウサギのてのひらに保護布を巻いてやると、理解に及んだのか窓を凝視し始めた。その表情からすると望みは薄いのかも知れない。

「ほら、乗れよ」

 窓の下に屈んで、肩の上に足を乗せるよう促す。ウサギは抵抗を感じている顔でおろおろとしていたが、「早く」鋭く声をかけると諦めたように足を乗せた。両足が乗ったのを確認して、立ち上がる。壁に手を当ててバランスをとっていたウサギは不安定に揺れたが、窓枠をつかめたのか、最終的に落ち着いた。

「行けるか?」

 目測では、下の人間が立ち上がった状態なら足を先に抜いて降りることが可能なはずだが、何しろ本人の身体能力の程が分からない。

 頼むから頭から落ちるなよと念じつつ、頭上に視線を向けた。様子見のためであったが、視界に入ったウサギの下半身に、……気づく。これはけっこう卑猥ひわい絵面えづらなのではないか。上半身を窓枠に預けて外をのぞくウサギは、おそるおそる片脚を通そうとしている。しかし、そのせいで諸々があらわになり、この位置からだと究極胸まで見えるのではないか、と。つぅかこの下着ほんとに意味ねぇな、と。これは何をされても文句は言えねぇぞ、と。

「せとっ」
「見てねぇって」

 不謹慎な思考が飛びかっていたところ、頭の上から名前を呼ばれて思わず口が先に出たが、どうやら非難されていたわけではないらしい。狭い場所に身を屈めるような体勢で、窓枠にまたがったウサギがこちらを振り返り、外を指さしている。(もしかして飛び降りるの? 高すぎない?)とでも言いたげではあるが、もうそこまで行ったなら平気だろう。

「そのまま、足から行け。衝撃は靴が吸収するから、痛みもねぇよ」
「………………」
「なんだよ。平気だって」
「…………ヘイキ?」
「問題ねぇってことだよ」
「………………」
「ほら行けって」
「………………」
「……早くしろ。突き落とすぞ」

 バトンの先で脚を突きつつ低い声で脅すと、ウサギは残りの脚も引き抜き、目をぎゅっとつむって向こう側へ消えていった。(目は開けておけよ、安全のためにも)注意は胸中だけで、届くことなく終わった。外から重い音が聞こえたので、ひょっとすると転んだかも知れない。

「おい、大丈夫か?」
「………………」
「おいっウサギ!」
「…………はい」
「大丈夫なんだな? 俺もそっち行くから、移動しろよ?」

 バトンで窓枠をカツカツと数回たたいて注目させ、先端を右に振って移動を指示する。察したのか、「はい」ウサギの声が離れたところから聞こえ、位置を知らせた。バトンの先端にはカメラがあり、手許てもとの空間に出た映像で壁下にいないことを確認する。

 壁から離れ、歩数をかぞえる。助走をつける距離が短いので、バトンの設定を変えて連結をゆるめ柔軟性を出した。ギリギリまで後退し、そのまま駆けだしてバトンを床に突き、全力で踏みきる。跳躍の瞬間に長さを変えて適度に伸ばし、バトンのしなやかな反動を活かしたまま——窓枠へと、ひねった体を投げ込んだ。
 天井が高いこともあり、難なく跳び越えて外の地面に着地する。バトンは離さず、窓に胴体が入ったタイミングで縮めたので、邪魔になることもなかった。

 外のまぶしさに目を細めて周囲を確認すると、離れた場所で待機していたウサギが何故か茫然ぼうぜんとした顔でパチパチと手をたたいていた。

「……何やってんだ?」

 歩み寄ると、意識を取り戻したのか手を止めて、なんでもないというように首を振った。不審には思ったが、そんなことよりも重要な案件がある。無事に出られたので、サクラたちへ連絡しなくてはと思い出し、ブレスレット型の端末に触れて電源を入れた。

 通話を選択すると、1秒と待たずにつながった。早すぎるその接続に、ヒヤリと背筋が伸びる。

《——おはよう、セト》

 唇だけで笑うサクラの顔が、ありありと浮かぶ。

「……お、おぅ」

 つい気の抜けた返事をしてしまってから、(これはどっちだ? 怒ってるのか? 気にしてねぇのか?)悩む頭をかき、宙に視線を漂わせる。

《連絡を入れるのが遅いな。今からそちらに向かうから、もうしばらくそこから動かないように》
「わりぃ…………ん? しばらくって?」
《5分程度だ》
「は?」

 ぷつりと途絶えた音に、セトの疑念が重なった。聞き違いだろうか、非常に短い時間が聞こえたが。もしかすると、最後の連絡をしたときの位置情報を得て近くまで来ていたのだろうか。……だが、現在使用している位置測位システムは、連絡したあの短時間でそこまで把握できる物だったか。しかも、それならば、感染者が活発になる夜分にサクラたちを近くまで呼ぶことの危険性を考慮したセトは、なんのために一晩起きていたのかという話になる。

 考え込んでいると、目の前にいたウサギが半歩、後退した。セトが目を向けると、思いつめたように蒼白な顔をして、じっと見つめ返した。唇が、何かを訴えたいように、わななく。

「……どうした?」
「……せと、……わたし……カエラ、ない」

 保護布の巻かれた手を握りしめて、ウサギは震える足を後ろに引く。
 その意味を、1秒遅れで理解した。セトの顔から表情が消える。

「——は?」

 本心から出た疑問符に、ウサギが泣きそうな顔で肩を震わせた。セトに威嚇いかくしたつもりはない。しかし、何を思ったのか突如身をひるがえして逃げ出そうとするものだから、脊髄反射でその手首を押さえ引き留めていた。

「待て!」

 掴んだ手首は、相変わらず容易に折れそうなほど弱い。逃げようと力を入れているのだろうが、簡単に引き寄せることができた。こちらを振り返った瞳はうるんでいて、今にも涙があふれそうなそれが、思考を乱していく。

 なんと、言ったのか。
 ここにきて、帰らないだと? それはつまり、このまま出て行きたいということなのか。
 目をらそうとしていた真実に直面して、頭が真っ白になる。

 いや、違う。本気で逃げる気なら、何か言ってやりたいことがあったはずだ。勝手についてきて、それなりに面倒を見てもらっておきながら俺らのことが嫌いだと。ふざけてる。なんなんだお前は。そうだ、そうやって悪態をついてやるって。
 最終的に逃げるくらいなら、最初から俺についてこなきゃよかったんだ。
 それとも何か。俺があのとき助けなければ良かったのか。余計な干渉をしたのは俺のほうか。感染者にやられるのを、そのまま見捨てれば良かったのか——思考が、まとまらない。

「……行くな」

 ぽつりと。
 混乱したセトの口からこぼれたのは、悪態でも不平でもなかった。
 絞り出すようにもれた自分の声を聞いて、セトは戸惑うように、その先をつなげていく。

「俺の、手の届かない所に行ったら……もう二度と、助けてやれねぇだろ……」

 向き合う目が、揺れている。
 言葉がどこまで通じるのか。

 ——そもそも、もしティアの言うことが本当で、多くの人間を相手にするのが嫌で逃げ出したのだとしたら、ここで引き止めるのは正しいことなのか。サクラは、帰るまでなら逃げても構わないと言った。ハウスに帰れば、おそらく簡単には出られない。逃がしてやれるチャンスは今しかないのに、引き止める意味はあるのか。

 これから彼女に待ち受けるものを、知っていながら。そのうえでなお、引き止める資格などあるのか。
 自問の答えは明白だった。……それなのに。

「行くな」

 口をいて出た言葉は、きっと間違っている。——それでも、掴んだその手を離すことができない。

「…………行くなよ」

 青白い朝陽に照らされた彼女の双眸そうぼうは、憂いに染まったまま無言でセトを映している。それは行き先の分からない迷い子のように、正答を見つけられず当惑していた。

 迷う時間は、わずか。すみやかに辿り着いた白い車両が、時間切れを告げる。
 握られていた細い腕は、抵抗を諦めたように脱力し、

「…………せと」

 捕まえておく必要はもうないと、そんな意味合いで発せられた、その声が。
 セトには、まるでとがめているかのように聞こえた。
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